発売記念SS 麒麟児1
3日連続で投稿します。
本編を読んだことを前提とした話となっておりますので、未読の方は先に本編を読んで頂ければと思います。
諸王国連合軍と魔王軍との戦いは、諸王国連合軍が優勢に見えた。
魔王軍の脅威に対抗するために各国が結束してできた連合軍は、数においては劣るものの士気は高い。しっかりと築き上げられた陣地に対魔物用の装備と、準備も万全で、波のように迫りくる魔物たちを何度も何度も撃退していた。
その様子を近くの山の中から、ふたりの青年が見ていた。
ふたりは背格好も同じであれば外見も似ている。茶色い髪に茶色い瞳、中肉中背だがよく鍛えられた身体をしていた。旅装姿で腰に剣を下げている。
違いは目鼻立ちのわずかな差だったが、それがふたりの印象を大きく異ならせていた。
ひとりは凛とした顔立ちをしており、厳しい目で戦いを観察している。
もうひとりは優しい顔立ちをしており、諸王国連合軍の戦いぶりを頼もしそうに見ていた。
「勝てそうだね、アレス」
優しい顔立ちをした青年が言った。
「いや駄目だ、ザック。このままでは連合軍が負ける」
アレスと呼ばれた青年は、ザックの言葉を否定した。
「どうして? 明らかに連合軍のほうが有利に戦いを進めているじゃないか?」
「今はな。だが、魔物たちをよく見てみろ。どんな魔物が戦っている?」
「どんな、って。よくいる魔物たちじゃないか。ゴブリンにオーガに、後は山や森で見かける狼みたいなのとか熊みたいなのとか……色々だよ」
ザックが言ったように、魔王軍は茶色くて小柄な体格をしているゴブリンと呼ばれる魔物と、人間の倍くらいの巨体で岩のような肌をしたオーガと呼ばれる魔物が比較的多いものの、全体的には統一感がなく、様々な魔物たちで構成されている。
「それが問題なんだよ、ザック。魔王軍の核となっているのは魔人たちだ。やつらは後方で指揮をとっているだけで前線に出ていない。戦い自体は人間側が有利に見えるが、その実、魔王軍が消耗戦を強いている。今戦っている魔物たちは、ザックの言った通り、どこにでもいるし数が多いから、簡単に補充が効くんだ。それこそ、タリズ村の近くにだっているくらいだからな」
アレスの言ったように、魔王軍の魔物たちの多くは、ふたりの住んでいるタリズ村の近くでも出没している。
「だけど、本当に倒さなければならないのは魔人だ。あいつらが魔物たちを率いている。魔人はあらゆる面で人間を上回っているが、数だけは人間のほうが圧倒的に多い。替えが効かないんだ。だから狙うべきは魔人なんだが、連合軍にはそれができていない。本当は攻勢に出なければならないんだ。それがわかっている人間もいるとは思うんだが、連合を組んだことが裏目に出て思い切った戦術が取れないんだろうな。守ってばかりでは最終的には負けてしまう」
「そうかな? とてもそうは見えないけど……」
ザックは納得いかないような目で戦いの趨勢を見ていた。連合軍は優勢だが、確かに守ってばかりで討って出る気配はない。
「それは願望だよ、ザック。俺だって人間が勝つことを信じたい。だけど、大事なのは事実を見極めることだ。俺は負けると言ったけど、すぐってわけじゃない。強固な陣地を築いているようだし、1年くらいは持つさ。その間に準備は進められる」
アレスは身を翻した。村へ戻るつもりなのだろう。ザックもそれに続く。ただ、何度も振り返って、人と魔物たちの戦いに目をやっていた。
「準備って、逃げる準備をかい?」
ザックはその話を既にアレスから聞かされていた。
「そうだ。魔王軍は強大に見えるけど、実際は魔人の数が少ないから小さなところまでは手が回らない。知能の低い魔物たちは単独で使うには勝手が悪いからな。だから、例え人間側が負けて、タリズ村まで魔物たちがやってきても、俺たちが逃げてしまえば、いちいち追いかけてられない。それが狙い目だ」
「逃げるっていっても、そう簡単にはみんな頷かないんじゃないかな? 特に村長であるおじいちゃんは」
アレスとザックは従兄弟であり、ふたりの祖父はタリズ村の村長だった。
祖父は状況を楽観的に考えており、「最後には人間が勝つ!」と豪語してやまなかった。村長と同じ年代の老人たちはその意見に同調している。そして、老人たちの意見は村では重視される傾向にあった。
「何とかするさ。でも──」
アレスの目が鋭いものに変わった。
「ついてこないなら、置き去りにするまでだ。老人は足手まといになる。俺たちは生き残らなければならない。生きて生きて、最後まで生き残ったほうが勝ちだ。そのためには何だってするさ」
「駄目だよ、アレス」
張り詰めた様子で覚悟を語ったアレスに、ザックは微笑んだ。
「みんなで生き残るんだ、みんなで。大丈夫だよ、アレスならきっとできるさ」
