翠光の泉
結論から言えば、暗中の行軍はほんの数十秒で終わりを告げた。
完全に一本道だったその途中、非安地ということで警戒していた「何かしらの襲撃」なんてものは起こらず。
不気味な暗闇に怯えたソラが、可愛らしく縋り付いてくるなんていうテンプレイベントも特に起こらず。
ぽつぽつと道を照らす光る水晶に導かれるように、俺達はそこへ辿り着いた。
「―――これ、は、また……」
アルカディアで絶句するのは既に慣れたものだが、その内訳は大体が「異様な光景に圧倒されて」というもので―――こうして、見惚れて声を失うというのは初めてかもしれない。
暗い通路の果て、まず出迎えたのは切り立った崖。途中でスッパリと切断されたかの如く唐突に訪れた終点―――その光景は、眼下に広がっていた。
「―――綺麗……」
まるで陶酔したような囁きが、隣に立つソラの口から零れた。
俺達が顔を出した通路口から、およそ十メートル程度の落差。下へ行くにつれて崖は斜面となり、全体を見るとお椀型の窪地になっている。
そこはただ、光で満たされていた。
中心部に鎮座するのは、何やら見覚えのある翠色。ゴツゴツとした楕円形のそれが発する翠光を、周囲に侍る無数の水晶が受け止めて乱反射させている。
通路の終点から下を覗き込むまで気付かなかったように、決して眩い光ではない。頼りなく、しかし幻想的で、ゆっくりと心を掴んでそのまま離さない―――そんな光景だった。
水晶ごとに反射する光の向きも強さも異なり、更には脈動するように光を振りまく大鱗に呼応して、翠の海は絶えずその表情を変え続ける。
「…………ゴール、かな」
「…………そう、ですね」
たっぷり数十秒―――もしかしたらそれ以上に言葉を失っていた俺達は、相変わらず目を奪われたままに囁きを交わした。
「ハルさん、あれって……」
「あぁ……まあ、色味的にぽいね」
俺とソラ、揃って視線が同じ行き先を辿る。まず中央のオブジェクト、次いで自分たちの手―――正確には、その手に嵌めた【砂漠鱓の革手袋】へと。
遠目にもほぼ同じような色……加えてソラは知らない事だが、チラッと目にした【砂塵の落とし子】の瞳もまた同色だったはずだ。
十中八九、あの蛇ども縁の何かなのだろう。
「まあ、とりあえず降りて……降りて、大丈夫だと思う?」
ただただ幻想的な翠光は見た感じ無害そうだが、一応ソラにも意見を伺う。
「大丈夫だと、思いますけど……どの道、他に行き先も無さそうですし」
「ですよねぇ」
俺の問いに辺りを見回しながらソラが答え、同じく周囲へと視線を巡らせた俺も頷く。目の届く限りに他の道は見当たらず、やはりあのオブジェクトが何らかの形で終点の役割を担っているように思えた。
「んじゃ降りますか……あ、いかがします?」
途中で斜面になっているとはいえ、それでも建物の二階から飛び降りる程度の高さはある。自ら跳ぶのは怖かろうと、両手を広げて「ご自由にお使いください」と昇降機を名乗り出るが―――
「っ……ぅ、だっ、誰かさんのおかげで、跳んだり落ちたりは少しくらい慣れましたからっ」
何やら顔を赤くしてぷいと俺から目を逸らすと、ソラは躊躇いなく崖を踏み切って降りて行ってしまった。
フラれた俺が見守る先で危なげなく斜面へと足を付け、少女はそのまま転倒する様子もなく器用に滑り降りていく。
「……逞しくなったもんで」
いつの間にか保護者気取りが板に着いてしまったのか、わずかながら寂寥感。
後を追って俺も飛び降りるが、幸い光の方は予想通りの無害。体調に異変は無し、毒の類なんかは心配ないだろう。
「―――さて」
そう広くはない窪地の中央へとすぐに辿り着き、謎オブジェクトの前で二人並んで首を捻る。残る疑問はただ一つ、コイツがいったい何なのかという事だ。
「石……じゃ、ないみたい……ですよね?」
「んー……質感的には?」
微かに透き通り光を放つ様は「宝石」といった名詞がよく似合うが、質感がどうもそれっぽくない。何というかキラキラしてる割に生々しいというか、直感的に生物味を覚えるこれは……
「鱗……いや、骨か……?分からん」
おそらくだが、色味的にも蛇族の身体の一部なのだろう。
「ん……これ、どうすれば良いんでしょう」
「いやぁ、ぶっちゃけ近付くなり触るなりでイベント進行と高を括ってた」
目前に立ち、格好付けながら「ひたぁ……」と片手を押し付けても何の反応もありゃしない。
他に道のない行き止まり、思わせぶりなオブジェクト、イベント自動進行の気配無し……とくれば、思いつく行動の選択肢は―――
「……壊すか」
「ぇ……えっ」
お手本のような二度見をキメられた後に「なに言ってんのコイツ」と言わんばかりの目を向けられるが、別に冗談のつもりもなければ血迷った訳でもない。
そこそこのゲームをプレイしてきた俺の経験上「自己主張の激しいオブジェクト」なんてのは、大体が「とりあえずぶん殴る」事で何か起きるのがテンプレ。
