異世界人とテロリズム
仮に50年前の大衝突が無くても、チベットで暴動は度々起きていた。元々、併合時からの抵抗運動が続いている土地柄で、中央からは遥か数千キロと遠く、インド・ネパール・ブータンと国境を接している。峻険な山々はゲリラが隠れるには好都合で、どだいまともな手段で統治するのは不可能な場所である。
だから中国政府も暴動が起きるのは織り込み済みであったのだが、今回のそれはちょっとわけが違った。異世界人過激派によるテロリズムという点ではいつもと変わらなかったのだが、掲げているスローガンがやけに具体的だったのだ。
50年前、中国が滅ぼした異世界の帝国、鳳麟国の皇帝が輪廻転生をして蘇った。今こそ臣民は団結して祖国を取り戻すのだ。
普通に考えれば、チベット仏教をダシにした何も知らない異世界人の戯言としか思えない内容なのだが、しかし実際に暴徒共がそう言って騒いでいるのでは対処するほかあるまい。中国政府は火消しのために、渋々ながら18年前の出生児を調べ始めた。もちろん、そんな子供なんて居やしないという前提でである。
ところが、これに泡を食ったのは張敏であった。18年前というのは、丁度息子が生まれた年であり、当時も党内の有力者だった彼は、自分の立場を利用して、息子の出生届を誤魔化していた。それが徒となってしまったのだ。
妻と息子のため、党内の実力者になった彼には敵が多かった。成り上がり者の彼を快く思わない党の重鎮や、なんとしてでも引きずり下ろそうと思っている政敵はいくらでもいた。こうなっては妻が異世界人ハーフとバレるのも時間の問題である。その時、自分はどうなっても構わないが、妻子が巻き込まれるのは忍びない……不安に駆られた彼は、そこで先手を打つことにした。
彼は息子が国際大会に出場することを利用して、逆に息子が混血であることを世間に大々的にバラしてしまおうと考えたのだ。国際的な監視の目があれば、中国政府もそうやすやすとは息子に手出し出来ないだろう。そして妻が不倫をしたことにすれば、彼女が異世界人の混血であることもバレずに済む。
こうして彼は妻の不義に激怒したふりをして妻子を日本へと逃がし、自分は被害者なのだと主張して党内での面目を保つことに成功した。党内での地位と、実家の財力があれば、あとでいくらでも挽回できるという考えだった。その結果、何も知らなかった息子は大いに傷ついたわけだが……
「それじゃ、張くんとお父さんはちゃんと血の繋がりがあったんですか?」
話を聞いた有理が確認すると、母親は頷いて、
「はい。張敏は最初から、息子を日本に亡命させるつもりでこんなことをしたんです。国内に居て嘘がバレれば、今とは比べ物にならないほどの制約を受けます。張敏は役職を奪われ、家業にも支障が出たでしょう。そうなってからでは、挽回はほぼ不可能だろうと、そう考えた彼の苦肉の策でした。それに元々、息子は日本のアニメやゲームが好きだったから、いつかそういう道を歩んで欲しいとも思っていたようです。自分はそういう風には生きられなかったから……」
「お父さんはいずれ彼にちゃんと事情を説明するつもりだったんですか」
「もちろん、そのつもりでした。ですが、あのタイミングではとても言い出せなかったのです。国内はチベットの暴動のニュースでピリピリしていて、党内は今回の騒動の責任者探しに躍起になっていました。だから、いずれ落ち着いたら、私の方から真実を話すつもりで居たのですが……それが……ああ、なんでこんなことになってしまったんでしょうか」
母親は顔を両手で覆って悲嘆に暮れてしまった。
息子を勘当することによって、張敏は党内での地位を保つことに成功はした。とは言え、この不自然な行動は、あちこちから憶測を呼んでしまっていた。もしかして、もっと大きな嘘を隠すために、彼は息子を切り捨てたのではないか? 彼の失脚を狙ったライバルは、そこで一計を案じた。今回の暴動で逮捕した異世界人活動家を『自白』させようと思いついたのである。
