推定有罪
「慣れたつもりになってました……」
「いや俺的にもアクセルぶっ壊れてて正直ビビったというか、ごめんね?」
ビル十階分の高さを生身で駆け抜ける事に、果たして慣れる時など来るのだろうか。か細いソラの声に詫びを入れながら、俺も少々乱れ気味の心拍を宥めすかす。
どことも知れぬ街中の細い裏道。プレイヤー達は先ほどの広場に全員集合な勢いで押し寄せていたのだろうか、多少の距離を稼いだこの周辺には人の気配も無く、とりあえずの一息はつけそうだった。
閑散とした裏路地にはベンチなんて気の利いたものは見当たらず、二人して建物の壁に背中を預けて溜息を一つずつ。長く息を吐き出しながら俯いたり天を仰いだり、それぞれに気持ちを落ち着けていく。
「私も、ごめんなさい……一応アレの知識はあったんですけど、すっかり頭から抜けてました……」
「なんとなく分かるけど……あれだろ? 新人さんいらっしゃい的な」
俺の雑な推測に「ですね」と頷いたソラは、続いて「予想以上にアレでした」とぐったりした笑みをこぼす。
「初めはパーティやクランの勧誘合戦みたいな慣習だったらしいんですけど……新規プレイヤーが稀少化した今は、単なる歓迎のお祭りの面が主になっているそうです」
アレが歓迎ねぇ。
「下手しなくても通報案件では?」
「あはは……」
女子供どころか大の男でもドン引きってかビビるだろアレは。仮にソラが一人であの大群に囲まれていたら絵面は完全に事案というか待ったなし有罪ものである。
加害者推定一万人強。草も生えない。
「まぁ、うん……とりあえずは切り抜けたって事で」
危機は脱した、切り替えていこう。
チラと視界端に表示されたUIの一端に目をやれば、通常のアナログ時計とは作りが異なる、少々複雑な形状のシステムクロックがその針を進めている。
見慣れるまでに少々の時間を要した、現実時間と仮想時間それぞれを表示してくれる時計機能だ。
プレイヤーの意識が加速処理されるアルカディアにおいて、一日は二十四時間ではなく三十六時間。現実の二十四時間が午前、午後と十二時間で区切られるように、アルカディアでもAM、PM、そしてVMと三つの十二時間に分けて数えられている。
ちなみに「AM」は ante meridiem の略、「PM」はpost meridiem の略でそれぞれ「正午の前」と「正午の後」を意味するのだが、「VM」が何の略かは公式から回答されていないので謎である。
一日が三十六時間なら正午は十二時ではなく十八時なのでは?というツッコミは三年前から既出なので省略するものとする。
さておき、現在は仮想時間で既にPMを回り、現実時間では午後五時過ぎとなる訳で……元々の予定通りであれば、じきに刻限であるはずだ。
「そろそろ時間だよね?」
「はい、今日はここまで、ですね」
横に顔を向ければ、同じタイミングでこちらを見ていたのかパチリと視線が被る。普段通りならば恥ずかしがりそうなものだが……珍しくジッと視線を交わすソラは、どことなく寂しそうな顔をしていた。
「今日は、といいますか……あの、お伝えしていた通りで」
もどかしそうな、じれったそうな、何とも言えない歯切れの悪さ。というのも、少し前に聞かされていた彼女の事情によるもので……まあ早い話が「リアルが忙しくなるので」というやつだ。
時期的に学生社会人問わず新シーズンの幕開けのタイミングであるからして、当然と言えば当然。俺も他人事じゃないというか、大学生活は秒読み態勢に入っているわけで。
「これからって時だからなぁ、焦れるのも分かるよ」
俺の方は高校時代を無茶な金策と勉学に捧げた事もあって、大学生活は青春を補填する意味でもそれなりに楽しみにしていたりする。
なのでアルカディアに費やす時間がガッツリ減る事を差し引いても、精神的にはイーブン……ややマイナス程度に納まるといったところだ。
ただまあ、仕事に勤しむ社会人となれば、ねぇ?
