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争いの火種は燻り始めた

 20万人を超えるという中国軍を撃退した欧州革命派の話は世界を震撼させた。これまでの歴史でも、テロリストと正規軍が戦ったという記録ならいくらでもあったが、これだけ大規模の衝突で、それもテロリスト側が国民国家の軍隊を退けたなどという記録はなかった。しかも相手が小国ならまだしも、中国は間違いなく大国である。


 それは常識的に考えてあり得ないことだった。普通、人数でも装備でも劣るテロリストは、正規軍とまともにぶつかりあったら撃退されるだけだから、ゲリラ戦術くらいでしかまともに渡り合える方法はないはずだ。


 例えば同じ人間同士が、同じ威力のアサルトライフルで撃ち合えば、ほぼ同じくらいの損耗率になるから、結局、軍の強さは兵数に依存することになる。多数は圧倒的有利。だから少数のテロリストはあの手この手で奇襲を仕掛け、同数の勝負を避けることでしか勝ち目がない、というのが近代戦での常識だった。


 欧州革命派は勝利宣言にあたって、地球人の兵器を異世界人である自分たちが使ったから勝てたのだと強弁しているが、誰が手にしたところで兵器の威力が変わるわけじゃないから、先述の通り数の理論に支配されなければおかしいはずだ。ところが実際に彼らは中国軍を寄せ付けず、真っ向からこれを撃退してしまった。


 一体、どんな魔法を使ったんだ!?


 その通り、テロリストたちは魔法を使っていたのだ。


 それじゃ何が常識を覆すほどの差を生んだのか。結論から言えば、それは第2世代魔法であった。実は中国軍はその殆どが、テロリストたちが使う第2世代魔法のせいで、友軍誤射が原因で敗走していたのである。


 欧州革命派はチベットという峻険な山岳地帯に潜伏していたわけだが、中国軍はそんな見通しの悪い場所を、赤外線カメラや監視衛星などの近代光学兵器を駆使して丸裸にしていった。


 テロリストにはこれを防ぐ方法が無く、包囲網はあっという間に狭まっていった。ところが、そうして追い詰めた敵をいざ攻撃しようという段になると、中国軍はいつも決まって味方同士で撃ち合いを始めて混乱してしまうのだった。


 どうしてそんなミスが頻発するのか、初めの内は分からなかったが、同じことが何度も続けば誰だって気づくであろう。中国軍の内部にスパイが紛れ込んでいたのだ。しかも、このスパイがどうやって紛れ込んでいたのかと言えば……何しろ相手は魔法使いであるから尋常な方法ではなかったのである。


 異世界人たちの使う魔法を分類すると、旧世代が主に物理現象を操るのに対して、第2世代は何故かやたらと精神系に偏っていた。第2世代魔法は、認識を阻害し、視覚や聴覚を奪い、思考を捻じ曲げ、見えないものを見せることさえ出来た。故に、彼らは近づいてくる敵に自分たちは味方であると誤認させ、何のリスクもなく内部に潜り込むと、好き放題に撹乱した。そして相手が混乱しているところに、今度は旧世代の屈強な兵士たちが突撃してきて、文字通り十人力を発揮して蹴散らしていくのだ。


 このシンプルだが避けようのない攻撃に、中国軍は有効な手立てが見つけられなかった。分散していては危険であると判断した彼らは仕方なく山岳地帯を離れて平野まで後退したが、しかし距離を置いたところで、テロリストたちをおびき出す手立ては持っておらず、空爆は有効ではあったが決め手に欠け、相手を降伏させるまでには至らなかった。


 そうして手を拱いている内に、またあちこちにスパイが紛れ込み、軍内は規律が保てなくなり、ついに撤退を余儀なくされた。そして欧州革命派は、高らかに勝利宣言したのである。


 もはや大国すら敵にあらず! 同胞たちよ、いまこそ立ち上がる時である。地球人を根絶せよ!


