無知なる無垢
「十頭目……っと」
群れを成しても捌ける事を確認済みの今の俺には、単体ごとき恐れるに足らず。可愛らしい膨れっ面を披露してくれているソラから癒しを頂戴しつつ、サクサクとフールボアを狩っていく。
「むぅ……ハルさんが無傷で倒しちゃうのも、私の不満の要因なんですよ!」
「一撃喰らったら即死するが宜しいか?」
「えっ……な、何でそんなに虚弱なんですか!というか今更気付きましたけど防具!何で装備してないんですかっ!?」
「虚弱って……」
防具は仕方ないんだ。直剣と大斧に加えて防具まで着込んだら所持容量制限に引っ掛かって、狩りをしても戦利品を持ち帰れないとかいう意味不明な状況になるから。
さておき、問えばイメージ通りお利口さんというか、ソラはわりとバランス良くステータスを振っているご様子。流石に彼女の進むであろう育成方針的に無意味なSTRやらへ注ぎ込んでないのは安心したが、もう普通に俺より頑丈でしたわこの娘。フールボアに一度撥ねられる程度は平気なのではなかろうか。
「まぁ当たらなければノーダメだから」
「のーだめだと私が困るんですっ!」
「のーだめ」だってさ。言い慣れてない感よ、和む。
そうは言ったものの、現在の俺が全体攻撃や回避困難な攻撃に対して極端に弱いのもまた事実。実例として「1面のボス」で詰まってる訳だしな。
「かといって、素直に武器一本に絞ってスキルを腐らせるのもなぁ……」
特化適性には劣ると言えど、《全武器適性》及び《クイックチェンジ》はこのゲームが「俺に似合いだ」と誂えてくれたスキルだ。
折角なのだから活かしていきたいし、その先で極まったこのアバターがどんな活躍をするのかも見てみたい。
ペアとして噛み合っていない事は承知だし、出番を回してやれない事を悪いとは思っているのだが……
「とりあえずは、暫定維持の方針で」
「むぅ……私も武器買ってこようかな……」
このゲーム魔法に関しては武器の補正が働かないらしく、魔法使い用の指輪を見繕っただけのソラは現在無手だ。杖とかあるにはあるんだけど、そっちは杖術も交えて魔法戦士とかの領分になるらしい。
空っぽな自分の両手をにぎにぎしながら呟くソラだが……うん、やめとこう?近接デビューは目を瞑らずに武器を振れるようになってからにしようね。
極力やわらかい表現でそう諭すと、ソラは至極不満げに頰を膨らませていた。
◇◆◇◆◇
「おん?」
「わっ!?」
あれから暫く狩りを続けていた俺達は、唐突に訪れたとある異変に二人して声を上げた。
それは微かな振動。仮想現実がもたらす精細な感覚によって「徐々に近付いてくる」事が分かるその揺れはおそらく―――
「ハルさん、もしかして……」
「これが予兆か……?」
初回の遭遇はフールボアの群れを殲滅した直後、足元からというガチ切れ案件だったが……なるほど。ボスの出現条件が「一定数の雑魚を狩る事」と仮定すれば、群れとの戦闘中に条件を満たしていた可能性が高い。
足元から伝わる振動は微細ながら確かに感じ取れるものだが、テンション高く駆け回ってる最中なら気付かなくても不思議では無いだろう。
で、あるならば……
「最初の行動阻害も対処出来るな……ソラ、とりあえず戦ってみるから少し離れてて」
「……VITも成長させるか、防具着てくれませんか?」
「ごめん以後前向きに検討致しますので……」
前衛が何を喰らっても即死するから―――というクソみたいな理由でボス戦すら仕事の無いヒーラー様は、ジト目でいたくご立腹の様子。
しかしながら、ソラも今回からは完全なる観戦役という訳でもなくなる。
「支援分はしっかり働きます故に」
「むぅ……《スペクテイト・エール》」
もう頰を膨らませての不満げな様子が板に付いてきたソラから、彼女が新たに取得した支援スキルを頂戴する。
おそらくは「観戦者の声援」という意味のスキル名を心の底から気に入らない様子のソラだったが、その効果の程は中々にユニークかつ強力だ。
設定された条件を守る事によって、支援対象者の全ステータスに上昇倍率を掛けるこのスキルだが、その補正倍率は驚異の二割増し。
新規プレイヤーがあっさりと取得したにしては中々にぶっ飛んだ補正値だが、効力発揮の条件は「術者が以降の戦闘に参加しない」という非常に極端なものだ。
―――誰のせいでこんなスキルが発現したんですかねぇ。あっあソラさん睨むのはやめて。
指輪を嵌めた右手を持ち上げてソラがスキル名を呟けば、対象となった俺の身体が微かに発光する。
「っ……と、やっぱこれ戸惑うな」
ステータスが上乗せされ、急激に変化する感覚のズレに思わずよろめくが……まあ慣れだな。瞬間的な能力変化への対応力は、追々で身に付けていけばいいだろう。
現在レベル18である俺のステータスポイント総計は180。各々に振り分けたその全てが1.2倍になるので、単純計算4レベル弱のブーストに相当する強化―――これレベル上限が100だとして、カンストプレイヤーに使ったらLv.120の怪物になるんだよな?
