そして刑務所へ……
見上げると首が直角になるくらい高い壁が眼前に立ちはだかっていた。
「刑務所か」
自衛隊カラーの装甲車から降りてきた物部有理は、開口一番そう呟いた。
彼はあんぐりと口を開けながら、何メートルあるかも知れない高いコンクリート壁を見上げていた。数キロ前から、やけに車窓が殺風景だと思っていたが、どうやらここら一帯全てがこの高い壁によって囲まれているらしい。
国防に関わる施設らしいからセキュリティ意識が高いのは分かるが、これじゃ外からの侵入者を防ぐのが目的なのか、それとも中の者を絶対に逃さないためなのか、どっちがどっちか分からなくなる。多分その両方なのだろう。
もしかして、ここに入ったら最後、もう二度と出られないんじゃなかろうか。しまった、脱走するならもっと早く決行すべきだった。
バレないようジリジリと後退りしていると、鈴のような声が聞こえてきて、
「物部さん、どうぞこちらです。ついてきてください」
「あ、はい」
有理はまるでそうするのが当たり前のように即答すると、声の主に誘われるまま壁の中へと吸い込まれていった。
魔法学校の関係者という女性が迎えに来たのは、ネットで偽造パスポートの入手方法を調べている最中だった。
両親に裏切られ、無関心な兄に見捨てられ、唯一の味方と思っていたお祖父ちゃんにも「長い人生いろいろあるさ」と突き放され、進退窮まった彼はかくなる上は高跳びしか無いと当初の目的を見失っていたところ、まるでその行動を見ていたかのようなタイミングで防衛省の方から迎えがやって来た。
入学を断固拒否するつもりであった彼は自室に立てこもったが、するとその女性がドアの前に立ち、
「でもご飯はどうするんですかあ~?」
と言われたら、確かにその通りだなと思い、自分は一体何をやってるんだろうと急に馬鹿らしくなってきて、部屋から出ると彼女に促されるままに装甲車に乗り込んだ。
さっきまで嫌な気分だったのに、どうしてこんなに何もかもスッキリしているんだろうか。なんか変だなと思いつつも、付き添いの彼女がとても優しかったので、話しているうちに落ち着いてきてしまい、考えてもみれば国が係わっている以上、拒否したところで東大に戻れるわけでもないし、彼女の言う通り高卒のまま人生を棒に振るくらいなら、今は素直に従っておいた方が身のためなじゃないかと思えてきて、それにしても制服女子は3割増で綺麗に見えると言うがあれだな、それが軍服だとすごくいいな。なんなら彼女の場合は5割増、いや10割増に良いんじゃないかなとか思いながら、デレッデレっと車内で会話を続けているうちに、いつの間にか目的地に到着していた。
見渡す限りどこまでも続いているコンクリートの壁を見ていたら、本当に自分は東大を蹴ってまでこんなところに通うつもりなのだろうかと、段々正気に戻ってきたが、今更どこへ逃げればいいのか思いつきもしなかったから、仕方なく彼女の後に従った。ところで、従ってるとなんだかいい気分になってくるのだが、あれ……? やっぱりちょっとおかしいのだろうか? なんだか頭がモヤモヤする。
刑務所の通用口みたいな鉄扉をくぐると、一転して中には開放感溢れる広大な敷地が広がっていた。
アスファルトの道路が一直線に続いているその先には、15階建てくらいのビルが建っていて、その両翼を担うかのように、3階建ての横長の建物複数が取り囲んでいる。芝生の緑が映える前庭の中央には噴水の広場があって、学校の講堂らしき時計塔の隣にはバスケコートが見える。土手を少し下がった先には高いネットが張られ、その向こう側に陸上のトラックと野球のダイヤモンドが見えた。どうやら運動場らしい。するとそこに併設されている長方形の建物は体育館だろうか。それだけでも並の高校の敷地くらいはありそうだった。
これだけ広大な土地を確保するとなると都内はありえないだろう。そう言えば、ここはどこなんだろうか? 車内では会話に夢中で、どこをどう走ってきたのか記憶すらない。自分の半生を思い返してみても、ここまで女性に入れあげたことなんてなかったのに、流石におかしいんじゃないかと思った彼は、
「あの、俺どうしてもこの学校に通わなきゃいけないんすかね」
と、最後の最後になって拒否しようとしたが、
「おおっ! お前が物部か!! よく来たよく来た、話は聞いてるぞ、がっはっは!!」
と、いきなり出てきた超絶マッチョに背中をバンバン叩かれ、一瞬にして挫けてしまった。
マッチョはまるで十年来の友のように有理の肩に腕を回すと、顔を締め上げるようにグイグイと抱き寄せ、息が苦しいとタップする彼を無視して、べらべら一方的に話しかけてきた。
「俺はこの学校の教員を務めている鈴木だ! 授業では主に体育など実技に関わるものを担当してるぞ。わからないことがあったら何でも聞いてくれよな!」
教員だというその男は、身長2メートル以上はありそうな巨漢で、ビルダーみたいな筋肉の持ち主であった。そういう筋肉は見せるためだけで役には立たないとよく言われるが、この男に限ってはそんなことはないように思えた。たった今締め付けられているので間違いない。
必死にタップし続けてやっと解放してもらえた有理は、ヒグマさえも押し返しそうな圧力を備えた笑顔とピクピク痙攣する筋肉を見せつけられて、完全に抵抗する気力を失い、借りてきた猫みたいに「はあ」とだけ返事をかえした。
「それでは私はこれで。鈴木教官、後はよろしくお願いします」
「はっ! 三尉殿もご苦労さまであります!」
有理がマッチョに気圧されていると、彼をここまでつれてきた女性は自衛官らしく敬礼をしてから去っていった。三尉というのは名前じゃなくて階級のことだろうか。そういえば道中ずっと話をしていたくせに、彼女の名前すら聞いてなかった。それなのに嫌な感じは全くせず、好印象しか残ってないのが薄気味悪かった。なんだか狐に化かされでもしたような気分であるが、まあいい、どうせもう二度と会うこともあるまいと自分を納得させて忘れることにする。
そんな彼女の後ろ姿を見送っていると、マッチョの鈴木がボストンバッグを抱えて、ほら行くぞと歩き出した。見覚えのあるそのバッグは有理の旅行用のカバンだったが、自分で持ってきた記憶がない。多分、セツ子が当面の着替えなどを詰めて車に放り込んでいたのだろう。帰ったら覚えてろよと歯ぎしりしながら彼の後を追う……
帰れるんだよな?