タイムスケール
魔法学校の教室で、張偉はあくびを噛み殺しながら、放課後のチャイムを待っていた。鈴木がホームルームを終えて出ていくと、彼は伸びをしてから席を立って、研究棟へと急いだ。
昨日、有理たちとゲームをしてから1日が経過していたが、まだ完全には疲れが取れていなかった。こんなに疲れているのは、午前中に実技があったせいもあるが、脳波コントローラーは思った以上に体に負担をかけるらしい。今日は出来れば早めに切り上げて、明日に備えて寝てしまいたい。それを有理が受け入れてくれればいいのだが、彼も切羽詰まっているだろうから中々言い出しにくい……
と、そこまで考えた瞬間、彼はこの騒動が明日以降もまだ続くと自分が考えていることに気がついて、苦々しい気分になった。
今日、全てを終わらせてしまえば、明日のことなんて考える必要はなくなるのだ。友のためにも、もっと気合を入れてかからねば。彼は気持ちを新たにすると、鼻息荒く研究棟へと入っていった。
有理の研究室に入ると、桜子さんがもう既にそこにいた。ここのところは海外出張のためか、土方の仕事を休んでいて、授業中も校内で良く見かけた。学生たちは、何で異世界人がいるのだろうか? と怪訝な顔をしていたが、それが彼らに人気のプリンセスだということに気づかないでいるのは、ある意味滑稽である。
「チャンウェイ、来たね。ちょっとまずいことになったわ」
「まずいことって?」
桜子さんは張偉が来たことに気づくと、軽く手を上げてそう言い放ってから、返事はせずにまた腕組みをして、部屋の奥の方を深刻そうに見守っていた。研究室には彼女以外にも数人の研究者が来ていて、昨日よりも本格的な機材を持ち込み、二人の脳波を測定したりしているようだった。
何か起きたのだろうか? 早速ゲームにログインしたいところだったが、この様子では一段落するのを待っていた方がいいだろう。そう思いながら、有理たちの姿を確認しようと、サーバーのモニター画面を覗き込んだ彼は、そこに何も映しだされていないことに気づいて動揺した。
何かの間違いじゃないかと思った彼は、モニターの電源を入れようとして背面のスイッチを押したが、何度やっても画面は変わらなかった。それもそのはず、よく見ればモニターはちゃんと電源が入っていて、OSもちゃんと起動していた。
なのに肝心のゲームのウィンドウが見当たらない。どうしたんだろうと、彼がマウスをカチカチやってると、
「無駄よ。あたしが来た時からそうだったの。ゲーム自体は起動しているみたいなんだけど、彼らをモニターしてるウィンドウだけがフリーズしちゃってたのよ」
「フリーズだって!? それで二人は無事なのか!?」
「それを今、調べているところなんだけど」
暫くして、研究者が状況を説明してくれた。それによると二人は昨日から変わらず、眠ったままゲームを続けているような状態らしい。相変わらず彼らは魔法使い特有の微弱な電波を放っており、脳波は人間がゲームをやっている時と殆ど同じで、体は覚醒状態にあるそうだった。彼らは眠っているように見えて、起きている状態なわけである。
また、昨日から何も食べていないことから健康状態が心配されたが、今のところその心配もないようだった。むしろ、問題ないことが問題に思えるくらい健康みたいで、どうしたらこのような状態を維持できるのか、まるで時間が止まっているかのようだと彼らは言った。
「つまり外からモニターは出来なくなってしまったが、二人の体に異常は見つからないってところか。なら、二人は変わらずゲームを続けている可能性が高いんじゃないか?」
それは試してみないとわからないということで、早速、昨日と同じように張偉がゲームにログインすることになった。
ヘルメット型の脳波コントローラーを被り、グローブを着けて椅子に座る。サーバーで既に起動していたゲームのクライアントを操作し、いざログインすると、ヘッドマウントディスプレイに、昨日ログアウトした時と同じ場所が映し出された。
ここは確か、町のすぐ近くの森の中のはずだ。しかしスポーン地点や町の中みたいにわかりやすい場所じゃないから、周囲を見回してもすぐには二人の姿は見つけられなかった。昨日、ログアウトする時に待ち合わせ場所を決めて置かなかったことを後悔する。
尤も、こういう時のためにフレンド機能があるので、焦らず彼らの位置をマップに表示してみると、案外近くに二人のマーカーは見つかった。
