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『白座』

 ゲーム的に考えて落下=死が決定づけられているとすれば、無駄に長い落下時間は全くの無意味でありプレイヤーにも無用のストレスを与えるだけである。


 VRゲームであるアルカディアなら尚の事、人によってはトラウマ案件となるであろう長時間の落下なんて要素を無駄に実装するとは考えづらい。


 落下最中のそんな閃きから、俺は本ルートである崖道の下に何らかの下層ステージが存在するのではと考えた。例えば上層への復帰ルート、或いは隠し要素的な裏ルートの類を予想していたのだが……


「成程……崖の下から奴が来たのはこういうワケか」


 呟く俺の視線の先には、巨大な巣―――鳥の巣と言われたら誰もが想像するであろう、枝やら何やらで形作られたあの『巣』である。


「なおサイズ……」


 クッソデカい。蜘蛛の巣のように交錯する石橋の一本を堂々と占拠するそれは、優に幅五メートルは超えようかというビッグスケール。かの大翼鳥の巨体を考えれば、成程納得のサイズだろう。


 巣の主人は不在だが、分かりやすい見た目からして確定と考えて良い筈。なんとなくこのエリアの構造やら成り立ちを把握できたが……問題が一つ。


「これどこ行きゃ良いんだ……?」


 そうぼやく俺は現在、網目状になっている石橋の最上段にいる。石橋の両端、岩壁との接合部から都合良く上へ行けるような溝があったので、それを伝って登ってくる事が出来た。


 出来たが……これ、どう見てもこの先が無い。両端は調べたが、更に上へ登れるような溝はナシ。洞窟的な穴なんかも見当たらず、上層の崖道へと復帰出来そうなルートは望めなさそうだ。


「まさかの下……裏ボスとかいないだろうな」


 メッチャいそう。てか流れ的には確実にいる―――しかも表ルートよりも凶悪な、明らかにこのフィールドの適正レベルより上の裏ボスな。


 賭けても良い。絶ッッッッッッッッ対に低レベルがソロで挑むような調整はされていない。


「ハッハ、死への旅路ってかウケる」


 クソが。こちとらアホみたいな挙動して命からがら生き残ったんだ、何かしらの実入りは欲しいもんだが……


「ともあれ行くしか無いわな……下か」


 登るよりは遥かに楽だ。一段下に飛び降りる程度なら、ノーダメで受け身取れるし……いや踏み外して落下でもしようものなら今度こそ死ぬっつーの。危機感すら麻痺してきてんなこれ。


 ◇◆◇◆◇


 濃い雲の中、風景の変化は意外に早く現れた。石橋の網を段々に飛び降りていくこと数分、距離的には百メートルほど下った辺りで()()が姿を現したのだ。


「……マジか」


 質感は壁と変わらない岩の床。今まで狭い崖道や石橋に散々慣らされたせいか、違和感すら感じる広々とした地上だ。


「いやマジか……てことはそういう事か?いやでも、はぁー……」


 錯覚していた―――いや、騙されていたと言うべきか。


「なぁにが空架道だよ」


 未だ俺を飲み込む辺り一面の白―――これは雲じゃない、霧だ。空架道という名称から崖の下に広がるそれを雲と誤認し、俺はフィールドの舞台を高度の空の上だと勘違いしていた。


 この岩床を地表と見るのであれば、何の事はない二百メートル程度の崖だったわけだ。いやそれでも高いっちゃ高いが、空に架かる道という名に雲に見せかけた霧―――ミスリードもいいとこである。


「意外と良い性格してんなデザイナー……いや単なる深読みかもしれんけど」


 ともあれ、ここから本格的に裏ステージと考えて良さそうだ。難易度設定によってはボスどころか雑魚にさえ歯が立たない可能性は高いが……


「てか霧よ……流石に濃すぎるだろ」


 手を伸ばして指先が見えなくなるレベルってヤバくない?この霧の中にMobが配置されていた場合、抗うどころか不意打ちワンキルもあり得るなこれ。


 STR的な問題で大斧を常装するのは厳しい。名称に(破損)が追加されて諸々の数値が暴落しているが、折れた直剣でも気休めにはなるだろう。


 無残な姿にしてしまった愛剣を片手に、先の見えない霧の中を進む。文字通りの視界ゼロゆえに壁伝いに歩き続けているが、これじゃあ別れ道などがあっても気付けないかもしれない。


