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私はこのどうしようもない悪感情を変えたかった

「今日この善き日、みなさんにお会いできたことを嬉しく思います。みなさんにお会いできる日のことを、一日千秋の思いで待ち望んでおりました。念願叶い今日こうしてみなさんにお会いでき、たくさんの歓迎の声をいただき感謝の念に堪えません。我が国との友好の架け橋となるこの学園を築いていただいた日本政府、そして我が国民の健やかなる成長を日々見守っていただいている本校の職員の方々には心よりお礼申し上げます。


 本日、こちらへ伺いましたのは他でもありません。昨日、当学園の趣旨も理解せず、我が臣民を害そうとした暴漢にみなさんの仲間が襲われたと聞き及び、居ても立っても居られず駆けつけた次第です。


 我が国と日本国との交流が始まって以来50年、未だにこのような誤解が生じている事を憂慮するとともに強い憤りを感じておりますが、一日も早くみなさんが安心して暮らせるよう努力するとともに、今回、被害に遭われた女子学生の方々に心細い思いをさせてしまったことを悔恨しつつ、怪我もなく、無事にまた元気にここへ返ってくることが出来たことをアストリアと月の神に感謝します。あなた方が無事で本当に良かった」


 桜子さんのその回りくどい挨拶に、いつもは無軌道なヤンキーたちさえも神妙に俯き、被害に遭った女生徒たちは涙を流した。感嘆のため息があちこちから聞こえてくる中、彼女は暫く余韻に浸るように間をおいてからおもむろに続けた。


「この唾棄すべき事件の後、みなさんの間であらぬ誤解が生じていると聞き、深く憂慮しております。実は今日、そのためのお願いに参りました。みなさんにはどうか、物部有理さんを責めないで欲しい」


 それはまったく唐突で、寝耳に水の言葉だった。誰もそんなこと想像もしていなかったからか、またあちこちからどよめきが起こり、教師たちが生徒たちを鎮めようと躍起になっていた。当の本人である有理でさえも、ぽかんと口を開いたまま言葉を失ってしまったくらいである。彼女は何を言い出すつもりなのだろうか。一体、これはなんのつもりか。人々は続く言葉を困惑しながら見守った。


「50年前、私たちルナリアンとテラリアンとの間で戦争が勃発しました。幸いなことに、この国にいた私は難を逃れましたが、世界では凄惨な殺し合いが何年も続き、数多くの犠牲者を生み出した挙げ句に、戦争は勝者がはっきりしない形で幕を下ろしました。それ以来、両陣営は表面上は仲良くしているように見えて、裏ではお互い憎み合っている。そのような状態が続いていることは、みなさんも歴史の授業でよくご存知でしょう。それどころか、みなさんの中には日常的に差別を感じている人もいるかも知れません。


 あなたがた第2世代はテラリアンと同じ見た目でありながら、私たちと同じ魔法を使えるという特徴があります。そのため昨日の暴徒が言っていたように、テラリアンの中には、あなたがたが突然町中で暴れ出さないだろうか、もしも暴れ出したら自分たちには止める手段があるのだろうかと、あなたがたを恐れるあまり、執拗に憎む者たちがいます。たまたま、あなたがたが彼らと同じ見た目をしていて、見分けが付かないからという理由だけで、こんな理不尽がまかり通っているのです。


 魔法は確かにテラリアンには使えない、殺傷力の高い能力かも知れません。それが恐ろしいという気持ちは分かります。ですが、そんなことを言い出したら、未だに多くの国で銃規制が進まないのは何故なのでしょうか。この日本であっても、日常的に包丁は使われている。これにだって殺傷力はあるでしょう。


 結局、道具というのはそれを使う人の気持ち次第で善にも悪にもなる。それは魔法だって同じことです。なのに、私たちだけが憎まれるのは差別ではないのか。


 しかし、私たちがいくらそう言ったところで、彼らにはそれがわからないのです。彼らは私たちだけが持てる特別な力というものを非常に恐れている。恐れているから遠ざけたい。その気持ちが差別を生み出しているのです。


 今日は1つ、興味深い話をさせてください。南北戦争後のアメリカの話です。南部出身の男が、戦争後、北部へ引っ越しました。彼は黒人への偏見を払拭し、対等に付き合う準備が出来ているつもりでしたが、彼らと握手を交わす度に、自分の手を洗いたいという甚だ不合理な気分に見舞われたそうです。


 しかし、これは説明がつかない感情でした。何故なら、彼は黒人の産婆に取り上げられ、黒人の手で産湯につかり、黒人の乳母の乳をもらい、彼らが作った食事を食べて育ったのです。それが普通の南部出身者の生活であり、彼はその間、黒い肌を汚いと思ったことなど一度もなかったのです。


