やけに生々しい人々の感情
町の人々の殺伐とした歓声に追い立てられるかのように、二人は最初の森まで戻ってきてしまった。森に入ると木々のざわめきのお陰か、それともゲームの仕様か、ヒステリックな叫び声はぱったり聞こえなくなり、二人はホッと安堵のため息を吐いた。
それにしても、さっきの光景はなんだったんだろうか。どこからともなく鼓笛隊みたいな音楽が聞こえてきたかと思いきや、聖職者が罪人を縄で数珠つなぎにして引っ立ててきて、そこへ現れた不気味な仮面をつけた処刑人たちが、次から次へとその罪人たちの首を落としたかと思えば、それを見ている群衆から大歓声が沸き上がるという……
こんなのがゲームのイベントシーンとして成立するのだろうか?
張偉の話では、このゲームはアメリカ製だから、中国に比べれば規制は少ないだろうが、代わりにポリコレがうるさいはずだ。こんな不気味なゲームを作っても、人権団体あたりに抗議されて、発売出来ない可能性がある。炎上マーケティングだとしても趣味が悪すぎてユーザーを選ぶだろうし、まったくもって、わけが分からなかった。
尤も、そんな心配をしたところで、今の自分たちには杞憂だろう。それより、これからどうするかを考えなければならない。気がつけば既に辺りは暗くなってきており、森は昼間とはまるで別の顔をしていた。
このまま暗い森の奥に足を踏み入れるか、それとも町に戻ろうか……二人は少々悩んだが、たった今逃げ出してきた場所にすぐ戻る気にはなれず、結局、森に留まる方を選ぶことにした。
***
「ファイロ!」
自分たちが最初にスポーンした森の広場まで戻ってきた二人は、太陽が沈んでしまう前に慌てて木々をかき集めると、マナの覚えた魔法を使って火を起こした。見た目は現実と同じだから、やれるだろうとは思っていたが、こうもあっさり焚き火まで出来てしまうと、本当にここがゲームの中だとは信じられなくなってくる。
焚き火に手をかざしてみれば、ちゃんと暖かくて、触れれば火傷しそうだった。多分、本当に火傷するのではなかろうか。ゴブリンにわざとやられた時もそうだったが、どうも自分の体はこの世界では特殊なようだから、不用意な真似はしないほうが良いだろう。
町で買ったりんごが余っていたから、適当な枝にぶっ刺して焼きリンゴを作ってみる。火に炙られたりんごから香ばしい香りが漂ってきて、なんとも食欲をそそった。あの騒ぎのせいで食べそびれてしまったマナが物欲しそうな顔をしていたから勧めたのだが、同じくあの騒ぎのせいで食欲が減退しているようで、ごちそうを前になんとも渋い表情をしていた。
それにしても……どうして自分はこんな暗い森の中で、今まで殆ど話したこともないような女の子と焚き火を囲んでいるのだろうか。
有理はふいに我に返ると、途端に居心地が悪くなってしまった。ずっと戦闘のしっぱなしで大量の汗をかいていたから、なんとなく服がベタベタして気持ちが悪い。もしかして臭わないだろうかとこっそり嗅いでみると、案の定臭気がして途端にシャワーを浴びたくなった。
と、同時に、こんなものまで再現しているのは、やはりゲームとは思えなかった。さっきまで張偉と関が居た以上、ここがゲームの中であるのは間違いないはずだが、何故か自分とマナだけは、ゲームのNPCと同じ次元を生きているのは不思議でしょうがなかった。
なんでこんなことになってしまったんだろう。まあ、十中八九自分のせいなのであるが……有理はため息を吐くと、焚き火越しに焼きリンゴを見つめているマナに謝罪した。
「なんか今日は本当にごめんね、椋露地さん」
「突然どうしたのよ?」
「俺のせいでこんなことになっちまって……多分、今回の件は俺が君を巻き込んでしまったみたいだからさ」
するとマナは少し考えるような素振りを見せてから、
「思ったんだけど……これって、本当にあんたのせいなのかしら?」
「え……?」
「私たちがゲームの中に閉じ込められているのは、何かの魔法のせいだというのは本当みたいよね。外にいる研究者たちがそれを確かめてくれているから。でも、それで分かるのって、魔法が使われているという事実だけで、誰がこの状況を起こしたかまでは分からないんじゃない? というか、機械で測定した結果では、二人とも同じような状態なんでしょう。どっちかがどっちかを巻き込んでるなら、反応が変わるのが筋なんじゃない?」
