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その7

 神殿は王城の地下にあった。

 城の地下に神殿を作ったのではなく、神殿があった場所に城を作ったというのが正しいらしい。

 まるで神殿を守るように、もしくはその存在を隠匿するように。


 神殿へと続く階段を下りる。大理石で作った白い床や壁が、松明のほのかな明かりで照らされて、ゆらめいて見えた。

 あまりに無機質に整然と出来過ぎていて、人が立ち入るのを拒んでいるように感じる。


 底が無い深い穴に降りていくような錯覚に陥り始めたとき、ようやく神殿へと続く扉が見えた。

 その扉の前に、真っ白い装束に身を包み、顔をヴェールで覆った神官がふたりいた。

 神殿に入ることができるのは女性だけなので、ふたりとも女官なのだが、腰には剣を差している。

 存在が不確かな亡霊のように見えて、正直、不気味だ。

 彼女たちもまた代々神殿の巫女に使える一族で、王家ではなく、王女の一族に絶対的な忠誠を誓っていた。

 厳しい訓練を受けており、その剣技は騎士をも凌ぐと言われている。


「お母様に……巫女に取り次いでちょうだい。アレクシアが来たと伝えて」


 わたしが来ても微動だにしない神官たちに向かって言った。

 すると神官たちは左右に広がるように動き、扉が勝手にゆっくりと開き始めた。


「巫女様より聞いております。中へお入りください」


 どちらが言ったのかわからなかった。いや、ふたり同時にしゃべったのかもしれない。

 予想に反して、彼女たちはわたしを阻むつもりはないようだ。どうやら、わたしがここに来ることを事前に知っていたらしい。


 扉の先にはさらに長い廊下があり、そこを抜けて、もうひとつ扉を開けると、洞窟を利用した広大な空間が広がり、地下とは思えないような光に包まれた。

 真っ先に目につくのは巨大な女神像。まるで生きているかのように精巧に出来ている。

 その女神像の祭壇の前に、白い衣に身を包んだ、彫像のように生気のない人間が立っていた。


「お母様……」


 喘ぐような声が出た。その姿は自分の記憶と重なっても、誰からも愛される華やかだった表情は抜け落ちて、深い虚無を感じさせる。


「アレクシア、あなたがここに来た理由はわかっています。ソロンに唆されたということも」


 わたしを見る目は冷たく、言葉に温かみを感じられない。


「ソロンのことを知っているのですか?」


 こんな外界と隔離されたような場所にいて、何故わたしがソロンと接触したことを知っているのだろうか?


「よく知っています。あの子は少し賢過ぎて、扱いに困るところがありました」


「あの子? お母様はソロンと親しかったのですか?」


 ソロンは幼いころから神童として名高い人間だが、王家とはそれほど関わっていないはずだ。


「あなたはソロンに何を言われて、ここに来ましたか?」


 母はそれには答えず、質問で返してきた。


「……お母様が預言者であると」


「それは事実です」


 あっさりと、顔色ひとつ変えずに、そのことを認めた。


「えっ?」


「わたしが預言者であり、神にもっとも近い眷属の一族。そしてあなたもそのひとりです」


 立ち眩みのような感覚を覚える。覚悟していたとはいえ、改めてそう言われるとショックを受ける。


「……なぜ?」


 そう返すのがやっとだった。


「これが我が一族の宿命であり、逃れられない運命です。いっそ神の呪いとも言えるでしょう」


 母はそっと背後の女神像に目をやった。


「ソロンはどうやって預言者が勇者を導くと言っていましたか?」


「方法についてはわからないと……」


「そうでしょうね。あのときも、ソロンはそこまではわからなかった。

 ……いいでしょう。後継者たるあなたに一族の秘を教えましょう」


 口元に薄い酷薄な笑みを浮かべた。自分自身すら嘲るような笑みを。


「わたしは死ぬことができません」


「えっ?」


 何を言っているのか、すぐに理解できなかった。


「わたしの死と同時に世界は終わり、わたしの死の原因を取り除くことが可能な時まで、時間は巻き戻されます」


「それはどういう……」


「あなたはわたしがソロンと親しかったのか、と聞きましたね。ソロンもかつてはわたしが導いた勇者のひとりでした。その知恵と魔力は当代随一で、ザックを除けば、もっとも魔王に迫った勇者でした。彼が預言者の正体を見破ったのもそのときです。もっともソロンはそのことを覚えてなど、いえ、今となっては最初からそんなことはなかったことになっていますがね」


 そのときのことを回顧するように、母は目を閉じて言った。その表情に憂いを感じたのは、わたしの気のせいだろうか?


「ソロンだけではありません。レオンもマリアも勇者として導き、道半ばで倒れました。ソロンたちは確かに優れた資質を持った人間でしたが、己を頼りに、他人を軽視するところがあり、それゆえに勇者足り得なかった。他にも何人もの勇者候補がいましたが、誰もうまくいきませんでした。

 わたしには……預言者には勇者が誰であるかなどわかりません。魔王を倒すことができる人間が見つかるまで、永劫に時を繰り返しているだけです」


 声が出なかった。理解できても頭が理解することを拒絶していた。

 それなら、母は、一体何度、時を繰り返したというのか?


「ひとりの勇者を導き、結末が出るまで10年近くの歳月が必要となります。わたしはその歳月を100以上繰り返しました」


「それでは1000年以上も……」


 想像を絶するような長い月日だった。人はそんな時を過ごせるものだろうか?


