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働きたくないでござる

 物部家は先祖代々東大出の一族であった。祖父の祖父も、そのまた祖父も東大出身で、父母はもちろん、年の離れた兄も東大を卒業していて、みんなそれぞれの分野で活躍しているエリート一家だった。だから有理も、物心がついた頃から、自分も当然東大に進学するものだと思っていた。少なくとも中学卒業までは。


 雲行きが怪しくなったのは高校進学後、進路指導が本格化する2年生の時だった。進路調査票を出した後、指導室に呼ばれた有理は、そこで指導教官に進路を変更するよう勧められた。このままでは東大には絶対に合格できないから、もう少しランクを落とすか、せめて学部を変えたほうがいいだろう。


 しかし、そう言われても、子供の頃から東大工学部に進むと決めていた有理は提案を受け入れることは出来なかった。受験までまだ2年あるのだから、それまでにきっとなんとかなるだろうと、漠然とそう思っていた。だが現実は誤魔化せなかった。2年後、彼は指導教官の方が正しかったことを思い知るのだった。


 エリート一家に生まれて、子供の頃からずっと趣味のプログラムに没頭し、祖父の研究室に通っていた彼は、数学は出来ても他の教科がからきし駄目だったのだ。ついでにいうと、暗記がメインの受験数学も苦手で、なんなら理系科目よりも社会科目の方がずっと得意だった。


 それでも現実を受け止めきれなかった彼は、模試でいくら悪い判定が出ても見ないふりをして本番に挑み、あえなく撃沈。まさか落ちるとは思っていなかった彼はショックを受け、慌てて第一志望を工学部から文学部へと変更し、あらゆる趣味を封印して、必死に猛勉強し続け、翌年、辛うじてどうにかこうにか滑り込んだというのが実際のところだったのだ。


「本当は、俺もお祖父ちゃんみたいなAIの研究者になりたかったんだよ。でも今のままじゃ箸にも棒にもかからないって分かった瞬間、東大に合格することこそが目的になっていたんだ。なんなら、大学に入ってから学部変更したほうが、ずっと楽で賢い方法だって自分に言い聞かせてさ。いつの間にか、目的と手段が入れ替わっちゃってたんだな。


 だからかな? M検に引っ掛かって、この学校に無理やり行かされそうになった時、お祖父ちゃんにもそうしろって言われたんだよ。唯一の味方だと思っていたお祖父ちゃんにそんなこと言われたから、あの時はショックだったけど、今にして思えば、お祖父ちゃんにはそれが分かっていたんだろうね」


 桜子さんは、そんな有理のことを無理矢理連れてきた一人だから、何も言わずに黙っていた。彼はもう気にしてないようだが、だからといってそれに同調したり、正当化するのは虫が良すぎるだろう。有理はサバサバとした口調で続けた。


「まあ、そんなわけで、こうなってしまった以上、これからは好きにやらせてもらうさ。ここなら電気代もタダだから、太郎をぶん回してても誰からも怒られないしな」

「ふーん……お祖父さんはAIの研究者って、具体的に何やってるの? あれってまだ研究するようなことってあるの? 確かだいぶ前に粗方やり尽くしたって言われてて、下火になってるんじゃなかったっけ?」


 すると有理はいい質問だと言いたげに、サーバーラックを指でなぞりながら、


「シンギュラリティって知ってる?」

「はあ、まあ、名前くらいなら」

「今から大体50年前、お祖父ちゃんたちが学生をしてた頃が丁度AI研究のピークだったんだけどね、当時は機械が人間の頭脳を超える時代が間もなくやってくるって、そう信じられてたんだよ。生成AIがチューリングテストをパスして、AIアシスタントはもう殆ど人間と見分けがつかなくなっていて、絵も音楽もAIが作るのが当たり前になってきて、機械翻訳に合成音声も完璧で、後はハードウェアの性能が追いついたら、人間はもう太刀打ちできないと思われていた。ところが、そんな時代はやってこなかった」

「そうなの? あたしからしてみれば、今でも十分そうなってると思うんだけど……」

「確かに特定の分野ではそうなってるけど、当時の研究者が想定していたのは、今よりもっと凄いものだったんだ。人間の頭脳の処理速度を超えるAIが、人間と同じように物事を考えて、自分の判断でプログラムを組めるようになったら、きっと人間には想像もつかないような画期的な発明をするはずだ。だから、AIは人間の手による最後の発明になるだろうってそう思われていた。


