まだ大丈夫
頬を染めて恥ずかしそうにそっぽを向くソラ。
そして義務感のまま何の躊躇いもなく膝を折る俺。
「……え、な、何してるんですかっ」
粛々と正座から土下座への派生をキメようとする阿呆一匹を、未だ頬を染めたままのソラがわたわたと止める。前傾の途中で肩を抑えられて、残念ながら俺の額が地面に届く事は無かった。
「無知ゆえの軽率、何卒ご容赦頂きたく……」
「い、いえあのっ、ビックリはしましたけど……!」
仰々しく謝罪されるほどの事では、と言って手を引くソラに促されるまま立ち上がる。いやまあ、確かになんで土下座までしようとしたのか謎ではある。俺は俺で動揺していたのかもしれない。
「ええと……説明、頼んでも良い?」
恐る恐るそう尋ねれば、少しずつ朱の引いてきたソラが『契約』とやらの内情を解説してくれた。
結論から言えば、俺はこの『パートナーシステム』という名称のニュアンスから勘違いしていた―――アルカディアでいうパートナーとは、「相棒」ではなく「伴侶」だったのだ。
つまりは、このゲームにおける『パートナーシステム』とは他ゲーにおける『結婚システム』に該当するコンテンツだったのである。
そりゃ申し込みがプロポーズ扱いもされますわという話なのだが、あくまで結婚的なシステムというだけで公式的な扱いではない。
その詳しい仕様の内訳からプレイヤー側に「これ相棒じゃなくて伴侶だろ」という声が多く、今では暗黙の共通認識としてそういうものとされているのだとか。
「インベントリの完全共有化ねぇ……夫婦の財布って事か」
所持金まで統合されるとの事で、文字通りの一蓮托生となる訳だ。
「それが一生物になるわけですから、その……心から信頼できる人同士で添い遂げるくらいの覚悟が、ですね」
「まあ契約破棄不可ってヤバいよな……」
最重要ポイントはそこだ。なんとこのパートナーシステム、両者の合意を以て契約を交わしたが最後、契約破棄―――つまり離婚の手段が存在しないらしい。
こんな仕様、普通だったら苦情殺到待った無しだろう。複垢やサブキャラ作成が不可能なアルカディアにおいて、こういった取り返しの付かない要素は重みが過ぎる。
「………………うーむ」
火照りの落ち着いてきた頭を捻りつつ、ソラに視線を向ける。
確かに重い。重いが……ならばこれから先、彼女以上に気が合い信頼を結べるようなパートナーが現れる可能性は、果たしてあるのか。
素直で頑張り屋で優しくて気配り上手。更には度々ハメを外す俺のテンションにも一生懸命ついてきてくれるような子に、二度巡り合えるような幸運があるのか。
いや無いだろ。おまけにそれが容姿性格共にドストライクの可愛い女の子とか、今生どころか何度人生を重ねてもそうは掴めないような奇跡に他ならない。
……これソラの方はともかく、俺の方に退く選択肢は無いのでは?
あくまで暗黙の認識なわけで、所詮はゲームシステムの一つと言ってしまえばそれまでだ。現実的な恋愛どうこうへ踏み込むわけではない。
周囲から関係を勘ぐられる事はあるかもしれないが……逆に言えばその程度のデメリットを許容するくらいで、俺とソラのふわっとした関係に明確な形と名前を得られるのであれば―――
「あー……ソラ、さん」
「はい?」
覚悟と呼ぶには大袈裟かも知れないが、一つの決心を胸に切り出す。
「あれこれ踏まえた上で改めての提案なんだけど……もし良ければ、俺とパートナーになりませんか」
正しい認識を得た上での、二度目。
今度こそ正真正銘そういう告白と取られても仕方ない台詞ではあるが、これまでの付き合いを経てソラも多少なり俺の事を理解できているだろう。
賢い彼女は、俺の意図まで正確に読み取ってくれるはずだ。
「っ―――それ、は……えと」
一瞬また沸騰しそうになるのを堪えて、ソラは熱を覚ますように両手で頬をほぐしながら思案顔を見せる。
「それは、その……だ、男女のあれではなく、純粋な相棒としての関係で……ということですよね」
「うん。周りに勘違いされても説明すれば良いだけだし」
それはそうと考え込むソラ。
勿論、ほぼ利しかないというのは俺視点に限った話。彼女の視点から俺とのパートナー契約にどの程度メリットがあるのかは、完全にソラの判断に委ねられる。
ここまで時間以上の信頼は築けている自信はあるものの、根本的に俺が優良物件かと問われるとそんな事は無いわけで……だからまあ、繰り返した通り「ソラさえ良ければ」という提案だ。
「……制約は多いですけど、メリットも大きいですよね」
