砂上の楼閣、流転するは玉座 其ノ参
「―――クッソがぁ!!」
反射的に飛び出す悪態を意識する余裕も、ソラが五枚目を割った辺りでとうに失っている。同じタイミングでバーサク状態に入った大蛇は未だ俺の速度に追いついて来れずにいるが、追いつかれずとも縋られている時点でジリ貧を強いられるのだ。
巨体がすれ違うたび、攻撃自体は躱せども奴の周囲に侍る砂塵が俺のアバターを容赦なく削り取っていく。
痛みは無い―――が、嫌になる程リアルな大量の砂に嬲られる感覚と、何よりも無数の砂粒がこちらの視覚を潰してくるのが最悪だ。
仮想の身体は眼球に砂どころか泥を塗られても大事に至るなんて事は無いが、それでも目に何かが迫るか触れるかすれば人間は反射的に瞼を下ろしてしまう。
相手が呆れるほどに巨大なため見失う事こそあり得ないが、致命的なタイミングで瞬きを強制されたらその瞬間に轢き潰されて終了だ。
…………ソロで持ち堪えてる俺すげーって浮かれてたけど、これしっかりパーティ組んだところでどうにかなんの?適性まで鍛えた盾役ならこの天災の化身みたいなクソボス受け切れるんですかね……?
このボス戦、もし突破することが出来たら攻略動画とかないか探してみよう。そんな風に現実逃避をしつつ、展開した短剣を踏み付けて空中三回転捻りを決めた後に飛来した尾刃を大斧で撃ち落とす。
スイングの勢いそのままに斧を投げ捨てて空いた手で、俺は腰のベルトポーチから回復アイテムを引き抜いた。丁度人差し指ほどの大きさの試験管に満たされた赤色の薬品―――アルカディアの基本的な回復手段である魔法薬だ。
封蝋された栓を親指で跳ね飛ばし、瓶ごと突っ込む勢いで薬品をあおれば、爽やかなミントの香りと比して不自然なほど無味な液体が口に広がる。
これですっかり回復また元気に踊れるぜ―――となれば何も問題は無いのだが、このゲームのポーションはそこまで頼りになるアイテムではなく……いや、もうぶっちゃけ有っても無くても変わらない程度には役立たずな代物だ。
即時回復ではなく継続回復である時点で緊急時の逃げ道にはならないどころか、安静にしていないと著しく回復力が落ちるとかいう「その仕様いる?」と苦言を呈したくなる心折設計。加えて効果満了までキッチリ百秒かかるという、アクションゲーム的には欠伸が出るほどの遅効性―――端的に戦闘時の効果を述べれば、百秒で全体HPの十パーセントしか回復しない。
俺が使っているのがルーキー用の初級ポーションである事を踏まえても、正直言ってゴミである。なお当然ながら重ね掛けは不可、なおかつ効果終了後に追加で百秒の再使用待機時間あり。ゴミっていうか、チリ。
ちりも積もればなんとやらと言うが、積もるのを待たずして巨体が殺しにかかってきている現状では焼け石に水。文字通り気休め程度にしかならない。
そんなものを余裕ゼロな迎撃行動の合間に挟んでまで必死に飲み下している、と言うことはつまり―――そう、マジで限界ギリギリ死亡まで秒読みってな現状というわけだ。
チラと見やれば、視界端に表示されたHPバーは既に三割を切りレッドゾーンに突入している。ステータスバー下部に表示されたヒールアイコンがジワジワと業務を全うしているが、回復量を帳消しにして余りある砂塵が容赦無く俺を死へと引きずり込もうとして止まない。
ソラの治癒魔法が恋しくなるが、あっちもあっちで俺同様かそれ以上の修羅場である。継続的に微量なHPが減り続ける俺とは異なり、ソラのステータスバーはガックンガックン減ったり増えたりを繰り返していた。
二枚目の鱗を割った時点で出現するようになったサーペントサッカーは、四枚目を割った時点でその湧数が更に跳ね上がる。
鱗を探して常に移動しながらの迎撃を余儀なくされ、その相手が常時二桁に昇る群れともなれば対処は容易では無い。ましてソラは俺のような敏捷特化ではなくバランス型、速度で振り切ることもできずに応戦を強要される―――何一つスキルの恩恵が与えられていない、剣一本だけで。
間断無く動くステータスバーの様から、袋叩きに遭っている少女の姿が目に浮かぶ。キツイ役を任せた自覚はある―――が、まさかソラにこのクソボスとタイマン張らせるわけにもいかないのだから仕方無い。
逃げに徹さず相手をするのはこれが初めてだったが、相棒の様子を確認しようなどと目を向ける余裕さえない始末だ。この役回りはどう足掻いても必定だった―――と、
「っ……六枚目!」
俺と鬼ごっこを続けていた大蛇がピクリと頭を震わせて、怒りの咆哮をあげる。初回のような強制スタンは無いが、ありありと激しい怒りが見て取れるその様相はこれで六度目―――ソラが六枚目の鱗を破壊した合図だ。
しつこく飛来する尾刃を打ち落とし、躱しながら、残りHPを見やる。
……ギリギリ、か?
