DQNどもが通報される
雑木林を抜けると、三人の前にはでかい壁が立ちはだかった。
4メートルくらいあるんじゃないかという高い壁を見上げながら、張偉はこんなのどうしようもないだろといった目つきで見ていたが、桜子さんは当たり前のようにぴょんと飛び上がって壁のてっぺんに着地すると、唖然とする彼に向かって手を伸ばしてきた。有理がこれまた当たり前のように彼女の手を取り壁をよじ登る。
桜子さんは華奢に見えるが、さすが異世界人というべきだろうか、その体力は並の人間とは比べ物にならなく、成人男性一人くらいなら楽々片手で持ち上げられてしまうのだ。降りる時は壁にぶら下がってしまえば大した高さでもなく、首尾よく壁を乗り越えた二人は、ふひひと忍び笑いを漏らしながら真っ暗な道を駆けていった。張偉はそんな二人の後に続いた。
ほぼ軍用道路といった趣きの無人の坂道をてくてく下りていくと、やがて車通りの多い幹線道路に突き当たり、そのすぐ脇に青色の看板があって、仄白い明かりを周囲に撒き散らしていた。久々に見たコンビニの看板に、張偉が妙な郷愁のようなものを感じていると、早く入ろうぜと有理に背中を押された。ここまで来て尻込みする必要などないのに、いいのかな? と思いつつ中へと入る。
店内に入るといらっしゃいませという挨拶と、店員のゲッとした表情が迎えてくれた。桜子さんはいつものように、よう! と気軽に挨拶を返すと、一番奥の冷蔵庫へと消えていった。そこにはビールとチューハイしか売ってないが、熱燗はもういいのだろうか。
適当に目についたツマミを籠に放り込んだら有理の買い物は終わったが、ビールと発泡酒の原材料を真剣に見比べている桜子さんの方は、まだ時間がかかりそうだった。先に自分だけ会計を済ませてしまえばいいのだが、ここではいつも一緒に会計するので、彼女の気が済むのを待つしかない。店員が異世界人の彼女のことを怖がるのだ。
他になにか買うものは無いかな? と別の島を流しつつ歩いていくと、お菓子コーナーで張偉がウンコ座りしていた。てっきりペット用品でも見てるのかと思いきや、意外な場所にいたので、何してんだろうと覗き込むと、食玩付きのお菓子の箱を振って音を聞いたり、重さを比べたりしている。ここにはガチ勢しかいないのか。
「張くんもパチモン集めてんの?」
「ああ。第3弾の進化型リリィ第2形態がどうしても出ないんだ。あと1つでコンプリートなんだが……」
「おお、凄いじゃん。そこまで集まったんなら絶対欲しいな」
「ああ。購買だと奪い合いになるだろう? おまけに、売店のおばちゃんは第2弾と第3弾の違いが分からないと来ている。こうしてじっくり選べる機会は滅多にないから、今日は来れてよかったよ」
彼はそこまで反射的に言ったところで、食玩なんかに夢中になって恥ずかしいとでも思ったのか、急に冷めた目つきで立ち上がると、
「買ってくる」
と言ってレジに向かってしまった。もっとじっくり選んでくれて良かったのに、邪魔してしまったろうか? 有理が申し訳なく思っていると、
「おーい、ユーリ。いたいた。はいこれ」
桜子さんがいつものビールを両手に抱えてやってきた。あっという間に籠が重くなる。一体、どれだけ買い込むつもりか、ソフトドリンクも何本かあった。
「っていうか、熱燗はどうしたんだよ? 寒い寒い言ってたくせに」
「もう暖かいしさ、外で飲もうぜ」
「えー? 俺、飯まだなんだけど」
「買いなよ、奢っちゃるから。それより、ほら、これ見て見て」
桜子さんはそう言うと、背中に隠すように持っていた袋を有理の眼の前に突き出した。
「それは……花火?」
「うん! 見切り品コーナーで見つけた」
ここは辛うじて湘南と言っていいくらいの土地にあったから、こういうトンチキな物を売っているのだろう。それにしたって海なんてまだはるか彼方だし、こんな季節外れに売れると思ったのだろうか? いや、売れないから見切り品になっていたのか。妙に納得していると、レジの方から、
「パチモンゲットだぜ!」
