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その頃、現実では

 一報が伝えられたのはウダブとの話が一段落し、談笑をしている最中だった。応接室の扉が激しくノックされ、今日は学校へ来る予定ではなかったはずの宿院青葉がふらりと現れたかと思えば、有理が意識不明で昏睡していると言うのである。


 ついさっき別れたばかりだというのに、もうおかしなことに巻き込まれているのだから、油断も隙もあったものではない。桜子さんは客人に別れを告げると、青葉と共に応接室を飛び出した。


 この春に物部有理という青年が発見されてから、まったく退屈しない日々が続いていた。圧倒的な潜在能力を誇りながらも全くの無能で、いくら魔法を教えても発動する気配がない。いい加減イジメにしか思えず、これは見当違いだったかと諦めかけたところで、その実力の片鱗を見せつけるかのように巨大なマジックフィールドを展開し、首都圏をパニックに陥れる。その際、死にかけていた身体が回復していたことから、もしかして回復魔法の使い手か? と期待もしたが、目覚めた本人は何も覚えていなくて、当然のように魔法も使えなくなっていた。


 大停電後に突然急増した魔法適正者も、何か彼に関係ありそうなのだが、世界中の研究者が何人集まっても、未だに彼が何者であるかも、何もかもわかっていなかった。


 今度は何が起きているのだろうか……正直、そろそろ頭が痛かったが、とにかく行ってみなければ始まらないと、桜子さんは研究室へと急いだ。


 そうしてたどり着いた研究室の中は、何故か白衣を着た連中で過密状態になっていた。こいつらは何者なんだ? と戸惑っていると、彼女が来たことに気付いた張偉が駆け寄ってきた。


「桜子さん! 来てくれたのか」

「チャンウェイ、これは何の騒ぎ? 有理が倒れたって聞いて飛んできたんだけど」


 張偉はコクコクと頷いて、


「その言葉の通りだ。物部さんはあっちの方で横になってるよ。命に別状はないそうだが……」

「とにかく、どんな状況なのか教えてよ」

「ああ……俺たちはHMDを使ったVRゲームをやっていたんだが、物部さんと生徒会長の二人がゲームを始めたら、いきなり倒れて動かなくなってしまったんだ。俺は二人のことを起こそうとして、揺さぶったり、何度も呼びかけたりしたんだが、全然起きてくれなくて、どうしたものかと途方に暮れていたんだが……その時、何気なくモニター画面を見てみたら、あの通りになってて」


 そう言って彼が指差す先を見てみれば、サーバーに繋がれたディスプレイの中に、有理とマナの姿が映っていた。二人は少しファンタジーな格好をして、剣や弓を持っていて、あたふたとしながら、何やら会話をしているようだった。しかし、その言語は日本語でもアストリア語でもなく、何を言っているのかさっぱり分からなかった。


 その会話の内容も気になったが、今はそんなことよりも、


「これは、どういうこと? 現実の二人は、今眠っているのよね。なら、画面の中のあれはなに? 過去に録画したVTRを見せられてる……ってわけじゃないんだよね? あの二人は、寝ながらゲームをしているってことなの?」

「ああ、俺も自分がどうかしてるんじゃないかと思うんだが……物部さんたちは、ゲームの世界に取り込まれてしまったとしか思えないんだよ」


 張偉は彼にしては珍しく弱気な顔をしている。桜子さんも理解が追いつかなくて、頭がどうにかなってしまいそうだった。


 ゲームの世界に取り込まれただって? 馬鹿馬鹿しい……しかし、相手があの有理だと思えば、何があってもおかしくないんじゃないかと思えてしまい、


「……多分、ユーリがまた何かやらかしたって考えるのが妥当なんでしょうね。ところで、さっきから気になっていたんだけど、この人の多さは何? 近所で医者が運動会でも開いてたの?」

