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暗躍する者たち

 5月の連休も明けて日差しも高くなり、だいぶ暖かくなってきた。綿布団は夜の寒さと共に押入れに仕舞われ、いよいよ初夏の陽気である。梅雨入り前の晴天が続く穏やかな気候は、一年のうちでも最も過ごしやすい時期と言えるだろう。


 魔法学校の敷地内には、湘南のギラつく太陽を避けるように木陰を進む、一人の女性の姿があった。この世界ではまず見ることが出来ない、少し青みがかった白髪と長い耳は異世界人の特徴である。桜子さんは午前の仕事を終えて昼休みになると、現場を部下に任せて魔法研究所の方へと向かっていた。魔法学校の中でもひときわ目立つ、15階建てのビルである。


 因みに、元々この壁に囲まれた場所にあったのは、この魔法研究所の方であり、魔法学校の方が後から作られたおまけであった。作られた当初は、ここは世界で唯一の研究機関でもあり、世界有数の錚々たる頭脳が集まる華やかな学府であったが、これも老舗ゆえの宿命だろうか、後から出来た研究機関に続々と研究員を引き抜かれて、今ではすっかり見る影もなくなっていた。


 最も、それでも国内ではまだ唯一の国立魔法研究所であったから、今もそれなりの権威があった。丁度昼時であったから、ビルに入ってすぐの一階ラウンジには大勢の研究員たちが集まり、食事をしながら喧々諤々の議論を交わしていた。


 桜子さんは魔法のエキスパートであったが、しかしその議論のどこをとっても、何を言ってるかさっぱり分からなかった。魔法は詠唱、つまり言語で行使されるものなのだが、研究員たちが話す言語は主に数学で構成されているからだ。同じ魔法という現象のはずなのに、テラリアンとルナリアンで、どうしてこうも見方が変わるのだろうかと首を捻りたくなる。


「桜子さん、こっちです!」


 そんな研究者たちの姿を見ていたら、奥の方から声がかかった。見れば一人の女性が立ち上がり、彼女に向かって手を振っている。柔和な人好きのする顔立ちをした女性で、誰が見ても好印象を抱くであろう、そんな笑みの持ち主だった。


「やあ、アオバ。待たせたかな?」


 桜子さんは手を振り返し、ゆっくりと近づいていった。女性は立ったまま彼女を迎えると、椅子に腰掛けようとしている桜子さんに顔を近づけ小声で言った。


「殿下、お呼び立てしてしまい、申し訳ありません」

「ううん。頼んだのはこっちだから」


 女性は桜子さんが異世界の日本、蓬莱国の姫君であることを知っている数少ない人間の一人だった。因みに蓬莱というのが異世界の日本王国の名称なのであるが、例によって正確な発音が出来ないので、桜子さんと同じく愛称みたいなものだった。因みに由来は古代中国の地理書、山海経からである。


 女性は桜子さんが座るのを見届けてから腰を下ろすと、メニューを一緒に覗き込んでいるような素振りで、何気なく会話を続けた。


「先日の我が校の児童が巻き込まれた暴動の件ですが、やはり裏で中国政府が動いていた形跡がありました。逮捕された者が党の動員を仄めかしています」

「やっぱり? いくらなんでも集まりすぎだよね。あんな何も無い駅に」

「また被害を受けた女生徒の証言では、抵抗は不可能だったとのことです。魔法を使って逃げようとしたけれど、まるで歯が立たず、そのまま組み伏せられてしまったらしく」

「つまり、相手は同じ異世界人だったってことか」

「もしくは第2世代ですね……異世界人排斥運動のデモ隊の中に、異世界人が混じっていたらおかしな話ですから」

「それは例の第2世代だけを集めた特殊部隊が動き出してるってこと?」

「はい。既に国内に潜伏中と思われます。内閣調査室でもその行方を追っていますが、相手が第2世代となるとそれも難しく……申し訳ありません」

「アオバが悪いわけじゃないよ」


 桜子さんはため息を吐いた。予想していたことではあったが、こう改まって言われると想像以上にくるものがあった。大衝突から50年。裏切り者が現れるのは時間の問題だったろうが、しかし中国に味方する者が出てくるとは、まだ予想もしていなかった。


 何しろ相手は世界で唯一、異世界人撲滅政策を続けている国なのだ。今となってはそれも掛け声だけで、実際には国内に多くの異世界人を抱えているとは言え、どうして自分たちを滅ぼそうとしている国の味方をしようなんて思えるのだろうか。


「まいったね。あいつら何が目的なんだろう」

「色々とありますが、一つは日本と蓬莱国との離間でしょうか」


 実を言えば、かつて世界一異世界人に寛容だった日本人は、今は一転して不寛容になりつつあった。メガフロートと軌道エレベーターの建設で好景気に沸いていた国内だったが、いよいよ宇宙港の開港が迫ると、建築資材の製造も必要なくなり、景気が頭打ちになった。そして景気後退期に入り雇い止めが発生すると、経済界はその理由を異世界人に転嫁したのだ。


