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現実とのズレ

 中央都市の冒険者ギルドで、ログアウトに関する新たな証言を得た二人は、最初の町で発生するというクエストを受けるために、ダメ元で来た道を戻り始めた。


 正直、かなり時間が掛かるだろうと覚悟をしていたが、一ヶ月も掛かったあの行程も、冒険者の二人が寄り道をせずにまっすぐ進めば、思った以上に早くて、1週間もかからずに戻って来ることが出来た。この一月で森歩きに慣れていたというのもあるが、帰りはもっと時間を節約できるだろう。


 因みに、どうしてもう帰りのことまで言及しているのかと言えば、いや、言わなくても大体のところは分かるだろうか。期待して戻ってきた最初の町でも、言われていたようなイベントは何も起きず、なんなら最初のスポーン地点まで戻ってもみたが、結果は芳しくなかったのだ。どうやら、あの情報はガセだったようである。


「しくじったな……生成AIが嘘を付くこともあるってのは、分かっていたはずなのに。疑いもせずに、こんなとこまで戻ってきちまうなんて……馬鹿じゃないのか」

「でも、実際に確かめるしか方法は無かったんだから仕方ないじゃない。それより、これからどうするかを考えましょう」

「ああ、分かってる……でもやれることって言っても、他に何があるんだろうか。やっぱり、あの塔の上を目指すしかないのかな」


 しかし、この世界の人々は、あの塔の上には神が住んでいて、教会がそれを管理していると信じ切っている。入口は厳重に警備されており、無理矢理中に入ろうものならすぐに取っ捕まって何をされるかわからない。刑吏たちと過ごした一ヶ月で、どれだけ多くの血が流れるのを目の当たりにしてきただろうか……いや、罪人は光になるから、血は一滴も流れないのであるが……


 二人が肩を落として話し合っている時だった。突然、どこからともなく、ポーンという金属的な音が響いてきて、驚いていると操作していないのに勝手にメニュー画面が開き、続いて機械的なアナウンスが聞こえてきた。


『システム:張偉がログインしました』


 あまりにも唐突すぎて理解が及ばず、しばらくの間二人はその場で固まってしまっていたが、その意味が脳に染み渡るように分かってくると、


「う、うおおおおーーっ!! 来たっ! 来たっ! 張くんキターー!!」

「おおお、落ち着きなさいよ! まずは合流しなきゃ!!」


 しかし、移動する必要はなかった。二人が初期地点で右往左往していると、間もなくその森の広場に光の礫が集まってきて、人間の形を作り始めた。それは徐々に色がついてきて、やがてそこに懐かしのデフォルトのおっさんが現れた。


 二人が上へ下への大騒ぎを演じている前で、おっさんは暫く自分の体を確かめるようにキョロキョロとしてから、やがて二人を認識したかのように顔を上げて、


「……物部さん! 生徒会長! 二人とも無事だったのか!?」

「張くん……マジで張くんなのか? ホントに本物?」


 有理はついさっきまでガセネタに糠喜びさせられていた経験を踏まえて、目の前のおっさんが、実はシステムが用意した偽物ではないかとも疑ったが、張偉はそんな有理の疑念を吹き飛ばすかのように力強く断言した。


「ああ、俺で間違いない。二人をロストしたあの日以来、何度もゲームに繋いで探し回ってたんだが、ようやく見つけた。もう駄目かと思っていたんだが、本当に良かった。それより、あれから3日も経ってしまったが、二人とも体の方は何ともないのか?」

