夢の中へ
張偉が持ってきたのはHMDを使って仮想現実空間を体験することが出来るVRゲームだった。部活査定に来た生徒会長はそれで満足したようだったが、有理がもっと凄いのないの? と煽ると、彼はもちろんあると言ってオープンワールドのMMORPGを持ち出してきた。
「VRの売りと言えば、現実と見分けがつかないくらい美麗な世界に、どっぷり浸れることに尽きる。限られたスペックの中で、どれだけ現実に近づけるか。脳をバグらせられるか。開発チームが出した答えが、この脳波コントローラーとグローブ型コントローラー、そしてHMDを駆使したオープンワールドゲームなんだ」
そう言って彼が出してきたのは、何やらごちゃごちゃした配線が繋がっているグローブだった。両手合わせて10本、指先から伸びている配線は先の方で一箇所にまとめられ、シリアルバスインターフェースに繋がっている。HMDはスタンドアローンでも動くのだが、今度のゲームはスペックが必要だから、パソコンに繋ぐ必要があるのだろう。
両手にグローブを嵌めてからヘルメット型のHMDを被ったら、画面越しにはグローブは表示されずに、生身の指が映し出されていた。しかしそれは見た目だけで、本物の自分の手じゃないことはすぐにわかった。多分、このグローブ型コントローラーを使うことによって、ゲーム内のアイテムを掴むなどのアクションが出来るのだろう。
「このゲームはオープンワールドマップをリアルタイムに描画してHMDに映し出すんだが、CPUパワーが必要だからパソコンで動かす必要があるんだ。もちろん映像の美しさはマシンスペックに左右されるから、それなりのパソコンでは描画がカクついてしまう。だが、物部さんのマシンならまったく問題ないだろうからな。どれだけ凄いことになるか、実はちょっと期待しているんだ」
「実際、前のサーバーと比べても、段違いに処理速度が上がってるはずだからね。俺も今から楽しみだわ」
「ねえ、何の話をしてるか分からないけど、それでやるの? やらないの?」
男たちが技術的な話をしていると、話についていけないマナが退屈そうにしていた。張偉は脱線したこと詫びると、箱の中からもう1セットのHMDを取り出し、
「コントローラーは2つしか用意できなかったんだ。俺は後でいいから、まずは2人だけでやってみてくれないか」
「いいの?」
「もちろんだ。俺は外からモニターしているよ」
張偉に渡された追加のHMDとグローブをサーバーに繋ぐ。サーバーはメリッサのローンチで忙しいはずだが、何しろものすごいスペックだから、これくらい特に問題ないだろう。有理はOSの仮想マシンにゲームソフトのα版をインストールすると、後の操作を張偉に任せ、自分はパイプ椅子に腰掛けてヘルメットを被った。
隣では既に準備万端のマナが指に嵌めたグローブをワキワキさせている。さっきの体験がよほど気に入ったのか、もう待ち切れない様子である。張偉はソフトが起動するのを待ってから、2人分のアカウントを作り、それぞれのHMDに関連付けた。するとモニターにキャラクタークリエイトの画面が映し出されたが、
「まだ細かい設定が出来ないからデフォルトのアバターで我慢してくれ」
と言うので、二人は特に見た目はいじらず、HMDのスクリーンに表示された操作パネルの決定ボタンを押した。キャラクリが終わると、すぐにゲーム起動中のカウントダウンが表示され、間もなく鬱蒼と茂る森の木々に囲まれた広場が映し出された。倒木にはきのこが生えていて、木漏れ日が光の筋となっていくつも差し込んでいる。地面には雑草が生い茂り、木の上からリスみたいな小動物がこちらの様子を窺っており、オシドリの番が仲良さそうに画面の上の方を通過していった。
彼らの見ている映像は、パソコンに繋いだディスプレイにも映し出されており、張偉は現実としか思えないような光景を見て、こんなものを一瞬にして描画してしまうなんて凄いと感心していたが……と、その時、彼はその映像の中に女性の姿が……生徒会長の椋露地マナの姿が映し出されていることに気づいて更に驚いた。
デフォルトのアバターは男性のはずだが、スキャンもしていない彼女の姿かたちが、どうしてそのまま取り込まれているんだろうか?
そう思って、現実の彼女の方へ目をやれば、椅子に座っている彼女の体が大きく左右に揺れ動いているのが見えた。今にも椅子から転げ落ちてしまいそうである。というか、実際に倒れかけていたので、慌てて駆け寄ると、張偉は彼女の体を支えて床におろした。
「おい、生徒会長! 大丈夫か?」
床に寝かせた彼女の肩を叩いて声を掛けるも、彼女の体は微動だにもしなかった。流石に様子がおかしいと思った彼は慌ててヘルメットを脱がせると、マナはまるで気絶するかのように脱力しきっており、小さくうめき声を上げていた。
てんかんの発作か何かだろうか? 持病を確認しておかなかったことを後悔しつつ、なんとかして彼女を起こさなきゃと慌てていると、突然、ドスン! っと大きな音がして、びっくりして振り返れば、すぐ隣の椅子から、今度は有理が転げ落ちていた。
転倒した拍子にヘルメットが外れ、カラカラと音を立てて床を滑っていく。見れば有理の体も脱力しきっており、マナと同じく気絶しているように見えた。
「おい、二人とも、しっかりしろ!」
張偉は何度も声を掛けたが、二人とも目を覚ます気配すら感じられなかった。最初は持病を疑ったが、流石に二人同時となると考えにくかった。続いて脳波コントローラーという言葉の響きから、脳へのダメージを疑いもしたが、冷静に考えてみれば、機械は脳波を検出するだけで、信号を送っているわけじゃない。だから脳が傷つくようなことも考えられなかった。
だが、現実に眼の前で二人は気絶するかのように倒れている。何が起きたか分からないが、自分の手には負えないと感じた張偉は、助けを呼ぼうとして慌てて立ち上がったが……と、その時、彼は視界の隅にモニターに映るゲーム画面を捉え、そこに気になるものを見つけた。
二人は気絶している。なのにゲーム画面が今も動き続けていることに気づいた彼が、目を凝らしてモニターの中を覗き込めば、モニターの中のマナがまるで何事も無かったかのように棒を振り回したり、画面に向かって何か話しかけている姿が見えた。
その画面は、有理が見ている視界のはずであった。まさかと思ってマナの映像に切り替えてみたら、今度はその画面の中央に有理の姿が映し出された。その姿もマナと同様、現実の彼のままである。
なにがなんだかわからないが、つまり、二人はまだゲームを続けている……?
しかし、ヘルメット型のコントローラーは、今はもう二人の頭からは外されていた。なのにまだ二人はヘルメットを被っているかのようにゲームを続けているのだとしたら、一体これはどうなっているのだろうか。張偉はどうすることも出来ず、呆然と立ち尽くすばかりだった。