張偉の決意
誘拐犯を追い詰めたと思っていた桜子さんたちは、逆に追い詰められていた。相手は未知の第2世代魔法の使い手で、青葉が人質に取られてしまい、もう手の出しようがなかった。
「あー……くそっ! この女、ぶっ殺してやる! どけっ!!」
こうなっては相手のやりたい放題だ。紅と呼ばれた男は、今までの仕返しとばかりにいきり立っている。魔法を封じられたこの状況で彼がまた暴れ出したら、いくら桜子さんでもタダでは済まないだろう。しかし起死回生の手などどこにもない。彼女が冷や汗を垂らして焦っていると、
「やめろ、彼女には手出ししない約束だぞ」
そんな紅の行く手を遮るように、張偉が前に回り込んだ。ギロリと睨みつけてくる紅の目を真っ直ぐ受け止めながら、彼は一歩も引かず逆に睨み返す。男はぎりぎりと奥歯を鳴らしながら憎らしそうに言い放った。
「今のを見てただろう!? こいつがそんな生易しい相手か? やらなきゃ、こっちが殺られちまってただろうよ!」
「俺は話し合いで解決しようと言ってたのに、勝手に手を出したあんたが悪い。自業自得だ」
「んだと、このガキ!」
張偉と紅は口論を続けている。その様子を見るからに、張は完全に裏切ったわけではなさそうだった。しかしさっき、あの瞬間、彼が邪魔をしなければこの場を制圧していたのは自分の方だったのだ……おかげで状況はこっちの不利である。桜子さんは慎重に声を掛けた。
「チャンウェイ……学校から居なくなったと思ったら、どうしてそいつらと一緒にいるの? あんたはそいつらが何者なのか、知っているの? 中国政府のスパイなのよ」
すると張は少し敵意の籠もった目つきで苛立たしそうに返事した。
「それはこっちのセリフだ、桜子さん。あんたこそ一体何者だ? どうやって俺の後を追いかけてきたっていうんだ?」
桜子さんが黙っていると、張は青葉の方に顎をしゃくって見せてから、
「あの女は日本政府の犬らしいな。内調だかなんだか。そんな連中と、どうしてあんたがつるんでいるんだよ?」
「私はただの魔法学校の職員ですよー。脱走者を追いかけてきただけですよー……って、いたたたたた……」
黙ってろとばかりに、青葉が後ろ手をねじ上げられる。桜子さんはそんな彼女を心配しながら、別に隠し立てするつもりはないと、堂々と名乗った。
「我が名はサークライアー・フィエーリカ・ライサンドーラ。蓬莱国王に連なる者である。故有って、あなたを連れ戻しに来た。彼女はその案内人に過ぎない。手出しは無用だ」
「なんだって!?」
彼女が正体を明かした瞬間、張偉の目は驚愕に見開かれ、ヒューッと誰かが口笛を吹いた。
「おいおい、殺っちゃってたら洒落にならなかったろ」
紅という男が舌打ちをする。しかし強がるその腕は小刻みに震えていた。桜子さんはそんな男たちを無視して、
「チャンウェイ。あたしの方こそ聞きたい。あたしはあんたが、そいつらに無理矢理連れて行かれたんだと思ってたのに、どうしてそいつらの味方をしているの?」
桜子さんの正体に衝撃を受けていた張は我に返ると、
「それは誤解だ。俺は自分の意志でここまで来たんだ。あの学校にいる限り、俺は父が待っている故郷に帰ることは出来そうもなかった。そんな時、彼らが国に帰る手助けをしてくれると言うから、その話に乗っかったんだ。交換条件を呑む代わりにな」
「交換条件?」
彼は彼女に向かって大きく頷いてみせると、
「今、俺の国では亡国の皇帝が蘇ったという噂が飛び交っているらしい。鳳麟国皇帝は死の間際、輪廻転生を予言していた。その転生先が俺だって噂が立ってるそうなんだよ。なんでか知らんが、これを利用しない手はない。それで中国政府はその火消しのために、俺に帰ってこいと言ってるんだ」
桜子さんはそれを聞いた瞬間、我が意を得たりと否定した。
