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もしも彼が魔法を使えるようになったら

 キーンコーンカーンコーン……チャイムが鳴って、気絶していた関はハッと目を覚ました。机の上には大量の唾液が池を作っていた。周囲を見回してから、袖口でこっそり拭き取ったあと、ぐいっと背筋を伸ばしてあわあわと大きな欠伸をかましながら隣の席を見れば、有理がなにやら一心不乱にノートに書き殴っていた。


 何を書いているのかと覗き込んで見れば、謎の記号と文字の羅列で、見ているだけで一瞬にして意識を持っていかれそうになった関が首をふりふり顔をあげれば、同じものが黒板にも書かれてあった。どうやら板書しているらしい。


 この学校に来てから、こんな真面目くさった人間にはとんとお目にかからなかったから驚いたが、それ以上に驚いたのは、あの魔術師の授業を受けて一睡もせず、なんなら板書まで取ろうとする人間がいるということだった。


 そんな有理は板書を終えると、今度は取り出した携帯でパシャパシャとそれを撮影しだした。


「なにやってんの、パイセン?」


 わざわざ書き写したノートを撮影するなんて意味ないだろうに……彼の不気味な行動の意味を、若干引きぎみに尋ねてみると、有理はさも当前のように、


「AIに学習させてるんだよ」

「エーアイ? エーアイって……胃腸薬だっけ?」

「ちげえよ。Artifical Intelligence。人工知能のことだ」

「ああ? そんなことしてなんになんのよ?」

「俺が面白いと思ったことを学習させて、似たようなエピソードを集めてきてもらうんだよ。AIは人間より賢いからな。もしかしたら新しい知見を得られるかも知れん。魔法に関する記述は、今までハリー・ポッター的なエンタメとしてしか消化されていなかったはずだ。そこに量子論的なアプローチが加わることによって、まったく別カテゴリとして彼は認識し直すはずだから」


 駄目だ。何を言っているのか分からない。関はさっさと匙を投げた。それよりも気になったのは、彼のセリフだ。


「面白いって、あんた、さっきの授業のこと言ってんの?」

「そうだよ」

「マジかよ。どのへんが面白いって言うのよ。あれか? 次々と人が眠りに落ちていく様がか?」


 有理は無機物でも見るようなフラットな目つきで振り返ると、淡々と言い放った。


「魔法という一見して理不尽な力を、科学的に解明しようとするアプローチがだ。彼らからしてみれば、魔法は科学なんだよ。魔法は謎の遠隔力ではなく、場の理論で説明が可能な近接力であり、数式で記述できるかも知れないって言ってるんだよ。そしてその試みは、ある程度成功しているようなんだ。こんな面白いことはないだろう?」

「……はあ。えーと……うん? ふーん?」

「だからあ! 今まで俺にとって、魔法は理解不能の超能力でしかなかったんだよ。だから、いくらああしろこうしろって言われても、何も分からなければ何も出来なかった。でも、もしあの先生が言ってることが本当なら、俺にも理解できる力なのかも知れないってことだ。そしたら、今までうんともすんとも言わなかった魔法が、俺にも使えるようになるかも知れないだろ?」

「ああ、つまり、何か知らんが、パイセンも魔法が使えるようになるかも知れないってこと? それなら分かった」


 関はようやく人間にも理解できる言葉が返ってきてホッとした。そう言えば、元々有理は世界最高レベルの魔法適正という触れ込みで入学してきたのだ。それが蓋を開けてみればまったくの無能力者だったもんで、みんな肩透かしを食ったような気分になったのだ。だから自分は周りの空気を読んでイジっていたのだ。そう、自分は悪くない。ただ空気を読む能力に長けていただけなのだ。関は心の中でそんな自己弁護しながら、


「そっか。パイセンも魔法使えるようになったらいいな」

「まあな」

「しかしあの授業も、分かる人には分かるんだな。正直、東大の偉い先生だって聞いた時にはどんな天才が来るのかって期待したんだけど、授業始まってみたら意味分からなすぎて、本当は馬鹿なんじゃないかって思ってたんだ」

「東大? あの先生、普段は東大で教鞭とってるの?」

「ああ、そういう触れ込みだったな」

「そうか……もし、あのまま東大行けてれば、あの先生に師事することも出来たんだな。もったいないことした……いや、でも、ここに来なければ魔法なんて興味なかったろうし、結局は同じことか」


 有理はブツブツ言っている。


「そんなに気になるんなら、質問行ったら? あの爺ちゃん、授業終わっても暫く学校いるから」

「ふむ……そういえば、そう言ってたな。よし」


 有理は荷物をまとめて立ち上がった。関は本当に行くんだと半ば呆れながら、「ごゆっくり~」と見送った。そしてもう一眠りしようかと首をポキポキ鳴らしている時、ふと思った。


 もしも本当に有理が魔法を使えるようになったら、自分はどうなっちゃうんだろう? 確か教師たちの話では、彼は世界でも最高レベルの魔力の持ち主のはずだった。魔法の威力は魔力の大きさに比例するから、有理が魔法に目覚めたら、自分は彼に勝てっこないだろう。その時、もしも彼が以前のイジりに復讐心を抱いていたとしたら……?


