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引越し日和

「―――ふぃい〜……」


 身体を起こす動作を検知して、上蓋が自動で開放される。


 リクライニング機能に任せるまま起き上がり、俺は全身の感覚を確かめながら息を吐き出した。


 現実の肉体は寝てるだけとはいえ、病は気からとも言うように身体は多かれ少なかれ精神の影響を受けるものだ。前日の【神楔の王剣(アンガルタ)】戦の疲労を引き摺るように、全身に言い表せない疲労が燻っている。


「さて、と」


 【Arcadia】筐体の傍らに備えたサイドラックに用意しておいた保冷水筒を取り上げつつ、我が城こと八畳一間の部屋を見渡した。


 ミニマリストまではいかないものの、持ち物をあまり増やさない性質らしい俺の部屋は殺風景の一言である。寝具に机に椅子に棚、最低限の家具が一つずつ。


 だからこそ馬鹿でかいVR筐体がギリギリ収まっているわけだが……いやほんと、()()()()()()()()()()()んだけどな。


「……まあ、予定通りならソラと出会う事もなかったんだよなぁ」


 いや改めて考えると神懸かり的なアクシデントだったわけだ―――というのも実はこのVR筐体、本当なら実家ではなく新たに一人暮らしを始めることになる東京の新居に届けられるはずだったのだ。


 当たり前である。こんな馬鹿でかい上に専門業者の組み立て作業が必要な精密機器を、わざわざ引越し前の住所に届けさせるような真似をするはずがない……のだが、何か手違いがどうとかで実家の方に配達されてきてしまったのが十日前のこと。


 なにがどう手違ったのか真面目に謎ではあるのだが、本来コイツは()()、新居の方に運び込まれる手筈だった。


 そう、つまるところ―――っとおいでませインターホン!


「はいはーい!」


 鳴らされたチャイムに応じて、既に配送した荷物の分だけ物の減った自室を出る。時間的に例の専門業者の人間に違いないだろう。


 手違いの詫びというかまあ当然の補償ではあるが、分解から再配達、再組み立てまで無償でやってくれるとの事。


 俺としては二週間近くも早くアルカディアに浸れた事。そして何よりも、代え難い相棒に出逢わせてくれたという事からマジでポジティブな感情しかない。


 ―――さておき、


(のぞみ)、ピンポン鳴ったよ」


「はいはい。やり取りだけ済ましたら後頼んでいい?」


 玄関に向かう途中で母上と言葉を交わしつつ、


「電車の時間、大丈夫か?」


「まだ少しあるから平気。っても余裕見てこのまま出るよ」


 父上とも軽く顔を合わせながら、すぐ掴んで出掛けられるよう置いておいたショルダーバッグを攫う。


「もう何度も言わないけど、色々としっかりやりなさいよ」


「向こうに着いたら一度、連絡しなさい。気を付けてな」


「ん、了解」


 今更、親元を離れるくらいで感傷的になる歳でもない。別れに際したやり取りなどここ数日で散々やったのだから、旅立ちのワンシーンなんてこんなもんで十分だろう。


「それじゃ、まあ―――行ってきます!」


 本日快晴、引越日和ってな。




本日は短め三本でお送りいたします。

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