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月の上から

 マナを逃がしたせいで、完全にテロリスト扱いにされてしまった有理は、教会の者たちに取り囲まれた。全員、抜刀して今にも飛びかかって来そうである。彼はそれでも望みを捨てずに、


「ちょっと待って、話せば分かる!」


 と、彼らを宥めようとしたが、


「神よ、我に力を与え給え。神聖なる炎によって焼き尽くせ!」


 問答無用で放たれる魔法を土壁を形成して遮断し、迫りくる刀剣と魔法の雨あられを必死に避けて、逃げ回りつつ釈明を続けるが、彼らは聞く耳を持っていなかった。振り下ろされる剣は、本気の殺意が乗っているのは明白だった。もしもここが狭い通路じゃなければ、やられていてもおかしくはなかった。


 その時、ピーッ! と、甲高い笛の音が響いて、侵入者を捕まえろという叫び声が通路に響き渡った。遠くの方からそれに呼応する怒号が聞こえて、バタバタといくつもの忙しない足音が続く。


 このまま、ここに留まっていてはジリ貧だ。マナが逃げる時間くらいは稼げただろうから、そろそろ自分もどうにかしなければ、捕まった後に何をされるかは大体想像がつくだろう。


 なにしろこの都市にたどり着くまで、数え切れないほどの処刑を見てきたのだ。この国の人間が、不審者を丁重に扱ってくれるはずがないのは分かりきっていた。


 有理は覚悟を決めると、敵を一網打尽にすべく詠唱を始めた。


「ヴェヌ リヴェロ ドヌ ヴィ エレクトロ ラス ファリ!」


 すると、どこからともなく大量の水が流れてきて、通路を一瞬にして水浸しにしたかと思えば、足を取られて膝をつく教団員たちの体に、狙いすましたように電撃が走った。彼らは断末魔の声を上げることも出来ずに、ビクビクと痙攣し白目を剥いて倒れる。


 電撃漁法を見て思いついた技だが、魔物以外に使うのは初めてだったが上手くいったようである。有理は打ち上げられた魚みたいにビクついている彼らを尻目に、南無阿弥陀仏と手を合わせながら駆け抜けると、壁に激突するような勢いで元の通路へと躍り出た。


 すると、その影に別の男が隠れていて、不意打ちを食らわせようとしてきたが、彼は逆にその不意打ちを不意打ちで返してやった。まるで達人のような手並みであったが、戦闘能力に劣る彼の取り柄は、探知スキルが豊富なことである。


 まさか目隠し殺法を食らうとは毛ほども思っていなかった相手は、その攻撃をもろに食らって崩れ落ち、そして彼の背後に佇む一人の女性が姿を現した。有理は咄嗟に彼女に向かって呼びかけた。


「桜子さん! あんた、桜子さんだろ!?」


 そこにいたのは神使アストリアと呼ばれていた、桜子さんにしか見えない女性だった。お付きの者たちをみんなやられてしまった彼女は、恐怖に満ちた目で有理の顔を凝視している。


 やはり、どう見ても桜子さんにしか見えなかったが、しかし、その瞳からは親しい者を見るような感じはまったく窺えない。


「さくら、こさん……? 一体、誰のことを何を言っているの……?」


 彼女は暴漢に襲われると思っているのだろうか、顔を真っ青にして額からは汗が滴り落ちている。ほっぺたは恐怖に引きつっていて、これ以上近づいたら悲鳴を上げて失神してしまいそうだった。


 有理は戸惑った。本当に、桜子さんじゃないのだろうか……?


 そりゃそうだ。冷静になれば、ここはゲームの中の未実装エリアだ。それに張偉の話では、桜子さんは今アメリカに行ってて留守のはずである。そんな彼女が、こんな場所にいるわけがない。これはきっとAIが作り出したNPCだ。それが彼女に似ているのは、生成する時、たまたま桜子さんの写真か何かを参照してしまったからだろう。でも、そんなことがあり得るんだろうか?


 正直、分からなかったが、とはいえこれ以上ここに留まっているわけにもいかないだろう。周辺は相変わらずバタバタしていて、警備の者たちが向かってくる気配がずっとしている。そろそろ時間切れだ。自分も早く逃げなければ……そう思って、踵を返そうとした時だった。


『実はね……桜子さんのあの名前。私がつけたんですよ』


 有理は不意に、いつかの教授の言葉を思い出した。


 異世界人の桜子さんは、本当はそんな名前じゃない。二人が仲良くなるにつれて、呼びにくかったから、彼女の本名を文字って付けたあだ名だった。でもそのあだ名の元ネタも、実は彼女のファーストネームじゃなくって、たしか彼女の本当の名前は……


「……フィエーリカ」


 そう呟いた瞬間だった。


 ズン……とした衝撃が腰のあたりに走って、肺の中に残っていた空気が勝手に全部出ていくような苦しさを覚えた。全身の力が抜けて、膝がガクンと折れそうになるのをなんとか堪えると激痛が走った。


