ならゲーム部ね
一度やると決めたら、あとは早かった。有理はその日のうちに必要な機材を見繕うと、寮監にお願いして揃えてもらうことにした。
これまで部屋にあったマシンは、結局のところパソコンパーツの寄せ集めに過ぎなかったが、今回は予算を気にせず最初から好きに組み立てて良いというので、普通なら滅多にお目にかかれないような機械も遠慮なく取り寄せてもらった。
特殊なものだからメーカーから直接取り寄せるわけだが、どういうルートを辿っているのか知らないが、最終的に防衛省からの発注ということになっていたようで、向こうもびっくりしたのか最優先で対応してくれ、機材は3日も経たずに全部揃ってしまった。普通、これだけの物を個人で揃えるとなると、輸入代行なども駆使しなければならないから、1ヶ月は掛かるだろうが、あるところにはあるものである。
因みに、近年の傾向でパーツがどれもこれも大型化していたから、どう頑張ってももう寮の部屋には入り切らず、学校と掛け合って研究棟の空いている部屋を貸してもらうことになった。元々、大型機材が置いてあった実験室があるのだが、昨今の魔法研究ブームが下火で空っぽになっていたから、好きに使ってくれて構わないとのことだった。全館空調完備で、排気のためのダクトもついていて、もちろん電力は使い放題である。
ここまでして貰ったのなら、もう迷いも吹っ切れるというか、腹を括るしかないというか、元々好きでやってることだったから、有理は昼夜を問わず徹夜で作業を進め、次々とサーバーを稼働させていった。複数のマシンを並列につなぎ、大規模システムを1から構築しなければならないのだから、相当な時間が必要なはずだが、こういうときのオタクは一体どこから体力が湧き出てくるのだろうか、元アスリートの張偉をドン引きさせるくらいパワフルに働き続け、有理は本当に桜子さんが渡米するまでに間に合わせてしまったようだった。因みにその間、授業はサボりっぱなしである。
***
そんなある日の放課後、張偉が研究棟にやって来たら、有理は寝袋に包まってグースカいびきを立てていた。床に無造作に置かれたスピーカーからは、高尾メリッサの今週分のラジオが流れている。どうも聞いてる内に眠ってしまったようだ。
ここ数日働き詰めで、眠っている気配がまったく無かったから心配していたのだが、ようやく眠ってくれたかと、彼はホッと安堵の息を吐いた。ところがそう思って部屋の中をよく見てみれば、全ての荷が紐解かれており、きちんと整列したサーバー群が静かな稼働音を立てていた。
どうやら無理をやめたのではなく、単に作業を終えて眠っているだけのようである。自分はそこまで詳しくないが、一応ゲームパブリッシャーの家系であるから、有理がやろうとしていたことが、あたおかレベルの作業だというのには気づいていた。多分、普通の会社ならチームを組んで、数週間はかけるような作業のはずだが……
稼働しているモニターを覗き込めば、何やらランダムな文字列が画面いっぱいにカタカタと動き続けている。セル・オートマトンでも見ているような味わいである。これは何をやってるんだろうかと眺めていると、
「AI用のメモリトレーニングをやってるんだ。最近のメモリは初期化っていうか暖気運転みたいのが必要なんだよ。具体的にどれくらいの時間が掛かるかわらからないのがネックなんだが、こいつのメモリは膨大だからね、数日かそこらは掛かるはずだよ。それが終わってから、やっとメリッサは元通り動き出すはずだ」
背後から声がかかって振り返ると、有理が寝袋に足を突っ込んだままで大あくびをかましていた。彼は手元にあったポットからお湯を注いでコーヒーを淹れると、張偉にもカップを勧めてきたが断って、
「そんなすぐに? また最初から学習をしないといけないんじゃないのか?」
「まさか。こいつの記憶は膨大だから、元々手元のストレージには存在しなかったんだよ。クラウドのあちこちに断片的に保存されていて、必要に応じてそこからメモリ上に一次記憶が展開されるようになっているんだ。じゃなきゃ、いくら良いマシンが調達できても、復旧なんてとても不可能だったよ」
