駆るは砂原、見据えるは彼方
「さて……」
今日でアルカディアデビューから丁度一週間。見通しの立たないタスクを抱えてしまってはいるが、俺個人としては仮想世界にも大分慣れを感じ始めた頃合いだ。
現在時刻は早朝四時手前。ふと目が覚めてしまった流れでベッドから【Arcadia】へと床を移して二度寝に興じているわけだが……流石はオンラインゲームというか、こんな時間でも少なくないプレイヤーの姿が見受けられる。
特に設定を更新していないため、ログイン兼リスポーン地点としてお馴染みとなっている広場。ランドマークの噴水の縁に腰を預けながら、俺はステータス画面と睨み合いをしていた。
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◇Status◇
Name:Haru
Lv:44(10)
STR(筋力):30
AGI(敏捷):280
DEX(器用):150
VIT(頑強):5
MID(精神):5
LUC(幸運):10
◇Skill◇
・全武器適性
《クイックチェンジ》
《ピアシングダート》
・体現想護
・重撃の躁手
・アクセルテンポ
・ボアズハート
・軽業
・ジャンブルステップ
・キャリーランニング
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40を超えて多少は落ちてきたが、レベルの上昇ペースは未だ軽快。ステータスの伸びは順調というか、AGIに関してはもう完全に人間卒業して化物のそれとなっている。
そもそもリサーチの結果からしてこのゲーム、メジャーとされている軽戦士型のAGI推奨値が200前後なのだ。つまり俺は上限であるLv.100の半分に満たないレベルで、軽々とその域を飛び越えてしまったことになる。
ちなみに現在最速とされている軽戦士―――確か【早駆】とかいう名前で短刀使いの御仁らしいが、そのハヤガケ氏の公開ステータスがAGI350とのこと。貯蓄分も突っ込めば、残り6つレベルを上げるだけで追いついてしまう。
レベルアップでの取得以外にもステータスポイントを獲得できる事は分かったが(以前の謎加点は『白座』との遭遇で得られるボーナスだった)それでも基本となる数値は100レベル×10の合計1000ポイント。
加えてAGIに振るからにはDEXも相応の値を積まなければならず、軽業系統のスキルが無ければそれだけで最悪七割を食い潰される……そう考えると、その辺が最速ラインになるのも納得と言ったところ。
んで実際そこまでした結果どんだけ速いの?というお話だが、アニメとかでよく見るスッゲー速い戦闘シーンを思い浮かべて頂きたい。動画サイトなどでコマ送りのスロー再生が投稿されたりするが、それを見てやっと何してんのか分かる―――ハッキリ言って、まさしくそのレベルだ。
全力疾走時のトップスピードは軽くスポーツカーを凌駕。初動からして既に周囲の景色は線と化すし、体重60kg程度のちっぽけな人体によって当たり前のように突風が巻き起こる。
白状すれば、既にわりと限界が来ている。何が限界って、俺自身の速度に反応が追い付いていかないという話。いくら身体が加速したところで思考速度は平常運転……つまりは、ハードにソフトが釣り合っていないという事だ。
何やら『思考加速スキル』なるトンデモな代物は存在するとのことだが、軽く目を通しただけで狙って取得する事は無理だと判断できたので解決策として当てにはならない。
思考加速効果は無いが、マジでソラの《観測眼》が羨ましいんだよな……アレ遠距離専用だから俺が取得しても宝の持ち腐れではあるが、もし近距離版でも存在するなら喉から手が出るほど欲しい。
ちなみにソラさんが知っているかどうかは不明だが、観測眼は攻略サイトのデータベースに載っていない―――つまり秘匿所持者がいる場合を除いて、ソラだけのユニークスキルである。
ついでに例の《スペクテイト・エール》もユニークだった。何者だよあの美少女。
羨ましくなって俺も自分の所持スキルをサーチにかけてみたが、一つ残らず既出の代物ばかりであった。謎スキルの《体現想護》などは「もしかすれば」と思ったのだが、取得条件こそ不確定ながら所持者は複数いる模様。
まあそう簡単に手に入っていたらユニーク(笑)とかなりそうだし……? いや別に、別に悔しいとか、別に無いし別に……
「はぁ……レベリングしよ」
