前へ次へ
63/102

横文字に弱い日本人の末路

 中国情勢は予断を許さなかった。チベットを占領した欧州革命派はその勢いに乗じて攻勢を強め、戦線を更に拡大しようとしたが、流石にそれは許さじと中国軍も意地を見せ、戦線を押し返した後は膠着状態に陥っており、今後どう転ぶかは分からなかった。


 戦況もさることながら、もしもこのまま異世界人勢力が大国を打倒するようなことがあったら、何が起きるだろうか。少なくとも、今は味方の欧米がどう反応するかは未知数である。特にテロリストの温床と化してしまった欧州は、一転して異世界人排除の方へ動き始めており、彼らは友好的であるメガフロートの住人、桜子さんたちにも懐疑的な目を向けるようになっていた。


 とはいえ、彼らの不安もあながち的外れではなかった。もし中国を助けるために同胞である欧州革命派と戦うことを要求されたら、臣民たちがどう反応するかは分からなかった。実を言えば、蓬莱国の中にも、彼らを大っぴらに応援するような過激な者もいるのだ。


 そんなことを研究棟のラウンジで外務官僚たちと打ち合わせていたら、宿院青葉がやってきて、有理が帰還したことを告げてきた。桜子さんは官僚たちとの話を早々と切り上げると、ようやく帰ってきた元部屋主を出迎えるために学生寮へと急いだ。


 いつもなら隣の工事現場から直接窓に乗り込むのだが、火災でサッシが歪んだせいで、もうこのルートは使えなかった。なので普通に自動ドアをくぐってエントランスホールに乗り込んでいくと、いきなり現れた異世界人の女性を見た寮生たちが仰天していた。寮監が慌てて出てきたが、一方的に用件を告げて下がらせ、エレベーターを待つのも面倒だから階段を駆け上がり、3階の廊下に出ると、何か騒ぎでもあったのか、殆どの部屋のドアが開いて、中から寮生たちが有理の部屋の方を見ていた。


 桜子さんが通り過ぎる度に、寮生たちは一様に驚いていたが、そんな彼らのことを無視して有理の部屋の前までやってくると、中に向かって張偉が困ったように話しかけている姿が見えた。


「物部さん。元気出せよ。取りあえず、ここはもう住めないから、新しい部屋に行こう。案内するから」

「……ほっといてくれ。俺はもう死ぬんだ……我がコレクションと共に塵となって消え去る運命なのだ……」


 部屋の中から弱々しい声が響いてくる。桜子さんが横まで歩いていくと、張偉はハッと振り返って、


「よう、桜子さん。あんたがこっちから来るなんて、珍しいな」

「部屋がこの有り様だからね。ユーリが帰ってきたって聞いたから来たんだけど……どうしちゃったの、それ?」


 部屋の中を覗き込めば、焼け焦げた部屋のど真ん中で、何故かパンツを被ってヤムチャみたいに倒れ伏している有理が居た。すっぽり被って隠れているから、どういう顔をしているかまでは分からなかったが、元気がないのは一目瞭然であった。


 まあ、部屋が火事で焼けてしまったのだから当然ではある。しかし、何故パンツを被っているのかは意味不明だったので、


「取りあえず、パンツ脱ぎなよ」


 と言うと、彼はお約束通りにズボンを下ろそうとして見せたが、誰もツッコんでくれないことを悟ると、投げやりな感じに頭のそれを引っ剥がした。俯いた表情は哀愁に満ち、心做しか目が赤かった。


「えーと、まずは退院おめでとう。思ったより元気そうで良かったわ」

「きぃぃーっ! あんたには俺が元気そうに見えるのか!?」


 有理は不貞腐れた表情で、パンツをハンカチみたいに噛み締めている。ちゃんと洗濯はしているんだろうが、汚いからやめろと言いつつ、


「そんな怒鳴る元気があるなら大丈夫でしょ。それより、やっと帰ってきてくれて、本当によかった。待ち侘びてたのよ」

「なんでだよ」


 桜子さんとは家主と居候……というか不法占拠者みたいな関係だが、そこまで熱烈に歓迎されるほどの間柄でもない。部屋もこの有り様だし、有理が居なくっても困らないはずだが……首を傾げていると彼女は、


