お尻を出した子1等賞
張偉がログアウトして、ゲームの中には二人だけが残された。その途端、何故か周囲のあらゆる音が大きく聞こえ出し、ただ風が肌をくすぐる感触でさえ、粘りつくような嫌な感触がしてきた。多分、緊張から来る錯覚だろう。さっきまでは張偉の存在が、自分たちを現実に繋ぎ止めてくれていたけれど、今はそれがなくなってしまい、外で誰かがモニターしているはずだと分かっていても、妙に心細く感じるのだ。
しかし、そんな不安を表に出すわけにはいかなかった。ゲームに取り残されてしまったのは有理だけではなく、生徒会長の椋露地マナも一緒だった。もしかしてもしかしなくても、彼女は有理のわけのわからない力に巻き込まれてしまった被害者かも知れないのだ。そのことを考えると、今自分が弱気になるわけにはいかなかった。彼は少しカラ元気を装って言った。
「さてと。それじゃ俺たちは一度街に戻って、今日の寝床を探そうか。幸い、クエストの報酬で金の方はなんとかなりそうだ。探索はまた明日、張くんが戻ってきてからにしようぜ」
有理がそう提案すると、マナは一瞬考え込むような仕草を見せてから、
「そうね。一旦町に戻るのは賛成だわ」
「……なにか気になることでも?」
すると、てっきり不満でも漏らすのかと思った彼女は、意外にも有理よりもずっと冷静にゲームを分析していたらしく、こんなことを口にした。
「実はちょっと気になってたんだけど……私たちって眠る必要があるのかしら?」
「……え?」
「現実の私たちの体って、今はベッドの上で眠ってるような状態なんでしょう? その上、ゲームの中でまで寝る必要があるのかなって」
なるほど。言われてみればその通りである。有理は彼女の疑問に同意しながらも、
「でも実は俺、結構疲れを感じているんだよね。それこそ寝ようと思えば寝れちゃうくらいに。それと腹も減ってて、そろそろ何か食べたいって思ってたんだけど……」
彼がそう言うと、すると彼女の方も頷いて、
「ええ、実は私もそうなのよ。でもこれって、現実の私たちの体が、睡眠や食事を欲しているってことなんじゃないかしら。もしそうなら、ゲームの中で寝たり食事したりしても意味がないような気がするんだけど」
「確かに……」
冷静に考えると、ゲームの中で空腹を覚えるのはおかしい。でも、それじゃさっきから感じているこの疲れや空腹は何なのだろうか。システム上の問題なのか、それとも現実の体が欲しているのか分からなかったが、
「でもどっちにしろ、我慢し続けるのは馬鹿馬鹿しいから、試してみるしかないんじゃないかな。もしかすると、空腹ってパラメータがあるだけかも知れないし。本当に食べても無駄なら腹が減ったままだろうし」
「それもそうね。考えていても仕方ないわ。ものは試しよ」
現実の体のことを考えると不安にもなるが、今は目先の空腹を何とかするのが先決であろう。二人はそう結論すると、町まで取って返すことにした。
ちょうど夕飯時なのか、町は最初来たときよりも人通りが多くなっていた。広場には行商人の屋台が立ち並び、人々でごった返していた。しかし売り物は食材ばかりで、手っ取り早く空腹を満たせるような料理の屋台などは1つも見当たらなかった。町と言ってるが、ここはせいぜい村くらいの規模なので、そういった需要がないのかも知れない。
果物ならそのまま齧り付いても食べられそうだったので、試しにりんごを2つ購入してマナに手渡した。受け取った彼女は育ちがいいから行儀の悪いことをしたくないのか、それとも犠牲者は一人でいいと思ってるのか、チラチラとこちらの様子を窺うだけでいつまでも食べようとしなかった。仕方ないので、有理は勇気を出して先に齧りつく。
口にいれるとシャクっとした触感とともに、甘酸っぱさが口いっぱいに広がってきた。味も食感も完全にりんごのそれで、本物としか思えなかった。ここまで再現するなんてとても信じられないが、とにもかくにも食べられることは確かである。
そう伝えると、マナもおっかなびっくりそれを口にして、
「……ここがゲームの中だなんてとても信じられないわね」
「ちゃんとお腹の中に入ってる感じもするな。っていうか、腹を満たしたから言うんじゃないけどさあ……今俺うんこしたら、現実世界ではどうなっちゃうんだろう?」
「あんた、嫌なこと気づかせてくれるわね……ああああ! 考えたくないっ!!」
マナは一瞬にして食欲が減退したのか、食べかけのりんごを見つめたまま固まってしまった。有理はさっきまでの男同士のノリでつい下品なことを口走ってしまったが、相手を選ばねばならなかったと反省した。まあ、現実の方では何も食べてないのだから、出すものがなければ何も出ないと思うのだけれど……