モチベ低下に繋がるであろう事柄は見て見ぬ振りが最善策。別にユニークスキルなんざ無くても俺自身のビルドがユニークってか珍獣街道を直走っているわけで、余計な事は考えず駆け抜けるとしよう。
◇◆◇◆◇
―――第四エリア【流転砂の大空洞】は、一言で表せば「馬鹿広い円形ドーム(砂)」といった様相のフィールドである。
全ての壁と天井が砂岩で構成された真円形の大空洞で、仕切りになるような障害物は存在せずエリアの端から端までを一望出来る。
この目で見た事が無いので判然としないが、実際の砂漠もこんな感じなのだろうか。足場の全てが柔らかい砂で踏ん張りが利かないため、中途半端な敏捷値では容赦無く脚を奪われる厄介な環境である。
そんなアホほど単純な構成となっている【流転砂の大空洞】だが、もちろん特筆すべき可笑しな点は存在する―――広さだ。
何かに例えるのすら馬鹿馬鹿しくなるほどの、広大が過ぎる面積。なんでも敏捷特化のプレイヤーが外周壁沿いに全力疾走して、一周するのに半日掛かるほどだとか。そもそも初期スポーン地点から壁まで辿り着くまでに数時間かかるという、頭のおかしいスケールを誇っている。
「相も変わらず、遠近感が職務放棄してんな……」
例によって転移門を用いてエリアを訪れたプレイヤーは、この天蓋付き砂漠のランダムな位置に投げ出される。正確にはエリア中心部を基点とした一定距離の円周上、そのどこか。
俺がこのエリアを訪れたのはこれで三度目。その変わらない威容に、毎度のごとく目眩のような感覚に襲われる。
雰囲気は全く違うが、スケール的には『白』の奴が居座る大窪地に近いものがあるかもしれない―――中央部に異様なモノがある事を含めて。
それは何一つとしてオブジェクトの存在しない大空洞において、唯一の目印であると同時にプレイヤーが目指すべきゴールでもある。
―――落ちては登る流砂、そう形容する他ない不可思議な光景だ。単純な視覚情報としては、それはエリア中央に聳え立つ巨大な砂の塔。けれどもそれは砂岩などではなく、絶えず波打つ流砂の円壁である。
天蓋の隙間から流れ落ちているわけでもなく、地表から吹き出しているわけでもない、ただ大空洞の上下を繋ぐように流転する砂の滝……実にファンタジーな光景だ。
まあ当然の如くアレの内部にこのエリアのボスがおわすわけだが、しばらくの間は挑む予定は無い。
―――というかぶっちゃけ既にソロで挑戦済みなわけだが、色々あって俺一人では百パーセント攻略不能だと判断したため、今はソラの特訓で成果が上がるのを待っている状況だったりする。
いやはや崖でのボス戦を経て散々イキっていた訳だが、直後のエリアでこうも清々しくストップを掛けられるとは……嬉しさと恥ずかしさが半々といったところか。
「っし、今日も頼むぜ相棒」
異様な空間の只中でぼやけそうになる意識を取りなし、左手に喚び出すはサーバーに二つと無い俺だけの一振り。
その銘も【白欠の直剣】―――ソラとの特訓を開始した日の夕刻、ハルゼンの旦那より授かった俺専用の武器だ。
全体の色味は鈍色で、オーソドックスな直剣と比べてやや細身の剣身。特徴的なのは鍔、しのぎ、ナックルガードに該当する部位がほぼ形作られていない点で、刃と柄を隔てるのは菱形に膨らんだ横幅のみ。
そして芯材となったツルハシより受け継いだ『白』の残滓は、剣の鋒をしかと染め上げている。
数値的なスペックは当然だが店売り品をあらゆる面で凌駕しており、俺向きに誂えられた証として固有の特殊能力まで備えている。
まさに俺だけの一振り。こういった品については全プレイヤー等しく取得クエストが発生するらしく、それぞれの課題を達成する事で「個人のプレイスタイルに沿った装備品」が与えられるのだそうな。
ユニークやら成長装備やらとプレイヤー間の呼称にバラ付きがあるのだが、一応公式では『魂依器』と称されている。俺の場合は直剣だが、そもそも武器に限らず防具やアクセサリーなどカテゴリは無数に分かれるそうな。
……といった詳しい事情を、俺は結局ネットの力を借りて全て自分で調べ上げた。あのムキおじ、マジでそういった説明を全く寄越さずに「出来たぞ」の一言で終わらせやがったからな。
『魂依器』は成長装備なんて呼ばれるように、プレイヤーが一定の水準まで使い込む度に成長、進化していく特殊なものである。
その節目節目の強化にはクエストを受注した生産職NPCに頼る必要があり、つまるところ俺は旦那と末永くよろしくやっていく事が決定付けられたわけだが……いやぁ先が思いやられますねぇ?