―――さんざん年下扱いというか保護者面をかましておいて何をと思われるかもしれないが、実際のところ俺はソラの事を年上だと思っている。
あどけないアバターと声からつい「そのままのご本人」を夢想してしまいそうになるが、そこは現実を見ろと己を律するのがネット社会に生きる現代の若者の必須スキルだ。
アルカディアでは自由にデザインできるのはアバターのみで、声は現実の声と変わらない。つまり彼女の美少女ボイスはご本人様のそれという事で、流石にご年配という線は無いと言える。
が、数々の職場を渡り歩いて社会の一端を知見に収めたバイト戦士こと俺は知っている。それは若者―――こと高校生以下の人間の「会話能力の低さ」である。
簡単に言えば、語彙力も含めた会話及び文章作成能力の違い。学生の身でアルバイトに明け暮れて、親や教師以外の社会人の皆様と日常的にコミュニケーションを取った事のある者ならば分かるのではないだろうか。
大人と子供ではなく、日々「円滑なコミュニケーション能力」を要されるか、要されていないか。不測の事態が起きた際に、思考停止せず頭を回して解決策の提示を求められるか、求められないか……など、要は効率的なコミュニケーション経験値の絶対的な差。
頭の良し悪しや学の有無とは関係の無いところにある(と俺は思っているが)その会話力というやつは、断言するが普通に学生生活を送っているだけで身に付く事は絶対に無い。
さて、そこのところソラさんはどうか?
人見知りの気はあるものの、コミュニケーション能力に関して不足は感じられない。
語彙力だって、ゲーム用語なんかを除けばたまに俺の知らない単語が飛び出してくることもしばしば。
効率的な会話の組み立ては勿論、それこそ現実では起こりえないレベルの危機的な「不測の事態」においても、咄嗟の気転が効く事に加えて明快かつ端的にそれを伝達する能力まで抜群である。
はて、そんな女子学生が存在するとでも?
いや、いない事はないだろうけども、それに加えて【Arcadia】の筐体購入費というハードルまであるのだ。
未だに必要最低限の情報しか蓄えていない俺でもプレイヤーの年齢層分布くらいはチラ見した事があるのだが、現役学生の比率は十パーセントに満たない程度。
十人に一人と聞けば俺も「あれ意外と多くね?」と最初は思ったものだが、アルカディアの総人口から考えると9:1の比率は実数に表せば相当数の差がある。
まあつまるところ……目の前のあどけない美少女がリアルでも年下の女子である可能性は、限りなく低いという事だ。
この子が中身OLで社会の荒波に揉まれているのかもしれないという可能性を考えると、何というかこう……色んな感情が湧き上がるな。
「えと……ハルさんも、これから忙しくなるんですよね」
「それなりに。まあ三月と言えば学生も社会人も同じだよな」
当たり前だが、俺もソラも互いにリアル事情を語った事は無い。
俺が内心年上だろうと思いつつもソラの保護者面を気取るように……もしかしたら彼女も、内心では俺の事を年下だと思っているなんて事もあるのかもしれない。
結構軽薄というか、ノリが軽い振る舞いをしてる自覚はあるからなぁ。現実では―――というより、気分がぶち上がったりしていない素面ではむしろ一般平均よりテンション低めまであるんだが。
「…………」
と、口数を減らしていったソラがとうとう黙ってしまう。目に見えて気分を落としている様子で、理由を察せる俺としては嬉しい反面、どうにもしてやれないもどかしさも湧いた。
「ソラって結構、寂しがりだよね」
慰めてやりたい、励ましてやりたい―――というのは、建前か。今回は正直、俺がそうしたいと思って、自然と手を伸ばしてしまっていた。
そっと触れるままに、隣で俯くソラの頭に手を置く。
彼女はピクリと僅かに驚いた反応を見せて……けれどそのまま、俺の手を受け入れた。
「……自分でもビックリです。ひと月も経っていないのに、こんなに懐いてしまうなんて」
「懐くって、自分で言っちゃうか」