党内きっての若手のホープで次代の首席とも言われていた張敏のスキャンダルは、当然各方面にも知れ渡っていた。異世界人活動家の間でも、まさか中国政府の重鎮の息子が混血だったというのは、関心の的だったに違いない。
そんな時に、暴動の現場で捕らえた活動家に、皇帝の生まれ変わりは誰だ? と詰問したとしたら、彼はなんと白状するだろうか。
仮にその活動家が何も知らなかったとしても、執拗な拷問を加えられ、薬物を投与され、心身ともに疲弊しきった彼は、この苦痛を終わらせるために、誰でも良いから名前を挙げるのではないか。そして、なんと言えば相手が納得するだろうかと考えるのではないか。
おそらく、張偉が皇帝の生まれ変わりだと自白したのは、一人二人では済まなかっただろう。彼らはそう言いさえすれば楽になれるのだから、なんのリスクもないのだ。
こうして自分たちに都合の良い証言を得たライバルたちは、張敏は息子が皇帝の生まれ変わりだと知りながらわざと逃がしたのだと、ここぞとばかりに攻撃しはじめた。もちろん、彼は反論したが、しかし活動家の自白がでっち上げであるという証拠もどこにもなかった。
本当のことを白状すれば、もしかしたら助かったかも知れない。しかし今更そんなことは出来っこなく、結局、彼は党への忠誠心を疑われて要職を解任され、今回の騒動の責任を取って、暴動を鎮圧するように命じられてチベットへと左遷されてしまったのである。
とはいえ、若い頃であれば、それで腐ってしまっていたかも知れないが、しかし、年相応の実力を得た今の彼は、左遷されたからといって、すぐ終わるような男ではなくなっていた。第一、諦めてしまっては妻と息子と再会することも叶わない。彼は何が何でも事態を収束するのだと決意し動き始めた。
ところで冒頭で言及した通り、チベットでは度々暴動が繰り返されてきた。鳳麟帝国の残党は主にインド国境に潜伏しているからだが、そんなことは政府だって百も承知だから、いつもなら小競り合い程度ですぐに終わるはずだった。それが今回はやけに長引いている。それは何者かが手引しているからではないかと考えた彼は、チベットに入ると早速情報収集を始めた。
そもそも、皇帝が輪廻転生したなどという噂は、一体どこから出たものだったのだろうか。誰かが広めない限り、こんな話、まともに取り合う者などいないはずだ。不審に思った彼が真相を探っていたところ、暴徒の中に、かつて皇帝の従者であったという僧侶がいるとの情報を突き止めた。怪しいと睨んだ彼は、早速その男を呼び出して尋問することにした。
それが母親と一緒に今ここにいる僧侶のウダブだった。
「それじゃ、あなたが皇帝が輪廻転生するとかいう噂を広めた張本人なのですか?」
張偉の母親に話を聞こうとして応接室に入った時、どうしてここにチベット僧がいるのかと気になっていたが、このウダブと名乗る男は、なんと亡国の皇帝の従者をしていたと言うのだ。話の流れから彼が犯人だと思った有理が、責めるような口調で訊ねると、彼はとんでもないと首を振って、
「いいえ、私はそんなことはしていません。寧ろ、そんな噂が広まってしまっていることを憂慮して、正すつもりでチベットへと赴いたのです。ところが、誰も私の話を聞いてくれない。それで困っていたところ、今度は張氏がやって来て連行されてしまったんです。一時はどうなることかと思いましたが……誠心誠意、テンジン様のことをお伝えしたら、張氏は私が嘘を吐いていないと分かってくださいました」
話がいまいち見えない。一体何が分かったのかと尋ねてみれば、
