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脳波を使ってゲームをしよう

 研究室に戻ると、案の定、先に帰っていた張偉が手持ち無沙汰にしていた。


「遅かったな、二人とも。何してたんだ?」

「ごめんごめん。帰りに桜子さんと会ったから、立ち話してたんだ。彼女もあとで合流するかもって言ってた」

「そうか。彼女も来るなら、いつもの格ゲー大会でも良かったかも知れないな」


 張偉はそう言うと、足元に置いてある段ボール箱をチラ見した。箱には彼の実家のゲーム企業、天穹互动のロゴがプリントされてあった。家から何か送られて来たのだろうか? 例の件で、実家とは音信不通と聞いていたが……詮索するのも何だから顔に出さないようにして黙っていたら、空気を読んだのだろうか、張偉は説明口調で話し始めた。


「父の遺言で、俺が天穹の米国法人株を相続することになっただろう。それで海外支部が気を利かせて、新株主に事業内容のお披露目も兼ねて、現在開発中の新規IPのα版を送ってきたんだよ。せっかくだから持ってきた」

「へえ、天穹って海外にも開発チームがあったの?」


 張偉は頷いて、


「ああ、一応な。ゲーム開発は基本、本社が行ってるんだが、その内容は国内向けに特化している。世界最大の顧客数を抱えている国は中国なんだから当たり前だが、これを海外で売ろうとなると、昨今はポリコレがうるさいせいでダメ出しを食らうことも多い。その対応のために、海外にも開発チームが必要だったってわけだ」

「なるほど、いわゆるおま国対策ってやつか」

「そう、それだ。つまり米国法人は中国内でヒットした作品を海外展開するのが主な仕事なわけだが、そればっかりじゃつまらないだろう? それで最近は新規IPの強化を行っていたんだそうだが、話を聞いてみたら、これが結構面白そうなんだよ」

「へえ。どんなゲーム作ってるの?」

「いや、ゲームじゃなくて、力を入れてるのはインターフェースの方なんだがな」


 そう言って張偉は段ボール箱の中からヘルメット型の機械を取り出してきた。見た目からしてヘッドマウントディスプレイで間違い無さそうだが、最近のものにしてはやけにゴツくて重そうである。まだ開発段階だから仕方ないのかも知れないが、このままじゃとても売れそうにないと思ってると……張偉が言うには、どうもこれはただのHMDではなくて、


「脳波コントローラー?」

「そう。HMDはあくまで補助的なもので、これの最大の売りは、プレイヤーの脳波を読み取って、実際には移動することなく、あたかも本当に歩いたり走ったりしているかのような体験を、プレイヤーに提供することなんだよ」


 どういうことかと詳しく聞けば、大体以下の通りであった。


 その昔、スマホに換わる次世代のウェアラブル機器としてHMDが有力視された時期があった。いわゆるメタバースブームというやつであるが、彼らが製造するHMDは年々解像度が上がっていって、仮想空間はどんどん精巧になっていった。しかし、いかんせんそれは見た目だけで、現実の疑似体験というには程遠いものだった。


 いくら現実と寸分違わぬ映像が見られても、その世界を現実と変わらぬよう自由に動き回れなければ、せっかくのヴァーチャル感が台無しになってしまう。


 本当に仮想空間で現実と同じ体験をしたいのであれば、ゲームパッドなどで操作するのではなく、本物のプレイヤーの体が飛んだり跳ねたりするのにあわせて、仮想空間の景色も変わらなければならない。だが、そんなことはまだ不可能だった。


 首振りに合わせて画面を切り替えるくらいなら簡単だが、実際に人間の動きを仮想世界に投影するには、まず、その現実の人間が運動するための空間が必要となるし、視界を奪われた状態の人間は、案外、静止しているのも難しかったりする。人間は基本的に重心が前よりになっているから、その場でジャンプしているつもりでも、現実の体はどんどん前のめりになっていき、気づいたら壁に激突するなんてこともあるのだ。


