エクスプローディ
翌朝、通行人の足音で目が覚めた。徐々に覚醒する頭が、昨夜は町の広場で野宿したのだと思い出し、寝ぼけ眼を擦りながら体を起こせば、広場は既に朝市で賑わっていた。
ここは電気がない中世レベルの国だから、人々は日が昇ると同時に活動し始めるので、朝がとても早いのだ。刑吏のみんなもとっくに起きていて、通行人の邪魔になってもどこ吹く風で茶をしばいていた。
恥ずかしいとか思うよりも前にひたすら眠く、ぼんやりしているとステファンがやって来て、テントをたたむから出てくれと言われ、顔を洗いに井戸へ行こうとしたら、有理よりも更に寝起きが悪いマナがゾンビみたいな顔をして袖を引っ張ってきて、鍋に水を出してくれと言うので魔法を使ってなみなみと注いでやったら、それを洗面器代わりにして顔を洗い出した。
それを見て、自分には便利な魔法があったことを思い出し、手のひらに水を貯めてそれを飲み干す。
「それじゃ、そろそろ出発しよう。日が暮れるまでには関所にたどり着きたい」
ステファンの号令で町を出発し、一行はまた昨日みたいに索敵しつつ、魔物を狩りながら先を進んだ。
昨晩、習得する新語を遅くまで一生懸命考えていたマナは、早く試したくてうずうずしていたのか、最初の一群を見つけるなり先陣を切って突っ込んでいった。
「エクスプローディ ファイロ!」
新魔法が炸裂すると、魔物は豪快に吹っ飛んでいった。やはり爆発(explode)と指定しているだけあって、威力は大したものであったが、しかしあまり広範囲に広がるものではないらしく、例えるならメラゾーマみたいなものだろうか。単発最強ではあるが、複数を巻き込みたいなら、今まで通りイル(go)を使ったほうが良さそうだった。
期待していた分、彼女もがっかりしていたようだが、逆にあまり期待していなかった新属性の方は、なかなか有用そうだった。
風を扱うというので新たにバト(blow)を習得し、風を吹かせることに成功したまでは良いものの、火魔法と一緒に使うにはどうすれば良いか分からず、試行錯誤していたところ、どうやら単純に2つの語魔法を連続して使えばいいらしかった。
具体的に「イル ファイロ、バト ヴェント(go fire, blow wind)」と唱えれば、それで勝手に炎の風が吹いてくれる感じである。なんなら「イル ファイロ ヴェント」と省略しても問題ないようだ。
更に、唱える順番もどっちでもいいらしく「バト ヴェント、イル ファイロ」でも、「イル ヴェント ファイロ」でも同じ効果が得られる。語魔法には、動詞が先という絶対のルールがあるくせに、それさえ守ればあとは柔軟に対応してくれるみたいだった。
というか、それくらい柔軟に対応してくれなきゃ困るという事情もあるのではないか。
語を習得する時にヘルプの一覧を見ていて気づいたのだが、語には名詞と動詞はあっても、前置詞や助動詞や接続詞はないのだ。おそらく形容詞も存在しなくて、bigやsmallは名詞扱いのようである。
つまり、名詞と動詞だけで意味のある作文をしなくてはならないから、基本的に曖昧にならざるを得ないのだ。そういう制限を設けつつ、この語魔法というシステムを成立させるには、システムの方が柔軟にユーザーの意図を読み取らねばならないだろう。
その結果、『意味』は曖昧なほど広範囲に影響を及ぼしやすくなり、はっきりするほど先鋭化するという傾向が生まれたようである。色んな意味に取れる語の方が、実は優秀な効果が得られるのかも知れない。
「なんか、言葉が通じない部族と会話しているみたいね」
などとマナがボヤいていたが、案外それで正解なのかも知れない。以前、徃見教授の部屋で第2世代魔法の話を聞かせて貰ったことがあるが、語魔法はあの時に出てきたピジンに似ていた。言葉が通じない子ども同士が、新たな言語を作り出す過程で生み出される言語のことだ。
そんな具合に、どうすれば相手にうまく伝わるか、限られた単語だけで会話をしてると想定すれば、やりやすいかも知れない。
***
新魔法を試し打ちしながら順調に旅は続き、昼頃には問題の国境近くの町へとたどり着くことが出来た。
件の魔物はまだ退治されていなかったようで、町は厳戒態勢のままひっそりと静まり返っていた。魔物は人間を見れば襲うという習性があるから、町の中とはいえ姿を見せるのは危険なのだ。有理たちも姿を晒したまま町でぶらぶらしていたらトレインしてしまう可能性があるから、必要最低限の情報収集をしてからすぐに立ち去った。
町から少し離れた森の広場で食事休憩を挟んでから、再度関所に向けて出発する。午後に入ってから勾配のきつい上り坂が続くようになってきた。この国は盆地にあるから、外縁に近づくほど山がちになるというわけだ。そろそろ関所が近い証拠だろう。
