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魔法学概論

 魔法学とは何か。それは50年前、始めて地球人以外の敵性生命体と遭遇した人類が、その戦争の最中、相手の正確な力量を確かめようとして始まった学問である。


 地球人はある日、突然、炎を操り、空を飛び、驚異的な身体能力を誇る、人類そっくりの生命体と戦うことを余儀なくされた。そんな彼らがどこからやって来たのか、そして彼らの操る力がどのようなものなのか、解析しようとするのは自然な行為だったろう。ところがあれから50年、科学は未だにその正体を突き止められていない。


 魔法という力は謎に満ちている。少なくとも、半世紀前、異世界との衝突が起きるまで、魔法という概念は、この世界には存在しなかった。


 古い文献を辿れば、例えば聖書の中の神の奇跡や、古のシャーマニズムの記録や、魔女狩りの凄惨な歴史などに垣間見えるが、それらは全て科学的には何の根拠もない、ただの与太話に過ぎなかった。


 ところが半世紀前、異世界人が登場したことで、地球人は魔法の存在を認めざるを得なくなった。異世界人たちは、明らかに自分たちが知らない法則の力を駆使して地球人と戦っていたからだ。この異世界人が使う魔法という力は、一体何を源泉としているのだろうか。魔力もエネルギーの一種であるなら、エネルギー保存の法則に従うはずである。もしも魔力が異世界人の体内に蓄えられる力であるなら、どのようにしてエネルギーを体内に取り込んでいるのか、そしてそのエネルギーは体内のどの部分に蓄えられているのだろうか?


 異世界人の身体をいくら調べても、科学者たちはそれを突き止めることは出来なかった。仮に食べ物を接種することで力を得ているのだとしたら、戦車を破壊するような強大な力を蓄えるためには、どれだけの食べ物を摂取し続けなければならないだろうか。だから、このアプローチは不可能そうに思えた。ならば、光合成のような方法で力を得ているのではと考えたのだが、いくら調べてもそのような器官は存在しなかった。


 つまり、魔法のエネルギーは、それを使う寸前までどこにも存在しないとしか考えられなかった。術者が使おうとした瞬間に、ひょっこりと現れて、破壊的なエネルギーを放出し、またどこかへ消え去っていく。痕跡として放射性物質を残して。それが魔法なのだ。


 この力は何なのか? どこからやってくるのか? 何故、放射性物質が放出されるのか? もしかして、異世界の衝突が起きた時、他の宇宙から、今まで存在しなかった未知の粒子でも紛れ込んだのではなかろうか? 科学者たちは最初、その可能性を疑った。


 しかし、それはどうにも有り得そうにない話だった。


 我々が住んでいるこの宇宙は、138億年前のビッグバンの後に生まれた4つの力で構成されている。すなわち、強い力、弱い力、電磁気力、そして重力である。我々の体を構成する物質は、これらの力が複雑に絡み合って出来ている。これにもし、別の第5の力が加わったとしたら、バランスが崩れて崩壊してしまうだろう。


 少なくとも2つの世界が衝突した時、この宇宙は壊れなかった。それは衝突した2つの世界が、まったく同じ法則によって作られていたからに違いない。そうでなければ、この宇宙は今ごろ存在していないだろう。ならば魔法も4つの力の内、どれか1つを使っているはずである。


 最初、その可能性が一番高いと思われたのは電磁気力だった。基本的に物質は電磁気力によって作られている。我々の体がバラバラにならないのは、プラスとマイナスの電荷が互いに引き合うお陰で、地球の上に立っていられるのは、電子同士が反発し合うからだ。そして原子は、電子と陽子の数によってその性質が決まっている。魔法は物質に作用するのだから、同じ電磁気力を使っていると考えるのは自然な発想であった。


 しかし、そう仮定していくら調べてみても、そのカラクリは分からなかった。どれだけ魔法を使っても、術者の周りに不自然な電磁波は発生しなかったし、どこからも電子は飛んでこないし消えたりもしない。


 そこでもっと別の力が使われているのではないかと考えられた。その筆頭が、ニュートリノだった。


「太陽の中心ではその自重によって超高温状態が保たれており、そこでは核融合反応が連鎖的に行われています。水素原子核、すなわち陽子が2つ融合して重水素となる際、余った陽電子とニュートリノが放出されるのですが、このニュートリノという物質は少々特殊な物質でして、まず電磁気の力にはまったく反応しない。また距離にして原子核の中でしか相互作用を起こさないから、非常に透過性が高く、一度放出されるともう他の物質には干渉せず、そのまま太陽系を飛び出して宇宙の彼方まで一直線に飛んでいってしまう。実は銀河の中心には積もりに積もったニュートリノが集まっていて、それがダークマターの正体なのではないかという説もある。とにかくまあ、そういった孤高の物質なんですね。


 まったく反応を示さないから気づかないのですが、太陽から発したニュートリノは、今この瞬間も私達の体の中を何十兆という膨大な量が通り抜けているんです。これだって物質ですから、ちゃんとエネルギーがある。膨大なエネルギーが何にも利用されずに、ただこの惑星を、私達の体を素通りしている。だからもしかして、魔法というものは、このニュートリノを利用しているのではないか? と考える人が現れたのですね。少し難しい言い方をすれば、異世界人という知的生命体は、ニュートリノを解放するよう進化した散逸構造なのではないかと。


 しかしまあ、さっきも言った通り、ニュートリノは何にも反応を示さない物質ですから、それを利用していると言っても、最初は誰も信じませんでした。ところが、実際に魔法を使っている人の周辺を調べてみると、どうもニュートリノが検出される機会が増えているような気がする。非常に検出するのが難しい物質ですから、それは微々たるものでしたが、それでも無視はできない変化量だったので、科学者を大いに悩ませました。


 ところで仮にニュートリノを使っているとしたら何が起こるのかと考えると、面白い構造が見えてくる。ニュートリノという物質が何をしているのかと言えば、主に原子核の中で弱い力を交換し、クオークのフレーバーを変換しているのです。具体的にそれで何が起きるのかと言えば、例えが陽子が中性子に変わったり、プラスマイナスが入れ変わったり、エネルギーを放出しながら原子核が変化するわけです。その結果、空気中の酸素が放射性窒素に変わってしまったり、窒素が放射性炭素に変わってしまったりと、こういうことが起こりうるんです。


 つまり、これが魔法を行使した後に残留する放射性物質の正体なのではないか?


