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魔物の生まれる場所

 刑吏たちとハイタッチしながら魔物討伐の余韻に浸っていると、関所の門が開いて警備兵が出てきて、有理たちを中へと導いた。関所は要塞になっており、狭い廊下のあちこちから警備兵たちの笑顔が覗いていた。たった今出来たばかりの戦友たちと挨拶を交わしながら要塞の奥まで歩いていくと、部屋の中に居た指揮官から謝辞を受けた。


「助力を感謝する。君たちが来てくれて非常に助かった」


 指揮官は刑吏たち一人ひとりと握手を交わしたあと、有理たちを見て少し首を傾げていたが、冒険者であることを告げるとすぐに納得したみたいで、


「なるほど、あの強さは冒険者だったからか。ギルドに依頼は出したが、まさかこんなにすぐ来てくれるとは思わなかった。ありがとう。君たちは救世主だ」


 指揮官は自分の娘くらいの年頃のマナにも丁寧に頭を下げている。どうやら、ギルドに依頼したのは彼だったらしい。こんな山奥からどうやって依頼を出したのかは気になったが、この世界の人にとって冒険者……というか異世界人は居て当たり前の存在のようである。


 有理は握手を求めてきた指揮官の手を握り返しながら、


「いいえ、気にしないでください。ギルドの依頼料だけで十分です。ところで、ここへは国境の外を見るついでに立ち寄ったんですが、ここから山頂に出るには、どう行けばいいでしょうか?」

「なに……? 君たちは森の外を見たいのか。それは禁止されている行為だから、本当ならここで止めなければいけないのだが……」

「え!? 行っちゃ駄目だったんですか?」


 まさかダメ出しを食らうとは思わず、言わなきゃよかったと慌てていると、指揮官は少々考える素振りを見せてから、茶目っ気たっぷりに片目を閉じて、


「しかし、君たちには世話になったし、勝手に行かれても困るからな。案内をつけるから、彼の指示に従うというのであれば許可しよう。特別にだぞ?」


 そんな面倒見のいい指揮官のお陰で、どうにか行かせてもらえることになった。事前に好感度を上げておいて助かったが、これからは口に気をつけよう。


 すぐに案内の兵士がやってきて、指揮官に有理たちを連れて行くように指示されていた。彼は山頂へはよく偵察のために往復しているらしいが、腕がたつ冒険者が一緒なら有り難いと感謝された。


 ただ、隠密行動で目立つから人数は絞ってくれと言われ、結局、有理とマナとステファンの三人だけで行くことになった。ロザリンドもついて来たがったが、場所が場所だけに、足手まといはついてくるなと兄に言われて不貞腐れていた。まあ本音は、疲れているだろうから、妹にはゆっくり休んでもらいたいのだろう。


 戦闘で傷ついた関所の補修をしている兵士たちに見送られながら、山道に入る。


 関所を越えた先の道は雨水や落石などで自然と出来たデコボコした砂利道で、足元が不安定で今まで以上に歩きにくかったが、こんな場所に人が来ることなんて滅多にないのだから、道があるだけ有り難かった。


 それは魔物も同じようで、山道を登っているとあちらこちらに巨大な何かの引っかき傷や、異様な力で空けられたような陥没穴などが見つかり、ここが魔物の通り道だという事実を嫌でも実感させられた。


 周囲に生物がいる気配はないのだが、それでも大声を立てる気にはなれないくらい、山道は静寂に包まれ、不気味な雰囲気が漂っている。


 山の天気は変わりやすいと言うが、暫く進むと煙のような霧が立ち込めてきて、あっという間に白い世界に閉じ込められてしまった。視界は数メートル先すら見えなくなってしまい、地面の砂利道と風の気配と、案内人の感覚だけが頼りとなった。こうなると、いつ魔物と遭遇してもおかしくないから、今まで以上に静かに進もうと言われ、黙って頷く。


 本当は探知魔法があるから、近づいてくる魔物がいれば分かるのであるが、万が一のことを考えると、正直今は自分の魔法よりも、経験豊富な案内人のほうが信じられる気がしてならなかった。