「いや、彼らは医者じゃない。研究者の人たちなんだ。えーと……二人がこんなことになっちまって、俺にはどうしようも出来なかったから、とにかく助けを呼ばないとと思って、飛び出してって廊下を歩いていた人に声を掛けたんだよ。そうしたら興味深いって言って、次から次へと集まってきてしまって」

「……ここ、魔法研究者の巣窟だもんね。餌をばらまいたようなもんだわ」

「すまない。途中であんたのことを思い出したんだが、連絡先が分からなくてな。それで宿院さんに電話して伝えてもらったんだが」

「それで、何か分かった? これだけいれば、何か分かりそうなものだけど」

「やあ、桜子さん。久しぶりだね」


 二人がそんな話をしていると、件の研究者たちの中から一人の老人が立ち上がって近づいてきた。誰かと思えば、学校で魔法学の授業を受け持っている徃見(いくみ)教授であった。


 張偉が、そういえば今日は教授の授業があったと思い出していると、彼は桜子さんの前まで歩み出ると老眼鏡を外してニッとした笑みを浮かべて、握手を求めるように手を差し出した。


 ところが、桜子さんの方は教授のそんな仕草を見ても、真顔で突っ立ったまま微動だにしなかった。張偉が、どうしたんだろう、相手に失礼じゃないかと、心配になるくらい、彼女はたっぷり10秒くらいしてから、ようやく時が動き出したかのようにその手を軽く握り返し、


「あら、ソウジロウじゃない。久しぶりね、元気してた?」


 そういって微笑んだ顔は、もういつもの桜子さんだった。張偉はなんだか彼女のその仕草に嫌な感じを覚えたが、教授はそんな桜子さんの素振りに気づかなかった風に、


「ははは。この年ではもう、いつも元気とは言ってられないよ。最近は特に腰の調子がおかしくてね。今朝なんかも……っと、いけないいけない。年寄りの愚痴を聞きに来たわけじゃないだろうに。物部くんのことが知りたいんだよね」

「ええ、教えてくれると助かるわ」

「いいとも。といっても、こういう時の定番というかなんと言おうか、今のところ、何も分からないということが分かったといったところだね。一通り調べてはみたけど、物部くんは我々の常識の範疇には居なかった存在だから、なかなかどうして、その力の片鱗を掴ませてくれないんだ。今回のことも、彼が何らかの魔法現象によって想定外の事態を引き起こしていることまでは分かるんだけど、具体的にそれが何かと言えばちんぷんかんぷんだ」

「はぁ……まったく。こんなにいるのに、役に立たない連中ね」


 教授は苦笑いしながら、


「手厳しいね。でも、一つだけ分かったことがある。どうやら物部くんは、たった今、本当に魔法を使っているようなんだよ」


 そんなの一目瞭然だろうと言いたいところだが、どうも思ってるのとはちょっとニュアンスが違うようだ。もっとちゃんと詳しく話してくれと言うと、


「そうだね……魔法使いが魔法を発動する際には、重力波の他にも、少し特徴的な電磁波が発生するんだけどね、こっちは重力波とは違って検出するのが簡単なんだ。だから被験者に映像や音声を用いて魔法行動を誘発し、この電磁波を検出することで魔力の有無を測定するというのが、いわゆるM検ってやつなんだが、今の物部くんはその電磁波をずっと放出し続けている状態なわけ。つまり、眠っているようで、実は、魔法を使うためにずーっと覚醒状態のままなんだ」

「眠ってない? ああ見えて起きているっていうの?」

「もうちょっとちゃんとした機械を使って調べたほうが良いだろうけどね。軽く調べた限りではその通り、覚醒状態で間違いない。そしてこれが物部くん一人だけならまだしも、椋露地さんの方もまったく同じ状態で、二人が眠りながらどんな魔法を使っているのかと言えば……あの通りさ」


 そう言って教授は備え付けのモニターを指差した。そこにはVRゲームの本物と見間違うような美麗なグラフィックの中で、有理とマナが右往左往している。これまでの状況からして、二人の意識がゲームの中にあるのは、ほぼ間違いなかった。


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