そんな下らないことを考えている時だった。突然、広場の人々がざわつき出して、遠くの方からピーヒャラピーヒャラ、ちんどん屋みたいな音が聞こえてきた。ちんどん屋と言うにはもっと厳かな雰囲気ではあるが、人の気を引こうとする目的は同じなのだろうか、それを合図にしたかのように、町のあちこちからぞろぞろ人が集まってくる。
それまで広場を占拠していた屋台が慌てるように片付けだして、そんな行商人と入れ替わりに聖職者っぽい服を来た男たちが現れ、何故か縄で繋がれたみすぼらしい姿の人々を引っ立てるように広場の中央へと歩み出ていった。
奴隷商……には見えないから、あれは罪人だろうか? 人々はそれを取り囲むように、広場いっぱいに集まっている。一体、何が起きるんだろうか? と人混みに紛れて見物していたら、やがて祭り囃子はどんどん近づいてきて、各々楽器を手にした異様な仮面を着けた集団が広場へ入ってきた。
集団がバグパイプのようなものをピーヒャラ一心不乱に吹き鳴らし、打楽器をジャンジャン叩いて広場の中央まで歩いていくと、そこにいた聖職者っぽい男が恭しく近づいてきて頭を下げ、リーダーらしき人物に罪人たちを繋いだロープを手渡した。
リーダーはそれを受け取ると、腰に佩いてた剣をスラリと抜いて天に掲げて、広場を取り巻く衆人に向かって何やら叫び始めた。
「我神聖なるアストリアの名の下にこの世の不浄を取り除かんとする者。善行を右に悪行を左に天秤の傾きによりて邪なるを誅滅する者。神の祈りを捧げいざ静謐を取り戻さんとする者。神アストリアの代弁者にして真理を司る者」
そんな男の宣言が終わるやいなや、広場に詰めかけていた人々の間から、殺せ殺せと怒号がとどろき始めた。その耳をつんざくような叫び声に、自分が言われてるわけでもないのに思わず足が竦んでしまう。
人々は皆、目を血走らせ口々に死ね、くたばれと憎悪を掻き立てるような言葉を絶叫している。男たちはみな顔を真っ赤にして、女たちは金切り声で、一心不乱に怒りをぶつけている。
中には失神するものまで現れる始末で、一体何がそんなに彼らを焚き付けているのかと戦慄していると、やがて広場の中央に罪人の一人が引っ立てられてきて、大八車みたいな台に載せられたかと思えば、今度は仮面を付けた男が巨大な斧を持って現れ、まさかと思う間もなく、その鋭利な刃先を罪人の首に振り下ろした。
その瞬間、ポンという効果音が聞こえてくるくらい、本当にあっけなく、あっさりと罪人の首と胴体が2つに別れた。そして群衆からは絶叫のような歓声が沸き上がった。
まるでお祭り騒ぎみたいな狂った叫び声に、ちょっとこれはもうゲームの演出とは思えないと、さすがに有理も緊張を隠せなくなってきた。
どうして自分は、こんなグロテスクな処刑シーンなんてものを見せられているのかも分からなければ、人々の異様に殺伐としたヒステリックな叫びもわけが分からない。
と、その時、首を落とされた胴体のほうが、突然、光に包まれたかと思えば光の塊となって空へと昇っていった。もう片方の、首の方も同じように光に包まれたかと思えば、こちらも同様に光となって空へと上がっていく。その片方は上空で間もなく四散して消えてしまい、もう片方はグングン加速したかと思えば、遠くに見える塔の上へと一直線に向かっていった。
すっかりその存在を忘れていたが、あれは軌道エレベーターではなかったのか? 困惑していると、また別の罪人が連れてこられて同じように首を落とされ、また光のエフェクトを発して片方が空へと消え、もう片方が塔の方へと飛んでいった。
『殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!』
その間、町の人々はずっとヒステリックな歓声を上げ続けている。その憎悪の言葉はとてもAIが生成したものとは思えないほど流暢で、感情むき出しで、恐怖を煽るものだった。まるで一番憎悪した者が表彰されるコンペみたいだ。
「物部……」
そんな異様な光景に当てられていると、ふいに肘のあたりを引っ張られた。振り返ればマナが真っ青な顔で彼のことを見上げていた。その拍子に目に汗が染み込んできて、有理は自分が額に汗をびっしょりかいていることに気がついた。
彼女は何も言わなかったが、言わんとしていることはすぐに分かった。こんな不愉快な場所にいつまでも居ては、こっちの精神がおかしくなりそうだった。二人はどちらからともなく頷きあうと、群衆の輪を抜けて広場を後にした。
行き先は決まっていなかったが、この場にいるくらいならどこにいてもマシに思えた。二人は当て所なく町の中をぐるぐる歩き回ったあと、結局、群衆の声を避けるように最初の森の方へと逃げるように去っていった。