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それからの日々

 花火をやったあの日から、よく三人で遊ぶようになった。有理の部屋にはアニメや漫画やゲームがいっぱいあるから、日本のサブカルに飢えていた張には宝の山に見えるようで、いつの間にか入り浸るようになっていた。


 土方の桜子さんは毎日定時で上がるから、学校から帰ってくると大体彼女も居て、そのまま何かを賭けての格ゲー大会が始まった。始めの内は有理と張の一騎打ちだったが、暫くすると桜子さんが勝ち越すようになり、ムキになった男二人を煽っては、巧みに掛け金を釣り上げ容赦なくこき使ってくれた。急激に上手くなったのは、きっと昼休みも帰ってきて練習しているからに違いない。


 学校が始まって結構が経つから、この頃になると食堂のルールも大分緩和され、混雑時なら見つからないように、こっそりトレーを部屋に持ってくることも出来るようになっていた。それで3人分の料理を運んで、部屋でアニメでも見ながら食事をするようになったのだが、話してみると張は本当に色んな作品を見ていて驚かされた。聞けば、彼の日本語は殆どアニメと漫画で憶えたものらしい。作品は全部日本語で見るらしく、日本の声優事情にやたら詳しいのもそのためだそうだ。日本語はサブカル界隈のラテン語だというが、ここまで面倒くさい言語を学ぶ気にさせる日本のアニメは大したものだと思う。その割にはいつまでたっても不遇な扱いを受けているが。


 因みに、AIのことをメリッサと呼ぶのも二人の間で定着してしまい、今では有理のほうが少数派だった。桜子さんはあれ以来、約束通り異世界語で話しかけてくれるようになり、気がつけばいつも二人で何か話をしていた。そんな風に桜子さんとのやり取りが多くなったせいか、最近は言動が徐々に女性っぽくなってきており、モデルとなった人物の音声のせいもあってドキリとさせられる。だからせめて声だけでも変えさせようとしたのだが、その度に桜子さんにからかわれるので、なし崩しのままになっていた。


 なんやかんやで猫のジェリーも、みんなで面倒を見るようになっていた。いつも買い出しにいく時に餌をやったり撫でたり遊んだりしているうちに、有理にもずいぶん懐いてくれるようになった。桜子さんが現場から端材を集めてきて、勝手に猫小屋を建てていたが、使っている形跡はなく、どこで寝ているのかは謎だった。しかしそうして意識してみると、学校の行き帰りとか結構色んなところに出没するので、もしかすると世話をしているのは自分たちだけではなく、案外、他に行く場所があるのかも知れなかった。


 有理の部屋の寒さは張にも評判が悪く、格ゲーでヒートアップしている内は良いが、みんな黙って漫画を読んでいるときなどは文句を言うようになってきた。とは言え、二人ともメリッサには甘いので、室温を下げるよりは自分たちが外に出ることが多くなった。大抵、そんな時は桜子さんがビールを持ち出して、出来たばかりの隣のビルへと行き、そして宴会が始まるのだ。


 真っ暗なビルの上で月見酒をしながら、みんなで思い思いに過ごしていると、ここが日本の、それも首都圏にあることを忘れそうになる。魔法学校のだだっ広い敷地の周りには、建物がほとんどなく、空を照らす明かりも無いから星がよく見えた。


 その日は流星群がやってくるというので、みんなで北東の空を見上げてやいのやいのとやっていた。因みに、有理と桜子さんは成人しているからビールを飲むが、張は未成年でアスリートだから断固として酒は飲まなかった。しかし、一緒にいると酔っ払いに絡まれるので、それを避けるため、いつもちょっと遠巻きに立っていた。するとその時、屋上の鉄扉がバンと開いて、誰かが上がってきた。ちょっと騒ぎすぎただろうか? もしかして鈴木が来たんじゃないかと思って、有理は慌てて隠れようとしたが、


