いつまで耐えれば終われるのだろうか
デモ隊を追い散らした桜子さんは、空の上でガハハと品のない勝どきを上げると、降りてこいと怒鳴っている警官隊にアカンベーをくれてやってから、どこかへと飛び去っていった。パトカーがそんな彼女の後を追いかけていったが、多分、防衛省の敷地内に逃げられて手も足も出ないだろう。
駅前にはおびただしい数のプラカードと、猿ぐつわを噛まされて泣き腫らしている女生徒たちが取り残されていた。警官たちは彼女たちを保護してから、同じ広場の中でオロオロしていた女教師に事情聴取を行い、そしてその出口付近で真っ青な顔して佇んでいた有理のことを見つけると、警察無線でどこかへ連絡してから、被害者らとともにパトカーに乗せて都内のがんセンターまで運んで行った。
なんでそんな場所に連れて行かれたのかといえば、忘れているかも知れないが、異世界人の魔法は漏れなく放射性物質を撒き散らすという弊害があるからだ。あれだけ盛大に魔法をぶちかましていたのだから、有理もばっちり被爆しているのは間違いないはずだった。助けられておいて何ではあるが、はた迷惑なやつである。
そんなわけでその日は一日被爆検査のために病院内をたらい回しにされ、ついでに一晩お泊りするはめになった。幸いなことに被爆はそれほど深刻ではなかったようだが、経過観察は必要らしく、また一週間したら来てくださいと美味しんぼみたく言われて帰された。七面倒臭い。
とはいえ、それはそれで一安心とほっとしたのもつかの間、そうして学校に戻った有理を待ち受けていたのは、被爆よりもっと深刻なものだった。
翌朝、検査を終えて学校へ直行した有理は、教室の自分の机が無くなっていることに気がついた。最初は何かの間違いかと思いもしたが、クラスメートのよそよそしい態度を見るに、すぐわざとだと気がついた。どうやら昨日、駅前でデモ隊相手に命乞いをしたことが、全校生徒に知れ渡っているらしい。多分、自分より先に帰ってきた女生徒たちが話したのだろう。実際、あの時の自分は最低だった。だから彼女たちが怒るのも無理はないだろう。しかし、こんな露骨なイジメなんてものはフィクションの中にしかないと思っていたが、こうまで見事に転落するなんて、あまりに滑稽すぎて泣けばいいのか笑えばいいのか分からなかった。
椅子がないから、教室の隅に立っていたら邪魔だと突き飛ばされ、女生徒たちには軽蔑の眼差しを向けられ、挙句の果てにはヤンキー共に殴られた。バチンとほっぺたを叩かれ、女の子みたいに膝を揃えて床に転がり、吐き出した唾液には血が混じっていた。じんじんと痛むほっぺたを抑えて耐えるも、自分を殴った相手を見返す勇気もない。あちこちから笑い声が聞こえてきて、それが脳裏に刻まれてズキズキ傷んだ。夕暮れを告げる鐘の音のようにワンワンと、頭の中に響いて離れない。ここから出てけと誰かが怒鳴る声が聞こえる。
しかし、自分は最初からここを出たいと言い続けていたはずだ。こんな場所からはさっさとおさらばして、元の生活に戻りたいんだと、ずっと言い続けていたはずなんだ。何故こんな理不尽に耐えねばならないのか。これはいつまで続くのだろうか。
情けないやつ、格好悪いやつと、誰かの陰口が聞こえてくる。面と向かって言われない方がかえって傷つく。自分が情けないことなんて、それこそ自分が一番良く知っていた。
「おまえたち、一体何をやってるんだっ!!」
そんな怒鳴り声が聞こえてきて、肩を怒らせた鈴木が教室に飛び込んできた。ヤンキー共は蜘蛛の子を散らすように退散し、他のクラスメートたちは無関心に席に着いて黒板を真っ直ぐ見つめている。床に転がる有理を鈴木が引っ張り上げるその腕が痛い。胸がチクチク痛む。もっと早く来て欲しかったと責める気持ちもあったが、それはそれで問題を後回しにするだけだったろう。
「知ってると思うが、昨日あったことについて集会があるから、みんな体育館に集まるように」
同級生たちはダラダラと立ち上がり教室を出ていった。いつまでも席に座っていると鈴木がやってきて、早く行くように言われた。当事者だから、昨日のことならよく知っているから、自分はもう帰ってもいいかと聞いてみたが許してもらえず。それなら保健室へ行かせてくれと頼んだがそれも許されなかった。鈴木はどうしても有理に集会に出て欲しいようである。
