何故、異世界人だけが魔法を使えるのか
ワシントンの国際会議は紛糾していた。会議では中国の国連大使と、インドの異世界人国家テラミス王国代表が互いに意見をぶつけ合い、各国代表がそれを疲れた表情で見守っているという構図で続けられたが、話し合いは平行線を辿り、いつまで経っても終わりそうになかった。
「だから我々は最初から言っていたのだ。異世界人はこの世界に紛れ込んだ外来種に過ぎず、駆除しなければいずれ大変なことになると。世界が違う我々と彼らとでは価値観が相容れることはあり得ない。今は表面上は協調しているように見えても、腹の中では何を考えているか分からない、いずれ手のひらを返して我々を排除しにかかると。現に、その通りになっているというのに何を躊躇する必要があるというのか。今こそ、地球人は一丸となって異世界の異物を排除すべく立ち上がるべきだ。でなければ、あなたがたの国もチベットの二の舞いになるぞ。これは決して他人事ではない。テロリストの目的は、あの声明からもはっきりしている。地球人の根絶なのだ! 自分の家に異物が勝手に住み着いて、武力を掲げて先住権を主張し我々に出てけと言いだすことが、どれほど恐ろしいことか、あなた方はまだわからないのか!?」
「まず聞き捨てならないのは全てのルナリアンを一緒くたに異物と断じることを中国は慎むべきだ。確かに貴国の言う通り、我々とあなたがた地球人は価値観が違う。まったく別の文化で育ってきたのだから当然だろう。だが、これが多様性というものではないか。あなたがた地球人一人ひとりの価値観が違うように、我々も全てがあのテロリストのように考えているわけではない。寧ろ我が国は良き隣人として振る舞うべく日々努力しているのだ。中国の発言はそんな我が国の国民感情を踏みにじる行為だ」
「それは欺瞞だ。貴国が本当にあのテロリストと違うと言うのであれば、寧ろ我々に同意してテロリストを撲滅すべく声を上げるべきではないか。それどころか貴国は逆に、我々を糾弾し、テロリストに同情を寄せる発言を繰り返している」
「何度も言っているが、そのような事実はない。だが、中国は殺しすぎたのだ。彼らが恨むのも当然だろう。我々を糾弾する前に、貴国はまず50年前のジェノサイドを正当化する行為を止めることから始めるべきだ」
「馬脚を現したな。その言葉が何よりの証拠だ。事実、あのテロリスト共はあんな山奥に籠もってどうやって物資を調達しているのか。インド・テラミス王国が支援しているのは明白である。テロ支援国家こそ口を慎むべきだ」
「訂正しなさい。我々は支援などはしていない」
「国境に駐留している軍隊はなんだ? 衛星から全部見えているんだぞ」
「有事に備えて軍を動かすのは国家の権利だ。国境を侵しているわけではないだろう」
「ならば外来種を駆除するのも国家の権利だろう。我々は地球の生態系を維持するために戦ったのであって、あの戦争は正義の戦争だったのだ」
「貴国らしい物言いだ。もしも本当に貴国に正義があるのなら、世界はもっと平和だったろうにな」
「なにおう!」
「なんだと!」
「静粛に! 二人とも静粛に!」
議長がカンカンと小槌を鳴らす。顔を真っ赤にした中国と、インド・テラミス王国の代表が歯ぎしりしながら席につく。と、そこへ忙しない素振りで男が駆け寄ってくる。
その男が議長に何やら耳打ちすると、みるみる内に議長の顔色が悪くなっていった。男のもたらした情報は、会議に出席している各国代表にもシェアされて、間もなく議場のあちこちからどよめきが起こった。
イギリス代表が深刻そうな表情で忙しなく議場を後にし、数人の男たちがその後を追っていく。人々が見守る中、議長はまた小槌を鳴らすと、
「静粛に! みなさん静粛に! 事情が変わりましたので、一時休会とさせていただきます。再会は追って連絡いたしますので、会場内にいらっしゃるように」
その瞬間、議場に各国の外交官がなだれ込んできて、自国の代表と情報交換を始めた。アメリカ、中国、2つの陣営に別れてヒソヒソ声が雑音のように聞こえてくる。
***
テロリストにチベットを占領された事件を受け招集された国際会議では、まず中国が各国に異世界人の危険性を訴え、これまで以上の規制強化を求めた。
彼らはテロリストを育てているのは西側諸国であると糾弾し、国際金融による異世界人資本の監視、異世界人のID制、更には今回のテロを支援した疑いがある異世界人に対する中国への移送を求めた。これらは、現在チベットで行われている侵略を止めるために必要な措置だと主張したが、しかしこの要求は人権意識の高い、特にキリスト教圏の国々に忌避的に捕らえられていた。
一方、異世界人の王国であるインド・テラミス王国は、それは中国による一方的な異世界人差別であると断固拒絶し、代案として国連による平和維持部隊の派遣を提案した。現在、チベットを占拠しているテロ集団は、第2世代の魔法使いであるが、それならテラミスの軍隊が出れば制圧は可能であると彼らは主張した。魔法使いには魔法使いをと言うわけだ。