「神使様……お逃げください……」


 振り返ると、有理の腰に剣が突き刺さっていた。倒したと思ったお付きの男が目を覚まして、力を振り絞って暴漢から主人を守ろうと飛びかかってきたのだ。


「イル アクウォ エレクトロ」


 有理が目眩を覚えながら呪文を唱えると、男はその一撃で今度こそ倒れて動かなくなった。


 男の体重の分だけ軽くなったが、腰には相変わらず深々と剣が突き刺さっていた。ここがゲームの中だから生きていられるが、現実だったら即死じゃないかと思いつつ、必死になって剣を引き抜くと、ありえないくらい血が滴り落ちて気が遠くなった。


 有理は激痛を堪えつつ、ポーションを取り出すと、吐きそうになりながらそれを飲み干した。それで痛みは遠のいたが、出ていってしまった血液までは取り戻せない感じだった。フラフラとする体を支えるように壁に手をついて立ち上がったら、ドサッと音がして、振り返れば神使様とやらが床で腰を抜かしていた。


 彼女は目をひん剥いて、恐怖に怯えた表情で、有理のことを指差している。その指先は、たった今自分が引き抜いた剣を指していた。どうやら彼女は有理に殺されると思っているようだ。もちろん、そんなつもりはないので、彼は慌てて剣を放り投げると、今度こそこんな場所からオサラバしようと背を向けた。


 幸いと言っていいかどうか分からないが、入ってきてすぐに彼らと鉢合わせしたから、入口は目と鼻の先だった。足元が覚束なくて、壁に手をついていないと歩けなかったが、どうにか外へは逃げれそうだった。


「いたぞ! 捕まえろ!!」


 出入り口に繋がるあの暗くて狭い通路を進んでいると、背後から声が聞こえてきた。有理は振り返ることなく土壁を作る語魔法を唱えると、追手の怒号を背に息を切らしながら出口を目指した。


 外に出て、群衆の中に紛れ込んでしまえば、もう彼らも追ってはこれないだろう。宿屋に帰ればポーションがある。その後のことは、またその時に考えれば良い。まずは落ち着ける場所を見つけなければ。あとちょっとだ。あそこまで行けば逃げられる。


 そして這々の体で外に出た彼は、そこに広がっていた光景に絶望した。


 入るときには誰もいなかったはずの舞台裏に、何故かおびただしい数の教会職員が整列して、たった今有理が出てきた出入り口を見つめていた。彼らはそこから出てきた不審な男を見て目をパチクリさせている。どうやら彼らは、神使を迎えるべく待機していた者たちのようである。中には有理の衣服に血が付着していることに気づいて警戒を呼びかける者もいた。


「その男を取り押さえろ!!」


 土壁を叩き壊した連中が背後に迫る。やばい……そうは思ってもどうすれば良いか分からず、有理はナイフを取り出すと、目の前の行列へと突っ込んでいった。


 突然、ナイフを振りかざして突っ込んできた男に驚いて人垣は割れたが、中には勇敢なものも居て、剣を抜いてはこの不審な男に躍りかかってくる。有理は必死になって攻撃を躱そうとするも、多勢に無勢であっという間に追い込まれていった。


 体中に無数の刃が突き刺さり、激痛で脳みそが悲鳴を上げている。めちゃくちゃに魔法を唱えるが、どれが有効かは殆どわからなかった。血が抜けすぎたせいか視界がぼんやりとしてきて、周囲をよく見渡せない。無数の手が纏わりついてくる。人が居ない方へ居ない方へと逃げ続けていたら、自然とステージへと続く上り階段へとたどり着いた。この上に出たところで逃げ切れるわけがない。だが、他に行くあてもなく、流れるままに彼は群衆の待つステージの上へと飛び出した。


 その瞬間、ゴオオオオオオオオオオ……っと、突風のような大歓声が体を圧迫してきた。きっと群衆は神使アストリアが出てくるのを期待していたのだろう、ものすごい声量に有理は体ごと押し返されそうになった。その一瞬の静止のあいだに追手が追い縋り、彼は揉みくちゃにされてステージの上に引きずり倒された。


 突然の闖入者に群衆たちからどよめきが起こる。教会職員から、それが塔内に侵入した不審者だと告げられると、今度は一瞬にして怒号が広場を埋め尽くした。この不届き者は、なんと神使アストリアを狙ってきたのだ。そう伝わると、民衆の怒号は更にヒステリックに跳ね上がった。


 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺殺せせせ殺せ殺せ殺せ殺殺殺せせ殺せ!!!


 大合唱が始まり、あまりの騒音に誰の声も溶けていった。職員たちが静まるように命令するが、誰の耳にも届いていない。それはこの都市に来るまでに、何度も見た光景だった。この世界の人々は娯楽に飢えている。だからどの町でも処刑は最高のエンターテインメントだった!