アレスは顔だけ振り返ると、ザックの顔をじっと見た。
「おまえは甘いんだよ、いつも夢みたいなことばかり言いやがる。切り捨てることだって、ひとつの選択肢として持つべきだ。理想だけでは生きていけない。でも……」
ふっと肩の力を抜いてアレスは笑った。
「おまえのそういうところは強さでもあるな」
──
タリズ村に戻ったアレスは、戦いの状況を村人たちに語るために集会を開いた。
その集会にはタリズ村だけでなく、近隣の村々からも人がやってきている。
14才の頃にタリズ村で自衛団を組織したアレスは、魔王軍への対応で手いっぱいとなっていた王国の代わりに、近隣の村の魔物退治まで引き受けていた。
年若いにも関わらず果敢に魔物と戦うその姿から、アレスは『タリズ村の麒麟児』として有名になっていた。麒麟児とは、優れた少年を伝説の神獣になぞらえた言葉である。
祖父である村長は「アレスこそ勇者」と喧伝していたくらいだ。
若者たちの中にはアレスのことを信奉する者も多い。それだけにアレスが呼びかけた集会では、多くの人間が集まったのだ。
彼らは口々に戦況に関する噂を話し合い、場は騒めいていた。
「諸王国連合軍と魔王軍の戦いだが」
アレスは声を張り上げてから、一旦言葉を切った。騒めいていた村人たちは静まりかえり、アレスに注目した。
「状況は良くない」
その言葉に一斉に反論が沸き起こった。
「そんなはずはない」「連合軍が優勢なはずだ」「魔物なんかに負けるはずがない」と。
アレスは黙っていた。ただ、近寄って抗議しようという人間には鋭い視線を向けて、片端から黙らせた。アレスの目には強い力があり、若者らしからぬ威圧感を漂わせている。
アレスは村人たちが聞く姿勢になるのを待ち、しばらくすると場が静まり返った。
「反対したい意見もわかる。確かに連合軍が優勢であるという話をよく聞く。実際、俺たちが見てきた戦いでも、連合軍が魔王軍を何度も撃退していた」
「それなら」という誰かの声を、アレスは手で制した。
「だが魔王軍は魔人たちを前線に出していない。どこにでもいるような魔物たちを連合軍にぶつけて、消耗を強いているんだ。あれではいくら撃退しても、すぐに戦力は補充されてしまう。何せ魔物はいくらでも代わりがいるからな。みんな勘違いしないで欲しいのは、魔人は人間以上の力と知恵を持つ種族だということだ。ゴブリンやオーガとは訳が違う。しっかりと考えて戦略を練ってきているんだ。決して愚かな相手ではない」
その言葉に村人たちは押し黙った。
過去にこの付近で魔物たちを扇動していた魔人がいたのだ。その魔人は狡猾で、魔物たちを操ることで自分の手を汚さずに村をひとつ滅ぼしていた。たった数年前の出来事であり、村人たちはすぐに魔人の恐ろしさを思い起こした。
その魔人を倒したのがアレスだった。アレスは村を滅ぼした魔物たちの裏に魔人がいることにいち早く気が付き、ザックと共に探し出して、激闘の末に倒している。
魔人の中では下位の存在であったようだが、それでも強敵だった。アレスがいなければ、この付近の村々はひとつ残らず滅んでいたかもしれない。
「連合軍が負けたら、どうすればいいんだ?」
誰かが言った。決して大きな声ではなく、アレスを非難するわけでもなく、ただ自然と湧いたような声だった。
「逃げる」
アレスは簡潔に答えた。
再び村人たちは騒めいた。彼らは生まれてから、ずっと自分たちの村で生活している。ここからどこかに行くという発想自体がない。
「一体、どこへ行くっていうんだ!」「魔王軍はこんな小さな村なんて見逃すかもしれないじゃないか!」「この村以外で生きていくことなんかできない!」
今までに一番大きな反発が起こった。主に年寄りなどの年長者からの声が多い。
「魔王軍が占領した国から脱出してきた者はいない。また、魔人が人を見逃したという話も聞いたことが無い。あいつらは間違いなく人間を憎んでいる。実際、この付近の村だって魔人に狙われた。甘く考えないほうが良い」
「そんな……」
喘ぐような声がそこかしこから聞こえた。悲嘆にくれている者が多い。未だにアレスの言葉を疑って、怒りの形相を浮かべている者もいる。
「聞いてくれ。難しく考える必要はないんだ。逃げる準備だけをしてくれれば良い。それだけなら難しいことじゃないだろう? 連合軍が勝ったら無駄になるが、そのときは俺を嘘つき呼ばわりして笑いものにすればいい。頼む、準備だけはしておいてくれ」
アレスの言葉に若者たちは頷き、年長者たちは首を横に振った。
「逃げることに意味があるのか?」
ポツリとそんな声が聞こえた。
「ある」
アレスは断言した。
「魔人たちは人間を憎んでいるが、同時に恐れてもいる。だから、人間を根絶やしにしようとしているんだ。生きていれば人間が魔人に勝てる日が必ずやってくる。ただ、今は耐えるときなんだ」