 結局、本気でVR体験をするには、体育館くらいの広さの空間と、うっかり転んだりしないよう床にクッションを敷いたり、体を天井から吊り下げるなどの補助が必要となるだろう。そんなこと個人では到底不可能だろうし、一度冷静になって、そこまでしてVRをやりたいのか? と問われたら、それでもやりたいと答える人はどれくらいいるだろうか。


「それでブームは下火になって、火付け役の企業は事業を売却してしまったんだが、それが巡り巡ってうちの米国法人に回ってきたんだそうだ。で、開発チームはせっかくだからVRを売りにした新規IPを作ろうとしたんだが、するとさっきのような問題が立ちはだかってきたわけだ。現状のHMDは省スペースで大画面を提供しているだけに過ぎない。見た目だけバーチャルなゲームを作ったところで、きっと話題にもならないだろう。そこで彼らはそれを補う切り札として、脳波コントローラーを組み込んでみてはどうかと考えたんだそうだ」


 脳波コントローラーとは、プレイヤーが自分の脳で考えた通りに、ゲームのキャラクターを操作しようという機械のことだ。脳波という微弱な電波を読み取るため、慣れが必要だがそこそこ上手く行くらしい。そして基本的にHMDは頭に被るものだから、脳波を検出する機械と組み合わせるには好都合であった。


「さっき挙げた現状のVRの問題って、移動に関することばかりだったろう? 歩いたり、飛び跳ねたり、寝転がったり。言い換えれば、移動手段だけ何か別の方法で錯覚させられれば、現状のVR機器でも、十分満足な仮想体験は出来るはずだ。そう考えた開発チームは、それで実際に脳波コントローラーを組み込んでみたってわけだ」

「なるほど。実際のとこ、どうなの?」

「それは自分の目で確かめてくれよ」


 張偉はそう言ってヘルメット型の機械を差し出した。受け取ってみると、思っていた通りずしりと重くて肩が凝りそうだった。


 まだまだ改良が必要だと思いつつ、取りあえず被ってみると、それはスタンドアローンで動くみたいで、シールドの部分がスクリーンになっていて、既に映像が映し出されていた。視界は完全には閉ざされてはおらず、外部の風景が透過して見える。


「チュートリアルが始まるから、それに従って動いてみてくれ」


 その言葉を聞くと同時にスクリーンが切り替わって、まずはユーザーの脳波を検出するから、その場で足踏みしてくれとの指示が表示された。その通りに、その場で足踏みしていると、やがて半透明だった画面が切り替わって、自動車教習所のシミュレーターみたいな映像が映し出された。


 すると今度は頭の中で歩くイメージをしてくれと指示が出され、言わんとしていることは分かるが、本当にこんなことで動くのかな? と半信半疑ながら、動け動けと頭の中で念じていたら、


「お……おお?」


 最初はつっかえつっかえ、動いたり止まったりして安定しなかったが、そのうち本当に思った通りに歩くことが出来るようになってきた。速度も自由に切り替えられるようになり、そうして慣れてきたところで、今度はジャンプしてくれという指示が出され、また同じような動作を繰り返す。


「結構面白いな、これ……」


 だんだん楽しくなってきたが、チュートリアルはまだまだ終わりそうもなかった。このまま続けても良かったのだが、自分ばっかりやっててもしょうがないと、有理は途中でヘルメットを脱ぐと、生徒会長にそれを差し出し、


「椋露地さん、はいこれ」

「え? え?」


 何やってんだ、こいつ? といった感じで、ポカンと見ていた彼女は、いきなりヘルメットを渡されドギマギしながら、


「私もやるの?」

「だって、そのために来たんでしょ?」


 有理がこの機械をデモンストレーションしていたのは、そもそも部活申請の査定のためだった。それを思い出した彼女は最初は少し躊躇っていたが、


「それじゃ……せっかくだし、やってみようかな」


 と言って、いそいそとヘルメットを受け取った。口では興味無さそうなふりをしていたが、実は見ている内にちょっと興味が湧いていたようだ。彼女はこれも仕事だと自分に言い聞かせると、ドキドキしながらヘルメットを被った。


