神を祀るは楔の王剣、世界が祝しは詠歌の天秤 其ノ肆
「―――………………」
全く意味がわからないし、思考は完全に置いてけぼりを喰らっている。
自分があれだけ手も足も出ず蹂躙された怪物相手に、何かと保護者面を向ける対象であった少女が獅子奮迅の勢いで渡り合う様を見せつけられて、少なからず悔しさも湧いた。
けれど―――
「―――ハルさんッ!!」
そんな至極くだらない矮小な感情を―――凛然とした声音に腹の奥から引き摺り出された、圧倒的な高揚が跡形もなく吹き飛ばす。
何故だろうか?
一月にも満たない付き合いでしかないというのに、こうも容易く考えている事が分かってしまうのは。
所詮は仮想の世界、偽りでしかない戦場を共に歩んできた、ただそれだけの関係だというのに―――現実世界の誰にも向けたことのない程の『信頼』を、あの少女に寄せてしまうのは。
―――合わせてください。
視線が合って、まるで耳打ちされたかのように、言葉が届いた気がした。
「上等……ッ!!」
何がとか、何をとか、この瞬間には必要無い。このどうしようもなく滾る高揚感だけで、今だけは何だって出来ると思えてしまった。
直感のまま駆け出した俺を見て、【神楔の王剣】との大立ち回りを続けるソラが嬉しそうに笑うのが見える。マジかよ余裕かよと戦慄する反面、釣られて笑いながら重い身体を必死に戦場へと運んでいく。
詳細不明に変わりはないが、それでも推察程度は出来る。この極端なステータス下降っぷりと、突如見違えたようなソラのあの様子からして……おそらく、そういう性質のスキルなのだろう。
そして俺のステータスを借りているのであろうソラ自身が、弱体化している俺を戦線に呼んだとくれば―――
「スイッチ、行きますよ!!」
その先の展開は、予想出来るというもの。
言うまでもなく、今の状態で【神楔の王剣】に挑みかかれば即死は不可避だろう。しかしながら……
「ッいま!!」
大振りの一撃をすれすれで躱し、巨体を擦り抜けて背中へ抜けたソラからのゴーサインが届く。もはや一寸の疑いすら持たず、力無い脚で踏み込む寸前―――
「―――ッは!!」
これ以上ないというタイミングで身体を包んだ燐光に腹の底から喝采を上げながら、俺は爆増したステータスを唸らせて床を蹴り砕く勢いで跳ね上がった。
急激なステータスの上昇にはもう慣れたもの。何かとソラの奥の手に頼らせて貰っていた経験値もあって、凡そどの能力値がどれくらい伸びているかは大体把握出来る。
以前までの《スペクテイト・エール》とは違い、単純に全ステータスが二割増しされるわけではないらしい。
更に俺が留意すべきは、今回はその上昇値の一切がAGIには振られていないということ―――OK信頼と受け取った!!
脚の速さは辛うじて逃げ回るのがやっとだった先程までと同じ―――しかし今は、ソラのおかげで得られた情報という名の武器がある。
「お言葉通り……しっかり見といたから、なあッ!!」
追撃対象との間を遮るように躍り出た俺に、ともすれば鬱陶しそうに振るわれた大剣を、散々見惚れさせられた少女の動きを再現するように紙一重で躱す。
次撃もまた、躱す。
躱す、躱す、躱して躱して躱して躱して―――尽くを、容易く躱してのける。
振るわれる大剣を、或いは巨腕、或いは巨脚の全てを、ソラから学んだ挙動でもって完封する。
「っとに俺は……!」
どれだけ動き方が稚拙だったのか……或いは、ソラの《観測眼》―――否、彼女自身の観察眼こそが特筆すべき天賦と言えるのか。
埒外の強化を施したとはいえど、素の俺にすら遠く及ばないであろう敏捷値。見て分かるそのステータスで、しかし無様を晒し続けた俺がいっそ目を覆いたくなるほど、ソラは【神楔の王剣】の苛烈な攻め手を見事に避け切って見せた。
そんな出来過ぎた手本まで披露されてしまっては、こちらも無理だのしんどいだのと泣き言を漏らしている場合ではない。
「上段からの叩き付けは―――」
ギリギリまで引きつけてから、
「―――右に躱すと脚が来る!!」
横っ飛びで浮いた身体を刈り取らんと豪脚が迫り来るが、致死の一撃も予測さえ可能であれば脅威足りえない。
ソラの立ち回りから幾つかのパターンを割り出すことは出来た。ならばそれら予知可能な規定行動を意図的に誘発させれば―――
「漸くのファーストアタックだ―――受け取れやァッ!!」
蹴撃を見越した空中跳躍からの、戦斧一閃。
情け容赦無しに狙うは顔面。これまでの鬱憤全てを込めた大斧の一撃が、続け様の大振りをすかされてガラ空きの頭部を直撃した。
「っ゛……!―――づあラァアアアッッ!!!」
部位的には鼻っ面といえども相手は鎧。正しく鉄を打った感触が跳ね返してくる激甚な衝撃に怯みかけるが、気合いゴリ押しで弾かれかけた大斧を無理やり押し込む。
新たなソラの支援スキル―――その効力全てが注ぎ込まれたSTRが、本来の七倍近い出力で唸りを上げた。
耳をつんざく金属同士の擦過音を響かせながら宙に弾けた盛大なヒットエフェクトは、今戦い初の有効打を意味する反撃の狼煙。
僅かに―――本当に僅かにだが後退した【神楔の王剣】だが、しかしそのHPバーに刻まれた爪痕は精々が八段重ねの一本、その一割にすら遠く及ばない微かなダメージでしかない。
だが、どれだけ僅かでも削れる。ならばいつかは倒せる。
「ソラ!!」
「八連ッ!!」
反動で此方も大きく吹き飛ばされて着地すると同時、俺の掛け声を追い越すような勢いで、ソラの鍵言と魔剣の連弾が宙を駆けた。
再びの遷移。ガクンと急激に下降するステータスに思わず膝を突きそうになる俺の横を、眩い金色が風のように走り抜ける。
未だヒットエフェクトを散らしていた顔面に鬼のような八連追撃を見舞われて、さしもの巨騎士も明確な怯みモーションを晒した―――その足元に、小さな剣士は一切の躊躇も無く駆け込むと、
「いや、ちょ―――」
再び走らせた幾つもの魔剣―――それらを足場に宙を掛けた少女の姿に、俺はとうとう乾いた笑みを浮かべざるを得なかった。
「は……こりゃもう、保護者面は出来ないな」
俺の株を掻っ攫うような空中機動。見事に宙を駆け上がり【神楔の王剣】の顔面に再三の追撃を叩き込んだソラを眺めながら、そんな言葉が自然と口から漏れ出した。
背筋を何かが駆け上がるむず痒い感覚。それは急速に開花していく彼女に対する戦慄か、或いは焦燥か―――確かなのは、どちらも呑み下して追い縋るために、指を咥えて見ているわけにはいかないという事だけ。
「ハルさんっ!」
「っしゃ任せろァ!!」
おそらく、自覚など無いだろう。並び立つどころか追い越す勢いで駆けていく相棒の声に、俺は声を奮い応える。
微かな勝機の光は遥か遠く―――空洞を震わせる剣戟の音は、未だ前奏に過ぎない。