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発売記念SS 麒麟児2

 アレスの話は村を大きく揺るがした。

 アレスの言葉通り、逃げる準備を進める者、あんなのは嘘に決まっていると普段通りの生活を送る者、人によって取る行動は様々だったが、皆一様に不安を抱えていた。

 ただ、全体的に言えば、変わらない日常を送っている村人たちが多数である。


 そんな村人たちを横目に、アレスはザックを村の外に送り出そうとしていた。

 逃げる先となる移住地を探させるためだった。


「おまえにしか頼めないんだ、ザック。魔人たちは南から来ている。寒いところは嫌がるはずなんだ。だから、移住先は北に行って探して欲しい。本来なら俺が行くべきなんだが……」


 アレスは目を伏せた。


「わかっているよ、アレス。今のタリズ村は混乱している。君がいなくなったら、若者と老人たちとで諍いが起こるかもしれない。それが抑えられるのはアレスだけだよ」


 ザックはいつも通りだった。まるで少し散歩にでも出かけるような様子である。


「……すまない。おまえしかいないんだ。俺のためなら何でもするという連中はいる。だけど、村人はどこまでいっても村人で、誰かに何かしてもらうという意識が強い。自分たちで変えようっていう考えがないんだ。強い意志が欠けている。でも、おまえはそうじゃない。俺よりもずっと強い意志を持っている。ザックさえ俺のことを信じてくれるなら、きっと成し遂げられると思うんだ」


 アレスがザックの両肩をつかんだ。それはザックへの期待と、自分の半身を切り離すような不安からきているものだった。


「大丈夫さ、アレス。きっと大丈夫だよ。良い場所を見つけてくる。みんなが喜んで移り住んでくれるような場所をね。寒いところは冬を越してみないと良いか悪いか判断ができないから遅くなると思うけど、必ず探し出してみせるさ」


 ザックは朗らかに笑った。しかし、それは簡単な話ではない。未開の地で何百人という村人たちが住める場所を探すというのは、とても難しいことだった。

 その難しさを十分理解した上で、ザックは笑ってみせた。


(この強さは自分には無いものだ)


 アレスは従兄弟の精神的な強さにいつも驚かされていた。自分は周囲の人間から何でもできると思われがちだが、できることとできないことを区別して行っているに過ぎない。攻撃魔法と回復魔法を覚えることができたが、それだってザックがずっと一緒に頑張ってくれたから成しえたことだ。自分ひとりでは無理だっただろう。

 ザックは攻撃魔法も回復魔法も身に付けてられていない。しかし、まだ諦めていなかった。未だに努力を続けている。彼は星を掴もうとするような無謀な努力が平気でできる人間だった。

 それは他の村人たちから馬鹿にされがちなのだが、馬鹿にされても続けられる強さこそが異質なものであることに、ほとんどの人間が気付いていない。

 だからこそ、アレスはザックに移住先を探すという難業を任せることができるのだ。


 ふたりが力強く腕と腕を合わせた後、ザックは旅立った。自然と荷物は大がかりなものとなっていたが、ザックは姿勢を崩すことなく背負っている。長年、アレスと一緒に身体を鍛え続けた賜物である。

 その背に頼もしさと寂しさを感じながら、アレスは自分の為すべきことに奔走した。


──


 手始めに行ったことは、自分の祖父を村長から引退させことだった。

「村を見捨てるなんて、とんでもない!」と主張し、一番強固な反対派である祖父に村長を続けさせるわけにはいかなかった。


「もう年だから村長は難しいんじゃないかな? これから難しい舵取りを迫られる場面も多いから、もう止めていた方がいいよ? 腰も悪いし、足も悪い。僕はおじいちゃんが心配なんだよ? どこかで転んで怪我でもしないか、ってね。変なところで動けなくなったら、そのまま見つからずに行方不明になってしまうかもしれないだろう? 家で大人しくしているのが一番だよ。それとも身体が動かなくなるまで続けるつもりかい? それはあまりお勧めできないな」


 言外に「身体を動けなくする」と示唆する孫に祖父は怯えて、渋々村長を引退した。

 代わりに村長についたのはアレスの父親だった。若者にも年長者にも肩入れせず、柔軟な考え方ができる人物である。アレスは父親のことを尊敬していた。


「わたしはおまえのやることを全面的には応援できない」


 父はアレスにはっきり言った。


「わかっているよ、父さん。俺だって自分が絶対に正しいって思っているわけじゃないんだ」


 アレスとてわざわざ北の寒い場所になど移住したくはない。このままタリズ村に住めたほうが良いと思っている。自分が間違っているのではないかと悩むことだってあった。けれど、目の前に迫る危機から目を逸らすことはできず、毎日のように苦悩していたのだ。


