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あれから50年

 これからどうしよう……そう呟いた張偉の横顔は少しやつれて見えた。考えてもみれば、彼は病院に担ぎ込まれるくらいの怪我人なのだし、父親の不幸があったり、心労も溜まっているのだろう。そろそろ休ませてやったほうが良いかも知れない。桜子さんはそう思い席を立ちかけたが、去り際にふと思いついて尋ねてみた。


「チャンウェイ。そう言えば、あんたはあの四人と行動を共にしていたわけだけど、国に戻りたいって気持ちはまだ変わらないの?」


 すると張は当たり前だろうと言いたげに眉を上げて、


「そりゃ、誰だって故郷に帰りたいと思うのは当然じゃないのか?」


 しかし、そう言った後すぐ肩を竦めて、


「とは言え、今戻ったところでろくな事にならないことは分かってるよ。だからこの先、チャンスが巡ってくるなら戻りたいって、そんなところだな」

「そう。私に協力できることがあればいいんだけど……」


 もちろん、そんな当てなんてないのだろう。薄々気づいてはいたが、異世界人の彼女にとって、中国は相容れない存在なのだ。まあ、それはお互い様であるのだが。張は話題を変えるように言った。


「ところで、結局あの連中は何者だったんだ? 俺には国安の者だと言って近づいてきたんだが……どうも違ったらしい」

「ああ、それなんだけどね」


 問われた桜子さんは、忘れていたと言った感じに続けた。


「あの連中も、あの後病院に搬送されたんだけど、もう逃げられないって観念したのか、あっさりと口を割ったみたいなのね。そしたらあいつら、中国政府の息が掛かっていたのも確かなんだけど、実際にあんたを拐うように命じたのは、どうもあんたの実家だったらしくて」

「俺の実家が……? なんでだ?」


 張偉は親戚の顔を思い浮かべた。彼らが中国政府のふりをして彼を連れ戻そうとする理由が分からない。親戚との関係は良好だったし、なんなら今手元にある携帯で電話することだって可能なのだ。流石に日本に来てからは連絡を取っていなかったが、言いたいことがあるなら直接言ってくればいい。それくらいの間柄だと思っていたのだが……


 彼が不思議がっていると、桜子さんが言いにくそうに続けた。


「あのね……? あんたの父、チャンミンが死んだことで、今あっちでは相続問題が持ち上がってるんだけど、そこであんたをどうするかってことで揉めてたらしいのね。お父さんはあんたを勘当したんだから、みんな相続権は放棄されているって思ってたんだけど、実はお父さんはあんたの取り分をちゃんと残してたらしいのよ」

「父が俺に?」

「うん。米国の方にお父さんのプライベートバンクがあって、そこに遺書が残されていたらしいのよ。あっちの弁護士が開封したところ、お父さんはそこに、あんたに天穹互动のアメリカ法人株を、一族にはそれ以外の全部をって書いてたらしいの。これがまた巧妙でね。遺書も遺産も米国にあるから、中国の親戚には手が出せない。ところが、アメリカ法人は海外事業の大半を占めているから、これを切り離されてしまうと、グループ全体が立ち行かなくなってしまう。それで彼らは迫られたわけよ。チャンウェイを後継者と認めて海外事業を続けるか、国内で一からやり直すか」


 だが、それは選択肢があってないようなものだった。党との良好な関係を続けたい彼らには金が必要だが、異世界人混血の張偉を後継者に据えることなんて出来ない。そこで困った親戚たちが懇意にしている政治家に相談したところ、あの連中を利用するように入れ知恵をされたようだ。


 張偉は今、父親を殺されて復讐に燃えているはずだ。遺産を放棄してでも父の仇を取れと言えば、恐らく迷うことなく乗ってくるだろう。仮に拒否したところで、国内に居ればいくらでもやりようがある。だがもし、国に帰ってくるのを拒むようなら、その時は……


「殺してしまえと。相続者がいなくなれば、アメリカ法人株は宙に浮いて、いずれ彼らの手に戻ってくる。普通なら、お母さんに相続権が移るはずなんだけど、あなたのお母さんも色々と複雑だから……」

「そんな条件を俺の親戚が呑んだというのか……信じられん」


 張偉の脳裏には、幼い頃の幸せだった記憶が蘇ってきた。そこには従兄弟や叔父叔母、その他遠縁の親戚の姿が何十人も映っていた。みんないつだって幸せそうで、彼のことを愛してくれていた。一度として彼らの善性を疑ったことなんてなかったのに。


 もし、今、この携帯で従兄弟に電話をしたら、果たして出てくれるのだろうか? 遺産相続は人間関係を狂わせるとはよく聞く話ではあったが、それはせいぜいドラマの中か、現実にあっても自分にはまったく関係ない他人事だと、そう思っていた。


 張偉はため息混じりに言った。


「そうか……本当に、俺にはもう帰る場所が無くなってしまったんだな……」

「まだあんたには、お母さんがいるじゃない。これからは、あんたが支えてやらなきゃ」

「……でも母には酷いことを言ってしまった。淫売だの、恥知らずだの、父に勘当されたのは、全部おまえのせいだって……本当は、俺は父にも母にも愛されていたのに。ちょっと考えれば分かっただろうに……」