異様、異質、派手、綺麗、光る、動く、喧しい等々、デザイナーに与えられたそれら自己主張はつまり「こいつをなんやかんやしてどうぞ」というメッセージに他ならないはずだ。
そのうち⚪︎やらAやらを押し込む事で親切なテキストが表示されるものは、素直にその指示に従えば良い。そして雰囲気重視でその手のアクションが用意されていないものは……
「とりあえず殴る。ゲーマーなら皆そうする」
俺だってそうする。異論は大いに認めるが、この振り上げた右手に待ったは認めない。
「えぇ……」
女の子的に、綺麗な宝石もどきを「とりあえず」でぶん殴ろうとするのはドン引き案件なのだろうか。マジかよコイツみたいな目で見られて若干のダメージが無いではないが、止める気はない。
一応ソラに離れるよう告げて、俺は掲げた空の右手を勢いよく振り下ろす―――《クイックチェンジ》。
ぶっ壊すと決めた以上加減も様子見も必要無い故に、喚び出したのは情け容赦無しの【歪な鉄塊鎚】。超重量のインチキ高速スイングが、動かない的をしかと捉えて、
「―――ッが……!?」
「ハルさんっ!?」
轟音、閃光―――そして凄まじい勢いで吹き飛ばされた俺を、悲鳴じみたソラの声が追いかける。
両足、浮いている。
進路、後方。
背後は壁―――と、無数の水晶(わりと鋭利)。
「ッべぇ―――!?」
気の抜けていた思考が瞬時にトップギアへと跳ね上がり、同時にここ最近で幾度も覚えのある勝手に身体が動く感覚。
鎚を手放してしまい空っぽになった両手に大斧を召喚、一も二もなく床へと叩き付ける。謎の衝撃で勢い良く後方へと飛ばされた身体はその程度で止められないが、真下へと叩き付けられた運動エネルギーは確かな反動を俺の身体へと伝えて―――
「ッ!」
―――新スキル《浮葉》起動。このスキルの詳しい効果は中々に複雑怪奇だが、一言で表すならその特性は運動エネルギーの操作。
起動条件とか効果適用要件とか様々な概要はひっくるめて後に放り投げ、とにかくこの場でこのスキルがもたらすのは―――吹き飛ばされる俺の進路を、後方から頭上へと強制変更するという効果。
「っ……ふぅ、助かっ―――助かってねぇ!!」
無数の水晶に激突して肉片エンドは回避出来たが、謎の力によって身体へぶち込まれた慣性が止まることを知らない。
平行から垂直へと軌道を変えたものの相変わらず勢い良く飛翔する身体は、むしろ俺が《浮葉》で操作した運動エネルギーにより更なる加速を得て天井へと一直線……!
「んのぁア゛ッ゛!!」
冗談みたいな負荷の重石が括り付けられた全身を軋ませて、無理矢理に身体の制御を取り戻す。そのまま半ば叩き付けられるように天井に着地、軽く目眩を起こしながらも必死の空中跳躍を挟んで命からがら地上へと舞い戻った俺は―――
「…………………………」
「……ヤメテ、そんな目で見ないで」
酷く低温かつ乾いた視線から、そっと目を逸らした。
「あの……傍から見て、完全にバチが当たった人でしたよ」
ひんやりした感想もやめて頂ける?今の一連の流れが客観的に見て「アホ」の一言だと理解してる身としては、居た堪れないから本当……
「ま、まぁ、ぶん殴るのがNGだって事が分かっただけ収穫……」
「ハルさんじゃなかったら、ゲームオーバーだったと思いますけど……」
俺でも五回に四回は死んでたと思うよ今のは。咄嗟の判断で獲得したばかりの新スキルを運用出来たのは、わりと奇跡だったから。
「ええと……ソラ、いまの何が起こったか分かる?被害者視点だとあれ、軽く目潰し喰らったせいで何に吹き飛ばされたのかが謎」
「どちらかと言えば、撃退された加害者視点では……?」
ジトっと半顔を向けながらも質問に答えてくれたソラによると、俺の攻撃が直撃した瞬間にオブジェクトから波動的な何かが放射されたらしい。
目視可能な円環状のエネルギーが俺を吹き飛ばし、ついでにソラにも触れたらしいが幸い何事もなくすり抜けて―――いやこれ、巻き添えでソラだけ犠牲になってたら洒落にならないレベルの大戦犯だったんじゃ……?
「あー……ソラ、さん」
「はい?」
「コマンド『とりあえず殴る』は封印します」
「はい」
ここで豆知識を一つ。我が相棒の美少女様は、応答が短く端的になった場合それは「怒り状態」を示唆する。
そのジト目は大変かわいい成分に満ち溢れているが、この状態で舐めた態度を取ると後悔する事をここ一週間の付き合いで俺は学んでいた。
故に的確な状況判断からの迅速な平身低頭。今回は……表情を窺うに、ご機嫌を損ねるまでは行かずに済んだと見える。
「いや、ごめん。俺も疲れてるって事でここは一つ……」
普段より思考回路が五割増しで大雑把になっている自覚はある。
途中離脱の件で借り一つと思っているであろうソラに甘えるようで申し訳ないが、今しがたの馬鹿一つで相殺して頂けるとありがたい。
「もう……しょうがない人ですね」
頂戴したのは呆れたような、けれども可愛らしい苦笑ひとつ。お許しを得た俺は我ながら情けなくも、安堵の息を溢すのだった。