「いつか絶対に何かしら一矢報いてやっからな……さて」
今日も昼頃にはソラがログインしてくる。それまでに俺は俺自身の課題を遂げるため、狩りに邁進するとしよう。
この天蓋砂漠に生息するmobは見える位置、つまりは砂上を彷徨いている事はない。俺が確認した限りでは大物と小物で二種類がいるのだが、そのどちらも基本的に砂中で息を潜めている。
待ち伏せメインという意味では二つ前の【岩壁の荒地】に近いが、あそこのトカゲやらカエルやらよりも色々な意味でアグレッシブな連中なのでより警戒が必要だ。
注意すべきは音―――このエリアの連中は、砂上を歩く獲物の足音を目掛けて殺到してくる。つまり穏やかな行軍を望むなら抜き足差し足とまでは言わないが、基本的に走行は自重して進むのがセオリー。
が、俺の目的は狩り―――ならば取るべき行動はその逆。
「それじゃ張り切っていこうか―――レッツパーティってなぁ!!」
見渡す限りの砂地?踏ん張りが効かない?こちとら最大時速200kmを超える人力マシーンだ。50メートルを一秒フラットで駆け抜ける脚を、その程度で捕まえられると思うなよ。
突き抜けた脚力は「走る」よりも「跳ぶ」に寄る。AGIに《軽業》に《ジャンブルステップ》―――持ち得る機動力を一斉点火した俺の足元で、盛大な炸裂音を撒き散らして砂が爆ぜる。
瞬間、
「――――――――――――ッッッ!!!」
名状し難い咆哮を名乗り声に、音の爆心地を囲うようにソイツは現れる。このエリアに辿り着くまでに出会ってきたモンスター全てに勝る巨体―――否、長躯を誇るコイツが【流転砂の大空洞】におけるメインエネミーだ。
どこかウツボを彷彿とさせる、不気味さと間抜けさをミックスしたような絶妙な造形の頭部。身体の方もほぼウツボで、尻尾の先まで同幅な体躯が不思議パワーで砂海を水の如く自在に泳ぐ。
現実のウツボとの相違点は凝固した血のように赤黒い体色、更には胸鰭が謎進化したような大きな前足を備えている事。加えて耳なんだかエラなんだか詳細不明な器官が、頭の左右から生え出している点くらいか。
通称『砂漠ウツボ』―――正式名称【デザートサーペント】は、体長およそ20メートルを超える超大型の雑魚エネミーだ。
そう、雑魚敵である。さて、ゲームにおける雑魚的の特徴を一つ挙げよう。まあ簡潔に言えば―――沢山いるって事だ。
「3、4……6―――上等ッ!!」
爆心地から離れ過ぎないよう円を描くように駆ける俺を包囲するように、全く同じ咆哮が連続して響く。
その数は六。ほぼ等間隔で砂上に躍り出た赤の巨体は、さながら餌場に躍り出た愚か者をポイントするキルサークルの如く―――なお、その獲物は頭のおかしい速度で駆け回る上に鋭い牙も爪も備えている模様。
大音を立てた時点で位置は正確に捕捉されている。餌を食い散らかす権利を奪い合うために一直線に俺へと殺到する【デザートサーペント】―――その内の突出した一体に狙いを定め、砂を蹴り付け急転回。
コイツらはこの砂漠中に夥しい数が配置されているが、それでも絶対数や出現ポイントの規則性はしっかり設定されている。
出現位置が等間隔だったことから簡単に推測出来るわけだが、端的に言えば縄張りが決まっているということだ。
俺のようにわざと広範囲で音を撒き散らすような事をしでかさない限り、出現位置に押さえ込むよう心掛ければ戦闘音にも反応しない。つまり、本来なら各個撃破は難しくない。
ただし一度こうして起こしてしまうと、標的が死ぬか腹の中に収まるまで執拗に追いかけてくる習性を持つ。ステータスもそこそこタフかつ見た目のスケール相応に攻撃力も高いため、雑魚とはいえちょっとした中ボスのような扱いかもしれない。
総評。中ボス的に経験値が美味しく湧き位置が決まっており、同時出現の数が膨大で音を立てるだけで簡単に釣れる上にどこまでも追いかけてくる―――そう、絶好のトレイン狩りのカモだ。