「上等ッ……!!」
とぐろを巻いて身を撓め、一息に突っ込んでくるビルの如き巨体を宙に飛んで回避。浮いた身体を打ち据えようと行きがけに跳ね上げられた尾を手慣れた空中跳躍で避けて見せれば、心なしか無機質な爬虫類の顔にも苛立ちが……いや分かんねえわコイツ目すら無いし。
ともあれ、ようやくここまで辿り着いた。
六枚目。合わせて七枚の鱗の内、残すところ一枚となったここが【砂塵を纏う大蛇】攻略におけるターニングポイントであり、俺がソロで到達できた限界地点でもある。
そもそも単純に考えて、ただ全ての鱗を破壊して回るだけなら俺が大蛇をぶっちぎってマラソンすれば良いだけの話。ステータス二割増しの支援も込みならば、ソラを抱えて走るのも不可能ではない。
ならば何故わざわざ俺がコイツを釘付けにして、ソラに走らせるような策を取ったのか?―――その答えは、
「―――ッ、やっぱそう来るよなあ!!」
これまで一つまた一つと数を減らしていく己が分け身を気にしながらも、目前の俺を健気に追い回していた大蛇が突如その巨体を翻す。
その行動ルーチンはやはりペアで挑む今回も変わらず、これこそが俺のソロ攻略を不可能たらしめた最悪のクソ要素。
おそらく最後の鱗がある方角へと首を向けた大蛇が、勢いよく砂へと飛び込み潜行を―――させるわけねえんだよなぁ!?
「オッラァ!!」
砂中へ飛び込もうとした巨大な頭部を、横薙ぎに振るった【歪な鉄塊鎚】で吹き飛ばす。相変わらずダメージは微々たるものだが、妨害出来ればそれで良い。
六枚目を破壊したタイミングで、コイツはとある強制アクションを取ろうとする。それがいま試みた砂への潜行であり、最後の鱗への瞬間移動である。
とにかく殴り続ける事で比較的簡単に妨害が可能なのだが、こちらへの反撃も防御も回避も取らず、一心不乱に最後の鱗の元へ駆けつけようとする大蛇がそのアクションを完遂した時点で、コチラの敗北がほぼ確定する。
このド畜生、どう足掻いても追いつけない瞬間移動で先行したかと思えばとぐろを巻いて鱗を死守。加えて砂塵のダメージフィールドを全力展開してくるのだが、スリップダメージの量が跳ね上がるだけでは飽き足らず、その効果範囲は戦域全体―――ただの死刑宣告である。
流石に理不尽過ぎる大砂塵は大蛇的にも必死の所業なのか、命を削るように奴のHPも減少していく。が、膨大なボスのHPとタダでさえ消耗しているプレイヤーのHP、どちらが先に尽きるかなど火を見るよりも明らか。
何をどうしてもこちらが先に力尽きるし、妨害しようにも近付けばダメージが加速してほぼ即死なので殴りに行くわけにもいかない。つまり、ラスト一枚へ辿り着かせてしまった時点でギミック不達成が確定するわけだ。
俺はここで詰んだ。どれだけ全力で駆けたところで瞬間移動に勝てる道理は無く、潜行の妨害は出来てもそれと並行して鱗を目指すことが出来ない。
ならば予め全ての鱗の位置をマラソンで把握して、ラスト一枚に投擲でスナイプかましてやろうと悪知恵も働かせたのだが……二時間以上も戦域内を駆け回っても六枚までしか見つからず、七枚目は六枚壊した後に出現するのではという推測が脳裏を過った瞬間に心が折れた。
「まあ途中までキャリーしても良かったわけだ……がッ!!」
手段を選ばずクリアするのもやぶさかではない―――だが、漸く訪れたソラの見せ場である。ダメなら再挑戦すればいいだけなのだから、どうせなら最初から最後まで自分の力でやらせてやりたいと思った。
もはや俺へと見向きもせず、七枚目の元へ潜行を試みる大蛇の頭をひたすらホームランし続けながら、反撃を考慮する必要を無くして幾らか得た余裕で辺りを見回す。
七枚目の鱗も、それを探して駆け回っているソラの姿も見えない。しかし今もなお忙しなく増減を繰り返す少女のステータスバーが、その奮闘ぶりを如実に伝えているようだった。
「―――ふぅ、っ……!!」
脚に噛み付いた一匹に直剣の切先を突き落とし、横合いから飛び出した次弾をスレスレで躱す。「まだか、まだか」と逸る心で目をやる先、右手の指輪が光を灯した瞬間に、足を止めて防戦に努めていたソラは駆け出した。
「《ヒールライト》―――っ……!」
地点指定型の治癒魔法を進行方向へ展開、現れた緑光のベールを突き破るように駆け抜ける。ハルに言わせれば「役立たず」らしいポーションとは違い、ソラの魔法は即時回復型―――しかし所詮はルーキーが取得出来る程度の低級魔法、回復力は実用に足るものの様々な面で足枷がある。