 もしこのエリアが【岩壁の荒地】と同じような迷路構造だった場合、永遠にゴールへ辿り着けない可能性すらある。


「……十分、歩いて何も無しなら考えよう」


 主に自決リスポーンの方法な。


 ◇◆◇◆◇


 かくしておよそ十分後―――自決の策について考え始めていた俺の前に、()()は現れた。


「―――――――――、っは、え……」


 齢十八、初めて「言葉を失う」という経験をこの身で味わったかもしれない。


 波が引くような水音を錯覚させるような勢いで、急速に割れていく濃霧。足を止める最後の一歩で、形容しがたい感覚が俺に踏み入った・・・・・事を強烈に知覚させる。


 目眩すら感じさせるほど爆発的に開けた視界。広がる光景は距離感を喪失するほどに広大な窪地―――クレーターだ。


 直径数キロはありそうな円形の窪地をグルリと囲む、三百メートルほどの高さに屹立した壁。どこを見ても無数の亀裂が走っており、俺もその一つから顔を出した事になる。


 そしてそれら全てを些事にする圧倒的視覚情報―――クレーター中央に在る『白』が、俺の目を釘付けにしていた。


「ドラ、ゴン……?」


 距離感の狂うこの大窪地中央に存在するにも関わらず、人の目で細部まで見て取れるような桁違いの巨体。


 体色は白一色。全体的に爬虫類を思わせる特徴を持ち、大きな翼に長い尻尾まで見れば「あぁ、ドラゴンだな」と無条件で納得させる姿。


 だが呟きに疑問符がついた理由、明らかに異様な部位が三つある。


 一つは頭部。まるで鯰のように平たい楕円形に、その殆どを占める巨大過ぎる口。今は閉じられているが、あれが全開になれば一軒家すら容易く丸呑みにされるだろう。


 二つ目は腹部。まるで膨れ上がった芋虫のようなそれが、重々しく地に横たえられている。全体のスケールに見合った脚もしっかり付いているが、あの異形で歩行するイメージがまるで湧かない。翼も巨大で退化しているようには見えないが、果たして飛べるのか。


 そして三つ目は頭部。大事な事だから二回挙げたわけじゃない、二つ目の頭部だ。長大な尾の先端に、まるでキマイラの蛇尾のように歪な頭がくっ付いて―――


「――――――」


 目が、合った。苦悶を浮かべる人面の如き、異様な怖気を感じさせるそれ・・と。


 いや、目は閉じられている。だが、確実に「見られている」と分かってしまう。尾も本体同様に地に横たえられたままだが、此方へと向く顔から―――視線。


 マズい。


 動けない。


 恐ろしいとか、威圧感がとか、そういう次元じゃない。身体へ命令すら下せないほどに思考を冒す、超越的な存在の情報量による暴力。


 これがゲームだと?


 アレが仮想空間に用意されたデータの構築物だって?


 馬鹿言うな、アレは―――


「――――――?!」


 突如として、目前。移動したのは―――俺だ。


 立ち尽くすそのままに、まるで無造作に掴み寄せられたかの如く。俺は一歩たりとも動けないまま、『白』の目前へと瞬間的に移動させられていた。


 目前―――正確には横たえられた尾の眼前。


 仮想のアバターが冷汗を噴き出す。無意識に握り込もうとした直剣が、握力の失せた右手からすり抜けた。


 岩地に響き渡る落下音。そして―――大振動。


「っ……は、っは……、!」


 絞り出そうとした引き笑いは、不格好な嗚咽に。意識とは無関係に本能的な後退を試みた両足が、経験した事のないレベルの地揺れに絡め取られる。


 尻餅を付いた俺の目の前で()()()をした『白』が―――今度こそ本体の頭を掲げて、俺を見ていた。


 平たい頭部の両端、まるで白内障のように白濁した巨大な瞳が二つ。


 何故HPが減らないんだ?()()()()()()()()()