難点は砂上でも余裕を持ってコイツらを引き回せる程度の脚を要求される点と、事故って被弾でもすればウツボ津波に飲まれて瞬時にすり潰される点。ついでに見た目キモい魚類もどきの大群に延々追い回されるという、人によってはトラウマ不可避の極悪シチュエーション。
しかしそれらをクリア出来る、ちょっとアレなプレイヤーに限れば―――
「最高のレベリングスポットってなぁ!!」
交錯の瞬間、自ら飛び込んできた餌を嬉々として大口で迎えたウツボの鼻面を蹴り飛ばし、疾駆の勢いを殺さないまま回避と離脱を両立させる。
包囲を抜け、そのまま一切の遠慮無く砂を蹴り散らかす俺の行く先で―――再びいくつもの咆哮。
砂漠の一人大横断を強行する俺に捕食者共が次々と反応し、瞬く間に砂漠で赤い津波が巻き起こる。
何も知らない人がこの光景を見れば、まず間違いなく俺の事を気が狂った自殺志願者としか思わないだろう。正直なところ俺自身、後ろに迫る大津波を振り返れば割と真面目に自らの頭のネジに不安を覚えざるを得ない。
が、実際この凶行の遂行可否は先日既に解答がなされている―――ノーダメ余裕。かかってこいやぁッ!!!
「ッしゃオラァ!! いくぞァああぁああああアアアアアッ!!!」
目算不明、絡まり合ってもはや一匹一匹の体躯をなぞることすら困難なウツボの波を確認し、派手に砂を蹴散らして九十度転回。
相棒の直剣を堅く握り締め、気合の雄叫び一発―――即死圏内へと躊躇無く跳び込んだ。
瞬間、迫るは大口、顎、鰭口口尾鰭尾尾胴口尾胴胴胴胴尾口口尾胴尾口口口口口口口口口口口――――――
正直なところ、このレベルのキルゾーンに身を投じると通常運転の思考速度なんざ一切ついて来ない。
攻撃が来た、躱そう、なんて呑気に考えていたらその瞬間にはもう死んでいる。明鏡止水なんて境地を俺は知らないが、少なくとも考えてるフリでしかないこんな思考群は等しく後付け―――脊髄反射の戦闘行動は、遅れてくる自意識の視点からすればほぼ他人事のような感覚だ。
正面から迫る口をすり抜け振り下ろされた尾を躱しざま足場にして背後から迫る大木のような胴を回避するため跳躍、同時に縋る三つの大顎の一つに自ら飛び込み咀嚼を許さず口内で大斧を展開、好き放題に頭部を内側からズタズタにすれば呆気なく燐光となって爆散したウツボから解放されて宙に放り出された俺に休みなく迫る先に倍する口の数―――
「ッハ」
何が可笑しいのか自分でも分からない。笑みが溢れたのは完全なる無意識だが、他人事のように遅れた思考でその様を俯瞰する俺は、地獄絵図の中で気味悪く笑う自分自身にドン引きしながら爆笑していた。
―――楽しい、嗚呼楽しい!!
認めるしかあるまい。こと【Arcadia】の中に限り、俺は間違いなくイカれていると。
アクションもそうだし、メンタルもそうだし、テンションも等しくそうだ。全部が全部、おそらく普通を逸している。
それが―――嗚呼それが、どうしようもなく、狂おしく嬉しい。
夢に見て恋焦がれた世界において、自分が普通ではないかもしれないという認識が、腹の底から笑ってしまうくらい壮絶に愉快だ。
全力でやると決めていた。
全力で楽しむと決めていた。
全力で戦うと決めていた。
全力で冒険すると決めていた。
そして俺はいま決めた。もう行けるところまで征ってやろう。
三年遅れだとか先行者がどうとか関係無い。速さを捕まえたこの脚で、最前線まで特急で駆け上がってやる―――!!
そのため、まずは手始めに。
「―――木偶の坊の魚類ども、まとめて経験値になりやがれァッ!!!」
取り急ぎレベルカンストと、初心者エリアの早期脱却を掲げていくとしようか!!
大斧の乱舞、大鉄塊の重撃、無数の剣閃が飛び交い、操手もまた宙を縦横無尽に駆け回る。
巨体の入り乱れる重音と咆哮はいつしか悲鳴へと寄り―――砂漠の赤い津波からは、青い燐光が噴水の如く吹き上がり続けた。