中でも最大の問題は、単純に発動待機時間が長い点。魔法発動までにかかるタメはおよそ八秒、十にも満たないその数字はしかし、瞬間的な駆け引きの連続する戦闘の只中において恐ろしく長い。
後ろから見ているだけの時は気付かなかった―――けれど実際に前線に身を置いて、ソラは圧倒的な体感速度の違いに驚いたものだ。
あっという間だったはずの八秒が、焦れるほどに遠い。加えて魔法は発動待機中に術者の集中が途切れると、当然のように発動失敗してしまう。
特に不得手である訳でもないが、魔法の思考操作を保ったままだとあまり激しく動き回ることが出来ない。足を止めて、迎撃をするくらいが精一杯だ。
「こんな事ならっ……!」
もっと敏捷値にステータスポイントを振っておくんだった。たらればの後悔が、僅かに速度が足りずサッカーの追撃を振り切れない我が身を満たす。
被弾しながら走り、足を止めて治癒魔法を起動しながら耐え、また走る。ひたすらその繰り返しで、身も心もボロボロになりながらソラは砂漠を駆けていた。
控えめに言って満身創痍……けれども支援に徹していたこれまでの冒険では得られなかった高揚感、充足感に溺れるように、砂にまみれた少女の顔には笑顔が浮かぶ。
「これじゃハルさんの事を言えません……ねっ!!」
泡立つ足元に直剣を突き入れながら、自身の頬に浮かぶ笑みを自覚して苦笑いを一つ。
最近では随分と落ち着いたものだが、出会ったばかりの頃に見せていた相棒の狂態を脳裏に浮かべて―――流石にあそこまでは行かないながら、惨憺たる状況の只中で笑ってしまう自分に呆れてしまう。
なんとなく気持ちが分かってしまった手前、高笑いくらいは多めに見てあげるべきか。ハルに対する「ドン引き」のラインにある程度の修正案を挙げつつ―――砂と人喰魚に塗れるソラの瞳が、それを捉えた。
「―――っ、七枚目!!」
これまでとは様子が異なる、一際分厚い砂塵を侍らして光り輝く大鱗。ハルがついぞ見つけられなかったと憤慨していたが……窪地のように抉れている周囲を見るに、六枚破壊するまでは砂中に埋まっていたのかもしれない。
「っ、これ……」
鱗周囲の状況を見て、反射的にソラは足を止めた。
鱗を中心とする窪地―――蟻地獄のように砂が滑り続けるその真円は、まるで侵入者を捉えて逃さない自然の顎門。
これまで少しずつ培ってきたソラのゲーム勘が言っている。
―――あぁ、多分これ、脱出できない。
未だサッカーの襲撃は止まず、この蟻地獄に飛び込んだ途端にそれが止む保証も無い。しかも襲撃が続行した場合、窪地の中心に落ちることになるソラは完全に砂に囲まれてしまう。
そうなれば足元だけではなく、全方位から襲われる事に―――
「―――――――――」
「ぁ……」
遠くから、声が聞こえた気がした。それは大蛇の咆哮か、或いは対する小さな者の咆声か。砂塵に紛れて主の判別も効かない、風にも劣るその小さな音が、
―――ゲームなんだからさ、楽しもうぜ。
圧倒的なこの世界にソラが気圧されるたび、勇気付けるようにハルが口にする言葉。
それを、何故だか思い起こさせた。
「っ……!!」
窪地の縁で己を堰き止めていた躊躇を蹴り飛ばし、ソラは飛び込むような勢いで蟻地獄へと足を踏み入れた。
思った通り、流れる砂はまるで滑り台のようにソラの身体を下方へと流していく。空中跳躍なんて異次元の技術を身につけたハルならば話は別だが、ソラではおそらくもう登れない。
事実上の死地へ飛び込みながら―――ソラの顔に浮かぶのは、笑み。
「ゲームなんだから―――」
砂流に流される身体をなんとか制御して、直剣を大きく振りかぶる。砂が沸き立つ見飽きた光景が、滑落するソラを包囲する―――が、もう気にしない。
どのみち視界端に映るステータスバーが、もう猶予が無いことを伝えている。ならばもう、飛び込むしかないのだ。
そう、どうせなら、現実の自分ではなし得ないような冒険を、
「楽しまないと―――ですよ、ねっ!!」
滑落の勢いを全て乗せた、大上段からの振り下ろしが最後の鱗を打ち付ける。
これまで六枚の鱗を砕いてきた直剣が、これまでと同じように大鱗を砕き―――これまでに無い爆発的な光と破砕音を撒き散らして、砂諸共にソラを呑み込んだ。