寂しいという感情と、それを誰に対して向けているのか。全部認めた上での諦めたような言い回しに俺が笑うと、ソラは恥ずかしそうに顔を背けた。
「だって、そうじゃないですか。私、ハルさんに完全に懐いてしまっています」
「おぅ……意外な攻勢」
と、いつものように恥じらいだけで終わらず、そんな拗ねたような言葉を頂戴してしまう。そんなもの、俺としてはニヤける以外にないのだが。
「まあ俺としては嬉しい限りというか……ほら、相棒だし。あんまり会えなくなるのが寂しいってのは、おかしい事じゃ無いでしょ」
「パートナー……」
この様子なら、ソラの方も俺を気に入ってくれているのは間違いないのだろう。ならば此方としても、今の関係性を解消する気など更々無い。
可愛い女の子アバターというのを抜きにしても、素直で頑張りやなソラと一緒に冒険するのは純粋に楽しく胸踊る時間だ。
それに加えて、急成長を遂げた彼女はともすれば俺にも勝る頼もしさを身につけはじめているわけで、今では相棒としても手放し難い存在である事は間違いない。
「だからまあ、寂しいのはお互い様だ。もうソラが隣にいないってのは、正直言って考えられないからさ」
「……っ」
だから、そんな少々恥ずかしい台詞も言ってしまって良いかと思えた。ソラは引いたり笑ったりなどしないと、そのくらいの信頼は築けたという自信があったから。
チラと横顔を盗み見れば、照れたのか分かりやすく紅潮した顔―――本当に、俺の相棒は可愛らしい。
……と、そうこうしている内にふと思い出す。
「そういや、相棒といえば正にパートナーシステムとかいうのが解禁されてたけど―――」
「へっ」
話題転換が急だっただろうか。隣でびっくりしたような声を上げるソラを他所に、システムウィンドウを呼び出して新たに追加された項目に目をやる。
「えーなになに……親愛度が一定以上に達したプレイヤーと絆を結ぶ事で各種恩恵。ははぁ、MMOっぽいな」
親愛度とやらが何によって蓄積されるのかは分からんが、まあ俺とソラは殆ど常時ペアで攻略を進めていたわけだからな。パーティを組んでいた時間なりなんなり、何かしらで条件を達成したのだろう。
「ソラ、この機能は知ってた?」
「えっ、あ、の、その……はい。まあ、結構有名と言いますか」
「うん?」
なにゆえ突然しどろもどろなのか……ともあれ、これは何というかあれじゃないか。あまり会えなくなるであろう寂しさを紛らわせるのに、丁度良いのではなかろうか?
「そしたらソラ、もし良ければ俺とパートナーにならないか?」
システム的にも正式に、と何の気なしに俺が口にした―――その瞬間。
「―――――――――」
様子のおかしくなりつつあったソラが完全にフリーズした。
「……え、ソラさん?」
まるで強制スタンでも喰らったかの如く。ピシリと身を固めた彼女の様子を見て、反射的に何かをやらかしたのだと理解した俺は彼女の頭に置いていた手をそろりと引っ込める。
ギギギとぎこちなく首を回してこちらを見たソラは、何故だが急激に顔を赤くしながら混乱したようにその瞳を揺らしていた。
「あ、の……」
「はい」
「多分です、けど。ハルさん、意味分かって、無いです、よね」
意味。何の意味?と思った俺は、その時点で間違いなく分かっていない。
「はい」
既にどのタイミングで正座に移行しようか考え始めている俺が、神妙に頷いて見せる。ソラはしばらく恨めしそうな顔でジッと俺を見つめた後、「はぁ〜っ……」と盛大に溜息を吐き出した。
未だに首まで赤くしたまま、ジトッと横目で俺を睨んでソラはポツリと呟いた。
「…………プロポーズ」
「えっ」
「アルカディアでパートナーシステムの契約を相手に申し込むのは、現実で言うプロポーズと同じ扱いです」
「―――えっ」
「………………もう、ハルさんなんですから」
ふいっと恥ずかしそうに顔を背けたソラの仕草はいつも通り大変可愛らしいんだがそうじゃない。えっ?
何してんの俺、いや何したの俺。えっ?
いま俺、ソラにプロポーズしたの?
…………………………えっ?
そういうとこだぞ。