という声が聞こえてきた。どうやら浮かれ野郎がもう一人いるらしい。いつの間にか籠に入っていた花火を持って、とりあえず祝福のためレジに向かった。
***
近くの公園に移動して、据え付けのテーブルの上にビールを並べる。夕飯代わりのチキンをそれで流し込んでると、桜子さんがどこからか見つけてきたバケツに水を汲んできたので、ろうそくに火を灯して花火を開けた。パチパチと炎が爆ぜて、色とりどりの火花が散った。綺麗だった。
それにしても花火なんていつぶりだろうか。子供の頃は毎年やるのが当たり前だったのに、気がつけばいつの間にかテレビで見るものになっていた。最近はそのテレビすら見ないので、桜子さんが言い出さなければ存在自体を忘れていたかも知れない。
「あんたら、いつも抜け出してこんなことやってるのか?」
暗闇の中で光る花火をぼーっと眺めていたら、張偉が話しかけてきた。
「いつもってことはないよ。基本的には酒が切れた時だけだけど……今日は部屋が寒かったからかな?」
「寒い? 暑いくらいだろ」
「それはね、有理が1日中冷房かけてるせいなんだ。止めろって言ってるのに」
「だからあんたが服着ればいいって言ってんだろうが」
二人に挟まれた張は困惑気味に、
「なんかサラッと言ってるけど、あんた寮に女連れ込んでるのか? バレたら鈴木にどやされるぞ」
「連れ込んでねえよ。付き纏われてるんだよ」
「酷い! あたしの裸、何度も見てるくせに!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれる!?」
「有理。警ら中のパトカーが巡回路を離れ、こちらへ向かってきています。あと5分ほどで到着します」
有理と桜子さんが不毛な言い争いをしていると、突然、その有理がやけに冷静な口調でおかしなことを言い出した。何が起きてるのか分からない張が戸惑っていると、他の二人は慌てた風に花火を消して、
「ちっ……誰か通報しやがったわね」
「ほら、張くんも早く!」
二人はあっという間にテーブルの上を片付けたかと思えば、四つん這いになって山型遊具の中へと入っていってしまった。何をしてんだと呆れていると、中から有理が手招きするので、張は仕方なく彼らの後に続いた。
すると、間もなく公園に横付けするように、回転灯を点けたパトカーがやってきて、警官が公園の中をぐるりと見回り始めた。彼らは暫くの間広場の中を歩いていたが、やがて誰もいないと判断したのか、またパトカーに乗ってどこかへ行ってしまった。
「……驚いた。本当に警察が来たじゃないか。どうして分かったんだ?」
張が息を潜めながら訪ねると、既に警戒を解いていた有理は缶ビールをグビグビやりながら、自分の胸元を指さして、
「ここに蝶ネクタイ型……じゃないけど、マイクが仕込まれてるんだ。これが俺の部屋にあるAIと繋がっていて、リアルタイムで周辺を警戒して異変を察知し、それを俺に教えてくれたってわけ」
「AI……AIだって? 最近の生成AIは確かに驚異的だが、そんな凄いのは聞いたことがない。どこが開発したものだ?」
「だから俺だってば」
「……あんたが? 嘘だろ?」
張はぽかんとしている。有理はもう一口ビールを含みながら、
「別にそこまで凄いことはしてないよ。最近はあちこちに定点カメラがあるからね、太郎はそのデータを拝借して演算しただけさ。もちろん、外れることだってある」
「いや、だからそんなことするAIは聞いたことがないんだって。驚天動地だ」
「だよねえ、有理は当たり前みたいに言ってるけど、やっぱり太郎ってば凄いAIだよね。でも名前が良くない」
張が興奮気味に語っていると、横から桜子さんが口を挟んできた。有理はちょっとムッとしながら、
「そうかあ? どこがおかしいってんだよ。桜子さん、ちょっとしつこくない?」
「しつこくないって、だって太郎でしょう? 太郎。正式名称、鯖太郎1号だっけ? いくらなんでも酷すぎるじゃん」
「鯖太郎君1号だ。君を忘れるんじゃない君を」
有理がブツクサ文句を垂れてると、横合いから張の呆れるような声が聞こえてきた。
「そりゃ酷いな、確かにそれはセンスがない」
