断章4
「ザックが一緒に来てくれて助かったよ」
村を離れ、大分歩いた後にアレスがポツリと言った。
「でも、本当に俺で良かったのか? ちゃんとした大人のほうが良かっただろう?」
僕は内心ずっと思っていたことを話した。14歳の少年ふたりで王都に向かわせるのは、ちょっと無謀なんじゃないかと考えていたからだ。
アレスを王都に送り出すにあたり、村から誰かひとり同行者につけようということになった。当初は独身の若い男の村人が何人か候補に挙がったのだが、アレスが選んだのは僕だった。
でも、不思議とその決定に誰も異議を唱えなかった。
「大して親しくない大人が来ても、やりづらいだけだよ。それに俺のことを勇者と持て囃して、魔物と戦わせようとするくせに、自分は危険を冒す気はないような人たちばかりだ」
アレスが普段言わない村人たちへの非難を口にする。それを聞いて 僕はびくりとした。
確かにアレスの旅の供の候補になった村人の中には、自分が選ばれなかったことをあからさまに喜んでいた人もいた。危険な旅になることがわかっていたからだ。
滅多に人のことを悪く言わないアレスだが、内心では村人たちの態度を不満に思っていたのだろう。
「まあ、魔物は強いからね。僕の両親も殺されたし、誰も戦いたくはないよ」
僕の両親はふたりとも冒険者で、魔物と戦うことを生業にしていたようだが、魔王軍との大きな戦いの最中に命を落としている。
「でも、勇者になったら、その魔物と戦わなければならないんだ。しかも魔王まで倒さなければならない。勇者って何だろうな? 俺はそんなものにはなりたくなかったよ。でも、やんなきゃ世界が滅びるっていうんだ。ひどい話だよ」
アレスは乾いた笑いを浮かべた。
「……夜起きると、母さんが泣いているときがあったんだ。本当は勇者なんかになって欲しくないんだよ」
それは僕も知っていた。僕の育ての親でもあるアレスの両親は、預言者のお告げの信憑性を疑っていた。できれば、アレスに勇者になって欲しくないとも思っているようだった。
だけど、村長であるアレスの祖父が大喜びでアレスを称え、村のほとんどの人たちがアレスを勇者として祭り上げてしまったのだ。
「大丈夫だよ! アレスならやれるさ! 剣だって魔法だって神の奇跡だって使えるんだ! 魔物だって何匹も倒している。王都にだって、そんなヤツはいないよ!」
少し無理をして明るい声を出した。
「どうかな? タリズ村には専門職の戦士や魔法使い、僧侶がいない。要は素人ばかりなんだ。そんな中で強さを誇ったって、実際のところはどうだかわからないよ」
「アレス……」
アレスの言葉を聞いて愕然とした。ずっと側にいたのに、彼がそんな風に考えていたなんて知らなかったのだ。
「ああ、ごめんな。ちょっと村を離れて、つい言いたいことを言ってしまったよ。勇者としてやっていくと決めたのに、弱気になっていたようだ」
それ以降、アレスは弱気なことは言わなくなった。でも、僕はこのやり取りのことがずっと心に残った。
────
旅路は順調だった。途中で立ち寄った村々では、アレスは大人のようにちゃんとした交渉をして、わずかなお金と引き換えに、水や食料を手に入れた。
魔物と遭遇しても、できるだけ戦いを避け、どうしても避けられないときのみ戦った。
戦うときも僕の安全を確保した上で、冷静にそして着実に戦いを進めた。攻撃魔法と回復魔法を的確に使い、剣でとどめを刺すその姿は、やはり勇者にしか見えなかった。
今は鬱蒼とした森を抜ける街道を歩いている。
空は青く晴れているはずだが、道の両端にある木々が大きく伸びていて、空をふさぎ、漠然とした不安にかられた。
元は王都に繋がる道として人の行き来が活発だったが、魔王の出現以降、魔物が跳梁する森となってしまい、人通りはまったくない。現に半日歩いても誰ともすれ違わなかった。
その一方で、やはり魔物の数は多く、すでに何度も遭遇しているが、アレスがことごとく倒している。
「さすがだな、アレスひとりでも十分やっていけたんじゃないか?」
僕も一応護身用に剣を持たされていたが、使う機会はまったく無かった。旅の途中で、アレスの練習の相手をする程度だった。
「ザックも俺を買いかぶり過ぎだよ。何かをひとりで続けるのは辛いもんさ。おまえがいてくれるから先に進めるんだよ。剣を習ったときだって、魔法を勉強したときだって、回復魔法を教わったときだってそうだ。最初は仲間みんなでやり始めるけど、うまくいかないとわかると、ひとりまたひとりと抜けていく。で、最後に残るのは、いつも俺とおまえだけだ」
「魔法も神の奇跡も身につかなかったけどな」
僕は笑って答えた。
「それは残念だったけど、最後まで俺に付き合ってくれた。十分すごいよ。うまくいかないことを続けることは難しいことだ。俺は色々器用にこなせたから良かったけど、ちょっとでもうまくいかなかったら、どうなっていたかわからない。みんなと同じように途中で止めてしまったかもしれない」
「アレスに上手くできないことなんて想像できないな。でも、僕だって何かひとつくらいは身につけたかったよ」