「ええ、1000年を超える旅路の果てに見つけたのがザックです。ただ、最初に導こうとしたのはアレスのほうでした。遠方の村に優れた少年がいると知り、わずかな希望をもってアレスを導きました。アレスは素晴らしい才能を持った少年であり、わたしは期待しましたが、王都にも辿り着けずに終わりました。すぐに自害し、やり直すことを考えましたが、何故かアレスと共にいたザックが気になったのです」


「……自害?」


 それは聞き捨てならない言葉だった。


「100以上の生を繰り返せば、自分の死など取るに足らないことです。わたしの最初の死は、魔物によるものでした。あのときは王城が魔王軍に攻め落とされ、城内の人間は皆殺しになりました。あの惨劇を繰り返すなら、自害を選ぶことに躊躇はありません」


 ならば、1000年もの間、何度も自分の命を絶ってきたということなのか。それではあまりにも……


「哀れに思っているのですか、アレクシア? しかしもう終わったことなのです。何の才能もなかった、何の期待もしていなかった少年が、この長きに渡る旅を終わらせてくれました。彼の魔王を倒すという想いは、わたしが見てきた人々の中で誰よりも強く、どんな屈辱にも困難にも耐えうる、不屈の精神を持っていました。まさに勇者の名にふさわしい人物といえるでしょう」


 勇者は預言者が長い時間をかけて探し出した人間だったのだ。そこに運命や奇跡はなく、結果的に魔王を倒した人間がその名を冠することになる。わたしはしばし呆然としたが、ひとつ気になったことがあった。それはある可能性の話だった。


「……お母様、その……アレスが生きたまま、ザックが、いえザックとアレスが力を合わせて魔王を倒すこともできたのではないでしょうか? わたしはタリズ村でアレスの母のシェラと会ってきました。彼女はアレスを亡くしたことに深い悲しみを覚えていました。彼女はザックの育ての親にもあたります。わたしはあまりにも彼女が不憫で……」


 聞く限り、アレスは優れた才能を持った人物であった。であれば、アレスを生かしたまま、ザックと共に魔王を倒すという選択肢も取り得たのではないだろうか?


「ザックの強さは、アレスやその母であるシェラを想う悲壮な覚悟があればこそです。それ無くして、魔王の討伐はあり得なかったでしょう。ザックが魔王を倒したのは偉業ですが、それは細い針の穴を通すような、僅かな可能性の積み重ねでした。再び再現できる保証はありません。それにアレクシア。あなたはその可能性を試すために、母に死ねというのですか?」


 ……そういうことになってしまう。確かにそこまで母に求めるのは酷というものなのかもしれない。


「わたしは数えきれないほどの悲劇と惨劇を目の当たりにしてきました。それを考えれば、シェラの悲しみなど、よくある悲劇のひとつにすぎません」


「しかし、お母様、アレスを選んだのは、お母様ではありませんか? アレスもザックも勇者になりたかったわけではありません。シェラも望んでいませんでした」


「そのことは認めましょう。わたしが手を下したわけではありませんが、わたしが選び、見殺しにしたのも事実。そうです。

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 自分の非を認めつつも、そのことに何の感慨も抱いている様子はなかった。わたしが知っている母はそのような人ではなかったはずなのに。


「ですがアレクシア、わたしとて預言者になりたかったわけではありません。わたしが繰り返される時間の中で何を思ったかわかりますか?」


「王族として生まれたくなかった、ですか?」


 それはわたし自身、時折思っていたことだった。


「『何故、わたしの代なのか?』です。魔王の侵攻が何故わたしの代で発生したのか、そのことを何度も何度も恨み、呪いました。これがわたしの母の代であってくれれば、わたしの子の代であってくれれば、と。何故わたしだけがこんなに苦しまなければならないのか? 魔王は今後100年は誕生しないでしょう。あなたはこんなことを経験せずに人生を終わるのです。はっきり言いましょう。わたしにはあなたが妬ましい。巫女の家系に生まれながら、あなたはその力をほとんど使わずに終わるのですから」


「そんな……」


 理不尽だ、と思いながらも、母の気持ちがまったく理解できないわけではなかった。あんなに優しかった人が、こんな冷たい顔に変貌するほど、1000年の旅は辛く険しいものだったのだろう。他の人間に押し付けたくなるほどに。


「理解しましたか? わたしはあなたの顔を見るのも不愉快なのです。あなたがここへ来た理由はわかっています。ザックの居場所を知りたいのでしょう? 彼は父親の出身地である旧マリカ国のレティンの村にいます。会いたければ、そこへ行くといいでしょう」


 マリカ国は魔王領の近くにあった国で、魔王の侵略で真っ先に滅んだ国だった。ザックの両親が命を落とした場所でもある。


「話は終わりです。わたしが生きている間は、あなたの神殿への立ち入りを禁じます。早くこの場所から去りなさい」


 言い終わると、母は目を閉じた。もう話すことは何も無いと言わんばかりに。


 わたしは自分がそんなにも憎まれているとは思わず、悲しみで俯き、扉へと向かいかけた。しかし、思い直して、もう一度、母のほうを向いた。


「お母様!」


 わたしの呼びかけに、母は一切の反応を示さない。


「ありがとうございました! お母様のおかげで世界は救われました! わたしはたとえ憎まれていようとも、お母様のことを誇りに思います! そんな強いお母様の娘として生まれて良かったと思います!」


 知らず涙がこぼれ落ちる。

 滲む視界の中で、母の表情が微かに動いたように見えたのは、わたしの願望だろうか?


「わたしはお母様のことを愛しています! きっとわたしが死ぬまで愛しています! そのことだけはどうか覚えておいて頂けないでしょうか?」


 わたしは母に向かって大きく礼をした後、後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にした。

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