 この魔法ニュートリノ起源説が提唱されると学会は色めき立ちました。しかしそれでもすぐに受け入れられなかったのは、やはりニュートリノという物質が殆ど何にも作用しないという性質があったからです。


 仮にニュートリノを利用しているのだとして、それはどのように行うのか? 人体を構成しているのはアミノ酸などの化合物ですが、この化合物の中を今もニュートリノは素通りし続けている。異世界人の体だって同じアミノ酸で出来ている。もしニュートリノを利用しているなら、体のどこかにそれを捕まえることが出来る仕組みがなければおかしいのですが、そんなものはどこにもなかった。だから一度はこの説も否定されかけたのですが、それを覆す発見が、新たに見つかったのです。


 それはみなさんも受けたことがあるM検の前身となる実験が切っ掛けでした。


 魔法の正体を探る試みは、自然科学を元に理論的に迫るアプローチの他にも、実際に魔法を使って起きる現象を測定する実験的なアプローチでも行われていました。それで、ある科学者は、魔力が人によって強さがまちまちなのはどうしてなのか興味を持ち、複数の実験体からその分布を調べようとしました。実は異世界人の魔力というのは、生まれつき人によって最大値が決まってるんです。修行して強くなるってものではないんですね。


 それで、炎の魔法を使ってもらい、熱量を測る実験器具を用いてその最大値を測ろうとした科学者がいました。彼は、ある時、面白い発見をした。元々、その科学者は生まれや育ち……例えば王族と一般人ではどれくらい魔力に差があるのかを調べようとしていたのですが、途中で気が変わって、最小値というものがあるならどれくらいか、出来るだけ小さい炎を出してくれるようにお願いしたんです。結果は、やはりこれも人によってまちまちで、要するにその人の器用さに依存しているだけでした。


 それで実験は終わったんですが、その実験結果を整理している時に、彼はその数値に偏りがあることに気づいたんです。


 実験では段階的に魔法の威力を小さくしていくように頼んでいたのですが、その結果生じた熱量の変化が、どうも二次曲線を描いているように見えたんです。それが一人だけなら、たまたまだったんでしょうが、実験に参加した全員が全員、同じような曲線を描いていたんです。


 二次曲線とはy=x^2のグラフで表される、いわゆる放物線のことですが、つまり術者の最大魔力を10として、9、8、7と段階的に魔力を弱めていくと、炎の大きさは放物線を描くように急激に小さくなっていく。皆が皆そうなる。このような変化が偶然に起きているとは考えにくい。そこで何が起きているのかと考えた時、彼はピンときたのです。


 逆二乗の法則に従うのは、距離の関数だ。つまり、魔力は何かの距離に依存している。


 そこで彼は大胆に予想した。もしかして、術者が魔法を使う時、その術者の周りにはなんらかのフィールドが形成されているのではないか?


 術者を中心に、球状のフィールドが展開され、そこを通り抜けたニュートリノは軌道を変え、中心に向かって集まってくる。フィールドは球形でも、ニュートリノは太陽から直線的に飛んでくるから、受け取る面は円であり二乗則に従うはずである。


 そしてこの仮説が正しいのであれば、このフィールドの正体は自ずと限定される。ニュートリノが作用するのは弱い力と重力の2つだけだ。そのうち、弱い力は非常に限定的な力だから、考えら得るのは重力の方だ。そして重力に変化があるなら、必ず重力波が発生しているはずである。


 こう考えた科学者は、今度は術者の周りで重力波が生じていないかと観測し始めたのですが、結果は惨憺たるものでした。重力というのは非常に小さな力だから、検出するのが凄く難しいんですね。超新星爆発のような大きな力でもない限り、今の科学では不可能かも知れない。


 しかしそれでも諦めきれなかった彼は、ダメで元々と、この世界で最大の魔力を持つと言われるインドのシヴァ王に協力を要請した。紆余曲折はありましたが、王は快諾してくれて、そして実験を行った結果、非常に微弱ではありましたが、予想通り重力波が検出されたんです。


 こうして、長い間謎とされていた魔力はニュートリノに起源を持つということが証明されたんです。しかし、これで全ての謎が解決したわけではありません。そもそも、術者が形成するフィールドとは何なのか。どうやって重力を発生させているのか。検出された重力波で、果たして理論通りのニュートリノの収縮が起こるのか。


 エネルギーの問題は解決したとしても、実際の魔法の仕組みもまだ分かっていません。彼らはどうやって空を飛んでいるのか。身体強化はどうしているのか。そしてここへ来て登場した第2世代魔法は、何故放射性物質を出さないのか。まだまだ分からないことだらけなのです。


 この講義ではそれらのことを、魔法世界の未来を担うみなさんと考えていけたらと思っています。では、そろそろ時間ですので今日はここまで。もし質問がありましたら、研究棟にいますから遠慮せずに聞きに来てください。それでは」

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