夢の中で目覚めて
一言でVRと表しても、創作物の中のそれらは多様性に富んでいる。色々と例をあげればキリがないが、この世に実現した唯一の仮想世界たる【Arcadia】はというと、全感覚投入型仮想世界などと謳われていた。
ユーザーはすっぽりと身体を覆うカプセル機器の中で寝台に横たわり、そのまま「眠る」事で仮想世界の中へと入る―――早い話がフルダイブってやつだ。
機器から発せられる催眠波によって眠りに落ちたユーザーの脳と【Arcadia】は特殊な電波によって共振。仮想世界という造られた「夢」へと誘われる……とのことだが、詳しい技術などは完全に黒箱であり、専門家がネジの一本までバラしてなお「理解不能」と匙を投げるような超技術である。一般人の俺など考察するのも烏滸がましい。
そんなファンタジーに片足、或いは両足突っ込んでいるような【Arcadia】だが、人間の夢を舞台としている性質上、ゲームではあるがその世界を構成するのは3Dポリゴンといった既存のグラフィック技術とは根本的に異なる。
何がどうとか例によって説明するだけの知識は持ち合わせていないのだが、その世界を目にした者達が一様に挙げる感想とやらは、まさしく「現実と見分けが付かない」とかいうゲーム業界では使い古された文句なのだとか。
……とまあ、とにかく精神の安寧のため極限まで情報をシャットアウトしたまま３年を過ごしてきた俺は、このたび予備知識ほぼゼロで憧れの仮想世界へと飛び込む事と相成ったわけだが―――
「これが、【Arcadia】か……」
そんなこの世界に関して無知無能を体現する俺は案の定、初期設定のための空間なのであろう白一色の広間で茫然としていた。真っ白な広場にあるのは大きな姿見が一つ。その目の前に立っている俺を除いて、この空間には他の何も存在していない。
必然、鏡に映るのは俺だ。まさしく鏡写しに俺を見返すその姿は現実と寸分違わない、リアル過ぎるほどにリアルな俺自身だった。
「―――ようこそ、アルカディアへ」
「っ……！」
その鏡の中の俺が、喋った。
俺の顔、俺の声で、鏡の中の俺が語りかけてくる様は割と真面目に恐怖体験。思わずビクついた俺に、鏡の中の
「ようこそ、もう一つの現実へ」
「ぇ……―――ぬおあっ！？」
抗い難い力に引っ張られて、俺は鏡の中へと吸い込まれた。
「ちょ、なんっ……！？」
とっさに閉じていた目を再び開けば、そこは真っ白な広間でも、もう一人の俺が佇む鏡の中でも無かった。
「―――う、わ…………」
そこは、空だった。
雲が流れる、晴れ渡った空。その只中に、俺は浮かんでいた。本物としか思えない風が、頰を撫でて―――落下。
「ちょまッ―――うぉおおおおおおおおおおおッ！？」
雲を突き破り、際限なく加速していく身体。下を見れば空の青とは異なる青、水―――
「海ぃいいいいイイイイッがぼぐがぼばぁっ！？」
容赦無く水面に叩きつけられ、痛みは無いがとんでもない衝撃に揉みくちゃにされる。パニックに陥りかけるも、もがく内に何故か呼吸が出来る事に気がついて―――
何故と思った瞬間には、海に呑まれた筈の俺は草原に立っていた。風にさらわれて、一面の緑がサラサラと音を奏でる。
「―――この世界は、あなたの二つ目の故郷」
呆然と立ち尽くした俺の後ろから、女性の声。振り返れば人影は無く、代わりに眩い光の塊が浮かんでいた。
「もう何でもありだな……」
随分とぶっ飛んだ、滅茶苦茶で、乱暴な導入だなと、引きつった笑みを自覚する。
「あなたは何を望み、此処へ来ましたか」
声に合わせて収縮を繰り返す光。
「あなたは何を求め、此処へ来ましたか」
ふと、身体に違和感を感じて持ち上げた手を見やる。先程まで【Arcadia】に横たわった現実世界の自分そのままの服装だった筈なのに、視界に映るのは見たことの無い袖。
「望み求める全ては、二人目のあなたの手に」
消えゆく声に顔を上げれば、目の前には再び大きな姿見。写る姿は―――俺によく似た、見覚えのある俺の姿だった。
現実世界の俺とは瞳の色だけが異なるその姿。如何にも初期装備然とした簡素な服に身を包んだそれこそが、【Arcadia】の発注作業の際に事前準備を求められた俺の
胸の奥がカッと熱を帯びる。
もう良いだろ？良いんだよな？
一度は強引に引っ張りこまれたこの鏡が発する、微かな引力はそういう事なんだろう？
―――さあ、一歩を踏み出せと。
「ッ！！」
ならば始めよう―――新世界への冒険を！！
◇◆◇◆◇
鏡へ飛び込んだ瞬間に暗転した視界。一時的に喪失した感覚が戻ってくると共に、先ほどの導入演出の最中は妙にフワッとしていた意識が冴えてくるのを感じる。