しかし当たり前だが、この提案は中国が拒否した。先進的な国民国家である自分たちが、国内に他国の軍隊を入れるなど言語道断である。と言うか、テラミスはこれを機に、逆に異世界人による実効支配の強化を狙っているのではないかと反発した。
この物言いにテラミス代表は気分を害し、人が良かれと言ってやってるのに、その汚い口を閉じろと(もっと上品にではあるが)言いかえし、元々仲が悪かった両国の非難の応酬が始まって、各国はまたかと呆れながらそれを見守っていたところ、と、そんな時、思いがけないことに、イギリスで地下鉄テロが発生したとの情報が飛び込んできて、議会は騒然となった。
中国代表はそれを異世界人によるテロと決めつけ、「それ見たことか!」と勝ち誇ったように叫んだが、実際にはそのテロはフランスで起きたデモと同じく、異世界人労働者に仕事を奪われたと主張する自国の若者の犯行だったようである。
桜子さんはそんな重苦しい空気の中で、会場の隅っこに一人ぽつんと佇んでいた。国際会議に参加出来る異世界人国家は、今のところインド・テラミス王国と桜子さんの蓬莱国くらいのものだから、もっと積極的に発言に参加しなければならないのであるが、今回の議題が議題だけに、彼女は難しい立場に立たされていた。
同じルナリアンとはいえ、チベットを占拠した欧州革命派は言語道断であり、今回に限っては中国に正義があると思ってはいるが、かといって自分たちを制限するような法案に賛成するわけにはいかず、結局はだんまりを決め込むくらいしかすることがなかった。言いたいことは全部テラミス代表が言ってくれるというのもある。
そんなわけで、一人寂しく議場の隅に立っていると、その代表がふらりとやって来た。普段なら目立つ容姿の彼女は、人々に囲まれていることが多かったが、今回は各国が牽制しあって、誰も話しかけて来なかったから、逆に彼の方は話しかけやすかったのだろう。
「フィエーリカ、久しいな。いつも取り巻きの数では負けておったが、今日は引き分けのようだ。これで陛下にも顔が立つというものだ」
テラミス代表は皮肉そうな笑みを浮かべると、アストリア語で話しかけてきた。その瞬間、いくつかの国が慌てはじめた。会話内容に反応したというより、多分、翻訳が追いつかないからだろう。
テラミス国の代表の男は、国主シヴァ王の弟で名をスカンダと言い、2メートル50センチを超える青肌の巨人で、仕立ての良いスーツが筋骨隆々の胸板でパンパンに膨れていた。そんな巨漢と桜子さんが並んでいると、まるでアニメ映画の美女と野獣みたいに見えた。
「お久しぶりです。スカンダ殿下。3年ぶりでしょうか……と言っても、私たちの感覚ではついさっきみたいなものですが」
「まったくだ。50年前までは国交すら無かったのに、奇妙なものだな。見てくれはこんなに違うというのに、同郷というだけで今はとても親しみを感じる」
「その、同郷の者がやらかしたことで、今回は面倒なことになっているわけですが……」
桜子さんは中国とやりあっていた彼の腹の中を探るつもりで、遠回しに尋ねた。もしかしたら、中国の言う通り、テロリストと彼らは同郷のよしみで通じているかも知れないのだ。しかしそう思ったのだが、彼は曖昧な態度なんか取らずに、ストレートに吐き捨てた。
「まったく、とんでもない連中だ。今更、50年前の続きをして何になるというのだ。我々はもはや地球人と共に生きていくしかないというのに、一部の人間のせいでまたあらぬ誤解を受けることになると思うと遣る瀬無い」
「殿下は彼らを断罪すべきだと?」
「当たり前であろう。同郷だろうが人殺しに慈悲など必要ない。だから軍を貸してやろうかと聞いているのに……まったく、どいつもこいつも馬鹿ばかりだ」
代表は本気で腹を立てているようだった。もしもテロリストに味方するようなことを言い出したら、どうしようかと思っていたが、やはり国際会議に呼ばれるような国家だから、地球人に似た感覚を持ち合わせているようだ。桜子さんがそれを聞いてホッとしていると、
「時に、フィエーリカよ。最近、地球人の中にもマナを持つものが増えてきているという話を聞いておるか?」
「存じ上げております」
「そなたはこれをどう見る?」
「……どうと言いますと?」
「確か、マナを持つ地球人が初めて発見されたのは、そなたのいる日本だろう」
もしや代表は、魔法適正者が増えたことと、有理に何か関係があるのではないかと疑っているのだろうか。もしくは、彼がまたやらかして、今はゲームの世界に取り込まれていることを知っているのかも知れない。
そのことについては、ちゃんとしたことが分かるまで、あまり騒ぎ立てて欲しくないのだが……彼女がどう答えようか考えあぐねていると、代表は別にそんなことは気にも留めていなかったらしく、彼は周りに聞こえないように少しトーンを低くして、
「実はな? 我はこれは中国人どもの仕業ではないかと勘ぐっているのだが……」
「中国が……? 何故、そう思うのですか?」
「うむ」
彼女が困惑していると、彼は少し考えを整理するように間をおいてから、