「張氏も私も、噂の出どころがどこなのかを知りたい点では一致していたのです。私はずっとテンジン様のお供をしていましたから、あの方が輪廻転生なんて予告していないことは断言出来ます。だいたい仏教は、この世の未練を断ち切り、入滅するのが目的なのですから、憎しみのために輪廻転生を繰り返すなんて馬鹿げた発想なのですよ。だからこんな噂を流したのは、チベット僧とは何も関係がない、外の人間としか考えられません。そうお伝えしたら、張氏は納得してくれました」
「しかし、皇帝が仏教徒でなかったら、こんな噂は出ませんでしたよね? テンジン11世は本当に仏教徒だったんですか?」
「はい。私は縁あって50年前からテンジン様のお供をしておりましたが、それはそれは熱心に修行をなされておいでで、高弟たちもしきりに褒めてらっしゃいました」
異世界人が地球の宗教だなんて、ちょっと信じられないと思っていたが、どうやら本当のことらしい。ウダブはさも有り難いものでも頂戴しているかのように、合掌しながら続けた。
「あの方は、自らの国が滅ぼされたという過酷な運命から、どうして人は争うのだろうかと考え続け、この苦しみから逃れるためには憎しみの連鎖を断ち切るしか無いと悟り、ついに自らの怒りを鎮めて解脱なされたのです。そんなテンジン様が、輪廻転生をして中国に鉄槌を下すなんてことはあり得ないのです。だから噂は全て、何者かのでっち上げに違いありません。では誰なのか? と考えれば、やはり欧州の革命派が怪しいでしょう」
異世界人は主に4つの地域に生息していた。中近東、インド、中国、中南米、このうち中近東にあった最古の王国はサハラ砂漠に沈み、その国民たちは散り散りになってヨーロッパへと逃れた。
彼らはそこで地球の民主主義を学び、王国が滅びたのは王族が不甲斐なかったせいだと革命を宣言、自分たちこそが亡国の正当なる後継者だとして中東諸国へ宣戦布告した。以来、革命派は欧州をホームグラウンドに、主にイスラエルとイランを相手にゲリラ戦争を続けているのだが、同じく地球人によって滅ぼされた鳳麟国に同情し共同歩調を取っていた。
ウダブに言わせると、チベットで抵抗を続けている鳳麟国の独立勢力は、この欧州革命派の支援を受けた過激派と、中国との共存を目指している穏健派がいるらしい。先述の通り、皇帝テンジン11世は国を失ったことによる怒りよりも悲しみのほうがずっと強く、闘争の道ではなく、宗教による救済の道へと傾いていた。
穏健派はそんな皇帝の意を汲み、暴力は暴力しか産まないと、話し合いによる地道な解決を目指す集団であった。暴動ばかりがクローズアップされるから誤解されがちだが、鳳麟国の残党は、実は穏健派のほうが主流であった。彼らの王がそうしようとしていたのだから当然だろう。
故に、張偉の父は、皇帝復活の噂は過激派による憎悪を掻き立てる策略と看破し、今回の騒動を収めるべく穏健派とだけ話し合いの場を持つことにした。デモ隊の影に隠れられなければ、過激派はゲリラを続けるくらいしか手がなく、自然消滅するだろうとの判断であった。
こうして彼は、いくつかの交換条件を材料に、デモ隊を解散せよと穏健派に打診し、事態の収束を図った。中国政府との衝突は避けたい穏健派はその条件を飲み、誓約書を交わすべく双方は話し合いの場へと赴くことになった。今となっては、それが張敏の唯一の誤りであった。
彼はチベットで起きている出来事を正確に読み解き、事態を収束する最善の方法を選んだと言えた。しかし、最後の最後で間違えた。彼は相手が魔法使いであることを忘れてしまっていたのだ。おそらく、彼の妻子が異世界人の混血だから、警戒心が薄れていたのだろう。
話し合いの場へと出ていった彼は、そこに潜伏していた過激派の刺客に襲撃され、あっけなく命を落としてしまったのである。第2世代魔法は旧世代すらも欺くことを、彼はすっかり忘れてしまっていたのだ。