最近のゲームって本当に凄いのね
それを見た瞬間、なんとなくその言葉が頭に浮かんだ。RPGの定番、ゴブリンだ。おそらく、その目利きに間違いはなかっただろう。
RPGの最弱モンスターとして定番のゴブリンは、とにかく数が多いというのが定説であるが、その評判通りに、緑色の肌をした小鬼は、最初の一体が出てきた茂みの中から次から次へと湧き出してきた。有理はナイフを構えると、まだ気づいていないマナに警戒を呼びかけた。
「椋露地さん、気を付けて!」
「え……な、なにあれ。気持ち悪い!」
「多分、チュートリアル戦闘が始まったんだ。強くはないと思うけど、慎重に行こう。俺が前衛を引き受けるから、椋露地さんは弓でサポートして」
「わ、わかったわ」
そう言うと、有理はゴブリンの集団の中に飛び込んでいった。相手は小柄とはいえ、見えるだけでも数は5体。こっちは初心者だし、うっかりするとやられてしまう可能性もあるだろう。何より、マシンの描画性能が良すぎて本物と見間違うくらい迫力があるから、正直腰が引けてまともに動けそうもなかった。
それでもおっかなびっくりナイフを振るったら、神の加護が効いているのか、繰り出した攻撃は信じられないほど鋭く走り、ザシュッと皮膚を切り裂く音とともに、小鬼から青い血液が吹き出した。断末魔の叫び声が森にこだまし、他のゴブリンたちが怒りの雄叫びを上げる。生き物を切った感触は殆どなく、体勢も全然崩れていなかった。
現実世界じゃ喧嘩すら満足に出来なかったのに、どうやらこの世界でなら、自分は思った以上にやれそうだった。有理はそう確信すると、すぐさま次の獲物に向かってナイフを振り上げた。体は自分のものじゃないかのように軽快に動いた。襲いくるゴブリンの攻撃を交わしつつ、まるでダンスを踊るかのようにくるくると回りながら攻撃を繰り出していく。これならマナのサポートが無くても、一人で全部片付けられそうだ。
しかし、そうして調子に乗っていたら、茂みの奥からまた別の集団が飛び出してきて、油断しきっていた有理は体勢を崩された。地面に手をついた拍子にナイフを落としてしまい、慌てていると、ヒュッと風を切る音が聞こえて、光の矢がゴブリンの眉間に次々と突き刺さっていく。
冷や汗が額を流れ落ち、ゾクゾクとした悪寒が背筋を駆け上っていった。ドサドサとゴブリンたちはその場に倒れ、それと同時に光の矢は虚空へと消えていった。
有理が尻餅をつきながらその光景を見ていたら、やがて倒されたゴブリンたちの体も、光の礫となって空へと昇っていってしまった。やはりゲームだからだろうか、こういう生々しい死体は残らないようだ。ホッとしているとマナが近づいてきて、
「油断大敵よ」
「ごめん。助かったよ」
「それにしても、本当によく出来たゲームね。実は怖くて、最初は体が動かなかったんだけど、あんたがやられるって思って弓を引いたら、あとは体が勝手にやってくれたわ」
「俺もそんな感じだったから、つい調子に乗っちゃったんだよ」
二人がたった今の出来事について話していると、また視界に被さるようにレベルアップの文字列が浮かんできた。どうやら今の戦闘で得た経験値で、何かスキルを得ることが出来るらしい。
しかし、オンラインヘルプが表示されたから読んでみたのだが、設定が細かすぎて殆ど理解できなかった。洋ゲーあるあるだなと思いつつ、なんとか理解できる部分だけを要約すると、大体以下の通りである。
冒険者のスキルは、『ウォート=語』によって好きなようにカスタマイズ出来る。例えば、火を表すファイロという語と、風を表すヴェントという語を合成すると、熱風が出てくるといった感じに、いろいろな語を組み合わせて新しいスキルを好きに作れるのだそうだ。レベルアップの度に、新しい語を得る機会があるから、ぜひ自分だけのオリジナルスキルを作ってくれよな!