「あわわわわ……パイセン! 魔法が使えるようになっても、俺たち友達だよな!?」


 たった今、教室を出ていこうとしていた有理は、いきなり呼び止められて意味のわからない質問をされて、心底迷惑そうに振り返った。彼は、何あり得ないこと言ってるんだこいつ? と言わんばかりの冷めた視線を向けてきたが、すぐに取り繕ったような笑みを浮かべると、


「もちろんだとも関くん。君と僕の仲じゃないか」


 とにっこり笑って去っていった。関はその背中を見送りながら、背筋が凍るような恐怖を感じていた。あれは人を殺すことを躊躇しない目だった。何なら処分方法まで既に決めているそんな目だ。今からでも土下座の仕方を練習していたほうが良いだろう。彼はそう決意した。


***


 アホの関と別れた有理はまだ騒がしい他の教室の前を通り過ぎ、職員室で教授の所在を尋ねたところ、彼は研究所の方にいると言われ、教員棟を抜けて中央の研究棟へと入っていった。


 元々、魔法学校の敷地はこの研究所を建てるためにあったそうだが、時が経つにつれ、魔法研究が各方面へと分散していく過程で、中央機関としての用をなさなくなり、いつの間にか廃れてしまったらしい。今となっては立派な外見とは裏腹に、中身は閑散とした伽藍の堂となっていた。


 一階のラウンジを通りかかると、そこで議論をしていた研究者たちが制服姿の有理を見て、一瞬珍しいものでも見たかのように目を向けてきたが、すぐに興味を失ったのか元の議論に戻っていった。そんな研究者たちの横を通り過ぎてエレベーターホールに入ると、節電のためか、5台ある内の3台は使用禁止の札が掛かっていた。


 結果を出さなかったからとはいえ、世知辛い世の中だと思いつつ、止まっていたエレベーターに乗り込みボタンを押したら、外から誰かがエレベーターに向かって駆けてくるのが見えた。慌てて開閉ボタンを操作してドアを開けると、小柄な少女が息せき切って乗り込んできた。


 とても研究者には見えない。学生服を着ている彼女のことは見覚えがあった。あの事件の日、一緒にゴミ拾いをした生徒会長の女の子だ。確か椋露地(むくろじ)と言っただろうか? あの時は仕方なかったとは言え、興奮するデモ隊の中に置き去りにしてしまったことを思い出し、有理はバツが悪くなった。


 別段、挨拶をするような仲でもないので、ドアが閉まると二人は目を合わせないまま、お互いに点灯する文字盤を見上げながら、黙って運ばれていくのをただ待っていた。そう言えば、乗り込んできた彼女はボタンを押していないが、行き先は同じでいいのだろうか? そう思っていると、丁度エレベーターが停止したので有理が降りようとすると、


「あの!」


 エレベーターから降りてホールに立った背中に声がかけられ、振り返ると彼女は操作盤に指を押し当てたまま少しうつむき加減に別の方向を向きながら、


「このあいだは、その……ごめん」


 と言い出した。突然のことに何を言われているのか分からなかった。


「なにが?」


 すると彼女はバツが悪そうに少々顔を赤らめて、


「……あんたのことを、裏切り呼ばわりしたことよ」

「ああ」


 確か事件後、全校生徒に戦犯呼ばわりされてた時、そんなことを言われた気がする。彼女はそのことを悔いているのか、苦々しそうな口調で頭を下げてきた。


「あのあと、考えたのよ。あの時、あんたにはどうしようもなかったんだろうって。それなのに、周りの空気に流されて腹いせみたいな真似をして、悪かったわ。許して欲しい」


 有理はそんな彼女に向かって首を振って、


「いや、俺の方こそ悪かったよ。何も出来ないことと、何もしないことは同じじゃない。あの時の俺には勇気がなかったんだ。それは本当に悪かったと思ってる。ごめんよ」

「別にあんたのせいじゃないわよ」

「いや、俺のほうが歳上なんだし、せめて一緒に残るくらいは出来たと思う。怖い思いをさせて申し訳なかった」

「あんたが残ったところで何も出来なかったでしょう。そんなことで謝らないでよ」

「そうもいかないさ」

「うるさいわね!」


 有理がそれでも自分が悪いと言おうとすると、彼女は癇癪を起こしたかのように地団駄を踏んだ。エレベーターがガタガタと揺れて、ビーッと警告音が鳴り響く。


「マナが悪いって言ってるんだから、マナが悪いのよ! あんたはただ、謝罪を受け入れればそれでいいのよ! わかった?」


 彼女は自分の言いたいことだけを言うと、フンと顎をしゃくって顔を背けた。有理がぽかんとしていると、やがてエレベーターの警告音が止まって、ドアが自動的に閉まり、そのままエレベーターは下の階へと降りていった。


 彼女はもしかして、それだけを言いに有理のことを追いかけてきたのだろうか?


 彼は暫くの間ホールに留まっていたが、エレベーターは1階に止まったまま、もう彼女が戻ってくる気配はなかった。関みたいに悪びれない奴もいれば、彼女みたいに律儀なのもいるのだな……有理はそう思うと、踵を返して当初の目的である教授の部屋へと足を向けた。


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