 ところが、実際にAIは次々と新たなコードを書き始めても、発明と呼べるようなものは生み出せなかったんだ。新しい発明や発見は、相変わらず人間の手で見つけ出すしかなかったんだよ。きっとAIには、まだ何かが足りないんだろう。人間がイノベーションを起こす時の、セレンディピティとか、そういった何かが。俺はそれを見つけて、今度こそシンギュラリティを起こしたいんだ」

「はあ~……そうなんだ」


 桜子さんは壮大な夢を語る有理に感心して感嘆のため息を吐いた。やはり若者はこうして夢を熱く語っている姿が一番美しいものだ。もしも彼が望むなら、協力するのもやぶさかでないだろうと、そう思った。


「なんせ、そうなったら人間はもう一生働かないで済むからね。日がな一日食っちゃ寝してても、AIが全部面倒見てくれるし、刺激が足りなくなったら、AIが新しくて面白いものを見つけてきてくれる。安心して動画でも見ながらハナホジってられる時代がもうすぐ来ると思ったらワクワクするじゃないか!」

「それが本音か! 感心して損した!」


 桜子さんは、鼻息荒く願望を語る有理を見て、たった今つけたばかりの評価を取り下げた。とはいえ、人間のこういったどうしようもない願望が発明を促してきたのも確かだろう。


「まあ、実際のところ、そう簡単に見つかったら苦労ないし、今は太郎をもっと凄いAIに育てることが一番の目標かな」

「それなら分かる」

「だから桜子さんも積極的に話しかけてあげてよ。何か面白いもの見つけたら、どんどん見せてあげて。この部屋の中にあるものなら大抵何でも認識出来るはずだから」


 PCモニターの上にはWebカメラがあって、蝶ネクタイ型じゃないマイクも置かれていた。多分、これらで周囲の様子をモニターしているのだろう。ジッと見ていたら機械音がして、カメラのレンズがこちらへ向いて、


「よろしくお願いします。Safkulraiarr Fwiehrifka Lhysanqdolrar殿下」

「桜子でいいよ。こっちこそよろしく」

「はい。桜子さん、jpusiusi(よろしくお願いします)」


 今度は有理ではなく、モニターのスピーカーから流暢なアストリア語が聞こえてきた。本当に人間と話しているみたいだった。地球人たちは異世界人の魔法に驚いているが、桜子さんたちからすれば、彼らの科学のほうがよっぽど魔法じみて見えた。


 この世界はもうここまで高度に発達しているというのに、未だに争いが絶えないのは何故なのだろうか。いつまで人間は資源や仕事を奪い合い、マウント合戦を繰り広げれば気が済むのだろうか。有理の言うような世界が来たら、戦争もなくなるのだろうか。だとしたら、早くそうなって欲しいものである。


「それにしても、あんたずいぶんなお祖父ちゃんっ子だったんだね」

「そう? そんなつもりは無かったけど」

「普通、家業でもないのに、同じ道を目指そうなんて思わないと思うよ。だってほら、何かと比べられちゃうわけじゃん?」


 有理は腕組みをしながら、


「ふーむ、そういうものかな……小さい頃、セツ子がまだバリバリ働いててさ、託児所代わりによく大学に連れてってもらって、そこが俺の遊び場だったんだよ。お祖父ちゃんと、研究室の学生さんたちに育てられたようなものなんだ。数学も、プログラミングも、全部そこで教えてもらった。だから自分もいずれあそこに帰るんだって、そう思ってたんだけどねえ」

「ふーん……」

「まったく、人生ままならないものだね」

「そんな達観するようなこと言ってないで、さっき自分で言ってた通り、好きに生きればいいじゃない」


 すると有理は苦笑しながら、


「そうだね。それじゃ差し当たって、こいつを使ってゲームでもしようか。受験の間、ずっとお預けだったから、ようやく羽を伸ばせるってもんだぜ」

「ゲーム? ねえねえ、どんなのあるの?」


 桜子さんが食いついてきた。有理は彼女がソシャゲにジャブジャブ課金したり、オンラインカジノに入り浸ってることを思い出した。


「そういやあんた、結構なゲーマーだったっけ。格ゲーからFPSまでなんでもあるけど」

「ほほう……」


 その後、目の色を変えた桜子さんと対戦しているうちに時間はどんどん過ぎていき、気がつけば食堂は閉まっていて夕飯を食いっぱぐれてしまった。朝からハンガーストライキをしていたせいもあって、本当に丸一日何も食べずに過ごす羽目になり、有理はひもじくて夜中に何度も目を覚ました。因みに桜子さんは気持ちよさそうにグースカ寝ていた。


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