「やっぱりあんた、唆されてたのね。チャンウェイ、その話は嘘なのよ。あんたは皇帝の生まれ変わりなんかじゃない。あんたが出ていくのと入れ替わりに、チベットから皇帝の従者がやって来て教えてくれたんだけど、彼は輪廻転生なんて一言も口にしていなかったそうよ。寧ろ臣民をこれ以上苦しませたくないと、彼は闘争に反対さえしていた。噂は聞き分けのない過激派が流したデマだったのよ」
桜子さんは、これで誤解が解けて張偉が戻ってきてくれると思っていた。ところが、彼はその話を聞いても動揺を見せずに、まるでそうするのが当然と言わんばかりに冷静に言った。
「そんなことは、もちろん知っている」
「……知ってる?」
「ああ。俺はそんな話、端から信じちゃいないんだよ。俺が皇帝の生まれ変わりだって? バカバカしい。色々理屈をこねているが、連中が嘘をついてることだって百も承知だ」
張偉がそう言い放ってから仲間の方を振り返ると、彼らは顔をそらして別々の方向を見つめていた。桜子さんはそれを聞いて、理解不能だと叫んだ。
「だったら、どうして彼らの言いなりになってるの!?」
「人聞きが悪い。俺は言いなりになんてなってない。自分の意思でここにいるんだ」
「だからなんで?」
「そうすれば国に帰れるからに決まってるだろう!」
張は思いの外きっぱりとした口調でそう言いきった。
「噂が本当かどうかなんて、ましてや自分が何者かだなんてどうでもいいんだ。俺は国に帰りたいんだよ。それに、嘘でも俺が皇帝の生まれ変わりだと言えば、多くの人が助かるんだろう? そうすれば、暴動を起こしている独立勢力は大義名分を失い、争いはなくなるかも知れない。なら、そうする価値があるんじゃないか」
彼女はそれを否定するように、大きく首を振りながら、
「違う、もうそんな単純な話じゃないのよ。仮にあんたが犠牲となったところで、過激派は別の傀儡を立てるだけ。結局、中国政府との間で衝突が起きるはずよ」
「ならば、今度こそ俺の手で終わらせてやる。父がそうしようとしていたように」
「それは誤解なのよ! あんたのお父さんは、暴動を武力で鎮圧しようとはしていなかった。話し合いで、平和的に解決しようとしていたのよ」
「でも無理だったんだろう? それどころか、奴らは汚い手を使って父を殺そうとしたんだ。そんな奴らに遠慮する必要がどこにある?」
「それは……」
「解決法は1つだけとは限らない。もう話し合いの時間は終わりだ」
桜子さんは言葉に詰まった。確かに彼の言ってることは尤もだった。しかし、それは本当に彼が背負うべきことなのだろうか。
「そんなことに、あんたが付き合う必要なんてないじゃない。あんたはたまたま政治家の息子だったってだけで、今はただの学生でしかないのよ。あっちに戻ったところで、あんたには何の力もないし、自由なんてどこにもない。一生、不自由な思いをして生きていく気なの?」
「あんたはそう言うが、どうせこっちに居たところで、俺に行く場所なんてないじゃないか。俺は日本の犬になるつもりはないんだ。学校を卒業しても、混血の俺にやれることなんて、街のごろつきくらいだ。あの淫売の母とは、もう口を利く気にもなれないし、こっちにいるくらいなら、まだあっちで傀儡の王を演じていた方がマシじゃないか」
桜子さんは我が意を得たりと叫んだ。
「それは違う! あんたはお母さんが浮気したと思っているけど、それはお父さんがついた嘘だったのよ。あんたはあんたの両親から生まれた、正真正銘チャンミンの息子だったのよ」
「……なんだって?」
「色々あって、お父さんはあんたの出自を誤魔化さなくちゃいけなくなった。その苦肉の策として、お母さんが泥をひっかぶって、あんたのことを守っていたのよ。彼女は何も悪くないの」
「本当にそうなのか……?」
「ええ! 本当なら今日、お母さんはそれをあんたに伝えるために学校に来たの。でも、あんたが話も聞かずに飛び出して行ってしまったから、言うことが出来なかった。あたしはそれをあんたに伝えに来たのよ」
張偉の顔色がみるみるうちに変わっていく。桜子さんは、ついに彼が考え直してくれたと喜びかけたが、