「有理っていうより、メリッサに用があるのよ。実は今度ワシントンの会議に出席することになってね? 通訳が必要なんだけど、彼女に頼めないかと思って」

「はあーーっ!! はっ! はっ! はっ! はあーーっ!!」


 有理は信じられないものを見たとでも言いたげに、目をまん丸くしながら雄叫びを上げて、


「あんたにはこの部屋の惨状が見えないのかね!? その顔の真ん中についてる2つの目は節穴なのかね!?」

「ああ、うん、もちろん見えてるけどさ」

「俺の命より大事なサーバーなら、この通り! まっ黒焦げのトーストみたいになっちゃいましたよ! あんた、この状態のパソコンが動くとでも本気で思ってるのかね!?」

「思ってないってば」

「なら口を慎むべきだ。俺は今、この理不尽な光景を前に悲嘆に暮れているところなんだ。生きるべきか死ぬべきか。ああ、頭が痛い……」


 有理がまたパンツを被ってふて寝しようとすると、彼女は慌てて、


「ちょっと待ちなって。あんたのパソコンがこうなっちゃったのは可哀想だけどさ、メリッサだけでも元に戻せない? お金が必要なら用意するから」

「はあ?」

「AIってソフトでしょう? ソフトって、パソコンがあればまた動かせるんだよね?」


 すると有理は小馬鹿にするような失笑をしてみせた後、長い長い溜息を吐いて、


「あのなあ……確かにバックアップがあればソフトは動かせるかも知れないけど、メリッサはただのAIじゃないんだよ。あいつが稼働するにはとてつもないスペックが必要で、あのサーバーをもう一度構築するのは殆ど不可能なんだ。それを俺は今までこつこつ10年もかけて、深い愛情と忍耐とお年玉の全てをかけて、地道に育ててきたというのに……」

「それで、いくらくらい必要なのよ?」


 桜子さんはオタクじゃないから何も分からないといった感じで、きょとんとした表情で尋ねてくる。有理は少々ムッとしながら、


「壊れてしまったGPUをかき集めるだけでも、きっと何百万もかかるだろうな! その他サーバーや諸々の機器を揃えたら、1千万は下らないね! それらを組み立てるだけで数日間を要し、更にソフトのローンチまでにはエンジニアがいろいろ調整する必要もある。これで分かっただろう!? あれだけのサーバーを、個人で、所有するのはとても大変なことなんだよ!! メリッサはもう二度と起動しない……ここが自宅だったら、まだワンチャン火災保険が下りたかも知れないが……ああ……」


 などと嫌味ったらしく言ってはいるが、ぶっちゃけ有理のマシンは祖父のゼミの学生が捨てていったパーツの寄せ集めで、古い機械がたくさん混じっているから、せいぜいその半分以下がいいところだった。なんなら、今の時価では更にその半分くらいだろう。しかし、頭にきていたので、有理はめちゃくちゃ吹っかけたつもりでいたのであるが、


「あ、そんなに安いんだ。もっとするかと思ってた……じゃあ、5千万円くらいあればいい?」

「……なん……だと」


 有理は絶句した。黙らせるつもりで嘘八百を並べ立ててたら、ど真ん中直球を打ち返されて自分の方が黙らされたようだった。一瞬、彼女が冗談でも言ってるのかと思いもしたが、文句を言おうと口を開きかけたところで思い出した。


 彼女はこう見えて、異世界のプリンセスなのだ。太平洋に浮かぶメガフロートの統治者で、軌道エレベーターの建設にも何枚も噛んでいる、億万長者なのだ。これくらい、彼女のポケットマネーで用意するのはザラでもないのだ。