 ところが、北部へ行って黒人と対等に付き合い始めた途端に、彼は理不尽な悪感情に苛まれるようになったのです。黒人が、自分と同じ権利を持った瞬間、彼の心に差別感情が沸き起こったとしか思えません。


 人間は、何かを得る喜びよりも、何かを奪われる時のストレスの方を強く感じるように出来ているそうです。そこに明白な差があれば安心していられますが、ほんの些細な違いしかなければ、優越者は僅かな優位を守るために多大な労力を費やさねばなりません。そこに人は悪感情を抱くのです。


 誰かに追いつけ追い越せとがむしゃらになっている内は、人はその努力を苦痛には思わないでしょう。しかし、一旦追い抜いて、逆に追われる立場になった瞬間、人はそれを維持する努力を苦痛に感じるようになるのです。高度経済成長期からバブル崩壊後まで、その両方を経験してきた日本人は、特にその傾向が強いでしょう。私は彼らの心の内に潜むこのどうしようもない悪感情を変えたかった。


 今、我が国は日本政府と過去に交わした異世界人技能実習制度の廃止を求めて、交渉の真っ最中にあります。いずれこの不平等条約はなくなり、私たちは真に日本人と友人になれると考えております。しかし、追われる立場の彼らは、残念ながらまだそう考えてはおりません。寧ろ、それを恐怖と捉えている。


 何故なら、私たちには魔法があるから。彼らとは明白に違う力を持っているからです。もしも、私たちが彼らと対等になった時、彼らはそれに太刀打ち出来るか不安に思っているのです。実際には、私たちはこの力を持ちながら、彼らに負けたのですが……それでも彼らは恐怖心を拭い去れないでいるのです。


 ならば、もし、魔法がテラリアンにも使える技術だったとしたら、どうでしょうか?


 もしも彼らにも、自分の意思で魔法を使うことが出来たなら、きっと差別はなくなるんじゃないか……私はそう考えました。


 そして、その可能性を秘めているのが、物部有理という一人の日本人だったのです。


 物部氏は本来ならばルナリアンにしか反応しないはずの魔法適性検査に反応した稀有な存在でした。両親ともに生粋の日本人であり、先祖にルナリアンの血は一滴も入っていません。にも関わらず、魔法適性だけは桁違いに高いという結果に、私たちは色めき立ちました。


 もしも彼が魔法を使うことが出来たなら、テラリアンの魔法に対するイメージは覆ることになる。少なくとも、今まで第2世代を危険視してきた人々へのアピールにはなる。そのため、無理を言ってこの学校に通ってもらうことにしたのです。


 とはいえ、彼に適正があるといっても、必ずしも魔法が使えるようになるとは限りません。そんな前例はないのです。だからもしかしたら彼は魔法が使えないかも知れない。現に1ヶ月が経過した今もその兆候は見えません。彼自身も限界を感じ、すでに幾度か学校を辞したいとの申し出を受けました。魔法が使えない彼からすれば、あの駅前の暴徒のように、私たちは都会をうろつきまわるヒグマのように見えているかも知れません。私たちならかすり傷で済むような喧嘩で、彼は重症を負いかねません。私たちが何の気もなく使う魔法で、彼は命を落とす危険性だってあるのです。日々、生きた心地はしなかったでしょう。


 それでも、彼はこのつらい状況にずっと耐えてきたのです。それをみなさんにはどうか理解して欲しい。私たちには、彼の力が必要なのです。


 昨日、暴徒に囲まれた時の彼の恐怖は並々ならぬものだったでしょう。彼には魔法が使えない……ところが、暴徒たちにはそれがわからないのです。


 なのに、もしも彼が勇気を出して暴徒に立ち向かっていたら、果たして何が起きていたでしょうか。暴徒たちは魔法を恐れて、必要以上に彼を攻撃していたかも知れない。もしかしたら、命を落とす危険すらあったかも知れない。私は、そうならなくて本当に良かったと思っております。彼の行動は、人にとっては意気地のない行為に見えたかも知れません。ですが間違いなくこれは最良の結果だったのです。みなさんにはどうかそのことを理解し、そして彼のことを間違った色眼鏡で見ないで欲しい。それこそ、あの差別主義者たちと同じことではありませんか。


 ですから、みなさんには彼のことを正しく評価していただきたい。今回のことは私に免じて、どうかこの通り……よろしくお願い致します」


 そう言って、桜子さんは全校生徒の前で深々と頭を下げた。一国の姫がやることではないその行いに、体育館中がどよめいて揺れた。お付きの従者が慌てて彼女の下へ駆けつけて、主人に頭を上げてくれと促している。たまたまそれを目の前で見てしまった司会の教師は、混乱して何故か土下座をしていた。生徒たちはみんな動揺して真っ青な顔をしている。


 そしてその瞬間から、有理の境遇はガラリと変わった。


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