 まるで人と蟻の睨み合い―――アリに感情があったなら、こんな気分になるのだろうか。


 俺も『白』も動かない。十秒、二十秒―――永遠に続くとも思われた相対は、


「――――――っ…………………………くはっ」


 息を吹き返した、俺の声で終局を得た。


 ―――いやもうね、俺の負けだよ完敗っすわ。マジで呑まれた指先一本も動かせねえとかガチビビリかよ十八にもなってゲームでとかもうさあ……っはあぁぁぁぁあああああなッッッッさけ!!!!


「やるじゃん仮想世界……いやそうな、思う以上に色々と順調に進み過ぎてて調子に乗ってた感ありましたわ。俺スゲーとか一瞬思ったりもしてたよ」


 まさか唐突にこんなビッグサプライズで鼻をへし折ってくれるとは、まったく―――願ってもいない僥倖だ。


「あぁ、もう何も言えねえよこんなの。最高か?それ以外ねえよな最高かよアルカディア……!!」


 情報は入れずとも、想像ならばいくらでもした。


 最高の冒険を思い描き、最高の出会いを思い描き、最高の戦いを思い描いてきた。


 そして最後にはいつも付け足した―――()()()()()()()()()()()()()()と。


 夢にまで見た仮想現実世界。されどそれは()()()()()()()()()()()である。フィクションの中に存在する夢の世界と、重なるものかは分からない。


 願い続けていた―――せめて一歩劣る程度のものであってくれと。


 誤魔化し続けていた―――きっとそれでも満足は出来るはずだと。


 ハッキリと言おう。俺は【Arcadiaアルカディア】を舐めていた。


 初めて仮想世界に飛び込んだ瞬間を思い出す――― 現実と相違無い世界の光景、質感は圧倒的。


 これまでに剣を振るった戦いを思い出す―――現実では絶対に得ることの出来なかった経験、興奮、勝利の高揚。


 歩んできた冒険を思い出す―――夢中になってこの世界にのめり込んでいたあの時、この時、その瞬間。


 ―――果たしてその時、俺はこの『世界』を、ただのゲームだと認識していたか?


「トドメにお前だ」


 こんな頭をぶん殴られるような出会い―――思い描いていた最高が矮小と化してしまったよ。


「っと……失礼?」


 無様にも取り落としていた直剣を拾い上げる。


 握り込んで、軽く振って、真正面に構えて見せる。


 誰に見せるって?さっきから俺を見下ろしていらっしゃる、最高のお方にだよ。


「で、お前さんは倒せんのかね」


 そもそもエネミーなのか?分からない。


「エネミーだとして、ソロどころかパーティ攻略すらお断りのレイド案件と思しき威容ですがそこんとこどうよ?」


 この広大過ぎるエリア構造、個人でどうこうするビジョンが毛ほども浮かばない巨大過ぎる体軀を鑑みればほぼ間違い無いだろう。


「はてさて攻略済みで複数回挑戦可能なコンテンツなのか、まさかのサービスから三年無敗の強者だったりな」


 少なくとも、俺が百人いても爪を立てる事すら不可能だと確信できる。


「俺の声って聞こえてるのか?ノーリアクション聞き上手?返答の気配すら無いからドラゴンのNPCって線は廃してOK?」


 そろそろ限界だから良いよね?


 何が限界かって?


 決まってんだろ―――暴力的なワクワクに一歩踏み出す、その抑えが限界だってんだよ!!


