神を祀るは楔の王剣、世界が祝しは詠歌の天秤 其ノ弐
「――――――ッ」
放心しなかったのは、万に一つの奇跡。得物を粉砕された衝撃を乗りこなして迫る蹴脚をスレスレで躱し、巨体の股下を潜って壁際まで全力で駆け抜ける。
振り返れば―――フロア全体を軋ませるような大蹴りを放った【神楔の王剣】は、巨体に見合わぬ器用さで鎧の身体を操り静かに右足を下ろしていた。
これまで以上に思い切り距離を取ったからか、はたまた度が過ぎる猛攻のインターバルなのか……開戦直前の構えを再び取った巨騎士は―――まるで何事もなかったかのように、俺に向かい大剣を構えて見せる。
「…………っ」
やり切れない無力感を舌打ち一つで打ち捨てながら、柄の一部だけを残してほぼ全損してしまった戦鎚の残骸を、インベントリに放り込む。
思えば、手に入れてからは随分と頼り切りになっていた事は自覚している。見た目もコンセプトもシンプルに阿保みたいな代物だったが……あれでもそこそこ愛着が湧いていただけに、無視出来ない物悲しさがあった。
「……本格的に」
打つ手、無し。元よりあのサイズの鎧甲冑相手に剣撃が通るとは思っていなかったが、打撃ならば多少はダメージを通せるものと甘く見ていた。
『魂依器』以外は「別に困ってないし」と武器の品質を気にしていなかったツケ―――とも言えないだろう。そもそもの前提として、未だルーキー末席の分際でこんな化物と遭遇してしまったこと自体がイレギュラーなのだ。
ともあれ、唯一の有効打候補をまさか粉砕されるとは思っていなかった。当然ながら、威力を伝え切る前に破壊されてしまったために奴のHPもほぼ無傷である。
―――いや、というかちょっと待て。
「えっぐ……」
何本あんだよあのHPバー。一、ニ、三、四……八?八段重ねっすか?これまでの最大が【砂塵を纏う大蛇】の五段なんすけど、ちょっと欲張りすぎでは?
あの蛇もウンザリするほど硬かったものだが、それでも今は亡き質量の暴力でぶん殴れば、頭を弾き飛ばす事だって出来たし僅かながらダメージも与えられた。
大抵の攻撃を喰らえば即死の身であるからして、相手の攻撃力はさして重要では無い。しかし残りの重要項目である耐久力と敏捷力では間違い無く、コイツは砂漠の大蛇の上をいっている。
特にその機敏さが手に負えない。AGIの数値を並べれば、おそらくは俺に軍配が上がる筈。それなのに俺が速さで後手に回らざるを得ない理由は、単純に俺と奴とのスケールの差が問題だ。
いかにスーパーカーでかっ飛ばそうとも、巨大な怪獣のスローウォークに踏み潰されるアレ。大蛇にも手を焼いたが、奴よりも早く更には比較にならないほど小回りが効く体躯―――対応が追いつかないのも道理か。
一時は衝撃で感覚の飛んでいた両手の痺れが抜け始め、ソラの進化スキルがもたらしたリジェネ効果によってHPバーは全快しているものの……さて、どうするか。
これまでの執拗な追撃を見るに、どうもこの【神楔の王剣】は敵愾心の指向性がかなり一途なタイプらしい。数度の交錯を経て再びフロアの外周近くまで退避した俺と比べて、同じく中央付近へ舞い戻った巨騎士はおよそ十メートル程の距離で動けずにいるソラに目もくれようとしない。
それはまあ、こちらとしては好都合……大声を上げた途端に静止する巨躯が躍動する可能性を考えて、微妙な距離で固まってしまっているソラにジェスチャーで「壁際まで下がれ」と指示を送る。
以心伝心も板に付いてきた相棒は、怪しげな俺の身振り手振りにもすぐに理解を示して見せた。コクリと一つ頷いてから、万一にも気を引かないようにゆっくりと後退していく。
傍の相棒を欠いて、開戦前の焼き直しだ。奴にどのような思考ルーチンが与えられているのかは知るよしも無いが、こうしてブレイクタイムの余地があるのは有難い―――そうでなければ、今頃とっくにソラと二人で街へ死に戻りしていた事だろう。
「言うて、もう詰みだよなこれ……」
ひとりごちながら空いた片手に【白欠の直剣】を喚び出すが、さしもの『魂依器』といえど成長途上……そのスタートラインでしかない赤子の器。こちらの最大火力を真向からぶち抜いた奴に歯が立つとは思えないし、その時点で既に俺たちの勝ちは消えている。
ちなみに予想通り、フロアの入り口になっていた巨大な両開きの扉は、いつの間にかその口を閉ざしていた。試すまでもなく、この戦いに決着が訪れるまで二度と開く事はないのだろう。
ここから先の結末は既に決した―――ならば後は、せめて如何にして格好付けるかのみ。
「試してみる……か!!」
攻めの思考は十割切り捨てる。懐には飛び込まず、ただひたすらに回避重点―――無惨な敗走になにか一点の星を付けるべく、腹を決めた俺は【神楔の王剣】へと二度目の突撃を敢行した。
俺のAGI実数値は装備補正込み450。これは先駆者にも太鼓判を押されたカンストプレイヤーをも上回る数値である。
もちろん数字が多けりゃ優れているというわけではない。裏を返せばその他のステータスでは、同レベルのプレイヤーに対しても著しく劣っていることに他ならないのだ。
加えて言えば、俺はスキルの習得数もその練度も、装備の品質だって紛う事なきルーキーのそれ。ステータス上の数値だけ上回っていようとも、おそらく熟練のプレイヤー達は様々な上乗せの手段を持ち得ているはずだ。
推察でしかものを考えられない無知が歯痒い限りだが、実際のところ仮想世界の上級者たちはコレを相手に対処が可能なのだろう―――けれど今の俺には、己の脚しか武器が無い。
「ッいや無理!!」
冷静にモーションの起こりからジッと目を凝らせば、そこまで桁外れな敏捷度ではない事が分かる。しかしやはり、その巨体との乗算が理不尽極まりない。
想像して頂きたい。人間と変わらない機敏さで動く上にクレバーな大怪獣を。それって人類に勝ち目なくない?
鋒が揺れるだけで風を巻き起こす大剣が、まるで重さを感じさせないスイングから凄まじい速度で襲い来る。トップスピードでは当たり前のように剣身が霞み、目で追いながらの回避ではとても間に合わない。
「溜め」から「振り」までの挙動で剣の軌道を先読みしなければ、既に何度身体を真っ二つにされていたことか。過剰に思われた敏捷ステータスをフルに回して、どうにか命を繋ぐのがやっとである。
「クッソ……!」
申し訳ないが、とてもソラの出番がどうこうとか考えている余裕が無い。《スペクテイト・エール》の効果を打ち切った瞬間、連携を取る間も無く俺が蒸発するだろう。
観測眼でよく見ておくようになどと言ったが、これは見切る見切らない以前の問題だ。プレイヤースキルも含めた俺たちの総合スペックが、まるで不足している。
「っ゛……さ、すがにこいつは、もう……!!」
―――どうにもならない。足掻いてみてはいるものの、サポート込みの最高速で反撃の余地すら見出せない。
僅かずつ……しかし確実に。
諦めへと手を伸ばしつつある胸中から目を逸らすように、俺は無様な回避―――否、逃走劇を演じ続けた。