別の誰かならいざ知らず
宿院青葉の白いセダンに近づいていくと、後部座席に張偉も乗っていることに気がついた。どうやらわざわざ迎えに来てくれたらしい。ぶっちゃけ、青葉と二人きりだと肩がこりそうだったから、居てくれて本当に助かった。後ろのドアを開けて車に乗り込む。
「物部さん、お疲れ。元気そうで安心したよ」
「おお! 張くんも無事で良かったよ。あの後、連絡も取れないから心配してたんだ」
「俺はあんたみたいに死にかけちゃいないから、大したことないって」
「いやあ、お互い災難だったね」
「普通、こういう時は助手席の方に乗りませんかあ?」
などと言っている青葉を無視してシートベルトを着けていると、車は殆ど揺れることなく発進していた。多分、悪い人ではないのだろうが、とにかく人を手玉に取ることには長けている人のようだから油断ならない。
駐車場を出て緩いカーブを曲がっていくと、画一的なビルが続く風景の中にカモメを見つけた。どうやら海が近いようだが、ここはどの辺なのだろうか? 実は病院をたらい回しにされ過ぎて、自分がどこにいるのかも分からなかった。なんとなく言い出しにくく、訊いてみようか迷っていると、張偉が話しかけてきた。
「それで結局、物部さん。あの時、何が起きていたんだ? これだけ検査したんだから、何か分かったんだろう?」
迎えに来るくらいだから、とっくに聞いているんだとばかり思っていたが、どうやら彼はまだ何も知らされていないらしい。有理はフーっとため息を吐くと、
「それが何も分からなかったんだ」
「何もわからなかった……?」
彼は頷いて、
「ああ。張くんの言う通り、この1週間はずっと色んな検査をさせられてたんだけど、医者と研究者がいくら集まっても、何も分からなかったんだよ。俺は魔法を使ったらしいが、そう言われても何も覚えてなかったから、現象を再現できなきゃ彼らも何も出来ないだろう? で、あーでもないこーでもないと、そんなことを繰り返しているうちに、事態がおかしな方向にシフトして来ちゃって……」
車が交差点の赤信号で止まる。ウィンカーの音がカチカチする中、有理は運転席に向かって話しかけた。
「宿院さんは、どうせ聞いてるんだろう?」
「ええ、まあ」
「だったら、ここに来るまでに、張くんにも教えてあげれば良かったじゃないの」
すると彼女はバックミラー越しに苦笑いしながら、
「そういうわけにもいかないんですよ。一応、ほら、個人情報ですし。物部さんのことを漏らすと政府周りがうるさいんですよ」
「今となっちゃそれもどうか分かりませんがね……」
有理は張偉の方へ向き直ると、
「それでまあ、何も分からないことが分かったところで、今度はいきなり俺以外のM検適正者が見つかったらしくってね? 調べてても面白くない俺よりも、そっちを優先するからもう帰ってくれって追い出されてきたんだよ。ひどくない?」
「ああ、その話なら俺も聞いた」
すると張偉は身を乗り出すように、
「何故だか知らないが、今まで見つからなかった適正者が急にゴロゴロ見つかり始めたんだろう? 物部さんが居ない間、学校じゃその話題でもちきりだったんだよ。もし、元々そんなにたくさんの第2世代がいたんなら、俺たちはなんのためにこんな学校に閉じ込められてるんだろうって話になるだろ」
まったくもってその通り。その最たる例がここにいるぞ……と頷いていると、
「それにしてもどうして急に見つかるようになったんだろう? まるで一夜にして適正者が増えたみたいに。元からこれだけいたって言うなら、物部さん以外にもとっくに見つかってなきゃおかしいだろ?」
「だよな。検査の仕方を変えたんじゃなければ、当然そうなるよな」
「それほど検査対象が偏っていたわけでもないだろうし、流石に70万人も検査してきて見つからなかったのが、急に見つかり出すのはおかしいんじゃないか」
「まあ、それは医者や研究者が調べてくれるんじゃないの、知らんけど」
「もしかして、それが物部さんの魔法の正体だったりはしませんか?」
いい加減、検査検査でうんざりしていた有理が投げやりに受け答えしていると、運転席の青葉が突然そんなことを言い出した。有理は冗談じゃないと首を振りながら、
「いくらなんでもそんなわけないでしょ。滅多なこと言わないでくださいよ、ただでさえ俺は微妙な立場なんだから」
「ふふふ……もちろん、本気で言ってるわけじゃないですけど。あまりにもタイミングが良かったんで」