「……3日だって?」

「現実の二人の体はまだ無事だが、流石に衰弱し始めている。そろそろ元に戻らないと、まずいことになるかも知れないんだ」


 張偉は深刻そうな目つきでそう言っている。しかし、二人はこの世界ですでに1ヶ月以上の時を過ごしており、しばらく彼が言ってることが飲み込めなかった。


***


 再会の興奮も束の間、互いの認識がどこかズレていることに気がついた三人は、まずは質問は無しで、これまでにあった出来事について話すことにした。


 張偉の話によれば、電源を切って連絡が取れなくなったあの日から、現実世界ではどうもまだ3日しか経過していないようだった。その間、張偉や桜子さんはもちろん、研究者や政府関係者までもが協力して、どうにかして二人の意識を取り戻そうと力を尽くしてくれていたようだが、何をやっても二人の意識は回復せず、今や手詰まり状態のようだった。こうなると彼らにやれることは延命くらいで、いま二人の体は生命維持装置に繋がれているそうである。


 一方、研究者のようにはいかない張偉は、時間の許す限り研究室に来ては、ゲームを起動してどこかに二人の痕跡がないかと虱潰しに探していた。しかし、この3日間は何をやっても見つからなかったのだが、さっきログアウトして休憩していたら、突然、モニターの中でウィンドウが勝手に開いて、二人の姿が見えたものだから、慌ててログインしてきたそうである。


 なんで急に現実世界と繋がったのかは分からなかったが、交代で有理たちが今日までにあった出来事を話していると、彼は何か思いついたように腕組みをしながら、


「ゲームでは1ヶ月以上が経過していただって?」

「ああ、俺達の体感ではそうとしか思えなかった。まさかこっちでは3日しか経ってないなんて、拍子抜けしちゃったよ」

「そして中央都市に行ってから、最初の町に帰ってきたら、こっちの世界と繋がったってわけか……もしかしたら分かったかも知れない」


 有理たちが張偉のそんな言葉に驚いていると、彼は続けて、


「物部さんたちがこの一ヶ月、旅をしてきた場所はみんな未実装エリアなんだ。このゲームはまだα版で、開発中のマップは初期地点の周辺と、いくつかのランドマークのあるマップくらいしかない。森の外側、魔物が生まれる外縁なんてものは存在しないし、あそこに見える軌道エレベーターはテクスチャだけで、そもそも中央都市なんて町自体が存在しない。それを牛耳ってる、教会なんて勢力もいなければ、そもそも、このゲームはアストリアの塔を取り巻く5つの国の物語なんだから、塔は森の真ん中にあるんじゃない。あるなら森の国の端っこでなければおかしいんだ」

「つまり、俺達が外と連絡が取れなかったのは、行っちゃいけない場所にいたからってこと?」

「その可能性が高い。マップが存在しない場所に居られては、ゲームは二人の姿を表示出来ないからな。道理で、モニター画面がフリーズするはずだ」

「なんてこった……こっちはどうにかして元の世界に戻りたくてそうしていたのに、逆効果だったのか」


 有理ががっくりと頭を垂れると、張偉は首を振って、


「いや、そうとも言い切れない。そうして二人が未実装エリアにいたお陰で、現実ではあまり時間が経過しなくて済んでいた可能性がある。話を聞く限り、どうやら未実装エリアと実装エリアでは、時間の進み方が違うみたいだからな」

「そうか……最初、張くんが再ログインしてくるまでに4日も掛かったのも、俺達が隣町なんて未実装エリアに行っていたせいだったのかな」

「そこで気づいていれば良かったが、あの時は情報が少なすぎたからな」


 おまけに、戻れないまま体感で数日が経過してしまい、切羽詰まっていたこともあった。今考えれば、あの時は冷静じゃなかったのは一目瞭然なのだが、当時はどうしようもなかったのだ。有理が臍を噛んでいると、張偉が背中を叩いて、