「そうか。なら俺は、実の父の弔い合戦に行けるというのだな。育ててくれた恩義だけじゃなく、ちゃんと血の繋がりのある父のために、俺は犠牲になれるんだ!」
彼は寧ろ自分の下した決断に自信を得てしまったようだった。桜子さんは面食らった。東洋は強力な父系社会だというが、いくらなんでも彼の思想は狂気に満ちている。こんな奇妙な考え方をする人間を、どうすれば説得できるんだろうか。彼女は絞り出すように言葉を続けた。
「思い出してよ。中国は未だに異世界人撲滅を掲げる世界唯一の国なのよ。そんな政府が、異世界人の混血であるあんたを重用するはずがない。あんたは利用されるだけ利用されて、いずれ排除されるに決まってる」
「それは誤解だ。国が戦争を起こしたのは、そうしなければ国が滅びるからだ。あんたら異世界人は、いつも中国が悪いと言うが、俺達の国に現れたのは2億だぞ? 2億。言葉も法も習慣も人種も、何から何まで違う異世界人がいきなり2億も出てきて、そのまま居座ろうったって、それで済むわけがないだろうが。俺たちは生きるために戦わねばならなかったんだ。生存のための戦争を、何故いつまでも世界中から非難されなければいけないんだ。日本だって、たった100万人の異世界人を受け入れることが出来ずに、あんたらを排除したじゃないか」
「でも殺しはしなかった。あたしたちは、最後まで話し合いで解決したわ」
「解決していないじゃないか。あんたたちは、今も流浪の民だ。この土地を取り戻したいとは思わないのか? 本当は恨んでるんじゃないのか?」
「だからって、そのために人殺しはしたくないって言ってるの。どうしてそんなに頑ななの? 中国政府に利用されているのがわからないの!?」
「そんなことは分かってると、最初からそう言ってるだろうが!」
張偉はイライラと、怒りに満ちた瞳をギラリと輝かせて叫んだ。
「それでも俺は祖国を裏切れないんだ。俺は日本人ではなく、異世界人でもない。中国で生まれた中国人だ。子供の頃からずっとそこで暮らしてきて、思い出すのはいつもあの風景なんだ。あそこが俺の故郷なんだよ! その生まれ故郷を守るためなら、俺は傀儡だろうがなんだろうがなってやろうと言ってるんだ。それが権力者を利するだけの行為だったとしても、故郷のためにそうすることが、そんなにいけないことなのか!」
張偉の叫びが廃工場の中でキンキンと響いた。それは木霊となって、桜子さんの心を嫌でも揺さぶった。本当は、彼の気持ちも分からなくもないのだ。自分だって、この国に居場所を奪われたのだと、つい思ってしまう時はある。
自分はこの地に生まれてこの地で育ったのだ。日本人たちに異世界人なんて言われる筋合いはない。彼らこそが自分たちの国に迷い込んだ異邦人じゃないか。そう言ってしまいたい時もある。なんならチベットのように、祖国解放を高らかに叫びたいと思う時だってあるのだ。
そしてそれは多分、みんな同じなのだ。誰にだって立場がある、正義がある、そして生まれ故郷がある。生まれてきた場所での常識がある。物の考え方がある。それが間違ってるなんて、上から目線で啓蒙してやろうなんてのは、ただの傲慢でしかない。
いくら説得したところで、張偉は祖国を裏切らないだろう。かの国で育った彼には彼の正義があるからだ。それを間違っていると言うことは出来ても、変えることは出来ない。彼がそう決めたと言うなら、もう自分には引き止める資格はないんじゃないのか。
桜子さんは折れようとしていた。どうせ歩み寄ることの出来ない口論なんかもう止めて、このまま彼を見送ればいいんじゃないのか。彼には彼の、守りたいものがあるのだ。ならせめて、最後は笑って別れたほうが、まだマシなんじゃないのか。
「いいや、おまえは嘘を吐いている」
しかし、そんな彼をなおも追求する声が聞こえる。ハッとして振り返れば、いつの間にか、廃工場の入口に物部有理が立っていた。