暴君デュオニス

作者: 篤




 デュオニスは玉座に座り、その日もただ何事もなく過ごしていた。彼には特にすることもなかった。有能な臣下があくせく働き、王としての職務はただ玉座に座り、笏を握ることだけだった。それで民はひれ伏した。道化が、彼のわきを固めていた。道化は、うつつを抜かしたことを王に喋り、デュオニスはそれに興じた。むなしさが募った。このものは自分お置かれている境遇にきづいていない。デュオニスはそう思い、哀れに思ったが、自分が飾りの王であることを思い、ますます憂鬱になった。

 王の座を棄てて、一介の市民として生きることをデュオニスは考えたが、踏ん切りはつかなかった。王であることの特権は美味しい。だが、それに甘んじている自分が情けなく思われ、かといって行動も起こさない。

 デュオニスは、世の風潮を嫌悪していた。世の中は間違った方向へ流れていく。多とされる人々がその流れを先導しているように彼には思えた。そしてそれに対し、いちゃもんをつけるたびに臣下がそれを諫めた。この、彼を諫める声はどこにいても届くようだった。彼は、自分には内心の自由が無いような気がした。事実その通りであった。彼は閉じた世界にいたのだ。


 デュオニスは自分が思うがままにならないことが許せなかった。論を張った大学者を彼は攻撃する。しかし直接は言わない。ただ日記に書いて憂さを晴らしたのだ。しかしその書いてあることはなぜか他人に知られているようだった。そしてデュオニスの世界に対する戦争が始まった。手始めに大学者を捉えて殺した。それを諫めた右大臣と左大臣を殺した。彼を恐れるものがいると、捕えて殺した。そして、人がまったく信じられなくなってしまった。


 「わしの心など、誰もわからないのだ」


 そこへ王宮に乗り込んできた男があった。彼を殺しに来たのだという。馬鹿な奴だ。こいつも捉えて殺してやろう。王はそう思って、最後に話をしようと男を面前に引っ張りさせせた。


 「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」


 どうせこの男の運命は決まっている。磔だ。ディオニスには、何故自分の命が狙われるのか、まるで分らなかった。余は潔白だ。デュオニスはそう思っている。一点の疑いもなくそう思っている。その彼の命を狙いに来た来奴は、大罪人に違いない。


 「市を暴君の手から救うのだ」と、男は悪びれずに言った。

 「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ、おまえには、わしの孤独がわからぬ」

 「言うな!」と、男が反駁してくる。それを聞くのはなかなか楽しかった。続けさせてから殺そう。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑っておられる」


 デュオニスは、苦しくなった。こやつには本当に余の心がわからないのだ。「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私欲のかたまりさ。信じては、ならん」王は、どこか冷笑的に息を吐いた。「わしだって、平和を望んでいるのだが」

 「何のための平和だ。自分の地位を守るためか」


 デュオニスはかっとなった。お前にそれがわしに言えるなら、何故わしの意見は無視されてきたのだ?


 「だまれ、下賤のもの」男の運命は決定した。「口ではどんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ」


 男はしゅんとなってしまった。王は哀れを催したが、人を信じれぬ以上に自分の我を通すことを覚えていた。


 「ああ、王は利口だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟でいるのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」男はためらい、つづけた。「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えてください。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ戻ってきます」

 「ばかな」王は何か大きな打撃を受けたように言った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか」

 「そうです。帰って来るのです」男の目は必死で、嘘を言っているようには見えなかった。デュオニスには、足元を支えている大地が崩れるような気がした。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許してください。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質として、ここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日間の日暮れまで、ここに帰ってこなかったら、あの友人を絞め殺してください。たのむ、そうして下さい」


 この話を聞いて、王は男を狡猾なうそつきだと決めこんだ。そんな古臭い騙しの手に誰が騙されるだろう。いや、ここはそれにわざと乗って、この詐欺師に目にもの見せてやるのも一興であろう。


 「願いを、聞いた。その身代わりを呼ぶがよい。三日目までには日没までに帰ってこい。おくれたら、その身代わりをきっと殺すぞ」

 デュオニスは、ここで残虐なところを働かせて、

 「ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠に許してやろうぞ」

 「なに、何をおっしゃる」

 「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ」


 石工のセリヌンティウスに話を聞けば、この男もメロスを疑い始めている。王はやがて信じる心を失った。その日の晩、王は暴食し、眠った。だが翌朝、セリヌンティウスの元を訪れると彼は決意した顔で、メロスの来るのを待っていた。「人は、わずかな間でこんなにも変わるのか。ならば長々と腐り続けてきたわしは、とっくに変わっておるべきではないのか。人は、だれしも変わるはずだ。その意思さえあれば」


 王の心境の変化に合わせて、デュオニス王の背後で観衆の大歓声が巻き起こった。

 メロスが、帰ってきたのだ。


【了】