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戦闘チュートリアル

 キャラクリエイトを終えると、NowLoadingの文字列が画面に現れクルクル回りだした。視界は完全に閉ざされて真っ暗闇の中、無機質な文字列と共に宙に浮かんでいると、何とも座り心地が悪かった。


 カウントダウンが始まり、こういうのは大抵90%くらいまではギュンギュン進んでいくのに、その辺から急激に遅くなるのはどうしてなのだろうか……などと下らないことを考えていたら、今度は突然まばゆい光が差してきて、画面がホワイトアウトし、その目が徐々に光に慣れてくると、そこには信じられないような光景が広がっていた。


 気がつけば有理は木漏れ日の落ちる森の広場に立っていた。木々のざわめきが波のように絶え間なく響き、それはどこまでも遠く聞こえている。周囲からは小鳥の歌が引きも切らず流れてきて、吹き抜ける風が頬を掠めていく感触が(くすぐ)ったかった。


 木々の梢の上を小動物がチョロチョロ動き回り、こちらの様子を好奇心いっぱいの目で窺っている。突然、耳元でブーンと虫の羽音が聞こえてきて、慌てて手で振り払ったら、小さな羽虫がいっぱい、すぐ近くの倒木に湧いているのが見えた。覗き込めば、朽ちた木の洞の中まで実に自然で、よくもここまで再現できたものだと感心した。


「……って言うか、いくらなんでも自然すぎやしないか?」


 その光景に、なんとなく違和感を覚えた彼は、自分が被っているであろうヘルメットを取りたい衝動に駆られ、頭に手をやった。しかし、その指先に感じるのは髪の毛の感触だけで、ゴツゴツしたヘルメットの材質は伝わってこなかった。


 おかしい……と一瞬思ったが、冷静に考えれば、自分は今グローブ型コントローラーを嵌めているはずだから、正確な感触が伝わってくることはないはずだった。とすると、これは有理が髪の毛を触ったから、グローブがその感触フィードバックしてきたということだろうか?


 それはそれで、ものすごい技術だから、ちょっと信じられないと疑っていると、彼の視界の隅に突然、まるで飛び出す絵本のようににょきっと人の姿が現れて、


「わーっ! 凄い! 本物の異世界みたい!」


 と、有理に遅れてログインしてきたマナが、キョロキョロと辺りを見回しながら感嘆の声を上げた。


「見て、物部! あそこにリスがいるわ。私、本物のリスを見るのは初めてよ。あの鳥はなんていうのかしら? 風が心地良いわね。木の匂いまで漂ってくるみたい! 最近のゲームってこんなに凄かったのね。今まで知らなくって、損した気分だわ!」


 有理は彼女の素直な感想を聞いてるうちに、なんだか自分の考えが馬鹿らしくなってきた。本来ならゲームはこれくらいストレートに楽しさを享受するもので、例えば制作者の意図を勘ぐったり、グリッチを発見しようとして、なんでもかんでも疑り深くプレイするものではなかったはずだ。いつから自分は批評家になってしまったのだろうか。


 彼は肩の力を抜いて答えた。


「そうだね。因みにあの小動物って狩ることも出来るのかな?」

「狩る!? 信じらんない。なんでそんな可哀想なことを考えられるのよ!」

「いや、こういうゲームだと定番だし……」


 そんな話をしていると突然、有理の視界に被さるように、ファースト・ミッションという文字列が浮かび上がった。脳波コントローラーの時と同じように、外部を透過する半透明のスクリーンに映し出されているような感じである。こういう人為的なところはやはりゲームだなと思っていると、マナの目にも同じものが映っているのか、


「わっ!? わっ!? なにこれ。私の目、どうしちゃったの?」

「落ち着きなって。ゲームのチュートリアルが始まったんだ。まずは指示通りに行動してみようか」


 どうしてなのかは分からないが、周囲に慌てている人がいると、自分は割と落ち着いていられるものである。有理はあたふたしているマナに助言をしながら、自分も同時にチュートリアルを進めていった。


 チュートリアルによれば、ここはミュルクヴィズと呼ばれる深い森の中である。この国は森に覆われていて、人々はそこに生息する悪しきもの=魔物に怯えるように暮らしているらしい。有理たちは、そんな人々に代わって魔物と戦うために、異世界からこの世界に召喚されてきた冒険者のようである。


 そんな話がつらつらと続くが……要約すればプレイヤーの目的は、とにかく人に危害が及ばないようモンスターと戦うことであり、そのうち出てくる冒険者ギルドに所属しながら、用意されたクエストを進めたり、モンスターを倒してレベルアップしたり、日銭を稼いでレアハントしたりと、まあ、比較的自由度の高いMMORPGの世界にやってきた冒険者という位置づけのようである。


 そのための力は神様から与えられているという設定で、続いて戦闘のチュートリアルが始まった。


 なにはなくとも、敵と戦うにはまず武器を装備しなければならないというので、何か持ってないか? と自分の体を確認したら、腰のホルダーにナイフが入っていた。手にすると信じられないくらい軽く、試しに振ってみたら、運動音痴の自分とは思えない速度でビュンと風を切る音がした。どうやら神の加護とやらが効いているようである。


「物部、助けて! どうしたらいいかわからないの」


 有理が自分のことに夢中になっていたら、マナが泣きそうな声で話しかけてきた。どうやら彼女の方は初期装備として弓を持っていたようだが、弓はあっても肝心の矢が見つからないらしい。まさか、矢はその辺の枝を削って作れってことではないよな……と首を捻っているとき、ふと思いついて、


「試しにそのまま弓を引いてみてよ」


 と提案すると、彼女は最初は馬鹿みたいと言って嫌がっていたが、そのうちノロノロと弓をつがえる動きをしてみせ、


「あ、あれー?」


 弦を引いたら、どこからともなく光の矢が現れて、驚いた彼女が指を離してしまうと、そのまま光の矢はビュンと飛んでいき、木に刺さって暫くすると消えてしまった。


 マナは暫くの間放心していたが、すぐにまた同じように弓をつがえる動作をすると、今度はちゃんと狙いを定めて矢を放った。


 その顔が一瞬にして晴れやかに変わっていく様を見るからに、光の矢は全部彼女の思い通りのところに飛んでいくようである。ご満悦の彼女は次々と新たな矢をつがえては弓を放っていって、あっという間に5連射くらい平気で撃てるようになっていた。


「これ、すっごい楽しいわよ。弓の名手になった気分ね」

「俺も弓のほうが良かったな……」


 などと、二人してナイフを振るったり、弓矢を撃ったりしているときだった。森の広場の隅っこにある茂みの方から、ガサガサと何かが近づいてくる音が聞こえてきて、警戒しているとそこから緑色の小人が現れた。餓鬼みたいに細身の体に邪悪な顔、目は真っ赤で白目がなく、そこから感情のようなものは一切窺えない。


 それを見た瞬間、なんとなくその言葉が頭に浮かんだ。RPGの定番、ゴブリンだ。そういえばチュートリアルの最中のはずだが、まだ敵とは戦っていなかった。するとこれは最初の戦闘ミッションといったところだろうか? まさか負けることはないだろうが、油断は禁物である。有理は慌ててマナに声を掛けると、ナイフを構えてゴブリンたちに対峙した。


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