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シャットダウン

 開発者に質問をしに行った張偉は、落胆しながら帰ってきた。その姿を見るだけで、あまりいい結果が得られなかったことが窺えた。彼は少々言いにくそうに話し始めた。


「まずは物部さん、ゲーム内の時間の流れについてなんだが……確かにこのゲームには時間に関する設定項目が存在する。だが、それはサーバーごとに設定するようになっていて、特にデフォルトで何倍とは決まってなかったそうなんだ」

「そうだったのか。それで?」

「それで今、ここに戻って来る前に、端末で確認してみたんだが……このサーバーは1倍、つまり現実と同じ時間設定になっていた。設定上では、ゲームの内と外とで、時間の流れに違いはなかったみたいなんだ」

「そんな馬鹿な! 俺たちは本当に4日間、この世界を彷徨っていたんだよ!?」


 有理が驚いて抗議するも、何故そんなことになっているかなんて、張偉に分かるわけもなく、


「……本当に、物部さんたちは4日も経過したように感じてるのか? 生徒会長も?」

「ええ、私もそうとしか思えないわね……」

「そうか。だが、設定上は現実とゲームで違いは無いはずなんだ。だから、時間のズレに関しては、別に原因があるんじゃないか」

「それって? なにか心当たりは?」

「分からない……取りあえず、物部さんたちの今の状態は、既に制作者の想定範囲外のようなんだ。すまないが、俺もこれ以上なんとも言えないぞ」


 張偉は申し訳ないと謝りながら、続けて、


「それからNPCの挙動がリアルすぎるって件だが、これに関しては原因ははっきりしている。NPCの会話は全てオープンソースの生成AIを使って、リアルタイムに生成しているものらしいんだが……つまり、NPCの挙動はマシンパワーに依存するから、もし本物みたいに感じたのであれば、それはこのサーバーが凄いからじゃないかって話だった」

「ああ……今のマシン、相当ハイスペックだもんな。なるほど」


 廃スペックとまで言っても過言じゃない。しかし、仮にそうだとしても、あの街の住人たちみたいな挙動をするものなのだろうか? 有理はまだちょっと納得いかなかったが、話を蒸し返すほどではないと思って黙っていた。


「後は、このゲームは中央の塔を取り巻く複数の国家があって、魔物はそれらの国の外側からやってくるっていう設定であるらしい。ただアルファ版の今はまだ森の国しか実装されていないから、NPCが森の国しか存在しないって言ったのは、ある意味正しくもあり、間違ってもいるみたいだな」

「なるほど」

「それからアストリアの塔ってのは、ちゃんと開発者が付けた名称だった」

「え!? そうだったの? ……それは意外だな。なんでまた、そんな名前を?」


 アストリアは異世界の神の名前である。普通に考えれば、わざわざそんな名前をつける理由はなさそうだが、


「それはだな、どうやら開発者はあれを元々『神の塔』と名付けたかったらしいんだが、グローバル展開をするにあたって、それが少し問題になったようなんだ」

「なんでさ?」


 有理が首を捻っていると、張偉はさもありなんと頷きながら、


「こっちも切羽詰まってるんだって詰め寄って、ようやく制作者から聞き出せたんだが……やはり、あそこに見えている軌道エレベーターは、太平洋にあるのと同じもので、実は、このゲームは、遠い未来の地球の出来事……って裏設定があるんだそうだ。だからあれを『神の塔』と名付けてしまうと、今の御時世、特に異世界人排斥運動家なんかが、何を言ってくるか分からないだろう?」

「あー、なるほど……じゃあ、ある意味アストリアの塔で間違いないんだな」


 異世界人が建てた塔なのだから、その神であるアストリアの名を冠するのは間違っちゃいないだろう。有理は色々と設定が知れてスッキリしたが、しかし、こんな設定が分かったところで、何の解決にもならなかった。


 結局、自分たちがゲームに取り込まれた理由も、どうすれば解放されるのかも、この時点では何一つ分かっていない。


「あのさ……もう、強硬手段に訴えたらどうなの?」


 有理たちが無駄な時間を過ごしてしまったとガックリ項垂れていると、それを横で聞いていたマナがぽつりとそんなことを言い出した。有理たちがぎょっとして振り返ると、彼女は少しイライラしたふうに、


「普通、コンピューターゲームって、電源を切れば終わるものなんじゃないの? 最初からそうすればいいのに、正式な手順を踏む必要なんてないじゃない」


 マナは至極当たり前のことを言っている。しかし、張偉は肩を竦めて、


「それはもちろん俺達も考えはしたが、流石に踏ん切りがつかないだろう? おまえたちは今、どういう状態でこのゲームに繋がってるのか、それがまったく分かっていない。なのに無理矢理電源を切って、何かが起こってからでは取り返しがつかないじゃないか」