体の感覚は戻ってきたが、どうにも身動きが取れない。なんか全身余すことなくひんやりとした感覚に覆われているのだが……もしかしてこれ何かに埋まってる、もしくは閉じ込められてる？
かけらも前情報を調べないまま今日を迎えたため、俺がこのゲームについて持ち合わせているのは「王道ファンタジーな世界観」という何の役にも立たない前提知識ただ一つだ。
しかしながら高一の半ばでバイト戦士に堕ちるまでの人生、それなりに二次元にのめり込んで来た俺の勘が言っている―――これ、なんかしら封印されてる系だな？と。
ならばそう待たされない内に何かしらイベントが―――ほら来た。
目は薄らと開いているものの、光源が無いのか真暗闇だった視界にポウと光が一つ浮かび上がった。
やはりというか、どうも半透明な何かに封じられているらしい。曇りガラスを通したようにぼんやりと見える向こう側で、浮かび上がった青白い光が何かを訴えるようにフワフワと揺れるのが見える。
何やら必死そうなところ誠に申し訳ないが、相変わらず指先一つ動かせないし声も出せない俺である。何を訴えかけられても慰め一つかけられない。
向こうもすぐにそれを悟ったのだろう。フワフワと揺れるのをやめた光は、どこか力を振り絞るように徐々に光量を増して―――
「―――っ！」
甲高く、重厚で、繊細で、豪奢。形容し難い荘厳な音を響かせて、俺を閉じ込めていた何かが砕け散った。
投げ出された俺はまだ身体の自由が利かず、受け身も取れずに投げ出される。触れるのは硬い岩肌―――察するに、洞窟の中だろうか。
辛うじて首が動く事に気付いて頭上に瞬く光を見上げれば、それは明滅して消えかけていた。
―――目も顔もないはずなのに、
もしかすれば、向こうも同じことを思ったのだろうか。光はどこか満足げに一度強く瞬くと、役目を終えたかのように四散して消えていった。
―――さて、動ける。
光と共にイベントの強制力が消えたのか、四肢に明確な感覚が宿った。さあここからだと勢いよく立ち上がれば―――
「っは……！いいね！」
鈴が鳴るような軽快なサウンドと共に、視界の内に次々とユーザーインターフェースが立ち上がっていく。まだ用途の分からないものや何となく分かるものがいくつも配置されていき、最後にHPとMPであろう二段重ねの枠が左上端に収まり、緑と青色のゲージが充填されていく。
洒落たデザインの枠取りには、アバターの名を表す『
際限なく上がっていくテンションを抑えながら、各種UIを確認していく。噂には聞いていた「思考操作」なるものに苦戦しつつ、システムメニューを呼び出し片端から確認。
なるほど、なるほど……ミニマップじゃなくてレーダーか。何を映すのかは分からんが、あーやっぱこれ時刻表示だよな25時って何事だよと思ったけど確か時間の流れがどうたらこうたらでそれはそれでこれはあれであれこれあれこれ―――
「把握した！！」
ある程度はゲーム慣れしている事は自負しているし、実際オンラインゲームもMMOもそこそこ経験値はある。VRとてゲームはゲーム、共通する点では応用が効く。
手早く確認と設定を済ませた俺は、宙に浮く半透明なメニューウィンドウをぶん投げるように消し去った。
具体的に言うと、文字通り両手でクシャっと丸めて投げ捨てた―――いや何だよその無駄機能、ビックリしすぎて後から動揺が襲って来たわ。
ちゃんとまた呼び出せるよな……？などと恐る恐る再びウィンドウを開いてみたりしつつ、ざっとシステム周りの確認を終える。となればいよいよゲームプレイだ。
現在地は洞窟の行き止まりっぽい小部屋で、特にこれといって目に留まるものはない。結局のところ俺はよく分からん青い水晶らしきものに閉じ込められていたらしく、その砕け散った残骸が辺りに散らばっているだけだ。
記念に一つ拾っておこうかと思ったが、水晶のかけらは拾い上げると、不思議なことに氷のように溶け落ちてしまった。回収不可アイテムね把握した。
となれば、もうこの場に用は無い。わかりやすく一本道っぽいし先へ進むとしますかねぇ。
洞窟は相変わらずほぼ真っ暗だが、俺が封じられていた水晶に似たものが所々の岩肌から突き出して微かに発光している。闇に浮かび上がる青白い光は、不気味さを考慮しなければ十分な道標だ。
「……いやほら、基本的に俺、ホラーとか得意だし？」
だからこう、なんか普通に怖くて足が竦みそうになるのはきっと気のせいに違いない。自分に言い聞かせるでもなく独り言を漏らしながら、俺は暗闇で満たされた一本道へと足を踏み入れていった。
自由な物語を書いていきたい
お付き合いいただければ光栄です。