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台風一過して

 翌朝、開くと同時に食堂に駆け込み、ガツガツと二食分を平らげ、ようやくひもじさから回復した有理は、一日ぶりに学校へと復帰した。今となっては慣れてしまった学ランに袖を通し、行き交う制服の群れに混じって教室のドアをくぐると、数名のクラスメートが控えめな挨拶をしてきた。


 あの事件以来、学友たちとの関係性は結構変わった。いつも遠巻きに見ていたクラスの真面目連中は普通に話しかけてくれるようになり、他クラスの生徒も通りすがりに目礼をしてくるようになった。


 結局のところ、初日の学校長による紹介が悪かったせいで、有理に対して一般生徒は気後れしていたのだ。しかし蓋を開けてみればまったく魔法が使えず、なのにこんな超人高校みたいなところへ通わされているのだから、冷静に考えれば彼は被害者じゃないのかと思い直してくれたらしい。桜子さんの演説の影響もあってか、最近では結構気を使ってくれるようになっていた。


 そして変わったのは真面目な生徒だけではなく、ヤンキー連中の態度もガラリと変わった。


「あ! パイセン、おはようございます! おカバンお持ちいたします! 肩をお揉みいたしましょうか?」


 特に、有理に一番ちょっかいを掛けてきた関という男の変わりっぷりには目を瞠るものがあった。ヤンキー連中は有理の最強という言葉に対し、最初よっぽど警戒心を抱いていたのか、彼が無能力者であることが分かってくると、その反動でおちょくるようになってきたのだが、この関という男は一番性質が悪かった。


 何もしていなくても事あるごとにちょっかいを掛けてきて、実技の際には出来ない有理にチクチクと嫌味を言ったり、無視して背中を向ければ蹴りを入れてきたり、通りすがりにわざとぶつかってきたり、終いにはお前は卑怯者だと罵り、殴りまでした。


 ところが、桜子さんの演説後は立場が逆転し、慌てて有理に媚びを売ってくるようになったのだ。どうも日本のヤンキー連中にとって桜子さんはアイドルみたいな存在で、彼女が言うことは絶対らしい。そんな彼女が有理のことをよろしく気にかけろ分かったなコンニャロと言ったものだから、なんならイジメの主犯格だった関は目の敵にされたというわけだ。


「うぜえ、関。消えろ」

「あーん! そんなこと言わずに、パイセン、俺にもっと構ってくださいよ。昨日はパイセンがいなかったから、一日中誰も声かけてくれなかったんですよ?」

「知るか、自業自得だろう」


 そんなわけで関は地に落ちてしまった自分の評判を取り戻すべく、それまでの態度をガラリと変えて、逆に媚びへつらうようになったというわけだ。自分の立場を守るために、一瞬にして主義主張を180°変えられるのは、ある意味凄いと感心もするが、その浅ましさはもちろん褒められたものではなかった。せめて自分に関係ないなら笑って見てもいられただろうが、思いっきりうざ絡みされているので辟易している。


 今日も今日とてカバン持ちにやって来た関をあしらっていると、それが煩かったのか、教室の隅にいた中国人たちから思いっきり睨みつけられた。因みに、クラスの第三グループである中国人たちは、相変わらず有理のことを見下すような態度を取っていた。というか、彼らは日本人全体を見下しているのだ。


 不思議な話だが、ヤンキー共は国は違えど、どいつもこいつも保守的なのだ。日本人は日本の政権与党が言ってることが、中国人は中国政府が絶対の正義であって、相手の意見には聞く耳をもたないのだ。なんなら、相手の言ってる反対こそが正解だと決めつけていて、だからだろうか、日本人に人気が高い桜子さんは、中国人には右翼の親玉みたいに思われている節があった。


 実際、彼ら中国人は子供の頃から、異世界人は絶対悪、社会の寄生虫だと教えられて育ってきた。だから海外に出ても、異世界人を見れば嫌悪感を隠しきれず、それが社会問題になることが度々あった。このクラスの中国人たちも、みんなそんな感じなのだ。


 しかし、この学校に来ているということは、彼らの血の半分、ないし4分の1は異世界人のはずである。両親のどちらかが異世界人をルーツとしているはずなのに、どうしてそこまで毛嫌いするのだろうか。


 貧すれば鈍するとも言うが、昔から貧乏人ほど保守的という傾向があるらしい。彼らは現行の社会に適応しきれないから窮乏しているというのに、お上が言うことは正しいと信じて疑わないのだ。実際、国が傾くくらい不景気になったとき、ドイツや日本の国民はみんな極端に右に傾いた。それは何故かと言えば、偉い人に媚びていればおこぼれが貰えるから……という卑しい気持ちではなく、既に最悪なくらい追い詰められているから、これ以上悪くなって欲しくないという心理が働くからなのだと、どこかの社会学者が言っていた。


 この学校に来るような連中は、大体みんな生まれ育った社会から爪弾きにされて来た経験を持っている。だからやたら不良ぶって見せたり、ネトウヨっぽい言動に走るのかも知れない。みんな自分の中に流れる異世界人の血を否定したいのだ。これ以上、悪くなってはたまらないから。


 中国人たちは特にそういう傾向が強いように思われた。彼らがあちらの社会でどういう扱いを受けてきたかは分からない。けれど異世界人撲滅政策を掲げている国の中で生きていくには、並大抵の苦労では済まないだろうことくらいは想像できる。そして結局、彼らは生まれ育った故郷を追われて、この異国の地で公権力の手先に落ちぶれているのだ。その恨みをどこにぶつけていいのか分からないのだろう。特に、中国人たちのリーダー格である張偉(チャンウェイ)という男は何をしでかすか分からないような雰囲気があった。


 彼はいつも中国人たちのグループの真ん中に居て、むっつりとした表情をして黙って仲間の話を聞いていた。そのオーラは他人を寄せ付けず、真面目連中はいつも彼の視線を避けて通っていた。もちろん有理もそうしていたのだが、そんなある日、気づいてしまった。


 何となく視線を感じて顔を上げた時、張の目と目がぶつかることがあった。それも一度や二度でなく、何度もとなると相手がこっちを見ていたのはほぼ間違いなかった。しかし、彼はそれでいて何か言ってくるわけでもなく、いつも遠くからじろりと睨みを利かしてくるだけなのである。


 その不平不満を絵に描いたような恨みがましい目が何を考えているのか、想像すると生きた心地がしなかった。しかし、何がしたいのかと直接聞けるはずもなく、結局のところ身を縮めて、視線を避けることしか有理には出来ることがなかった。


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