第2世代との戦い
「lourcqngpaui soirqzt poejaiwmnas!!」
桜子さんが人間には聞き取ることすら困難な呪文を唱えると、青白い炎がいくつも宙に浮かび上がり、次々と男に向かって飛んでいった。一発でも人を破壊しかねないそのエネルギーの塊を、しかし男はやすやすと素手で叩き落としていった。地面に突き刺さった火球がドンドンと音を立てて炸裂し火柱が上がる。吹き飛んだアスファルトが土砂降りのように降り注ぐ中を、桜子さんはもの凄いスピードで駆け抜け男に肉薄する。男はそんな桜子さんの攻撃を手にした棍棒で受け止めると、完全には勢いを殺しきれず、両足を踏ん張ったまま後ろに吹き飛んでいった。地面から黒煙が上がり、靴底のゴムが焼ける臭いが立ち上る。
「みなさーん! ここは日本ですよ! そんなことしたら、お巡りさんに捕まっちゃいますよ!」
桜子さんと男が、一瞬でも気を抜けば命を落としかねない攻防を繰り広げている中で、青葉のそんな呑気な言葉が響いた。それを聞いた瞬間、男は「何を言ってるんだ、この小娘は」と失笑したが、次の瞬間には、「それもそうだな」と思い直し、自分の行いを恥じて彼女に謝ろうと思っていた。
「紅! そいつは魔女だ! 耳を貸すな!!」
すると横合いから仲間の声が聞こえてきて、我に返った彼は、眼の前に飛んできた桜子さんの拳をすんでで躱すと、バクバクと鳴る心臓の音をかき消すかのような雄叫びを上げて棍棒を振り回し、チョロチョロと動き回る彼女をどうにか退けた。
「暴力はいけません! 話し合いで解決出来る問題じゃないですか? 私たちに敵意はありません!」
青葉はそんなことを口走りながら、躊躇なく銃を撃ち続けている。言動不一致な行いを目の当たりにしながら、分かってはいるのにその声を聞くたび戦意が挫かれ、動きが鈍ってしまう。なんていやらしい攻撃だ。紅は冷や汗を垂らしながら、迫りくる拳をかいくぐり、銃口から逃れつつも、何発かは突き刺さった弾丸の痛みに堪えながら叫んだ。
「白! 見てないでなんとかしろ!」
すると横合いにいた別の男が、
「ぱっぱっぱっぱっぱっ……」
と、意味不明な発声練習みたいな金切り声を上げたかと思えば、今まさに紅に飛びかかろうとしていた桜子さんは、突然、上下の感覚がなくなって、足がもつれてそのまま転倒してしまった。
勢い余って滑るように地面を転がっていく彼女は、慌てて起き上がろうとするが、手足に力が入らなくて、どうすれば立つことが出来るのかすら分からなくなっていた。耳障りな声はまだ続いている。どうやら、音波攻撃か何かのようだ。それが分かっていながらどうすることも出来ない。
「このクソアマッ!!」
「きゃあっ!」
桜子さんが無様に地面をクロールしていると、紅という男はそんな彼女を捨て置き、青葉に目標を定めて飛びかかっていった。必死に銃撃を続けてはいたものの、あまり肉弾戦向きでない彼女はあっという間に間合いを詰められ、容赦ない棍棒の一撃を食らって地面をゴロゴロ転がっていった。
よほどイライラしていたのだろうか、桜子さんをほったらかしてなおも追撃を続ける男の執拗な攻撃に、青葉は防戦一方だ。どうにかして援護をしなければ、彼女の命が危ない。桜子さんがなんとか起き上がろうと悪戦苦闘していたら、
「外部音声を遮断します」
すると入れっぱなしだったイヤホンから、メリッサの落ち着いた声が聞こえてきた。その瞬間、彼女の平衡感覚が元に戻り、手足に力が入るようになった。理屈はわからないが、相手の魔法は音声さえ遮断してしまえばどうってことなかったらしい。白と呼ばれた男は、桜子さんが起き上がるのを見るや、ぎょっとした表情をして背中を向けて逃げていった。どうやら、他の手管はないようだ。
「ナイス、メリッサ!」
桜子さんはAIに礼を言うと、そんな男のことは無視して、その場でジャンプし上空へと舞い上がる。
「lourcqngpaui soirqzt poejaiwmnas!!」
紅は青葉に夢中で、桜子さんが復活したことに気づいてないようだった。彼女は上空から狙いを定めると、そんな男の背中に向けて改めて火球魔法をお見舞いしてやった。背後から迫る熱と音に、男は途中で気づいたようだが、振り返った時にはもう手遅れで、火球は全弾命中して男は景気よく吹っ飛んでいく。
しかし、普通であれば四肢がもげて即死するくらいの攻撃を食らっても、男はまだなんとか立ちあがれるようだった。桜子さんは、自分のことは棚に上げて、相手のタフさに舌打ちした。
だがこれでもう間違いないだろう。相手は全員、魔法使いだ。それも第2世代の。ならば遠慮する必要などない。彼女は殺すつもりで本気の詠唱を開始したが、
「落ちろ蚊トンボ!」
するとその時、工場の方からまた別の男の声が聞こえたかと思ったら、空を飛んでいた彼女はいきなり浮遊感が無くなって、そのまま自由落下をはじめた。とっさに受け身を取ったが、地面に叩きつけられたダメージは思いのほか大きかった。
立ち上がって、すぐに攻撃を仕掛けようとしたが、心なしかいつもより体が重いような気がする。どういうことかと戸惑っていると、もう回復した紅が飛びかかってきて、彼女は慌てて応戦した。