それは本心だった。せめて何かひとつくらいは同じ年の従弟に追いつきたいと、必死に頑張ったのだが、いつも上手くいかなかった。
「俺にだって上手くいかないことは……」
そう言いかけて、アレスは立ち止まった。僕も何事かを察して止まり、周囲の様子を窺った。
静かすぎる。森の動物の鳴き声さえ聞こえない。
「おや、気付いたか。さすが勇者と言われるだけはあるようだな」
のそりと、前方の大きな木の陰から何者かが現れた。人……ではあるが、紫の肌に隆々とした肉体、人の倍の長さはあるであろう耳、そして真っ赤な瞳。
「逃げろ! 魔族だ!」
アレスが叫んだ。それを聞いて、僕はすぐに後ろに走り出した。
魔族。魔王の眷属である彼らは人に近い姿をしているが、力も魔力も人より圧倒的に強い。
僕がすぐに逃げ出したのは、魔族への恐怖もあるが、アレスの足を引っ張りたくないことも大きい。
すぐに剣と剣がぶつかり合う音が聞こえた。アレスが魔族と戦い始めたのだ。
僕は森の中に飛び込むと、十分距離を取って、木の陰からその戦いを見守った。
魔人は見たこともないような巨大な大剣を両手で振るっていた。それも烈風のような勢いだ。
「ふふっ、預言者によって勇者が見い出されたと聞いていたが、所詮はまだガキ。成長する間に殺してしまえば、どうということはない」
余裕のある魔人の攻撃の前に、アレスは防戦一方だった。
当たれば傷を負うどころか死にかねない攻撃を、アレスは冷静にかわし、かわせないものは剣で受け流していた。
アレスは耐え続け、そのままジリジリと時間が流れる。
攻撃してこないアレスに、当初は余裕を見せていた魔人だが、やがて面倒くさくなったようだ。
「防御だけは一人前のようだな? だが、魔法はどうかな?」
なかなか攻撃が当たらないことに焦れた魔人は剣での攻撃を止めて、左手を前に出し、魔法を発動させようとしたのだ。
そこをアレスは見逃さなかった。
「ハッ!」
それまでため込んだ力を吐き出すように、矢のような勢いで踏み込むと、前に伸びた魔人の手に素早い斬撃を加える。
魔人の指が何本か、宙に舞った。
「ギヤァァァッ!! このガキッ!」
手傷を負った魔人はすぐに大剣を両手で持ち直すと、アレスに反撃を試みた。
が、さきほどまでの剣のキレがない。
(指を失ったから、うまく剣を握れてないんだ!)
アレスはこれを狙ってたのだろうか? 狙っていたのなら凄い!
そこからは打って変わって、アレスが攻勢に出て、魔人が防戦に追われた。
アレスは決して大きな一撃を狙おうとせず、相手の隙を狙って細かいダメージを与えていった。
「くっ、このっ!」
細かい傷を無数に作った魔人は、傍目にも徐々に弱まり始めた。
勝利は目前だったが、それでもアレスは堅実に戦いを進めていった。
そして、鋭いアレスの一撃を受け損ねた魔人は、とうとう剣を落としてしまった。
ガランッと音を立てて、地面に落ちる魔人の剣。
この機を逃さず、アレスは魔人の首筋に向けて剣を振るう。
だが、魔人はその一撃を何も持たない左手で防いだ。刃が腕に食い込んでいくが、完全に両断するには至らない。むしろ、魔人は腕の筋肉を膨らませることで、剣をくわえ込んだように見えた。
「抜けない!?」
この戦いで初めてアレスは声を上げた。
「左手はくれてやる」
魔人はニヤリと笑うと、右手に巨大な爪を生やし、アレスに襲い掛かった。
アレスは剣を手放して、この一撃を避けようとしたが、腹をわずかに斬り裂かれた。
なおも迫りくる魔人に対して、アレスは呪文を詠唱した。
「風よ!」
風の魔法を魔人の目を狙って放った。
「ちっ!」
魔法は回避した魔人だったが、この間にアレスは後方に下がって間合いを広げた。
魔人は左手に食い込んでいた剣を抜いて、後ろの森の中に放り捨てた。左手はだらりと下がっている。さすがに満足に動かすことはできないのだろう。
アレスは何事か呟いている。おそらく魔法の詠唱だ。しかし、アレスの知っている魔法は基本的なものばかりで、とても魔人に通じるとは思えない。
(まずい!)
そう思って、僕は森の中からアレスの方へ駆け出した。手には自分の剣を持っている。
魔人が動き出した。アレスは十分引き付けてから、火の呪文を放った。
火は魔人の頭を覆うようにまとわりついたが、魔人はかまわずに突進する。
アレスは何とかかわしたが動きが鈍い。さきほどの腹部の傷が後を引いているのか?
「アレス、受け取れ!」
僕は自分の剣をアレスに向かって投げた。
魔人が右手の爪を振り上げる。
くるくると回転する剣をアレスは器用に受け取ると、爪を振り下ろさんとする魔人の懐に飛び込んで、ずぶりとその腹に突き刺した。
「やった!」
僕はつい声を上げた。
だが、
「……命もくれてやろう……だが、おまえも道連れだ……」
魔人は剣で貫かれた状態で、口から覗いた大きな牙で、アレスの首筋に喰らいついたのだ。
アレスの首から勢いよく血が噴き出す。
「アレスッ!!」
僕の絶叫が森の中に響いた。