「ハルさん?」
「いや、ちょっとソラの将来に慄いてただけ」
「……?」
俺の複数武器適性が全武器適性へと成長したように、もし彼女の《スペクテイト・エール》が更なる進化を遂げようものなら……考えないようにしよう。
空恐ろしい想像よりも、今は目の前まで迫りつつある地揺れの主が先決だ。……ソラだけに空恐ろし
「―――ツッコミ回避ぃ!」
「ブルルモォオォオオオオオオッ!!」
身も凍るような思考を抑え切れなかった俺の足元から、二度目の遭遇となる土塗れの巨体がとうとう姿を現した。
予兆さえ確認出来ていれば、登場の仕方は既に把握済みである。振動による強制硬直はタイミングを合わせて跳躍回避!
大猪というか猛牛のような雄叫びをあげる奴こそが、当然の権利の如くハメコンくれやがった悪虐の徒【土埋の大猪】だ。
「ひっ……!?」
後方で少女が息を飲む気配がするが、さもありなん。俺とて出会って3秒で擦り潰されたりしていなければ、キレるよりも前にビビっていた事だろう。
体高は悠に五メートル以上、土塗れの体毛はタワシが柔らかボディに思えるほどに太く強靭。お前それでどうやって地中に潜るの?と疑問を呈さずにはいられない巨大な二本の牙は、まるでワインオープナーのように派手な螺旋を描いている。
見るからにVITとSTRの化身ですといった風貌だ―――ということで、まあとりあえずは……
「ご挨拶仕ります―――くたばれぇッ!!」
開幕ハメコン初動の地揺れを空中でやり過ごした俺は、片足で捩くれた牙の上に着地。至近距離で視線が噛み合った思いのほかつぶらな瞳へと、情け容赦無く直剣の鋒をぶち込んだ。
腕ごと叩き込むような勢いで突き込んだ直剣が深々と眼球を貫き、登場して数秒と経たず絶叫を上げた大猪の右目から鮮血代わりの真赤なエフェクトが噴き荒れる。
「流石【Arcadia】!部位破壊システムくらい当然あるよなぁ!!」
堪らずのたうち回る奴の鼻面を蹴り付けて離脱した俺は、治まったクリティカルエフェクトの奥、瞳の代わりに描写された大きな傷跡にテンションを上げ―――おっと。
「…………」
背後に感じるは視線。もっと正確に言うなら「なんかやべえもの」に向けられるであろう視線だ。
自重しろ俺。齢十八にして昨夜初めて自覚した己の悪癖は、いたいけな少女にオープンして許されるアレではない。
―――自覚しろ俺。お前は今、やべー奴だ。
「クールに……冷静にクールで行くぞ俺……!」
その呟きが既にクールではないが、わりと自分でも持て余しているアレである。心を鎮めて、されどパフォーマンスは落とさぬよう思考のトルクは上げたまま―――
「っし悪くない。そんじゃかかって来いよ馬鹿共の親玉―――リベンジマッチだ」
強引にギアを調整した俺が嘯けば、いきなり片目を奪われた大猪は猛り狂った様子で「今すぐ轢き潰す」と蹄を掻いて宣言した。
◇◆◇◆◇
「―――ッラァ!!」
十メートル以上も離れた安全圏。ターゲットされていない自分さえ足が竦んでしまうような大質量の突進を、そのプレイヤーは掠めるように躱して当然のように反撃を見舞う。
「雑魚と変わらず突進だけかぁ!?」
不遜な、けれども昨日のアレよりは……まあ大人しい態度か。煽りに反応したのか否か、彼の近くで急停止した大猪は身をふるい、全身に付着していた土を凄い勢いで撒き散らした。
明らかに身に纏っていた以上、大量の土塊が飛散するゲームめいた全体攻撃―――それを、
「―――っ」
反応したのか、
「のッ―――」
思考しているのか、
「―――くぉ……ッ!」
見えているのか、
「―――――――――っしゃ全回避ぃッ!!」
身を屈めて、地を蹴って、身を投げ出し、跳躍、背面跳び、側転、片手跳び―――空中で展開した大斧に身を隠す。
完全に曲芸の様相を呈したその過程を、映像に撮って本人に見せたら少しは自覚するものだろうか。
「当たり前みたいに初心者さんって顔してますけど……」
―――彼は果たして、自身の異常性に気付いている様子はない。
ハルは【Arcadia】の事を何も知らずにこの世界へとやって来た。まだ出会って間も無いソラであるが、そんな事はすぐに気付いていた。
けれど、ソラは違う。ハルが何故こうまで無知でまっさらなのかは知らないが、このゲームは決してクローズな世界では無い。世に出て三年が経つ今でさえ「唯一の仮想世界」であり続ける【Arcadia】は、変わる事のない世界的な話題の中心だ。
技術的なことは元より、ゲーム内のごく小さな新発見ですらあらゆるメディアが我先にと取り上げる毎日。大きなイベントなどあれば、ゲーム内の映像が大々的に現実世界で放映されるのが当たり前なのだ。
だからソラは知っているし、分かってしまう。自在に飛び回る彼の動きは決して、仮想世界に飛び込んですぐの人間が出来るようなものではないのだ。
「ハルさん、本当は凄い事してるんですよ……?」
自分でも何故だかよく分からないけれど、ソラはその事実を伝えられずにいた。
もう少しの間だけでも……例え自分はフリだとしても、同じ「無知」の立場から―――無垢にはしゃぐ彼の姿を見ていたいと思うから。
複雑な思いで見つめるソラの視線の先―――大猪を手玉に取るハルは、まるで子供のように眩しく笑っていた。