そう言われてみると確かにそんな気はする。有理が黙っていると彼女は続けて、
「仮にどっちかのせいだとして、同じ魔法を使ってるなら、どっちが巻き込んだかなんてわからないじゃないの。もしかすると、私があんたを巻き込んでいる可能性だってあるかも知れないわ」
「いや、しかし、研究者たちは俺のせいだと思ってるみたいだけど?」
「それは多分、彼らはあんたの魔法適正が高いからそう言ってるだけで、根拠はないでしょう。というか、本当にこれがあんたのせいだったとして……こんな謎の現象、はっきり言って、あんたにはどうしようも出来なかったんじゃないの。今まであんた、無能者だったわけでしょう。いきなりこんなことになってしまったら、避けようがないわ」
「まあ、確かに。開き直るわけじゃないが、どうしようもなかったな」
「それでいいのよ。それにもしこれで私の方が原因だったら、今あんたを責めたらそれこそ後味が悪くなる。だからもう謝るのはやめて。はっきりしないことに対して謝られても、イライラするだけだわ」
「はあ……すんません」
有理は彼女のきっぱりとした態度に、思わず頭を下げてしまっていた。謝るなと言われている最中に、うっかり謝罪の言葉を口にしてしまって、彼は慌てて口をつぐむ。マナはそんな彼のことをジト目で見ながらため息を吐くと、すぐ切り替えるようにサバサバとした口調で続けた。
「今は現実世界のことより、こっちの世界のことを考えていたほうが良いわよ。例えば……このままここで野宿してても、大丈夫なのかしら?」
「そ、そうだな……考えてもみりゃ、ここって最初にチュートリアル戦闘をした場所なんだよな。モンスターが出ないとは限らないか」
「やっぱり町に戻って宿を探したほうが安全なのは確かね。でも……さっきのあれを見ちゃうと、とてもそんな気にはなれないわ」
「つーか、あれは何だったんだろうな……街中の人たちが集まって、まるで人が殺されるのを楽しんでいるかのような大騒ぎをして……」
目が血走った人々が憎悪の言葉を絶叫する様は、今思い出しても背筋が凍りつくくらいおぞましい光景だった。
というか、やけに生々しかったのだ。
この世界の人々は実は生成AIが上っ面を演じているだけだから、例えばギルド職員なんかは話しているとどことなく機械っぽい雰囲気が隠せなかった。ところが、さっきのはとてもAIが人間のふりをしているとは思えないくらい真に迫っていた。彼らは本気で、罪人の処刑を楽しんでいるようだったのだ。
「まるで魔女のサバトでも見せられているかのような気分だったな。あれがゲームのイベントだと思うと、開発者の正気を疑ってしまうんだが……」
「そうね……やっぱり、何が起きるか分からないのに、あそこに戻るのは危険かも知れないわ。今の私達って、死んだらどうなるのかも分からないもの」
「そう……だよなあ」
試してみようとしてエラい目に遭ったばかりである。少なくとも、もう張偉がいない状態でそんなことを試す気にはなれなかった。それはマナも同意見だったようで、
「考えすぎかも知れないけど……現実世界との繋がりが確保できていない時に、危険なことはしないほうがいいと思うわ。今日はここにとどまって、街に戻るのは明日また彼と合流してからにしましょう」
「わかった……っていうか、椋露地さんって結構ゲームとかするの?」
「ゲーム? しないわよ。今日が初めてって言っていいくらいよ」
その割には順応性が高いような気がするが……
有理はそう思ったが、しかし、考えてもみれば今の自分たちは生身の体でゲームの中に取り込まれたような状態である。彼女が手慣れて見えるのは、単に彼女の方が生活力というか、生命力が高いというだけかも知れない。
もしも本当に異世界転生をするようなことがあったら、きっと彼女のほうが有理よりも生き残る可能性が高いだろう。そう言えば、異世界転生モノでも生徒会長キャラは大体適応力が高いのが定番だったような気がする。そんなことを考えている内に、さっきまでの鬱々した気分はどこかへ行ってしまっていた。