「うっ。君までそう言う?」
「ほらみなよ。あたしの言ってた通りじゃん。有理は普通の感性ってものが欠けてると思うね」
有理はプンスカしながら、
「そこまで言われる筋合いはないと思うんだけどね……じゃあ、どんな名前がいいんだよ。参考までに聞いておいてやらんでもないけど」
「そうねえ、じゃあ……メリッサとか、どう?」
桜子さんはほんの数秒考えただけで、ポロッとその名前を口にした。逆に有理の方は考えもしなかったのか、いかにも狼狽しきった風にゲホゲホ咳き込みながら、
「はあ!? よりによって、なんでその名前!? やめてよ!」
「なんで? いいじゃん。ほら、男ってよく自分の大切なものに、好きな女の名前付けるじゃん?」
「好き!? はー? 好き?」
有理はしらばっくれようとしたが、
「好きなんでしょう?」
「……ええ、まあ。好きですけど」
すぐに自供した。桜子さんはそら見たことかと言いたげに、
「ならいいんじゃない? あたしはこれからそう呼ぶことにするよ」
「いや、好きだから嫌なんじゃないか。とにかく、俺は認めないからな!」
「そう? じゃあ、あたしは勝手にそう呼ぶよ。これからよろしくね、メリッサ」
「はい、桜子。よろしくお願いします」
すると突然、胸元のマイクから聞き覚えのあるすごく耳障りの良い女性の声が聞こえてきて、有理は飛び上がった拍子に遊具に思いっきり頭をぶつけた。
「ぐおぉぉぉ~~……」
ぐわんぐわんと頭の中で鳴り響く音と、猛烈な痛みに耐えていると、
「大丈夫ですか? 有理。周辺に5件の診療所があります。救急車を呼ぶことも出来ます。呼びましょうか?」
「呼ばんでいい……つーか、おまえ学習してたな? そういうのは著作権とかやばそうだから、今すぐやめろ」
有理が頭を擦りながら胸元のマイクに抗議しているときだった。それまで成り行きを見守っていた張が、ほんのちょっぴり眉毛を上げて意外そうに尋ねてきた。
「なあ……あんたの好きな人って、もしかして高尾メリッサ?」
「知ってるの?」
張は軽く頷いて、
「ああ。最近、人気の新人声優だろう? 蒼のエクソダスの新城カエデとか、幻影のオペラのミリー・マクダネルとか、ナイトフォール・リリィとか、あと……」
「パチモン・アクアマリンのライバルトレーナー、メア!」
有理と張の声が気持ちいいくらいにハモった。二人はガッチリ握手を交わした。
「最初は小生意気なライバルとして登場するけど、なんやかんやで仲間になって、それからは互いを支える仲間になるんだよな」
「数々の試練をくぐり抜けて俺たちは最高のパートナーだと盛り上げるだけ盛り上げて、そこで辛い別れが待ってるんだ」
「ものすごい喪失感の中で、それでも待ってくれない世界の危機。彼女がいないだけでこんなに戦闘は苦しかったんだと思い知らされてからの、再会ドーン!」
「そしてあの熱いファイナルバトルに繋がってくんだよな。あと一撃、あと一撃でいいのにもう駄目だってその時に、そっと背中を押してくれる」
「エンディングは泣いた! そしてそのまま二周目に突入した!」
「もちろん、後日談もやったよな? あとウルトラバイオレットに隠しキャラとして登場するの知ってる?」
「当たり前じゃないか!」
二人は熱い抱擁を交わしながら、お互いの背中をバンバンと叩いた。桜子さんはそんなオタクどもを冷めた目つきで眺めていた。
「いやあ、張くん、もしかしてって思ってたけど……意外といける口なんだね?」
「へへ……実は。父がそういう仕事をしてて、子供の頃から日本のサブカルに憧れて育ったんだ」
「そうだったんだ。じゃあ、もしかして、日本に来たのもそれが理由?」
最近は訪日観光客だけじゃなく、留学生の中にも日本のアニメやゲームを目的にやってくる者が多かった。だから張もその口かと思ったのだが……有理がそう言うと、彼の表情は曇って、
「いや、それは違う……俺は……」
張偉は胸のうちに詰まった泥を吐き捨てるかのように、苦み走った顔で言った。
「俺は、その父に追い出されて……ここしか行き場がなくなってしまったんだ……」