「パイセンパイセン」


 暗闇の向こうから、人をイライラさせるようなムカつく声が聞こえてきた。


「なんだよ、関かよ。どうしておまえがここに?」

「つれないなあ。さっき、窓の外見てたら、パイセンたちが上がってくのが見えて。そんで追いかけてきたんだよ」

「おまえに見られるとは迂闊だったな……」

「結構、色んな人に目撃されてるよ。つーか、この人、どちらさん? パイセンの彼女?」

「恐ろしいこと言うなよ。このビルを建ててくれた土方の人だよ」

「どうも」


 桜子さんは彼女にしては珍しく無愛想にそっぽを向きながら挨拶した。この短期間で関のカスみたいな人間性を見抜いたのだとしたらなかなかの慧眼である。


「へえ、異世界人に知り合いがいたんだ」

「別にいいだろ、そんなこと」

「まあね」


 関はあっさりと同意してから、さもたった今思い出したかのように、


「そうそう、それよりも最近パイセンどうなのよ?」

「どうなのよって、何が?」

「いやさ、学校でも寮でも、中国人なんかとつるんでて、俺達と距離おいてるじゃん? もしかして裏切ったんじゃないかって、俺らの間で問題になってんだけど」

「はあ?」


 有理はうんざりとした口調で返した。


「中国人って、張くんのこと? 俺が誰と交友しようがお前には関係ないだろうが。大体、裏切るってなんだよ? いつから俺はお前らの仲間になったんだ?」

「そりゃ、パイセンは日本人だから中国人は敵じゃないか。そんなんと仲良くしてるから、敵に尻尾振りやがってって、最近イラついてるやつもいるんですよ。だからもう少し控えた方がいいんじゃないかなって。先輩のためを思ってね」

「なんだそりゃ。そんなお前らの間だけで通用してるような、勝手な思想統制に俺を巻き込むんじゃないよ」


 すると関は苦笑いしながら、


「いやパイセン。世の中そうやって割り切れるような奴ばかりじゃないんだって。それに、パイセンが付き合ってる相手が悪いんすよ。張偉。あいつだけはいけない」

「なんで? おまえら、いっつも彼一人にボコボコにされてるから逆恨みか?」

「ちげーよ! いやその……俺が言ったわけじゃないよ? どうもあの張偉って奴、中国のスパイなんじゃないかって噂があるんだよ」

「スパイ? はあ……」

「俺らの学校に潜入して、中国政府に情報を売っぱらってるらしいんですよ」

「ほう……それってどんな?」

「さあ。よく分かんないけど」

「ふーん。じゃあ、直接本人に聞いてみたらどうだ?」

「そんなこと出来るわけ無いでしょう!? 本当にスパイだったらどうすんすか? 俺消されるよ! つーか、パイセンも絶対に俺の口から聞いたなんてチクんないでくださいよね!?」

「そう? まあ、いいけど。もう手遅れだと思うけど」

「あん?」


 有理が顎をしゃくって関に背後を見ろと示したら、彼は恐る恐る振り返り、


「げええー! 張偉!?」

「秘密を知られたからには、消さなければいけないよなあ?」


 張は怖い顔で指をポキポキ鳴らしながら関に向かってゆっくりと歩いてくる。その迫力に気圧された関は尻もちをつくと、アワアワと泡を吹きながら有理の背後へ回って身を隠した。お陰でその迫力を真正面から受けてしまった有理は、こりゃおっかないと冷や汗を垂らしながら、


「まあまあ、張くん。関はただアホなだけで、悪気があるわけじゃないから」

「あんた、あんなことされて、そいつのこと庇うのか?」


 まったくもってその通りでぐうの音も出ない。有理が何も言い返せず愛想笑いしていたら、張は呆れたようにため息を吐いて、


「……物部さんに免じて、今日だけは許してやる。次はないと思えよ」

「ひぃぃーーっ!」


 張は、チッと舌打ちをすると、有理の背中に隠れている関を睨みつけながら、ゆっくりと歩み去っていった。出入り口とは真逆なので、どうするつもりなのかと思っていたら、彼はいきなりビルの縁に飛び上がると、そのまま壁の向こう側へと消えていった。


「ちょっ! ここ10階!」


 慌てて駆け寄ってビルの下を覗き込めば、張は殆ど手がかりがないビルの壁の、ほんの隙間を頼りに、信じられない速度でスルスルと降りていくのが見えた。それでも途中で手がかりがなくなると、彼はあっさりと自由落下し、自分のいる壁と向かいの壁を交互に蹴って減速しながら、当たり前のように地面へと着地した。


 スタンと軽やかな着地音が聞こえてきたが、これだけ距離が離れていても聞こえるのだから、実際には相当な衝撃だろう。しかし、彼はそんなことはおくびにも出さずに、スタスタと歩き去ってしまった。普通、身体能力が高い異世界人だってこんなことは出来ないだろう。それだけでも、彼のアスリートとしての実力のほどが窺えた。


「な? あんなヤバいのと付き合ってたら、みんなに誤解されるのもわかるだろう?」

「いや、俺はお前と口を効いてるほうが危険なんじゃないかと思えてきたけど?」


 アホの関はまだそんなことを言っている。しかし実際、クラスの日本人ヤンキー共は、無駄に中国人たちを憎んでいるのだ。これは一体なんでなんだろう? ただ、ネトウヨに感化されてるだけとも思えないのだが……

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