森を突っ切らなければならないから、移動には骨が折れそうだが、これくらいならすぐに合流できるだろう……そう思いながら進んでいると、どうやら向こうも張偉がログインしたことに気づいたみたいで、マーカーがこっちへどんどん近づいている。
やがてそれは張偉のすぐそばまでやって来たかと思うと、
「いたあああーーーーーっっ!!!」
ガサガサと草木をかき分ける音が近づいてきたかと思ったら、目の前の藪の中から有理とマナの二人の姿がポンと現れた。
ものすごい歓迎っぷりに張偉が照れ笑いしながら、やあと手を上げて挨拶をしてると、二人はそんな彼の胸にガバーっと飛びついてきて、
「うおおおぉぉぉーーーっ! ちゃんと帰ってきてくれて、良かった! 良かったよおおーー!」
***
「お……おいおい! たった1日くらいで、いくらなんでも大袈裟じゃないか? どうしたんだ、二人とも」
1日ぶりにゲームにログインしたら、ものすごい歓迎を受けた。なんだか分からないが胸に縋り付いて泣いている有理に、張偉は若干引き気味に尋ねてみた。すると彼はまるで信じられないとでも言いたげに、
「1日……? 何言ってるんだ! こっちは4日も探し回っていたんだぞ!?」
「4日だって? そんな馬鹿な」
双方の話が噛み合わないので、暫くの間押し問答が続いたが、やがて少しずつ冷静になってきた二人の証言で、ゲーム内で何が起こっていたのかが分かってきた。
驚いたことに、どうやら昨日、張偉がログアウトしてから、ゲーム内の二人の感覚では4日も経過しているらしかった。しかし、張偉がさっき授業が終わったばかりで、何なら外では1日も経過していないと言うと、二人は絶句した。彼らには、本当に4日経ったようにしか思えなかったからだ。
張偉は腕組みしながら、
「もしかして……ゲーム内時間が現実の4倍に設定されてるんじゃないだろうか?」
「それって、どういうこと?」
ゲームに疎いマナが首を傾げている。張偉は彼女にもわかりやすいように、
「例えば、ゲーム内時間の1日を現実の1時間に置き換えるとか、時間概念があるクラフトゲーではよくあるシステムなんだ。仮に生産職が酒を作るとして、材料が発酵するまで現実と同じだけ時間が掛かるとしたら、ゲームにならないだろう? それと同じような設定がこのゲームにもあると考えれば、現実の1日の間に、ゲームが4日も経過してしまった理由になるんじゃないか」
だが問題は、そのゲーム内時間を、有理たちが現実の体感時間と同じように感じてしまっていることだ。
「このまま、現実との時間間隔がずれ続けたら堪らないんだが……」
「それなら、ゲーム内時間を調整できないか、開発元に電話して聞いてみよう。時計を合わせれば解決するかも知れない」
「なるほど。なら張くん、ついでに開発者に色々聞いて来てもらえないだろうか? ……実は、この4日間、なんとかしようとしてあちこち回ってる間に、違和感みたいなものを感じていたんだよ」
例えば、NPCの挙動がリアルすぎること。一晩を共に過ごした刑吏ギルドの面々は、それぞれみんな個性的で、とてもNPCとは思えなかった。考えてもみれば、イベントNPCでもない限り、彼らのような集団がいるのは不可解だし、本当に処刑みたいなイベントが存在するのかも疑問であった。
なにより、町の人々の処刑に対する気が狂ったような反応は、あんな趣味の悪い演出をする必要は本当にあったのだろうか?
他にも、ゲームを始める前に見た設定では、この世界には森の国以外にも様々な国が存在するはずだった。ところが、ステファンに聞いた話では、世界は塔を中心に広がる森しかなく、魔物はその外側から来ると言っていた。
そしてその中央の軌道エレベーターにしか見えない塔のことを、彼らはアストリアの塔と呼んでいたことも気になった。なんで、桜子さんの世界の神様の名前をつけたんだろうか?
「……そんなことがあったのか? 分かった。今までは非公開情報だと思って遠慮していたが、こうなれば無理矢理にでも聞き出してやる」
鼻息荒く開発者を問い詰めに行った張偉は、それからものの数分で戻ってきた。外との時間の違いを警戒していたが、どうやら今回は外と同じしか時間経過していないようだった。昨日とは何が違うのだろうか? 疑問にも思ったが、何も起きないならその方がいいだろう。
だがそれでホッとするのはまだ早かった。さっきは意気揚々と出ていった張偉だったが、帰ってきた時の彼の表情は優れず、その様子を見るからに、あまりいい情報は引き出せなかったようである。