 彼は今日何度目かの深い溜め息をついた。


「母に、謝らなくては……物部さんに言われるまで、俺はその当たり前が分からなかったんだ」


 桜子さんは張偉に掛ける言葉がなくて、暫くの間沈黙していたが、そんな彼の言葉にふと思いついて、


「そうね。確かに、あんたは色んな物を失ったけど……でも、得られたものもあったじゃない」

「俺が……? 何を……?」


 張偉は、それは何だと問いたげに顔を上げる。桜子さんは片目をつぶって、


「友達」


 と言った。張偉はその言葉が腑に落ちるまで、しばしの間ぽかんとした表情をしていたが、そのうち吹き出すかのように鼻を鳴らすと、


「ククク……そうだな」

「でしょう?」


 そう言って、二人は笑った。


 その友達は、今、別の病院でいつ終わるか知れない検査を受けていた。それで何かが分かればいいが、多分、今回も何も結論が出ず、またあの学校に押し込まれるだけなのだろう。


 とはいえ、あの時、彼が何かをしたのは間違いなかった。他ならぬ自分がその目撃者なのだ。彼はあの時、殆ど死に掛けていた。少なくとも、張偉の目にはそう映った。かと思ったら、いきなり詠唱のようなものを始めて、押しつぶされるような重力によって自分は失神させられたのだ。


 その彼の復活の代償であるかのように、現在、首都圏は混乱に見舞われている。何も知らないこの国の者たちは、因果関係を彼に求めるだろう。そんな彼が不当な扱いを受けないよう、今度は自分が力になってやらねば……


***


 そんな張偉が日本で決意を新たにしている頃、中国チベットでは異世界人独立勢力が蜂起し、鳳麟国再興を全世界に向けて声高に宣言した。そして彼らはどこからか連れてきた年端もいかぬ子供を、18年前に崩御したテンジン11世の転生体だと偽り、この国の正当な統治者であると中国政府に宣戦布告したのであった。


 中国政府はこの事態を受けて、陸空あわせて20万の部隊派遣を決定した。いくらなんでも20万は過剰ではないかと、世界中から非難が相次ぐ中、あくまで暴動鎮圧を名目とした部隊は粛々とチベットへ向けて行進を続けた。対する異世界人ゲリラは1万にも満たず、そのうちの大半は戦闘を望まない穏健派で、実際の戦力は1千~2千と目されていた。


 その穏健派に仲介を頼まれていた日本政府は沈黙を貫き、内政干渉はしないと言って、逆に中国に対して便宜を図った。米国は中国に自制を求めるよう要請はしたが、制裁を課したりはせず事実上の黙認状態。欧州も市民レベルでデモが起きていたが、所詮は対岸の火事と、殆ど報道もされなかった。これは国内問題であるし、他国が口を挟むものではない。異世界人たちは見捨てられたのだと、誰もがそう思っていた。


 空爆が開始され、ゲリラの籠もる山の麓に鎮圧部隊が本格的に展開すると、その壮大な数は地平線の向こう側まで見えないくらい続いた。戦場カメラマンは双方の陣営に紛れ込み、凄惨な虐殺が始まるのを今か今かと待ち侘びていた。おそらくは使われることがないであろう戦車が並べられ、火砲が昼夜を問わず打ち続けられる。


 空爆は数日間に渡って続けられ、不気味なくらい静まり返った山にはもう生き物など居ないのではないかと思われていた。そんな中を、訓練された歩兵部隊が、一糸乱れぬ行進を開始する。掃討作戦が開始され、ついに激しい戦闘が始まった。戦力比は100倍。絶対にゲリラに勝ち目はない。


 しかし、そう思われていた中国軍は、間もなく撤退を余儀なくされてしまったのである。


「大衝突から50年。かつて我々ルナリアンは地球人の科学の前に敗れた。我々は地球人共よりも圧倒的に優れているにも関わらず、科学とその機械を前に手も足も出ず敗れ去ったのだ。悪辣な地球人共は容赦なく同胞の命を刈り取り、隷属させた。弱腰の王家は地球人共に媚びへつらい、それを見て見ぬふりをした。以来、我々は散り散りとなって世界を放浪する羽目になった。そこで謂れのない差別を受け、生きるために辛酸を嘗め続けた。しかしそれは我々がこうして進化するために必要な苦難だったのだ。あれから我々は科学を学び、敵の戦術を学んだ。そして同じ装備で同じ戦い方をすれば、優越種である我々に敗北はありえないことを、今日ここに示したのである。見よ! もはや大国中国すら取るに足らず、我々の足元に跪いたのだ。故郷を奪われてから50年。ついに復讐の時が来た。同胞たちよ、地球人共を根絶せよ!」


(第二章・了)

続きは1ヶ月後くらい。出来れば10月中にもと思ってますが、よぐわがんね。

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