 丁度、異世界人技能実習制度の廃止議論がされている最中だったのもタイミングが悪かった。経済界は安い労働力が失われることに消極的だったし、そして労働者も、異世界人が同じ労働をするようになれば、自分たちの仕事が奪われてしまうと危惧したのだ。


 しかし、そもそも実習制度は工場で働きたがる日本人が少なかったせいで生まれたもののはずだ。アメリカとの約束で必要な資材を調達するのに、安価な異世界人労働力をあてにした結果だ。仮に彼らが居なかったところで、代わりに中国や東南アジアの労働力が入ってきただけだろう。景気が悪くなってきたのは世界規模の話で、異世界人は関係ないのだ。


 ところが、一部の労働者が異世界人の恐怖を騒ぎ立てると、連日のようにデモが起きて収集がつかなくなった。マスコミも一緒になって叩き始め、政府がいくら冷静な対応を呼びかけても、誰も聞く耳を持たなかった。


 今すぐ異世界人を追い出さなければ、いつか日本は滅びるだろう。奴らが日本の領有権を主張しているのは周知の事実だ。侵略者どもに騙されてはいけない。日本国民よ、いまこそ立ち上がれ!


 そんな風に勇ましく叫ぶ声の裏には、当然のように中国政府の影があった。


「もうじき宇宙港の開港式典があるのに、頭が痛い問題ね。世界各国の首脳を招待するつもりだけど、中国政府を呼ばないわけにもいかないもん」

「今や米中は二大超大国。我々も無視できませんからね」


 世界の警察であると気を吐くアメリカと、世界最大の人口を誇る中国。現在、世界はこの2つの勢力間の冷戦構造によって支配されていた。日本はそんな2つの超大国に挟まれており、また今は鳴りを潜めているが、ロシアというもう一つの大国の存在もあった。これらを捌きながら、国内では異世界人問題を抱えているという現状は、この国の政治家には手に負えない課題であった。


「そしてもう一つは、中国国内の問題なのですが……」

「問題って? あの国はいつも問題だらけじゃない」


 桜子さんは肩を竦めた。女性も同意するように苦笑いしながら、


「実は未確認情報なのですが、50年前の大衝突で中国から消された鳳麟帝国……その皇帝が復活したという噂が、彼の国の異世界人の間で囁かれているみたいなんですよ」

「どういうこと?」

「なんでも、中国政府との闘争の最中、チベット仏教に帰依した皇帝は、今際の際に、輪廻転生を予告していたそうなんですよ。『死後、朕は東方で蘇る。皆はこれを探し出し、団結して復讐にあたるのだ』。普通はそんな話、真に受けないんですけど、あの国はそうもいきませんからね。それで18年前の国内の新生児を調べまくってたそうなんですが……」

「もちろん、そんなのは見つからなかったんでしょう?」

「ええ。ただ、それでも諦めきれず、出生年の幅や捜索範囲を広げたりしてるそうなのですが……ところで、チベットの東方には、日本も含まれますよね?」


 桜子さんはギョッとした顔を見せた。


「まさか、ユーリのことを疑ってるわけ?」

「このタイミングで、虎の子の特殊部隊まで投入したのだとしたら……あるいは」


 物部有理の登場は、思っている以上に世界に衝撃を与えていた。何しろ、科学文明には絶対に誕生しないであろうと言われていた、魔法適性がある普通の人間であり、おまけにその数値が桁外れに大きいのだ。この男が、いずれ何かとんでもない事をしでかすのではないかと、誰もが想像するだろう。


 しかし、当の本人は魔法が使えないのだ。


「私としてはユーリはもしかして魔法なんて使えないんじゃないかって思ってるし、なんならこのまま一生使わないで欲しいくらいなんだけど」

「でもそれは、自分の手元に彼がいるからそう思えるんですよね。疑心暗鬼に駆られた者からすれば、未知の対象は恐怖にしかならない。だから彼らは物部さんを手元に置きたがっているのかも知れません」

「冗談じゃないよ。ただでさえ、とんでもなく不自由な思いさせてるのに」

「ええ、私もそう思います。私たちとしても、これからはターゲットの保護を最優先に動こうかと思っております。だから殿下にも引き続き、彼のことを気にかけていただければ有り難いのですが」


 桜子さんは一も二もなく頷いた。


「もちろん、そのつもりよ。まあ、ユーリに追い出されなければなんだけど……」


 有理の部屋に居候として転がり込んでいた桜子さんは、正体がバレた今、いつでも彼に追い出される可能性があった。ついに先日、隣のビルも完成したので、いよいよ彼の部屋にいる理由もなくなってしまった。その辺を指摘されて出て行けと言われてしまえば、流石に今度は出ていかざるを得ないだろう。


 もしそうなったら、今後どうやって彼のことを見張ればいいだろうか? 何かうまい方法はないかと考えながら、二人は別れた。

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