というのがこのゲームのコンセプトらしい。なかなか攻めた設定であるが、組み合わせ次第ではまったく意味を成さないこともあるだろうから、語を選ぶ時は慎重にいきたいところである。じゃないと、課金ガチャの沼にハマりそうだ。
因みに、最初のレベルアップでは、この世界を構成する四大元素・火風水土の中から一つを選ぶ必要があるらしい。今後の成長に関わってくるかも知れないから悩みどころだが、
「なら私は火がいいわ」
と、マナはあっさり決めてしまった。理由は、なんとなく強そうだからだそうだが、そんなに簡単に決めてしまってもいいのだろうか。とはいえ、結局は4つの中から選ぶしかなく、いつまでも悩んでいても仕方ないから、
「それじゃあ、俺は水にしようかな」
と、有理は火とは逆属性っぽい水を選ぶことにした。自分は真逆の方向で育成していったほうが、結果的にパーティーとしてはバランスが良くなり、やれることも増えるんじゃないかという、なんともゲーマーらしい発想である。そんなことは考えずに、彼女みたいに好きなのを選べばいいだろうに……長年染み付いた習性は簡単には拭えないものである。
「ファイロ!」
スキルを得たマナが早速とばかりに使っていた。彼女が前方を指差しながら語を発すると、その指先から炎がブワッと燃え上がった。残念ながらそれだけで、火球が飛んでいったりはしなかったが、まったく火種がなくても好きに火を起こせる能力に彼女はご満悦の様子で、何度も炎を出したり消したりしていた。
「アクウォ」
有理もスキルを使ってみたら、彼の場合は目の前の空中に水の球が現れ、それは徐々に膨らんでいって、一定の大きさになったところでバシャッと弾けて地面に落ちてしまった。もう一度やって、今度は地面に落ちる前に手のひらで受け取ってみる。
手のひらの内で揺れる水は、どこまでも透明で、不純物が混じっている感じはしなかった。温度もちゃんと感じられて、手のひらを冷やすその水を見ながら、これって飲めるのかな? と考えていると、水面に反射してマナの顔が見えた。
「本当に、本物の水にしか見えないわね。こういうのって表現するの難しいんでしょう?」
「ああ、炎の処理もそうだけど、かなりGPUのパワーを食うはずだね」
ついでに言うと、木々の葉が透けて向こう側の風景が見える回折現象とか、木漏れ日が光の筋を作る表現とか、そういった処理もかなり重たいはずである。まあ、新サーバーがこれくらいで落ちることはないが、今頃ファンがうるさいくらい回っているかも知れない。
……というか、回っているはずだ。ヘルメットを被ってはいるが、オープンイヤーだから、多少は外部の音も聞こえるはずだが、そう言えば、さっきから周りにいるはずの張偉の気配も殆ど感じていなかった。
最初ログインした時、ヘルメットを取ってみようと試みたことがあったが、改めて有理が違和感を覚えていると、
「ふー……とても楽しかったけど、流石にちょっと疲れてきちゃったわ。一通りやってみて、あんたたちの活動内容も分かったし、そろそろ生徒会室に戻りたいんだけど」
「ん、ああ、そうだな」
「それで、これってどうやったら終われるの? あまりにも凄すぎて実感が湧かないけど、私たちって今ゲームをやってるのよね」
「ああ、そのはずだけど」
そう。移動は脳波コントローラーで行っているはずだし、ヘルメットに直接さわれないのは、グローブを嵌めているからのはずである。
しかし、いつからだろうか。もしかしたら最初からかも知れないが、自分の体をコントローラーで動かしている感覚なんて全くなくなっていたし、ヘルメットやグローブを着用している感触もなくなっていた。
今の感覚を例えるなら、フルダイブ型VR機器で電脳世界に身一つで放り出されたような……もしくは異世界に転移させられたような、そんな感じである。しかし、もちろんそんな技術は今の地球には存在しない、SFの世界の話であった。だから現実に、そんなことはありえないはずだが……
「ねえ、物部。なに固まってるのよ。それで、どうすればゲームをやめられるわけ?」
「それが椋露地さん……実は俺にもよく分からないんだよ」
「……はあ?」
マナは胡散臭いものでも見るような目つきで首を傾げている。有理は自分が悪いわけじゃないのに、なんだか責められているような気分になった。もっと早くに、彼女にも確認しておくべきだったのに、それを怠ったのはきっと自分もそれに気づきたくなかったからだろう。
「椋露地さん。一応、聞いておきたいんだけど……君は今、ヘルメットを被ってるはずだよね? それを自分の手で、こうやって脱ぐことって出来る?」
有理は自分の頭を両手で掴んで、上に引っ張り上げるような仕草をしてみせた。しかしマナはそれを見ても彼と同じような動作をしてみようとはせず、
「出来ないわ」
「出来ない?」
「それは最初に確かめてみたもの。だから驚いていたんじゃない。最近のゲームって本当に凄いのねって」
有理はごくりとつばを飲み込んだ。
「つまり……君もさっきから、外部の様子を窺うことが出来ていないの? 俺達が椅子に座ってるはずの研究室の音や、張くんの気配を感じられない?」
「ええ、まったく。これってどうやってるのよ?」
マナは呑気そうに言ってはいるが、その表情は少しこわばって見えた。彼女もそろそろ、状況がおかしいことに気づき始めているらしい。
「……実は俺もずっとそうなんだけど」
「ねえ、私も一応、聞いときたいんだけど……これってゲームの仕様か何かで、当たり前のことだったんじゃないの?」
有理は首を振って、
「だったら良かったんだけど……こんなことって、絶対あり得ないよね? 冷静に考えてさ、俺達って今、椅子に座ってヘルメットを被ってるだけのはずじゃないか。仮に目隠しされて耳を塞がれていても、ちょっとくらいは外の様子が分かるはずだ。でも、今はそれが分からない。俺はこの世界に、体ごと転移させられて来たような、そんな感じがしてるんだけど……」
「マナもそうよ。でも、これってゲームなのよね? じゃなきゃ、私は弓なんて撃てないわよ。こんな魔法の矢なんてのも出せないし。一体、どうなってるのよ?」
「わからない……何がなんだかさっぱりだ。取りあえず、ここが本当にゲームの中なら、どうにかしてログアウトする方法があるかも知れない。まずはそれを探してみよう」
さっきオンラインヘルプがあったから、もしかしたらそこに何かが書かれているかも知れない。二人はそう期待して、各々メニュー画面から調べてみたが、いくら探してもゲームのログアウト方法なんてものは見つからなかった。