 4人縦になって黙々と山道を登り続けること1時間ほどすると、突然霧が晴れて、嘘みたいに視界良好となった。山の上は空気が澄んでいるというか、薄いせいか日差しがきつく感じられて、マナはしきりに日焼けを気にしていた。あらゆる物の輪郭が強調され、色がやけに濃く見える。


 というか、このゲームを始めてからずっと森に囲まれていたから、こんなに視界が開けているのは初めてだった。この高さまで来れば、ステファンが言っていた通り、この国が山脈に囲まれた盆地であるということが良くわかった。地平線が丸くなった向こう側には、青々とした山脈がパノラマのように広がっており、それらにぐるりと囲まれた中央部には、巨大な塔が立つ大きな都市が見えた。あそこがステファンたちが目指している、教会がある中央都市だろうか。


 塔のてっぺんは遥か彼方すぎてまったく見えなかったが、その先には今真っ白い月が浮かんでおり、山の空気のお陰か細部までくっきりとよく見えた。今まで意識していなかったが、それは本物の月とは違ってうさぎが餅つきするような影は無く、クレーターの変わりに木星や土星みたいな渦が見えた。テクスチャの貼り忘れだろうか?


 あまり空を見上げているとギラギラとした日差しに目が焼かれそうである。太陽から目を逸らして山頂の方角を振り返れば、2つの峰の間にある鞍部に小さな小屋が建っているのが見えた。どうやらそこが今日の宿泊地らしい。あとどのくらい掛かるか分からないが、ゴールが見えたお陰で、心なしか足取りも軽くなった。


 ようやく目的地についた頃には、西の空に日が傾きかけていた。小屋は尾根より数十メートル下にあり、まだ山の向こう側は見えなかった。早くその先が見たいのでうずうずしていると、案内人は荷物を山小屋に置いたあとに、腰をかがめてついてきてくれと言って、今まで以上にそろそろと歩き始めた。


 彼は稜線まで近づくと、ついに這いつくばって匍匐前進をし始めた。そこまでするの? と思ったが、絶対に向こう側から姿を見られたくないのだろう。それに倣ってゆっくり彼のあとを追っていき、ついに山の向こう側が見えてくると、有理たちは言葉を失った。


 たった今まで、あれだけ多くの木々に囲まれていたはずなのに、稜線を越えた向こう側は、一転して草木が一本も生えていない、荒涼とした砂漠が広がっていた。


 過酷な環境のためか大地は侵食を受けてやたら平べったく、一面の白い砂に大地が覆われていた。遮るものがないので縦横無尽に暴風が吹き荒れており、それが白いサラサラとした砂を巻き上げて、まるで爆撃でも受けたかのような竜巻が、目に見えるだけでもいくつもいくつも発生していた。それが大気をかき乱すせいか、上空では引っ切り無しに雷雲が轟いている。


 よく見れば、砂漠から発生した砂嵐の中に、同じようなピカピカとした雷光が発生しているので、なんだろうと思って目を凝らしてみれば、その中からおびただしい数の魔物がぞろぞろと湧き出てくるのが見えた。


 信じられないことだが、どうやら魔物というものは、この荒涼とした大地からこうして湧き出てくるものらしい。ステファンは、魔物は森の外からやってくると言っていたが、こういうことかと絶句していると、案内人の彼が言った。


「魔物は人間を襲う習性があるから、見つかるとどんなに遠くても一斉に向かってくるんですよ。だから稜線から必要以上に顔を出さないよう気をつけてください」


 彼はこっちに近づいてくる魔物がいないことを確認すると、ずりずりと這いつくばったまま後退していった。


 あわよくば、外縁を少し探索してみようと思っていたのだが、とてもそんなことは出来そうになかった。もしもふらりとあの中に出ていけば、ものすごい数の魔物を引き寄せてしまうだろう。自分だけならただの自殺行為で済むが、自分が死んだあとにその魔物たちがどこへ向かうかを考えれば、そんな身勝手なことは許されなかった。


 有理たちはそれを確認すると、同じようにずりずりと後退していった。もう顔を上げる気にもなれなかった。


 あの広大な砂漠の中でさまよい続けた魔物は、この山の稜線を越えた時、きっとそこに楽園を見つけるだろう。


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