 その後、彼らはチベットは自分たちの土地であると一方的に宣言すると、近づくものは誰であっても国境侵犯と見なすと世界に向かって通告した。テロリストたちは山のあちこちに潜伏し、あれだけ広大な土地だというのに、今日は東に現れたかと思えば明日は西へと神出鬼没に動き回り、こうなってはもう手のつけようがなかった。


 これに動揺したのは領土を侵された中国というよりは、水源をテロリストに占拠されてしまったメコン川流域の国々であった。今まで彼らは欧米との経済的な関係上、中国に対してどっちつかずの態度を取り続けていたが、これにより完全に中国へと傾き始める。


 また同時期、チベットの騒動に呼応するかのように、中東諸国やアフリカの紛争地帯でも一斉に異世界人革命家が蜂起し、まるで現地政府を嘲弄するかのように跋扈し始めた。その裏には欧州革命派の影が蠢いており、狙いは言うまでもなく、紛争を長引かせることで、自分たちの版図を広げようという魂胆であった。


 これですぐに何かが変わったというわけじゃない。だが、争いの火種は確実に世界中で燻り始めていた。


 例えば、欧米や日本のような異世界人に寛容だった社会にも変化の兆しが見え始め、特に欧州では、今までの鬱憤を晴らすかのごとく、若者たちによるデモ活動が拡大していった。


 デモ隊はチベットを占拠した異世界人たちの暴力革命を強く非難し、中国を解放せよ! と声高に叫んだ……そのついでに、自分たちの雇用が守られないのは異世界人移民労働者のせいであると言って、彼らの排斥を政治家に要求した。


 興奮するデモ隊は昼夜を問わず行進を続け、そして要求が受け入れられなかった彼らはついに暴走し、異世界人オーナーの店を片っ端から襲撃するという事件に発展する。


 一方、米国では第2世代による平和集会で乱射事件が発生し、逃げ惑う人々が犠牲となった。犯人は異世界人排斥を強く訴える極右団体の男で、メディアはこの地球人による暴挙を糾弾したが、しかし異世界人に対する論調は真っ二つに割れていた。


 もちろん日本にもその兆しは現れていた。特に日本は震源地である中国とは隣国で、国内に労働者や留学生など、多くの中国籍居住者を抱えており、彼らが海の向こうの母国を憂えて、いつ暴動を起こしても不思議ではなかった。


 更に間の悪いことに、時期を同じくして首都圏を含む神奈川県全域の大規模停電という事件が発生してしまい、これが第2世代魔法の暴走だったという噂が広まると、動揺は一気に庶民レベルにまで広がっていった。


 これらの相乗効果によって、日本でも親中派が勢いを増し、異世界人労働者を追放しろと連日過激な国会前デモを繰り広げていた。


 曰く。大衝突から50年。思い返せば彼ら異世界人がこの国に齎したのは、就職氷河期と争いの種だけだった。今や若者たちは活力を失い、異世界人ばかりがいい生活をしている。そしてついに異世界人テロが牙を剥いた。やはり中国は正しかったのだ。我々は米国に騙されていたのだ!


 そんなシュプレヒコールをあげるデモ隊の中には、芸能人とインフルエンサー、そして野党議員の姿が見え隠れしていた。


 この一連の動きに対して政府は完全に及び腰で、中国の動向は注視しているとのアナウンスを繰り返すだけで、何の対策も取ろうとはしなかった。彼らはただ事態が沈静化するのを待つことしか出来なかった。何故なら、議論などするまでもなく、今の日本に異世界人排斥など不可能なことだったのだ。


 太平洋に浮かぶメガフロートは、日米と異世界人との共同事業で、これまでの投資額を考えれば手を引くことなど考えられないことだった。日本経済は今やメガフロート利権によって成り立っており、もしもこれを手放したら日本は致命的な打撃を受けかねないのだ。ついでに言うと、政権与党と蓬莱王家(桜子さんの実家)の関係はズブズブだ。


 しかし、ここ数日で内閣の支持率は急落しており、今まで抑えつけられていた、与党内の親中派議員による巻き返しも盛んに行われている状況だった。もしもこのまま世論を変えられなければ、政権交代もあり得るんじゃないかという雰囲気が醸し出される中、政府は徐々に追い詰められつつあった。


 もしもこの上、何かおかしなことでも起きたら、それを切っ掛けに今までの友好関係も帳消しになりかねない。そんな分水嶺に今、日本は立たされていた。


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