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森の生活

 まだ夜明け前だというのに、恐ろしく早く目が覚めてしまった。刑吏の連中が先に起きててガタゴトやっていたというのもあるが、中世の夜は思った以上にやることがなくて、いつも以上に早く寝たのが大きかった。


 時計がないから正確なことは分からないが、多分、今は現実世界でも早朝だろうから、張偉がやって来るまでにはまだ時間が掛かるだろう。それまで何をしてようかな? などと考えつつ、有理は水車小屋を出て河原へと向かった。


 空が森に覆われているせいで、外は思っていた以上に真っ暗で、ところどころ木々の隙間から漏れる月明かりを頼りに歩いていくと、河原の辺りは一転して光の道が出来ていた。川の上は森が途切れているからだが、砂利を蹴って歩いていくと、水面に反射して天空へと伸びる高い塔が見えた。


 見上げれば、丁度、その天辺に月が鎮座しており、じっとその明かりに見とれていたら、まるでそれは天高く聳え立つ塔ではなくて、月へと続く長い橋のように思えてきた。


 川岸にひざまずいてバシャバシャと顔を洗う。川底まで透き通った水はひんやりと冷たくて、肌に染み入るようなきめ細かい泡が心地よかった。しかし、ゲームでいくら顔を洗ったところで、現実には何の影響もないはずなのに、どうしてこんなにさっぱりした気分になるのだろうか。


 昨晩、マナが水浴びをしたがったのもそうだ。意味のない行為のはずだ。でもこの世界で有理たちは、時間が経てば腹が減ってくるし、疲れればやはり眠くもなる。そして睡眠を取った今は頭がスッキリしてて、ご飯を食べれば満腹感もあった。二大欲求がちゃんと満たされているのだ。試しようがないから試してないが、おそらく性欲も満たせるのではなかろうか。


 しかし、ここはゲームの中で、脳波コントローラーとやらで擬似的な体験をしているだけのはずなのに、どうやってこんな欲求を満たしているというのだろうか? 不思議でしょうがない。


 実際、張偉たちと自分たちとでは、こっちの世界での感覚は違うようだった。彼らのこっちの世界の体はあくまで借り物で、有理たちのように痛みを感じたりはしない。有理たちは逆に、現実世界の方の感覚がない。


 一体、何が起こっているのか分からないが、このままでは現実と虚構が入れ替わってしまうようなそんな気がして、早いとこ現実世界に帰る方法を見つけなければまずい気がするのに、焦りだけが募るばかりで、何の解決策も思い浮かばなかった。


「ところで、有理たちはこれからどうするんだ?」


 小屋に戻って、朝食はまだかとボーっと待っていたら、旅支度を終えたステファンが今日の予定を聞いてきた。みんなバタバタ忙しそうにしているなと思っていたが、どうやら彼らに朝食をとるという習慣はないらしい。


「午後に仲間と合流するつもりなんだけど、まだまだ時間があるから、一度町に戻ってクエストがないか見てこようかな」


 あてが外れてガッカリしながらそう答えると、それを聞いていたロザリンドが、


「だったら、私たちと一緒に隣町まで行かない? 今から出れば午後までには帰ってこれるよ」

「馬鹿ローザ、無理をいうんじゃないよ」


 ステファンは妹を窘めているが、一宿一飯の恩がある。それに、張偉が来るまでマナと二人きりというのも間が持たないし、彼女自身も、昨日仲良くなったロザリンドとまだ一緒に居たそうだった。


 ここは同行するのも悪くないだろう。確か、有理たちの行動はモニター画面で見えてるそうだから、居なくなったと騒がれる心配もないはずだ。


「そうだね。せっかくだから俺達も同行しようか?」

「いいのか?」

「隣町も見てみたいし、邪魔にならなきゃだけど」

「邪魔だなんてとんでもない。冒険者が一緒に来てくれるだけで、道中はぐんと安全になるからな。本当なら、こっちから金を払ってお願いしたいくらいだ」


 そんなわけで有理たちは、もう暫く刑吏ギルドの連中と行動を共にすることにした。


 少ない荷物をまとめて水車小屋を発ち、町外れに住んでいる小屋番に鍵を返してから街道に出る。街道と言ってはいるが、足で踏み固めただけの粗末な道が森の中に続いているだけだった。雑草だらけの道端を見るからに、そう頻繁に人が行き来してはいないのだろう。


 隣町までは大体8キロくらいの距離があるらしく、何事もなければ2~3時間も歩けば到着するとのことだが、この道の状態が雄弁に語る通り、道中では何度も魔物に遭遇して足止めを食わされた。野生動物は避けて通ってくれるのだが、魔物の方はそうはいかず、なんならゴブリンなんかは待ち伏せまでして攻撃してくるから油断がならない。