しかし、この2日間、刑吏たちと行動を共にして思ったのだが、彼らは森を歩き慣れているからか、疲れを知らない。体力的には有理たちの方が上のはずだが、明らかに1日歩いた後の疲労の度合いが違うのだ。
今もこの急斜面を彼らはぺちゃくちゃおしゃべりしながら登っていられるが、有理たちにはそんな余裕がなく、ついていくのがやっとである。いつしか探索魔法もおざなりになって、地面を見ながら黙々と歩き続けるので精一杯になっていた。
だから最初に異変に気づいたのは、ステファンたちの方だった。
「有理、マナ、止まれ」
ひいこら言いながら足を運ぶ作業だけに没頭していたら、前を進んでいたステファンの背中にぶつかった。どうしたんだろう? と顔を上げたら、彼は耳に手を当てて聞き耳を立てるような仕草を見せた。どうやら、遠くで誰かが争っているような音が聞こえるようだ。
慌てて探索魔法をかけてみると、数百メートル先に多くの生命反応が見えた。二階くらいの高さに、いくつも人影が浮かんで見えることから、多分そこは関所の中なのだろう。そしてそこから少し離れたところに、複数の頭をもつヘビみたいな巨大な影が暴れまわっていた。
数十人からなる人影が関所の中を慌ただしく動き回って、そんな外からの訪問者と対峙していた。どちらが優勢かは分からないが、このまま先に進めば鉢合わせしてしまうだろう。ステファンにそのことを伝えると、
「関所が襲われているのか。なら、俺達で引き付けるから、有理とマナでとどめを刺してくれないか?」
「大丈夫か? まずは関所に逃げ込んだ方が良いんじゃないか」
「交戦中は多分、中に入れない。ここで引き返すくらいなら、加勢した方がいいだろう」
刑吏たちは各々の武器を構えて頷いている。どうやら心配性は自分だけらしい。どうせクエストを受けてきたからには戦うつもりはあったのだし、有理も頷き返すと、彼らとは別れて魔物の背後に回り込むように走り出した。
「我神聖なるアストリアに願い奉る。金色の光を持ち悪を滅せよ!」
グングン先を進んでいく刑吏たちに遅れないように、必死に坂を駆け上がって目的地に到着すると、既に彼らは関所と連携して交戦を始めていた。旧世代魔法みたいな火炎があちこちで上がり、肉が焼け焦げるような臭いが立ち込めていた。
石造りの堅牢な砦の前に、いくつもの頭をもつ巨大なヘビの化け物がとぐろを巻いていた。激しい弓矢の攻撃を受けているが、あまり効いている感じはしなかった。刑吏たちはそんな弓矢の雨の中を駆け回りながら、時折立ち止まって魔法を唱えてはまた走り出す。
あんな無謀な戦い方がいつまでも通用するわけがない。多分、冒険者の魔法を当てにしての作戦だろう。躊躇しているわけにはいかないと、有理は自分を奮い立たせると、ヘビに向かって語魔法を唱えた。
「ラス ヴィ ロンピ!」
有理が魔法を使うと、巨大ヘビは一瞬固まったように動かなくなった。その隙を見逃さず、関所の警備兵と刑吏たちがヘビに痛撃を与えていく。因みに彼が唱えたのは英語に直すと「let you break」で、ここに来るまでに何度か試しておいた、魔物の動きを拘束する魔法だった。
breakを使えば一撃死してくれないかな? と期待していたのだが、実際の効果は休憩とかブレーキの意味の方だったようだ。ただ、動きを止める魔法はあればあったで非常に便利なので重宝していたのだが、
「まずい……動き出すぞーっ!!」
刑吏の誰かがそう叫ぶと、光のガラスが割れるようなエフェクトが見えて、すぐまた巨大ヘビが暴れ出した。
どうやらこの魔法、思っているより拘束力は強くないらしい。ここに来るまでに試した限りでは、解かれることはなかったので焦っていると、隣にマナが駆け込んできて、
「エクスプローディ ファイロ グランダ!!」
彼女のメラゾーマが炸裂するなり、ズズン……と地面を揺るがすような爆発が起こって、巨大ヘビの体勢が崩れた。見ればその胴体にはでっかい穴が空いていて、辺りには焦げ臭い匂いと、真っ黒い煙が充満している。断末魔が森の中に轟いて、ヘビは虫の息である。
「あと一息だ! ありったけの矢を打ち込んでやれ!!」
関所から雄叫びが上がり、大量の矢が雨あられと降り注いだ。マナの二度目の詠唱で魔物は消し飛び、巨大な光のエフェクトを残して空へと上がっていった。自分たちだけでは倒しきれないと言っていた魔物の討伐に成功した刑吏たちから歓声があがる。
曖昧な方がいいと思っていたが、どうやら語を先鋭化することにも意味はあるようだ。関所から飛び出してきた警備兵に囲まれているマナを見ながらそう思った。