「え? え? なにこれ、凄くない?」


 チュートリアルを始めた彼女は指示されるままに、ぐるぐるその場を歩き回り始めたのだが、傍から見てる分にはフルフェイスヘルメットを被った小柄な少女がオタオタしているようにしか見えず、なんともシュールな光景であった。さっきまで自分がこういう状態だったのだと気付いた有理は苦笑いしながら、


「……っていうか、これ、彼女が見てる映像を外部モニターに映したり出来ないの?」

「有線で繋げば良いだけだが、チュートリアル中は邪魔だからな」


 確かに。線で繋がっていたら、ジャンプするくらいならともかく、スピンしたりは出来なそうだ。そんな話を二人でしている間に、マナはチュートリアルを終えたらしく、ヘルメットを脱いで、


「楽しかったわ。最近のゲームって凄いのね。驚いちゃった」

「いや、まだゲームは始まってすらいないんだがな」

「そうなの? それじゃこれはなんだったの?」

「ゲームをするための下準備っていうか……ちょっと待ってろ、今用意する」


 張偉はそう言うと、ヘルメットとモニターをケーブルで繋いでから、メモリースロットに何やらソフトのカートリッジを差し込んだ。そして今度は、椅子に座ったままヘルメットを被ってもらい、両手に片方ずつリモコンを持たせた。暫くすると、モニターに彼女が見ているゲームの画面が映し出された。


 それは線で描かれた簡易な三次元空間の中で、プレイヤーは前方から飛んでくる障害物を飛んで避けたり、両手に持っている棒で叩き落としたりするというシンプルなゲームだった。


 普段、ゲームはしないマナは、最初ポカンとしていたが、ルールが簡単だからすぐにやり方を理解して動き出した。


 見てる分には非常に簡単そうだったが、慣れない仮想空間の中で、想像だけで移動したり、手に持っているリモコンを振り回したりしていると、頭がごっちゃになるのか、マナが操作しているプレイヤーは結構被弾した。それでもやってる本人は楽しかったのか、


「あはは……あはは……あははははは!」


 と、被弾する度に何故か嬉しそうに笑い声をあげながら、時折体を左右に揺らしたりして、ゲームオーバーが表示されるまで終始楽しそうにプレイしていた。


「すっごく楽しかったわ。家の中が遊園地になったみたいね」


 ヘルメットを下ろしたマナは少し汗ばんでおり、よほど充実した時間を過ごしたのだろうか、ご機嫌の様子だった。張偉は彼女からそんな感想を聞けてホッとしている様子だったが、元々ゲーマーの有理は少々物足りなく感じていた。


 今、生徒会長がやっていたようなゲームは、それこそVR黎明期からある化石のような代物だった。これなら脳波コントローラーなんて物も必要ないんじゃないか。張偉は米国法人が新規IPを開発していると言っていたが、当然これのことではないだろう。有理がその点を指摘すると、彼は頷いて、


「ああ、もちろん。今のは初心者向けのデモンストレーションだ。物部さんみたいに目が肥えた人には、ちゃんと別のを用意しているよ」

「今のよりもっと凄いのがあるの?」


 するとマナのほうが食いついてきた。彼女には今の体験がよほど新鮮だったらしい。張偉は苦笑すると、持ってきた箱の中からもう一組のヘルメットと、ごちゃごちゃした配線の繋がっているグローブ型のコントローラーを取り出し、


「本当は俺が一緒にやるつもりだったんだがな。興味あるようだから、生徒会長に譲るとしよう。米国チームが現在開発中のは、今みたいなシンプルな映像のゲームではなく、ちゃんとした物理演算エンジンで描画された自然の中を歩くことが出来る、オープンワールドゲームなんだ」


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