「だがな、父親としてはおまえのことを誇りに思っているよ」


 恐らく父はアレスが正しいことを理解しているのだろう。けれど、それを表立って言えば、村をまとめることが難しくなる。そのために敢えて立場をはっきりさせない必要があった。


「ありがとう。それで十分だ」


 アレスはそれから活発に動き始めた。

 自衛団を率いて、周辺に出没した魔物たちを積極的に倒しに行き、わざわざその死体を持ち帰って村の中に晒した。

 村が今どれだけ危険な状態にあるのか示すためだ。

 日に日に強力な魔物が現れるようになっていることを目の当たりにし、村人たちは怯えた。

 さらにアレスは反対派の住民をひとりひとり説得した。根気強く粘り強く。毎日毎日家を訪れ、たわいのない会話を交わしながらも。

 元よりアレスは子どもの頃から才気煥発で、村中の大人たちから目をかけられていた。そのアレスと親しく言葉をかわして嬉しくない年長者はいない。ひとりまたひとりと頑なだった態度を崩していった。

 恐らくアレスだけだったら、彼らのことは見捨てていたであろう。自分が本来いくらでも冷たくなれる人間であることは、アレスにはわかっていた。しかし、「みんなで生き残るんだ」とザックに言われた以上は、そうせざるを得なかった。


「あいつは無茶ばかり言う」


 その無茶がアレスは嫌いではなかった。  


 さらにアレスは逃げたときの食料の問題を解決するために、積極的に狩りも行った。狩った獲物の肉は塩漬け肉や干し肉などにして長期保存が効くようにし、長い旅路に備えた。

 魔物を倒し、狩りをし、ほとんど休む間もなくアレスは動き続けた。

 その間に連合軍と魔王軍との戦いの噂が流れてきたが、時間を追うごとに連合軍が苦戦しているという話を多く聞くようになった。

 そうなると村人たちもアレスの言った事を信じるようになり、逃げる準備に協力する人の数が徐々に増えていった。

 協力者が増えて余裕を持つことができたアレスは、今度は村の近くに罠を張った。

 時間を稼ぐためである。協力的な村人が増えたとはいえ、実際に魔物たちが近くに迫るまで、彼らはすぐに逃げないだろうとアレスは考えていた。アレスは村人たちに大きな期待を抱いていなかったのだ。

 近くの森や山に罠を張り、村人たちがそれにかからないように目印を置いて周知した。

 後はザックが戻るのを待つだけだった。


──


 ザックが旅立って1年が過ぎようとした頃、諸王国連合軍と魔王軍の戦いの前線となっていた国が滅んだという噂が飛び込んできた。連合軍は散り散りになり、自分たちの国へと戻ってしまったという。

 連携した抵抗ができなくなった国々は、あっという間に魔王軍の前に倒れていった。

 地図に描かれた魔王軍の勢力図は、テーブルにこぼした水のように広がっていく。

 そして、魔王軍はタリズ村の近くにまで迫ろうとしていた。

 アレスはとりあえず北へ逃れることを主張したが、予想通り村人たちは動かない。普段はアレスに同調している若者たちでさえ、ギリギリまで村に残りたいと主張した。

 逃げる先が見つかっていないことが、彼らの腰を重くしていたのだ。

 魔物の出没する頻度は増えていき、朝も晩も無く村人たちは魔物の襲撃に怯えるようになった。交代で見張りを立てて、いつでも退治できる態勢を整えたが、次第に村は疲弊していった。明らかに危機が迫っていた。


 ところがそんなある日、毎日のように襲来していた魔物たちが姿を現さなくなった。

 おかげで久しぶりにタリズ村は静かな朝を迎えられることができ、村人たちは喜んだが、アレスはかえって不安を覚えた。


(今更魔物を撃退できるような国はない。ということは、魔物たちがどこかへ集められていると考えたほうが自然だ)


 アレスは隣村に馬を走らせた。速やかに状況を把握する必要があったからだ。何かあってからでは遅い。

 そして、隣村の姿がようやく見えてこようとしたとき、目に入ってきたのは魔物たちの大群であった。

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