これ以上、晒し者にされる必要があるのだろうか。うんざりしたが、もはや抵抗する気も起きず、黙って体育館へ向かう。途中、他のクラスから昨日の生徒会長が出てきた。ばったりと出会ってしまったからもう顔も背けられず、じっとその非難するような鋭い眼差しを向けられたまま硬直するしか出来なかった。追いかけて行ったところで、何も出来なかったのは分かっている。でもあの時……どうして彼女の後に続けなかったのか。せめて、引き止められなかったのか。様々な後悔が頭の中をグルグル回っていた。
「……弱虫」
彼女は悔しそうに言い放った。
「卑怯者!」
彼女は有理から顔を背けると、もう振り返らないで駆けていった。
体育館に到着するも学生たちの列に加わる気には到底なれず、グズグズしていたら空気を察した職員がパイプ椅子を持ってきてくれた。それはそれで注目を浴びるから、どっちが良いのかわからなかったが、今更恥の上塗りもない、好きにしてくれと投げやりな態度でドッカと椅子に腰掛け四肢を投げ出した。あちこちから飛んでくる遠慮のない視線に体を焼かれそうだった。誕生ケーキの蝋燭で家が全焼した気分だ。完全アウェイだ。コールドゲームだ。
「えー、今日の緊急集会は、みなさん知っての通り、昨日、みなさんの学友が外で危険な目に遭わされたことについての説明と注意喚起と……」
壇上に上がった教師が話し始めると好奇の視線は緩和したが、内容はちっとも頭に入ってこなかった。とにかく、早く終わって欲しくて仕方なくて、とはいえ、終わったら終わったでまたあの空気の教室に戻る気にもなれず……
今日こそは、終わらせてくれないだろうか。自分はもう十分頑張ったじゃないかと、そんなことばかり考えていた。
「……では詳しい説明の前に、実は今日、我が校に特別な方がお見えになっております。昨日の一報を受けて、ご心配なされた異世界の姫殿下が、わざわざ陣中見舞いに来てくれました。みなさん失礼のないよう静粛にお願いします」
そんな教師の言葉に、体育館中がざわつき始めた。たった今静かにしろと言われていたのに、そのサプライズに収集がつかないようだ。慌てた教師たちが生徒たちを宥めようとするが、彼らは興奮して周りが見えてないようだった。
どうやら、異世界のお姫様とやらは、この混血児童たちに相当人気があるらしい。そういえばこころなしか、職員たちも緊張のせいか背筋をピンと伸ばして壇上を見つめる瞳が真剣である。そんな中で一人だけ椅子に座ってだらりとしていたから、有理は自分も立ち上がって敬礼でもしたほうがいいのかと一瞬悩んだが、すぐにどうでもよくなってそのまま座っていた。
異世界のお姫様は、彼らにとってのお姫様であって、有理からすればどうでもいい、ただの知らない人間だ。そう思ってまた周囲から視線を逸らすように、体育館の床を見ていたら、ようやく騒ぎが収まって静粛になったのを確認した司会の教師が、改まった声でゲストを招き入れた。
「それでは、サークライアー・フィエーリカ・ライサンドーラ殿下。はるばる蓬莱国からお越し下さり、本当にありがとうございます。みなさん、盛大な拍手でお迎えください」
そんな言葉にまた体育館が喧騒に包まれる。しかし今度は先程のような無秩序ではなく、歓迎の意を込めた秩序だったものだった。
それはともかく……有理は顔を上げた。
やっぱり異世界のお姫様に興味があったわけではなく、その名前にどこか聞き覚えがあるような気がしたからだ。
有理がどこだったっけ? と思いだしながら眺めていると、やがて舞台の袖からしずしずと、数人のお付きを従えて、真っ白なドレスを着たお姫様が現れた。
異世界のドレスは陽の光もないのに白く輝き、衣擦れの音がここまで聞こえてきそうなほど柔らかく揺れて、従者たちがその裾を恭しそうにつまんで彼女に付き従っている。決して彼女の目線に合わせないように、全員が下を向いて、彼女だけが壇上から下々のものを見つめている。
その顔はベールによって隠されていて見えなかったが、少し青みがかった白髪はばっちり見えていた。つけ毛によって長めに偽装されてはいたが、その髪の色には馴染みがあった。というか、毎日のように見ていたから間違いようがない。
「桜子さんじゃねえか……」
なにをやってるんだ、あの不良外人は……