 幸い、昨日覚えた探知魔法が役に立ったが、もしもこれが無ければ何度か不意打ちをくらっていたかも知れない。刑吏という仕事は普通に考えればかなり重要なはずなのに、教会とやらが無職の若者たちにやらせている理由はこれがあるからだろう。単に汚れ仕事というだけではなく、命の危険にも晒されるから、いくらでも替えがきく人間のほうがいいのだ。


 とはいえ、こうして仕事を任されているくらいだから、彼らも大抵の魔物なら容易に撃退してしまえるくらいの腕前はあった。一緒に戦ってみてわかったのだが、連携と魔法で上手いこと敵を追い込み、一網打尽にする手並みは、こっちが見習いたいくらいである。


 話を聞けば、この世界では農業は盛んではなく、狩猟採集で生計を立てるのが一般的のようで、彼らは子供の頃から狩りに連れ出される機会が多かったので、自然と身についたものらしい。彼らの使う魔法は、桜子さんが使うような旧世代のものをモチーフにしたようで、身体強化と爆発魔法を駆使して戦うさまは、以前に見かけた彼女の戦い方とそっくりだった。ただし、空は飛べないらしい。


 そんなことより、森を切り開いて焼畑でもすれば備蓄も増えるし、見通しも良くなって隣町との交流も増えるのではないか? と言ったら、とんでもないと怒られた。なんでも、この国では森は人々を魔物から守ってくれている神聖な場所だから、森に火をつけることは死罪よりも重い罪にあたるらしい。なんなら一族皆殺しにされると聞いて、昨日うっかり木を焼きかけてしまったマナが青ざめていた。


 この世界は、例の軌道エレベーターとしか思えない塔を中心に森が広がっているのだが、魔物はその広大な森の外からやってくると言われているらしい。元々、この世界には何もなく、不毛の大地が広がっていたが、そこに神が塔を建てるとそこから清浄な空気が流れ出し、人間が暮らせる森が広がっていった。森の清浄な空気は、凶悪な魔物を遠ざけるだけでなく、多くの野生動物や植物を育み、人々が生きていくための糧を与えてもくれている。だから人々は日々この森に感謝して生きていかなくてはならないのだ。


 それが教会とやらの教えらしいが、どこまでが本当なのかは分からなかった。塔の上に住むという神も本当にいるのかどうか、案外、人を統治するためのでっち上げである可能性もあるかも知れないが、まあ、ゲームの設定にケチをつけてもしょうがないので、あまり考えないようにしよう。


 そんなことを考えていると、やがて隣町が見えてきた。しかし、刑吏たちはすぐには町に入らず、ぐるりと迂回するように町外れの小屋まで行くと、そこにいた小屋番に頼んで領主を呼んでもらっていた。


 よくわからないが、彼らは異界からの使者みたいなものだから、本来は人の目に触れてはいけないものらしい。そのため、あの不気味な仮面をつけているのだそうだが、それじゃあ自分たちは見ちゃっても良かったのか? と聞いたら、有理たちは異世界の冒険者だから問題ないと言われた。この辺は本当にゲームライクである。


 ともあれ、暫く待っていると領主……というか、殆ど村長なのだが、朴訥なおじさんがやって来て、刑吏たちに食事を振る舞ってくれた。有理たちもご相伴に預かっている中で、ステファンは領主と、今回の刑の執行は何人だとか、処刑の種類はどうだとか打ち合わせを始めた。首を刎ねる話なんて、聞いているだけで食欲が減退してくるので、早々に切り上げて、二人は刑吏たちに挨拶をすると、また来た道を引き返すことにした。


 ロザリンド一人だけが見送りに来てくれ、手を振って別れたが、そう言えば彼女は刑吏の仕事をしてる気配がなかった。ステファンの妹というだけで同行しているようだったが、それで大体想像がつくが、多分、彼女は住んでいた町に居場所がなかったのだろう。要するに口減らしだ。その辺を深く突っ込むのは下衆の勘繰りになるから黙っていたが、兄妹がお勤めを果たして、ちゃんと職にありつけることを願ってやまなかった。


 行きに危険な魔物を退治しておいたので、帰りは特に何も起きなかった。昼過ぎには元の町に到着し、冒険者ギルドに顔を出して簡単な採取クエストをこなしたりして時間を潰したが、しかし何故かいくら待っても張偉がやってくる気配はなかった。


 最初のスポーン地点と町を行ったり来たりしているうちに、気がつけば日も大分傾いてきてしまい、今日の寝床を確保しなければいけない頃合いになってきた。仕方ないので、有理たちは昨日泊まった水車小屋に泊めてくれるよう交渉し、昨日みたいに川魚をとって一夜を明かしたのだが……


 しかし、翌日になっても張偉は現れず、現実世界との連絡が取れない状況で、二人はゲーム世界に閉じ込められたまま、気がつけば数日間が経過していた。


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