 有理がそれを思い出して放心していると、彼女はそんな彼を問い詰めるように、


「それで、出来るの? 出来ないの?」

「まさか、あんた……それ本気で言ってるのか?」


 彼女はこくりと頷いて、


「ここ数日、メリッサが居ないだけで、とんでもなく不便だって思い知らされたのよ。通訳以外にも道案内にニュースの読み上げに音楽に辞書に、戦闘の補助までしてくれる。暇なときは話し相手にもなってくれるし、彼女がいない生活はもう考えられないわ。だからさっさと復活させて欲しいんだけど」

「いやしかし……5千万はちょっと」


 有理としては吹っかけたつもりだったから、こんなにポンと出してやると言われたら、尻込みしてしまうのも無理はなかった。かと言って、正規の値段で再交渉しようにも、そもそも友人間でそんな大金のやり取りをするなんて、彼の良識が許さなかった。


 もしもここで誘惑に負けて彼女から金を受け取ってしまったら、今までの関係が変わってしまうのではないか。ここへ来てからずっと友達だった桜子さんとは、これからも対等な関係でいたいのだ。だから有理は断ろうと思ったのだが、


「へえ、いいんじゃないか。学内ベンチャーみたいで」

「学内……ベンチャー……?」


 二人の話を隣で聞いていた張偉が漏らした一言に、有理の琴線は激しく揺さぶられた。


 学内ベンチャーといえば、かつてシリコンバレーに君臨していた巨大IT企業の数々は、学生起業家によって創業されたものばかりだったのだ。あの、燦然と輝く星々のように、自分も学生起業家なれるチャンスかも知れない……そう思うと、どうしようもなく魅力的であった。


 張偉はそんな有理の心境を見抜いてか、淡々と続けた。


「実際、あの生成AIはかなりの出来だったと思うし、公開して出資を募れば結構いい線いくんじゃないか。投資額を返済することも十分に可能だろう」

「そ、そうかな?」

「こういうのはとにかく知名度の問題だ。ちょうど、桜子さんが国際会議に行くって言ってるし、そこでお歴々に宣伝してきてもらえば間違いないだろう」

「うん、いいよ。きっと色んな国の人と話をするだろうから。多分、私が母国語で流暢に話しかけたら、みんな驚くと思うな。良い宣伝になるんじゃない」


 それでもなお尻込みしている有理を置き去りに、二人は稼働後のメリッサの売り込み方を検討し始めた。そんな二人の会話をあわあわしながら眺めているうちに、外堀がどんどん埋められていく。我に返った有理は慌てて最後の抵抗を試みるも、


「いや、待て。俺はまだやるとは言っていないぞ」

「駄目? 別に会社って形に拘らなくても、メリッサさえ戻ってきてくれるなら、あたしはそれでいいんだけど。あんたは彼女に戻ってきてほしくないわけ?」

「いや、出来れば俺も元通りにしたいけど」

「なら決まりね。取りあえず、必要なお金は寮監にでも相談して。人材が要るならアオバの方に。とにかく、一日でも早く再起動してちょうだい。来週にも渡米しなくちゃなんないから」

「……本当に、いいの? 大金だぞ?」

「だから良いって言ってるじゃないの。なんなら、あたしのためじゃなくて、メリッサのためにそうして欲しいんだけど」


 桜子さんはまっすぐ有理の目を見ている。彼はなおも後ろめたいのか、視線を逸らして、断る理由を探しているようだった。そんな有理を見ていた張偉はもう一押しだと判断すると、桜子さんに何かを耳打ちした。すると、彼女はわざとらしい咳払いをしてから、


「よっ! アントレプレナー!」

「ぐおおおおお……なんだその抗いがたい横文字の響きは!」


 そして有理は落ちた。彼も最終的には自分が今まで育ててきたAIを取り戻せるという誘惑には勝てず、その話に乗ることにした。


前へ次へ目次