「だな。共闘時の永続バフはデカいし、契約者同士で使える専用スキルもわりと破格だ。これからもペアを続けていくなら、恩恵は相当あると思う」
これからもペアを継続するというのも、またソラ次第と言えよう。何故ってそりゃ、俺の方からこの子との関係を切るとかいう状況が全く思い浮かばないから。
「えと、私とハルさんは、その……あ、相性も、良いですよね。【剣製の円環】のおかげで私はインベントリ容量を持て余し気味ですし、共有化を上手く活かせますし」
あぁ、それは確かに。単純に倍になった容量の内ソラに不要な分を間借りさせて貰えるなら、俺のインベントリ事情も大分改善されるだろう。
「それに……」
俺に聞かせるでもなくポツリと呟いて、ソラの言葉は途切れた。俺も俺で緊張していないわけでは無いので、進んで先を促すだけの胆力は持ち合わせていない。
そうしてしばらくの沈黙の後―――
「少し、考えさせてもらえますか……?」
満更ではないと、少なくともそう思える表情と共に、ソラはそう言って猶予を求めるのだった。
◇◆◇◆◇
―――夏目斎は侍女である。
現代日本で職業メイドなどと宣えば、程度の差はあれど好奇の目は避けられない。そのため表向きは家政婦や秘書の体を繕うが、斎の心はメイドである。
何故と問われたら個人的な趣向と返す他ない。必要無いと言われても屋敷ではメイド服を身に纏っているのだって、百割がた趣味に過ぎない。
そんな斎に与えられた職務はただ一つ……いや別にただ一つというわけでも無いのだが、斎の内情的に他のあらゆる業務に優先する事項として、もはや使命と化している唯一無二。
それは、一人の女の子のお世話係。
初めて出会ったのは、三年前のこと。少女が今よりもう少し幼かった頃の話だ。
端的に、斎はその少女に一目惚れした。優れた容姿は勿論、その振る舞い。まだ幼い身で常に周囲に心を配ろうと一生懸命なその眼差しに、斎は心を撃ち抜かれてしまった。
それ以来、斎は少女の侍女であり、また友人であり、或いは姉として、時には母として、彼女に誰よりも尽くしてきた。
その甲斐あってか少女も斎の事をよく慕ってくれており、今では雇用主の『旦那様』をして「本当の姉妹のようだ」と羨むような親密な仲になれた。
そんな良き友人であり、妹であり、また娘のようにすら思っている斎の『お嬢さま』は、最近とあるゲームに……そしてとある殿方に夢中なご様子。
生まれつきの身体の弱さに負けず、精神的には元々それなりにパワフルな女の子だった。けれど、ここ最近の彼女は殊更に感情が豊かである。
初めの頃は斎の方からねだったものだが、今では毎日自ら語ってくれる冒険譚の数々は、それはもう様々な色彩に富んだもので。
とりわけ頻繁に話に出るパートナーとやらの活躍を語る際の彼女の表情を見て、斎としては「ははぁ」と勘繰ってしまうのも無理からぬというもの。
仮想世界での出来事ゆえにこの目で確かめられないのが不安といえば不安だが、『お嬢さま』はあれで人を見る目があるのだ。
そんな彼女があれほど純に信頼を抱く人物となれば、少なくとも不埒者では無いのだろう。
そう思い、斎はまだ恋心ともつかぬ少女の懸想を微笑ましく見守っていた―――そんなある日の事だった。
「プロポーズされました」
「ぷろっ……」
ふらふらとした足取りでリビングに現れた『お嬢さま』が真っ赤な顔でポツリと呟いたその言葉に、斎は鍋の中にお玉を取り落とした。
呆気に取られる斎を他所に、心ここに在らずでソファに沈み込むそら。数年の付き合いでも初めて見るその様子に、斎は一も二もなく鍋蓋を閉めて火を消した。
お出汁の仕込みなど、最愛のお嬢様の一大事と比べれば些事にも満たない。
カウンターを回りキッチンから出て、真っ直ぐにそらの元へ向かった斎は少女のすぐ隣へと腰を下ろす。
「そら?」
ぽーっと宙を見つめる瞳を覗き込みながら呼び掛ければ、綺麗な空色が斎を見やる。熱に潤んだその瞳は、上気した頬の朱もあいまって……何というか、その
「…………好きになっちゃいました?」
「っ……!?」
どう見ても初めての『想い』に浮かされる少女のものにしか見えず―――慎重に尋ねた斎に対して、肩を跳ねさせるほどに動揺したそらは目を回して慌てふためいた。
「ち、ちがっちが違います!だ、大丈夫ですっ!まだ大丈夫です!!ハルさんもそういう意味では無いって言ってましたし!私も別に勘違いはしていませんし!?」
「そ、そら?ちょっと落ち着きましょう?」
至近距離で荒ぶりだしたお嬢様の肩を抑えてソファに沈めながら―――斎は「思ったより重症かもしれないぞ」と、密かに認識を改めるのだった。
まだ大丈夫。まだね