青葉がそう言いながらハンドルを切る。体が横Gに押し付けられていく。有理は片足で踏ん張りながら、更に彼女に反論しようと口を開きかけたが、結局黙っていた。実はその可能性は、彼もまったく考えなかったわけじゃないのだ。
魔法という力が何なのかは未だによく分かっていないが……ところで魔法は、術者がいて始めて成立するものであるから、術者の嗜好に少なからず影響されているはずだ。嗜好、つまり魔法が願望を叶える道具であるなら、実は有理は今のこの状況を少なからず望んでいた。要するに、彼は仲間が欲しかったのだ。
しかし、だからと言って、有理が魔法を使って、自分以外の適正者を増やしてしまったと考えるのは、あまりにも安直過ぎるだろう。大体そんな力があるなら、今までとっくにどうにかなっていただろうし、冷静に考えてもみれば、適正者を増やしたところで誰も何も得をしないし、寧ろ自分の適正をゼロにしたほうがマシなはずだ。それに、どうせ願いを叶えるなら、億万長者になりたいとか、そういう方向にいくのが筋じゃないのか。
青葉が思いつくくらいだから、その可能性は学者たちも考えていただろう。だが、同じような理由で却下したのではなかろうか。ただ、有理が強大な力を持っていることだけは確かであるから、彼の力が何らかの影響を与えたと考えるのは間違いじゃないかも知れないが、少なくとも、別の誰かならいざ知らず、有理は自分がやったという確信はなかった。
やはり全てを自分に直結するのは無理がある。有理はこれ以上考えるまでもないと首を振ると、話題を変えようとして頭に浮かんだことを口にした。
「そういや、桜子さんはどうしてるんです? 確か彼女の目的は、その適正者を見つけることと、俺みたいな一般人でも、魔法が使えるってことを証明することだったんですよね。なんか両方、いっぺんに叶っちゃったみたいですけど……」
でも、実際それで何かが変わるんだろうか? と思いつつ、有理が何気なく尋ねてみると、青葉は気もそぞろな感じで、
「ええ、桜子さんは今それで忙しくしていますよ。まあ、それだけじゃないですけど……」
「だけじゃないって?」
彼女はバックミラーでチラチラと張偉の顔を窺いながら、
「……物部さんもニュースで知っているでしょう? チベットの方で色々とありまして、今、世界的な異世界人排斥運動が起きているんです。日本も例外じゃなくて、桜子さんは異世界人の代表みたいな存在ですから、近い内に国際会議に出席しなきゃならなくって、それで忙しいみたいです」
「そうなんだ……彼女も大変だなあ」
青葉は言葉を濁しているが、どうやら桜子さんはチベットの件で、面倒なことになってるらしい。別に彼女が悪いわけじゃないのだが、異世界人絡みで事件が起こると、彼女は矢面に立たされるのだ。
考えてもみれば、青葉がいて、張偉もいて、ここに桜子さんだけいないのはおかしな話だった。彼女のフットワークの軽さを思えば、何なら入院中、一人だけふらっと遊びに来てもよかったくらいだ。つまり、それくらい忙しいということなのだろうが……ところで、桜子さんの話をしてたら思い出したのだが、
「ところで、関は? あいつも無事なの?」
有理がついでとばかりに尋ねてみると、返事は彼女ではなく張偉から返ってきた。
「ん? ああ。あいつも無事だよ。っていうか、物部さんのことを迎えに行くって言ったら、あいつも来たがってたんだけど……」
「置いてきました」
するとバックミラーの中で青葉が満面の笑みを浮かべながら、
「置いてきました」
「……二度も言わなくていいですよ。いや、別に、無事ならいいんですけどね」
桜子さんといい、青葉といい、関はどうやら女性に嫌われるタイプのようである。まあ、確かに鬱陶しいやつではあるが、あの時、彼がいなければ張偉を救うことは出来なかったろうから、殊勲賞を上げてもいいくらいなのだが。
そう言えば、関に突撃させるために、彼女を紹介してやると安請け合いしていたが、この様子ならもう放っておいていいだろうか。彼女は軽く置いてきたと言っているが、やっぱりあの方法を使ったのだろう。有理も何度も煮え湯を飲まされているが、第2世代はこれだから恐ろしい。
そう、恐ろしいのだ。そのせいで今、隣国では戦争が起きていて、張偉は拐われかけたのだ。あの時、彼を連れ去ろうとしていたのも第2世代だったわけだが、あんなのが何千人も軍事訓練を受けていたなら、そりゃ今までの軍隊では太刀打ち出来ないだろう……
ところで、張偉を誘拐しようとしていた4人も第2世代だったようだが、彼らはどうなったんだろうか。なんとなく聞いちゃいけないような気もしたが、有理は思い切って尋ねてみることにした。