 もはや何を言っても静まらないだろう。このまま彼を処刑しなければ、群衆が黙っちゃいない。なんなら今すぐステージの上に殺到してきそうな勢いである。職員たちが頷きあうと、すぐに処刑者を晒す台が運ばれてきた。


 有理はその上に、乱暴に仰向けに乗せられた。こうした方が自分を殺す斧が見やすいからだ。体はガッチリと縛り付けられて身動きが取れなかった。仮に出来ても、もはや抵抗する気は起きなかった。


(どうやら俺は処刑されるらしいぞ……)


 いつもの彼だったら、とっくに泣き叫んでいそうなシチュエーションだったが、思った以上に動揺はなかった。彼はフラットな感情のまま、ただぼんやりと空を見上げていた。というのも、そもそも、ここはゲームの中なのだ。焦ったところでどうしようもない。なんなら、死んだらどうなるかはまだ試してなかったから、いっそ今ここで試したらどうかとすら思っていた。


 見上げれば、塔の真上には月が浮かんでいる。


 今日もその表面には、奇妙な渦巻き模様が見える。


 巨大な斧を抱えたステファンがやって来て、申し訳無さそうな顔をしていた。どうやら有理と知り合いなのがバレて、おまえがやれと命令されたようだ。長い旅を共にした仲間に殺されるなんて、なかなかドラマチックではないか。そんな顔しないで、一思いにやってくれよと、彼はニヤリと笑ってみせた。


 一緒に旅した仲間といえば、そういえばマナはどうなっただろうか? 彼女のことだから簡単に捕まることはないだろうが、首尾よく現実世界に帰れなければ、袋小路に追い詰められたようなものである。迂闊だったか。あの時、彼女を逃がすのではなく、一緒に戦った方が良かったかも知れない。その結果、一緒に処刑台に乗せられたとしても。


 ステファンが斧を振り上げる。群衆の気が狂ったような歓声がピークに達する。教会職員がなにか言っているが何も聞こえない。流石に今から殺されるとなると、周囲を見渡すような余裕もなく、斧の先端部分ばかりを、いつ振り下ろされるのかと見ていた。


 そして、その斧の先端が塔と重なった……


 その瞬間に、有理は奇妙な感覚を覚えた。


 塔の先には相変わらず月が輝いている。太陽に照らされて、昼間でも白く光っている。でも……


 いつからだ?


 いつから、あの月はあそこにある?


 思い返せば、この世界に来たときから、ずっと月は塔の真上で輝いていた。


 あの最初の町の河原で見上げた時も。外縁の山腹で振り返った時も。中央都市の宿屋のパティオで、夜風に吹かれている時も。ずっと月は、塔の真上にあった。


 いくら思い返しても、他の場所にあった記憶がない。東から太陽を追いかけて昇ることもなければ、西の空に沈むこともない。いつだってあの場所にあった。


 そんなの普通に考えればあり得ない。


 あり得ないが……可能性はある!


 ここがゲームの中だから? そうじゃない。


 月はいつも同じ面を地球に向けている。なら、月から見れば、地球はいつも同じ場所にあるはずだ。この森の国は高い山脈に囲まれた盆地にある。まるでクレーターみたいな……そして地球から見て真正面にあるクレーターの名前は確かプトレマイオスと……ヒッパルコス?


『俺たちが住んでいるこの国は、中央にそびえ立つアストリアの塔を中心に広がる森の国、ヒパルコっていうんだ』


 じゃあ、今目の前に浮かんでいるあの月は、実は地球だったのか?


 だったら、あの渦巻きは、なんなんだ?


 キラリと刃先が閃いて、巨大な斧が振り下ろされた。さすが処刑人。狂いのない軌道で一直線に落ちてくる。それはあっという間に有理の喉に食い込み、痛みを感じる間もなく、彼の首は一刀両断された。


 その瞬間、くるりと世界が回転して、一回二回と回ってから、とんと地面に落っこちた。


 地べたから見上げた台の上に胴体があって、血が噴水みたいに湧き出していた。


 ありゃ、死んじゃったのかと思ったが、意識はまだ残っていた。ここがゲームの中だからか、それとも案外こんなものなのか。


 ぼんやり自分の死体を眺めていたら、と、その時、不意に誰かが駆け寄ってきて、彼の頭を抱え上げた。


 自分で動かすことが出来ないから、走馬灯みたいに世界が回る。そしてピタリと止まったと思えば、そこに桜子さんの顔があった。彼女は真っ青な顔で何かを必死に叫んでいる。叫びすぎて、血が吹き出るくらいに叫んでいる。でもその声は聞こえない。何をそんなに焦っているんだと思っていると、そういえば彼女は桜子さんではなく、アストリアだったと思い出し……


 アストリア……


 人々はアストリアに導かれ、地上へと降り立った。故に彼らは自分たちのことを、ルナリアンと呼んだ。アストリアには恋人がいて、怒り狂った父王は彼のことを殺してしまった。アストリアが駆けつけたとき、彼は首を落とされ絶命していた。彼女は迷いなく彼の首に駆け寄ってヒール魔法を唱える。そして彼は助かったのだが……


 俺の胴体は、どうなった……?


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

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