「そうだったのか」
「それから……実は桜子さんのお陰でとある秘策が使えるんでね」
「秘策?」
有理は目の下にクマを作りながら、ニタリとした笑みを浮かべると、
「なんと、量子コンピュータを使わせてもらえるんだよ! 桜子さんの実家っつーの? 来年、軌道エレベーターに宇宙港が開港するらしいんだけど、そこの管制システムに量子コンピュータが導入されるらしいんだ。巡回セールスマン問題を解くのにうってつけだからって言われて、アメリカ政府にねじ込まれたらしいんだけどね。明らかにオーバースペックだから持て余してるって言うんで、それならダメ元で使わせてくれないかな? って聞いてみたら、いいよって言うんで、急いでモジュール突っ込んで、さっそく組み入れてみたんだけど、いやあ、凄いのなんのって」
「それって、そんなに凄いことなのか? 確かあちこちの企業が、宣伝用にウェブで公開していなかったか?」
有理は気色ばんでいるが、そこまで詳しくない張偉にはなんのことだかわからず首をひねっていると、彼は少々もどかしそうに、
「ちーっちっちっち! わかってないね。それはホントに宣伝用の低スペックで、アニーリング方式っていって特定の計算には滅法強いけど、機械学習に使うようなものじゃないんだよ。利用するには金もかかるし、順番待ちもしなきゃならない。桜子さんちにあるのは量子ゲート方式、それも数百万量子ビットを搭載した本物のスーパーコンピュータで、機械学習に特化してるんだ。これを使えばメリッサは今までよりもっと人間らしくなるはずさ」
「ふーん……俺には何が違うのか良くわからないが。今までとどう違うんだ?」
「簡単に言うと質問に対する処理速度が段違いになる。例えば、メリッサはユーザーに質問されたら、答えが手元にあるならそれを返すだけだけど、無かったら答えを演算しなくちゃならなくなるよね? その際、彼女は数万、数億という状況を想定して、その数億通り全ての可能性を演算して、最善のものを返そうとするわけだけど……量子コンピュータを使えばその数億通りを一回の計算で行うことが出来るんだ」
「たった一回で? そんな都合の良い機械が存在するというのか!?」
張偉が目を丸くしていると、有理はまるで我がことのようにふんぞり返りながら、
「量子の重ね合わせとか、もつれっていう現象を利用しているんだ。観測するまで生死が同時に存在しているシュレーディンガーの猫のように、量子ビットも観測するまで結果が確定しないことを利用して、全ての計算を同時に行ってしまうんだって。こんな魔法みたいな方法を、100年も前に思いついた昔の人は本当に凄いよな」
「100年!? へえ……逆に言えば、実現するまで100年も掛かってしまったんだな。なにがそんなに大変だったんだ?」
「ん、ああ。戦争があったってのが大きいけど……一番の理由はグーグルが解散したことかな?」
「グーグル?」
確か、大昔に有名だった企業である。張偉も名前くらいは聞いたことがあったが、どんな会社なのかまでは知らなかった。質問すると、有理は不思議な生き物でも見るような目で答えた。彼からすれば常識なのだろう。
「メリッサみたいなAIを大規模言語モデルっていうんだけど……実はこれを開発したのは元々アメリカのグーグルって企業だったんだ。彼らのお陰で機械翻訳のレベルは一段と上がり、今あるウェブの検索エンジンの基礎も、当時寡占状態だったスマートフォンをコモディティ化したのも、この企業の功績だったんだけど……そんな飛ぶ鳥を落とす勢いだった企業が、量子コンピュータに手を出したばっかりに、開発費用が嵩んで2020年頃には撤退を余儀なくされ、その後自然消滅してしまったんだ」
「ふーん……そんなに開発費がかかるものなのか。量子コンピュータってやつは」