「でも、冷静に考えて、何が起きるというの?」

「それは分からないが……」

「私たちは現実世界にちゃんと健康な体があって、実は覚醒状態なんでしょう? 何故かは知らないけど魔法を使ってゲームに繋がってるだけなんだから、そのゲームが停止してしまえば普通に目が覚める可能性の方が高いんじゃないかしら?」

「う、うーむ……」


 マナの言葉は意外に説得力があった。張偉は返答に窮して唸っている。有理はそんな彼の立場を引き継ぐように、


「でも仮にそれを強行して、本当に戻れなくなったらどうするの? 現状のままで打てる手を打っておいた方がいいんじゃないか?」

「もちろん、まだやれる事があるなら、それを待つわ。でもその打てる手っていうのは、あとどれくらい残っているのかしら?」

「それは……どうなの?」


 張偉の顔を窺うと、彼は黙って首を振った。どうやら、現状やれることはやり尽くした感があるらしい。マナは返事がないのを待ってから、ゆっくりと続けた。


「私だって失敗して戻れなくなるのは嫌よ。でも、失敗を恐れたところで、現に今私たちは戻れなくなっているわけじゃない。このまま座して待つくらいなら、私はさっさと白黒つけたいわね」


 彼女はきっぱりとそう言いきった。そう言われると、有理も反対はしづらかった。現実の者たちにはたった1日の出来事かも知れないが、ゲームの中の二人は、既に4日もログアウト方法を探して足掻き続けていたのだ。早くけりを付けたい気持ちは彼も同じだった。


 結局、自分だけでは判断できないと、張偉は一旦ヘルメットを外すと、外部にいる桜子さんや研究者たちと相談しに戻っていった。議論が白熱しているのか、今度は中々帰ってこず、ジリジリとしながら待っていると、数十分くらいしてからようやく張偉は戻ってきた。


「すまない。待たせた。研究者の人たちが集まって話し合ったんだが、生徒会長の提案は、元に戻れる可能性も高いと思うがリスクも高いという結論になった。失敗した時、誰が責任を取るのか、その所在がわからない。だから最終的にどうするかは、本人たちの判断に委ねるしかないってことになったんだが……」

「私はそうすべきだと思うわ。仮に失敗しても、肉体に影響が出るとは思えないもの」


 マナは間髪入れずにそう言った。その返事は想定内だったのか、張偉の視線は有理に注がれる。彼は続けて、


「俺が一番恐れているのは、失敗した時、二人の姿がモニター出来なくなる可能性だ。すぐサーバーを再起動して、またゲームに繋げば会えるなら良いんだが、もしもロストしたままなら、もう外からの助けはないものと思ってくれ。それから……いや、いい」


 彼はそうやって口を濁したが、言わんとしてることは分かった……本当の懸念は、これを決行して二人の心と身体が完全に元に戻れなくなることだ。つまり、植物状態になってしまう可能性だ。


 しかし、不思議と有理はその可能性はないんじゃないかと思っていた。そもそも、魔法でゲームの中に閉じ込められているという現象自体が、既に常識外れなのだ。魔法を相手に科学の常識が通じるなら、そもそも誰も苦労はしていない。


 だから彼は少し迷いはしたが、結局のところ、さっき待たされていた間に結論は出ていたので、


「俺もそうした方が良いと思う。というか、そっちは1日しか経ってないのかも知れないが、こっちの4日はかなりキツかったんだ。このままの状態が続けば、どっちにしろ精神的に参ってしまうよ」

「そうか……物部さんもそう言うのであるなら……わかった。じゃあ、外のみんなにそう伝えてこよう」


 有理がそう告げると、張偉はまたヘルメットを脱いで、外の世界へと戻っていった。


 それからまた二三度、外とのやり取りが続いたが、結局は本人たちの意見が優先され、ゲームの強制終了が行われる運びとなった。研究者の中にはまだ反対する者もいたが、魔法という未知の現象の前では、どの道説得力が乏しくて大した議論にならなかった。


 その後、最終的な決断が下され、桜子さんからゴーサインが出ると、オペレーターを買って出た研究者の一人が、ついにゲームのプロセスを遮断した。それでサーバーは止まったが……


 しかし、その後いくら待っても、現実の二人は目を覚まそうとしなかった。二人は相変わらず謎の魔法現象を発動したまま、すやすやと眠りこけていたのである。


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