「そら、マナのある地球人が急に増えだしたのは、チベットの事件があった直後であろう? 中国人どもは、我々の使う魔法の前に敗れた。すると今、中国人が最も求めているものは、その魔法に対抗する力に違いない。だから地球人たちが、急にマナを持ち始めたのではなかろうか」
「すみません。話が見えないのですが……つまり、どういうことです?」
「うむ……つまり、中国人たちは我々の魔法に対抗するために、自分たちの魔法を生み出そうとして何らかの実験を行ったのだ。その結果、マナ持ちが増えたと考えればタイミング的にも辻褄が合いそうだろう」
桜子さんは、あまりにも荒唐無稽な話に唖然とした。代表は自信があるようだが、いくらなんでもそんなことはあり得ないだろう。しかし、彼の話は案外馬鹿にしたものでもなく、彼女の盲点をつくものでもあった。
桜子さんは、M検適正者が急増したのは、有理が魔法を使った直後だったから、彼に何らかの原因があると思っていた。だが代表が言う通り、タイミング的に考えれば、それはチベットの事件の後でもあるのだ。
そして、いくら調べても有理からは何も出てこなかったことを考えれば、有理の魔法と適正者の急増は、実は関係していない可能性もある。もしくは、有理は世界初の適正者であるというだけで、全ては一連の出来事だったという可能性もあるだろう。
しかし、それはいくらなんでも発想が飛躍しすぎであろう。彼女は頭を振ると、
「それは考えすぎではありませんか。中国人が、そんなに都合よく魔法を生み出せるのなら、そもそも最初から負けてなどいませんよ」
「いや、負けたからこそ使えるようになったのだ」
「何故、そう頑なに思われるのですか?」
「逆に問うが、そなたは何故魔法が使えるのだ?」
桜子さんは返答に詰まった。何故と言われれば、そんなの生まれたときから使えるからとしか言いようがなかった。そうして彼女が答えられずにいると、代表はまるで子供に聞かせるように、
「我々が魔法を使えるのは、神の奇跡のおかげであろう。アストリアの子孫である我々に、神が力を与えてくださっているのだ」
「それは……ええ、そう言われていますが」
それがなにか? と首を捻っていると、代表は少し真剣な表情で
「我は常々思っていたのだ。この世界にも神がいるなら、何故、神は彼らに魔法を授けなかったのだろうか? それは科学の発達した彼らには必要のない力だったからではないか。しかし、こうして必要になったのなら話は別だろう」
「それは……元々、彼らに神などいなかったからではありませんか? いないから魔法が使えなかったと考えれば」
「我々には神がいて、彼らには神がいない。それは些か都合が良すぎるだろう。当然、彼らにも神がいると考えた方がいい。なんなら神は、世界の数だけ存在するのだ」
代表はほとんど思いつきで言っているだけだろう。だが桜子さんは、ここへ来る前に学校で会ったチベット僧の姿を思い出していた。テンジン11世の従者であるウダブは言った。
皇帝は異世界で神になったのだと。
馬鹿馬鹿しい……そんなことはあり得ない。彼女は首を振って、そんな考えをどこかに追いやろうとした。すると代表はそんな彼女の考えを見透かしているかのように、
「ところで聞いたぞ。なんでも、そなたは地球人も我々と同じ魔法が使えるようになれば、差別はなくなると思っているそうだな。だから、そなたのお気に入りの日本人に期待をしているのだと」
「ええ。そう信じておりますが……どこでお聞きになられたのです?」
「そなたは有名人だからな。それはともかく、我は逆だと思うぞ。地球人が魔法を使えるようになれば、ますます差別は助長されるだろう」
「……どうしてそう思うのですか?」
「先も言ったであろう。今中国人に必要なのは支援でも軍備でもない。魔法だ。魔法さえあれば、奴らはあのような狼藉者などすぐに排除してしまうだろう。そして、その後のことは言うまでもあるまい?」
「………………」
桜子さんは何か言い返そうとしたが、何の言葉も出てこなかった。
地球人が魔法を使えるようになったら、異世界人排斥に拍車が掛かる。確かに、その可能性はあるだろう。彼女だって最初は同じようなことを考えた。しかし、有理のパーソナリティからしてそれはあり得ないだろうと、寧ろ彼なら世の中を良い方向へ導いてくれるだろうと思ったから、いつしかそんなことは考えなくなっていた。
だが、それが有理以外の人間となれば話は別だ。それも不特定多数となったら、何が起こるかわかったものじゃない。もしも、自分たち異世界人の総数を超える地球人が、いきなり魔法を使えるようになったら何が起きるだろうか? 50年前の惨劇がまた繰り返される……だけならまだいい、もっと酷い混乱が起きるのではないか。
何故ならこの世界は、魔法に関する法律も、それを受け入れる準備も、まだ出来てすらいないのだ。だからそんなことはあってはならない。そう思ってはいるのだが、桜子さんは代表の懸念に対し、説得力のある反論は出来そうになかった。