「今更そんなことを言っても仕方ないだろう。それより、これからどうするか考えた方がいい」

「それもそうだな……ところで、そういや桜子さんはどうしてるの? 彼女にも聞きたいことがあったんだけど」

「桜子さんなら昨日、国際会議に出席するために渡米してしまって、今はワシントンに到着した頃だろうか。宿院さんに頼めば、電話してくれるかも知れないが。どうする?」

「そっか。いや、聞きたいことってのは、桜子さんの実家のことだったんだけど……ほら、あそこに軌道エレベーターが見えてるだろう?」


 有理は中央都市にあるアストリアの塔の指さしながら、


「あれだけあからさまな建造物だし、あの上に行けば元の世界に帰れるヒントがあるんじゃないかって、ずっとそのつもりで旅をしてきたんだよ。けど、実際に都市に到着してみたら、教会が邪魔をしていて近づけなかったんだ。それで今は手詰まり状態なんだけど……ところで、確かこのゲームの開発会社は、この世界を未来の地球のつもりで制作していたんだよね? だったら、もしかして現実の軌道エレベーターと、あの塔は同じ作りになっていて、どこかに抜け道があったりしないかと思ってさ」

「なるほど。確かめる価値があるかも知れないな」

「それはどうかしら。私はそんなものは無いと思うわよ」


 張偉は有理の話に賛同したが、それを聞いていたマナは横槍を入れるように、


「前も言ったと思うけど、あの塔は現実の物よりずっと規模が小さいのよ。というか断言するけど、はっきり別物だから、あんたの言うような抜け道なんてないと思うわ」

「そうか……現地人が言うなら間違いないよな」


 有理が肩を落として落胆していると、張偉がフォローするように、


「だが、塔の上を目指すのは本当に意味があるかも知れないから、続けたほうがいいと思う」

「他にやれることもないしね……実は今度、中央都市で降臨祭っていうイベントがあるらしくて、その時なら、隙をついて潜り込めるんじゃないかって期待してるんだけど」

「降臨祭?」

「うん。なんでも塔の上に住んでる神使アストリアが、年に一度下りてくる日なんだそうだ。いかにも何かありそうだろ? 他の冒険者に教えてもらったんだけど……そうだ! その時にその人から、ハウジング機能があれば、そのマップからログアウト出来るかも知れないって言われたんだ」

「ハウジング? それって持ち家制度とかそういうやつだろうか?」

「そう。最初の町で貰えるって言われて戻ってきたんだけど、何も起きなくてがっかりしてたら、張くんがログインしてきたんだよ。ところで開発会社の方は、このゲームにそんな機能を搭載する予定はあったのかな?」

「いや、まったく聞いてないが……そうか、その手があったか」


 張偉は少し興奮気味に、


「ハウジング機能みたいなユーザーごとの固有マップは、基本的にゲームと切り離されたインスタンス空間だから、そこでなら何をやっても本編に支障を来すことはない。だから、ソフトリセットのような機能を後づけすることも出来るかも知れない」

「本当に!?」

「絶対とは言えないが、試してみる価値はあると思う。今すぐ開発会社に連絡して、ハウジング機能を搭載できないか聞いてみよう。というか、無理矢理にでも作ってくれるように頼んでみる。向こうも既にこちらの事情を知っているから、きっと協力してくれるはずだ」


 期待して戻ってきたのにイベントが始まらなかったので、ガセを掴まされたとがっかりしていたが、まさかこうして現実世界の方から対応してくれるとは、なんという怪我の功名だろうか。


 というか、もしもここで有理が言い出さなければ、このゲームにハウジング機能が追加されたかどうかは分からなかったわけだから、そう考えればあの冒険者たちは、このことを予見していたようにも思える。それは考えすぎだとしても、元はただの生成AIの創作でしかないのだと思うと、なんとも奇妙な感じがした。


 ともあれ、これで当面の方針は決まった。現実世界で開発会社がハウジング機能を制作している間、有理たちは中央都市に戻って降臨祭に備える。未実装エリアは外からモニター出来ないのがデメリットであるが、変わりに時間経過がなくて済むから、探索を続けるならこっちにいたほうが都合がいい。


 そんなわけで、また降臨祭が終わったらここで落ち合うことを約束し、二人は一旦、張偉と別れて中央都市へと戻ることにした。


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