「遠慮無く消し飛ばしてくれて構わねえぞ―――絶対にいつか、リベンジに来てやるからなぁッッ!!!」



 ―――ただ一発だけで良い、何が来ようが躱す。



 ―――ただ一発だけで良い、擦り傷すら付けられなくても当てる。



 爆熱するテンションと真逆に、火傷する程に思考を冷却。瞬間移動させられた事を思い出せ、奴は空間すらどうこうしてくるチートスペック濃厚、本体の緩慢な動きに騙されるな、攻撃手段が何だろうと低レベル弱小スペックの俺が見てからどうこう出来ると思うな。


 予想しろ、想像しろ。圧倒的強者が血迷った埃を吹き飛ばすのにどんなアクションを返す、むしろ無視されるか?いやエネミーだとすればプレイヤー側からの敵対行為をスルーする事は有り得ないはず、戦闘行動は間違いなく取られる。


 俺がデザイナーだったらコイツにどんな初動を望む?ドラゴン、巨体、見た目、鈍重、大口、尾の人面、霧、瞬間移動、静止――――――オーソドックスに考えて、


「ッ――――――!!」


 走り出していた、既に。


 眼前と言ってもスケールが違い過ぎる。彼我の距離は約五十メートルフラット。


 一番近いのは地に屹立する左前脚―――『白』が動く。


 一手限りの決め打ち。先んじた行動に追いついた思考が結論を渡してくる。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 疑問は挟まない―――見てからじゃ遅過ぎる、やれ!!


 全力で真上への跳躍。現AGIでの最高到達高度は三メートルオーバーだが―――足りねぇッ!!


 『白』の初動が来る。緩慢な動作だがサイズ故に()()()()()()。橋か何かかと思わんばかりの巨大な白壁が豪速で迫る。


 地を抉りつつ迫る尾の軌道から、三メートル跳んだ程度じゃ逃げきれない―――だから、


「―――《クイックチェンジ》ッ!!!」


 呼び出すは大斧、限界まで体を縮めて―――()()()()()()()()()()()


 散々使い倒して、このスキルの特性は感覚に叩き込まれた。悪用で結構、予想が正しければ―――可能な筈!!


 インパクトは可能な限り一瞬に凝縮、掌の中に現れた大斧の柄を―――握らずに、()()()()()()()()


 細い、だが確かに固定された足場を踏み込んだ感覚。地上からの全力ジャンプと変わらぬ三メートル強を駆け上がり―――轟音。


 計七メートル弱、強引な空中ジャンプにより宙を駆けた俺の真下を、ゾッとするような風圧を撒き散らしながら『白』の尾が突き抜けた。


 余波に煽られながら、しかし無傷―――三秒と少し、冷却時間終了、


「っ……ィックチェンジィッ!!!」


 次手は直剣―――自然落下してる暇なんて無ぇッ!!


 大斧と同じく直剣を足場に再三の跳躍。墜落するように勢い良く地面へ着弾し―――駆ける、そして《クイックチェンジ》。


 宙へ取り残した直剣が消え去り、呼び出すは―――ムキおじに授けられたツルハシ、そして


「ノーダメ上等……ッ!――――もらっとけやぁぁああアアアッッッ!!!!」


 この世界に身を投じてから、初にして最高の全身全霊。


 距離をゼロまで踏み潰した俺は、鱗の一枚まで数えられる鼻先へ迫った『白』の足先へと―――矮小極まるその牙を、叩き付けた。








 ◇『白座のツァルクアルヴ』との邂逅を果たしました◇


 ◇称号を獲得しました◇

 ・『白座を目指す者』

 ・『無謀を貫き通す者』


 ◇スキルを獲得しました◇

 ・体現想護



「―――はい死んだぁあっしゃぁああッ!!」


 シャランと蘇生。お決まりとなった復活地点の噴水で、ライトエフェクトも消えぬ間に雄叫びを上げる。


 周囲で駄弁ってたり道行く御先達が揃ってビクッと反応するが、色々と興奮冷めやらぬ俺はそれどころでは無い。


 邂逅だの称号だのスキルだの全て脳内「保留フォルダ」に叩き込んで、逸る気持ちをそのままに呼び出したシステムウィンドウを高速連打する。


 怒涛のタイピングの締めにログアウトボタンへ拳を叩きつければ、現実世界への送還の光がアバターを包んだ。


「待ってろよ【Arcadia】―――こっからは本気ガチだ」


 これより俺はVRMMOに本気で挑みかかる。


 ならば手始めにする事は何か―――答えは一つ!!


「我、知識の泉(攻略サイト)を解禁せり!!」

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