一発、二発と互いの拳がぶつかり合う。桜子さんは男の攻撃をかいくぐりカウンターを決めていくが、違和感が拭えなかった。どうも拳に上手く力が乗ってくれない。彼女の拳はさっきから紅の急所をとらえているのに、効いている感じがしない。ついでに言えば、相手の動きもおかしくなっている。ただ振り回すだけの棍棒は、遅すぎて避けるのは容易かった。まるでさっきとは別人と戦っているようである。
何かがおかしい……そう思った彼女は、とっさに距離を取って詠唱をするが、何故か魔法が発動しなかった。驚いているところに紅の棍棒が振り下ろされ、彼女は避けるのではなく受け止めようとしたが……ミシッ……っと、受け止めた腕の骨が悲鳴のような音を立て、彼女は激痛を感じて飛び退いた。しかし、そのジャンプ力も、いつもの半分も出ていない。
「アンチマジック!?」
頭の中に、急にそんな言葉が閃いた。声にした瞬間、紅の表情が険しく乱れた。第2世代には魔法をかき消す能力者がいる。そういうものが存在するというのは話には聞いていた。だが実際にお目にかかるのは初めてだった。
「黄! 逃げろ!!」
工場の入口で、印のようなものを結び、ブツブツと何かを呟いていた男は、桜子さんに気づかれたことに気づいた瞬間、慌てて建物内に消えていった。あいつが犯人か……黄と呼ばれた男を追いかけようとした彼女の頭上を、風を切って棍棒が通過していく。
桜子さんはそれを前転受け身の要領でかいくぐると、逃げた男を追って工場の中へと駆け込んだ。
「待て、この女!」
紅の焦る声を背後に聞きながら暗い室内に侵入する。視界が暗闇に慣れるまでの数秒間、彼女は内部の様子を感覚だけで把握しようと意識を集中した。真正面奥には逆光を背にした二人、逃げていった男がバタバタと足を立てて、もう一人の影に隠れるように飛び込んでいく。棒立ちのそいつはさっきの白だろうか。イヤホンのノイキャンはまだ効いてるはずだ。遅れを取ることはあるまいと彼女は踊りかかっていったが、
「チャンウェイ!?」
今まさに相手に拳が届こうとしていた彼女は、自分が殴りかかっている相手が張偉であることに気がついてよろめいた。咄嗟に拳を引っ込めようとした拍子に、体が斜めに傾いていく。彼女は張の真横を半身になってすり抜けようとしたが、ところがそんな彼女が通り過ぎようとした、まさにその瞬間、スネに何かがぶつかって、彼女はバランスを崩してそのまま地面に転倒した。
顔面から着地して、ろくに受け身も取れずに転がっていった彼女は、回転する視界で自分の足に当たったのが何かに気づいて目を見開いた。彼女は、張偉に足を引っ掛けられて転倒したのだ。
まさか!? と思って相手を見れば、張偉の顔が罪悪感に歪んでいる。わざとだったのか? と、パニクっていると、遅れてやってきた紅が棍棒を思い切り振り下ろす姿が見えた。
「うおおおおおーーーっっ!!」
振り下ろされる棍棒を素手で受け止めようとした彼女は、襲い来る激痛に勢いを殺しきれずに、そのまま押し切られてズシンと背中に衝撃が走った。息が詰まって意識が吹っ飛びそうになる。辛うじて直撃を回避した棍棒は自分の頭の真横の地面に突き刺さっていた。桜子さんはそれを見た瞬間、ゾッとして全身から汗が吹き出すのを感じた。
男はなおも棍棒を振り上げ襲いかかってくる。だが腕が痺れて動かない。このままじゃ殺られてしまう……彼女は絶望的な気持ちになりながら覚悟を決めてそれを迎え撃とうとしたが、
「そこまでよ!!」
暗い室内に青葉の声が響いたと思ったら、その瞬間、いつもの力が戻ってきて、桜子さんは間一髪で紅の一撃を受け流すと、男の腹にカウンターの蹴りを思いっきりぶち込んでやった。
ドンッ!! と音を立てて、吹っ飛んでいった男が壁にぶつかって崩れ落ちる。青葉はそんな男の無様な姿を見ながら、ざまあみろと叫んで鼻血を拭った。
見れば、さっき逃げていったアンチマジックの男の背後に、いつの間にか青葉が立っていて、その頭に銃口を突きつけていた。彼女の左肩は脱臼したのか、それとも折れてしまったのか、痛々しくだらりと垂れ下がっており、右手だけで重い拳銃を支えている。
桜子さんは背中を使って飛ぶように立ち上がると、怒りに任せて追撃をお見舞いしようとしたが、
「おっと、それはこっちのセリフなんだな」
次の瞬間、またガクッと体が重くなって、たたらを踏んで立ち止まった彼女が振り返れば、黄の頭に銃口を突きつけた青葉の頭に、また別の見知らぬ男が銃口を突きつけている姿が見えた。
「黒! 遅えんだよ!!」
「切り札は最後の最後に切るもんでしょ」
黒と呼ばれた男は、そう言いながら青葉の頭を銃口で小突いた。彼女は悔しそうな表情で、仕方なく拳銃を下ろす。
形勢逆転。壁に叩きつけられた紅が息を吹き返し、ゴホゴホと咳き込みながら立ち上がる。最初に逃げていった音波男の白が物陰からコソコソ這い出てくる。アンチマジックの黄は印を結びながら、また何かをブツブツと呟いている。そして青葉に銃口を向けている黒と……
「チャンウェイ……何故、あたしの邪魔をした?」
張偉も含めれば、相手は五人。魔法が使えない状況で、青葉を人質に取られては、打てる手は何もなかった。桜子さんは奥歯を噛み締めながら、なんとか状況を打開できないかと、必死に思考を巡らせていた。