「まあね、それは間違いないだろうけど……でも、これだけの企業の経営が傾くほどではなかったと思うんだけど」
有理は納得がいかないのか、腕組みをしながら唸り声を上げている。
二人がそんな会話をしている時だった。部屋のインターホンが鳴って、外に誰かがやってきたことを伝えてきた。モニターを見れば、そこには学校の制服を着た小柄な女生徒が立っている。見覚えがあるその姿は、確か生徒会長の椋露地マナではなかったか。
てっきり研究棟の関係者でもやって来たのだろうと思っていたら、一体何事かとドアを開ければ、ちょっと不安そうにしていた彼女は、ぱっと明るい表情を見せたかと思いきや、すぐに不機嫌そうにムッとしながら、
「あ、物部有理。本当に居た」
「やあ。椋露地さんだっけ? どうしてここに?」
「それはこっちのセリフよ。どうしてあんた、大学の方にいるわけ?」
「それはまあ、色々あって。もしかして俺のこと探してたの?」
「そうよ。なんべん呼び出したと思ってるの! あんた、ここ数日、一度も授業に出てなかったでしょう!」
マナはぷんすか怒っている。彼女の言う通り、このところずっと学校にはいたが、付属校へは一度も足を運んでいなかった。すでに高校を卒業していて出席の必要がないから出来る芸当なのだが、ちゃんと教師に断りも入れているので出席扱いにはされている。どうやらそれで、彼女は有理がいると思って探していたようだ。有理はそんな彼女に謝罪しつつ、
「ごめんごめん。それで、俺に何か用事? 君とはあんま接点なかったと思ったけど……」
「奇遇ね! 私もそう思ってたわよ! じゃなくてっ! あんた、校内で何か活動をしてるんなら、ちゃんと生徒会に部活申請をしなさいって言いに来たの」
「部活……? 俺は部活なんてしてないけども……」
「じゃあ、これはなんなのよ?」
彼女は有理の背後のサーバー群を指さしている。これが何かと言われれば一晩中語れるだろうが、一言で説明するのは難しい。返事に困っていると、彼女は不機嫌そうに続けて、
「自覚がないんでしょうけど、あんたって学内では相当目立ってるのよ。こないだの大停電もあんたが絡んでるって噂が立ってるくらいだし、そんなあんたがまた学校でこそこそ何かしてるから、付属校で話題になってるの。それで、放課後も校内に残って活動するなら、本当なら部活申請が必要なんだけど、あんた何も言ってこなかったでしょ。あんただけずるいって一部の生徒が不満を漏らしてて、仕方ないから生徒会で呼び出しかけてたわけ」
「はあ……そんな面倒くさいことになってるの?」
「そうよ。なのにあんた、一向に来る気配がないから、面倒くさいけど、こうして私から出向いてきてあげたのよ。まったく……それで、これは何? ゲーム?」
彼女は部屋の中に並んでいるサーバーとモニターの数々を見て、どうやらパソコンゲームを連想したのか、そんなことを聞いてくる。有理は否定しようとしたが、説明するのも面倒だったので、
「いや、これはなんつーか……AIで学内ベンチャーを始めたんだけど。まだ何も成果がないからなあ……まあ、ゲームでいいか」
「でいいって何よ?」
「ゲームもしないわけじゃないし、っていうか結構するし、それでいいです」
有理が説明を諦めて肩を竦めると、マナはそれを見て頷いて、
「そう。ならゲーム部ね。それじゃ申請書を渡すから、生徒会まで取りに来てちょうだい。それが終わったら、査定する必要があるから、部活見学させてもらうわよ」
「え? 見せなきゃ駄目なの?」
「面倒くさそうな顔しないでよ、こっちだって面倒くさいの我慢してるんだから。でも安心していいわよ、基本的に却下することはないから。内容の確認だけはしとかないと、何かあった時に困るでしょ」
「あー、なるほど。そんな感じね……まあ、最近火事にもなったし、仕方ないか」
「火事……?」
男子寮のことだから詳しいことは知らないのかマナは首を傾げている。有理はそんな彼女を無視して、ため息混じりに立ち上がると、生徒会室まで同行することにした。