俺は東大生だから強くて偉くて立派な人間なんだ
生徒会長と一緒に入っていった隣駅の前の広場には、おびただしい数のプラカードを掲げた群衆と、漢字だらけの厳しいスローガンが塗装された右翼の街宣車が何台も停まっていた。
その中心には何故か、まるで生贄にでも捧げられたかのように、ここまで一緒に来たボランティアメンバーが取り囲まれており、彼女たちは周囲から容赦なく浴びせられる憎悪の混じった怒声に晒されて、心底怯えきった表情をしていた。
一体全体、こいつは何事かと二人が困惑していると、やがて彼女らの前に停まった街宣車の上で拡声器を構えた男が血走った目で周囲をぐるりと睨みつけながら、自分勝手な主張をギャンギャン喚き立て始めた。
「諸君! 私は今日、諸君らに残念なことをお伝えせねばならない。嘆かわしいことに、我が国の売国政府による異世界人技能実習制度は、健全な日本の若者の職を奪っている! 異世界人どもに活躍の場を奪われた若者たちにかつての活力はなく、日々を就職活動に追われ、今や政府の言いなりである。人々は差別を嫌い、異世界人を受け入れているというが、それは間違ったポリコレの誘導にすぎない。そもそも、我々の生活がこうまでも苦しくなったのは、異世界人どもがこの国に現れたのが発端ではないか! 奴らを救うために政府がどれだけ我々の血税を注ぎ込み、我々がどれほど苦しんできたのか。我々は奴らを否定していいのである! それに政府は隠しているが、この国に第2世代が誕生して以降、魔法犯罪も悪化の一途を辿っているのだ。第2世代魔法は汚染物質を出さないという触れ込みで見逃されているが、そもそも魔法はそれ自体が危険な力であることから目をそらしたただの言いわけに過ぎない! 事実、近年の魔法犯罪は魔力を用いた殺傷能力の高い魔法ではないが、魔法によって身体能力を強化した者の暴力行為は、魔法を使っているのと変わりないではないか。何故、我々はこうまでしてこの危険分子から目を逸らさねばならないのか! 第2世代は我々健全な『地球人』と見分けがつかず、我々の生活に紛れ込んでいる。こんなのは都会のど真ん中をヒグマが歩いているのと同じではないか! なのに売国政府は、これを取り締まるどころか重用しようとしているのである! 私は今日、平和な社会が、私たちの大切な国が、家族が、この売国政策によって危機にさらされていることを、伝えねばならない! 見よ! ここにいる学生らは、昨今自衛隊で運用を検討中である魔法部隊のために集められた混血児どもである! 我々との違いは何も無い。見た目ではまるで判断できない。ところが、こいつらは一人ひとりが凶悪な力の持ち主なのだ……こんな連中が、この平和の街に何食わぬ顔でのさばっているのである! このまま、政府の思惑通りに、この国をまた戦争をする国にしていいのか!? 政府はこの私たちの国をまた戦争をする国に戻そうとしているのだ! このまま、異世界人を野放しにしていたら、この国は滅びる! 遠からず滅びる! 近い内に必ず、滅びる! そんなことが分からない我々ではない! そんなことを許してなるものか! 政府は間違っている! 間違っているのだ! 故に私は今ここに宣言しよう! 異世界人はこの国から出てけ! 出てけ! 出てけ!!!」
駅前ターミナルを占拠した街宣車の上でアジっていた男が叫びだすと、それに呼応するかのように、広場に集まっていた集団が出てけ出てけと喚き始めた。みんな思い思いの罵詈雑言を書き殴ったプラカードを振り回して、血眼になって口角に泡を飛ばしている。
そんな異常な集団に取り囲まれて、ボランティア活動をしていた女生徒たちは怯えるように縮こまっていた。引率の先生が彼女らを助けようとしていたが、行く手を遮られて近づくことも出来ず、殆ど人質を取られたような格好で成すすべもなくおろおろしている。 そんな信じられない光景を前に、最初は唖然としていた生徒会長であったが、
「……この! やめなさい、あんたたち! みんな怯えているじゃない!!」
やがてボランティアの生徒たちが危害を加えられそうになると、ハッと我を取り戻し、その瞬間躊躇なく駆け出していった。
「ちょっ! やめろって!」
有理は引き留めようとして慌てて手を伸ばしたが、結局は彼の指の先で、悪に敢然と立ち向かっていく彼女の後ろ姿を、ただ見送ることしか出来なかった。
加勢しようと思いはしたが、とても彼女のようにはいかなかった。あんなに目を血走らせた群衆の中に飛び込んでいっても、自分には何も出来るわけがない。そもそも、助ける義理もない。だいたい、何も起こるはずもない。まさかあんな小さな子供に、誰も危害を加えやしないだろう……そう言い訳していた。
だが、興奮する群衆は、飛び込んできた女生徒が混血児だと分かると、あっという間に態度を硬化させた。彼女の抗議の声には耳を貸さずに、そいつをとっ捕まえろと叫び始めた。怒った彼女は主催者らしき、さっきから演説をしている男に突っかかっていったが、すぐに支持者の男たちによって羽交い締めにされてしまった。
しかし、それはそれ、彼女も異世界人ハーフであるから、そんな男たちの制止など振り切ってしまえるはずだ……
ところが、男たちに捕まってしまった彼女は抵抗はせず、代わりに何故か驚愕に目を見開いて、慌てて何かを口走った。すると周囲の空気が奇妙に震えて、何もないのに爆発が起きた。
彼女が魔法を詠唱したのだ。
なにしてるんだと驚いたのは有理だけでなく、周囲を取り囲むデモ隊も同様であった。彼らは突然起こった爆発にヒステリックに叫んだ。
「見ろ! やっぱり混血は危険だ! こんな地球人と見分けの付かない奴らが突然暴れたら、俺達に成すすべはないぞ!」
「そいつらを黙らせろ! 口を塞ぐんだ!!」
その言葉を合図にして、デモ隊は暴徒化した。女生徒たちが次々と捕らえられ、詠唱をさせまいと猿ぐつわを噛まされる。まだ年端もいかない少女たちの悲鳴が辺りに響き渡るが、それを咎める者は一人もいない。みんな一種異様な興奮状態の中で、まるで中世の魔女狩りみたいに、彼女らは広場のど真ん中に晒され、口を塞がれているから言い訳も許されず、一方的に暴言を浴びせられていた。
そんな胸糞の悪い光景を目の当たりにしながらも、有理はどうすることも出来ず、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。引率の先生も捕まってしまったのか、もうどこにも見当たらず、指示を仰げる人もいない。逃げるのは気が引ける。かといって彼女らを助けられるような力は持ってない。どうすればいいか分からない……
と、その時だった。広場の端っこにいる学生服の男に気づいた誰かが、有理を指さして叫んだ。
「おいっ! そいつ、さっきこの女と一緒にいたぞ! 仲間じゃないのか!?」
その言葉に気付いた周辺の人々が一斉に振り返る。血走った大勢に睨まれた有理は、その迫力に気圧されて一歩二歩と後ずさり、ドンッと壁に背中をぶつけた。そんな彼を取り囲むように、半円状にデモ隊は広がり、まるで振り下ろす斧のようにプラカードを高々と掲げながら押し寄せてきた。
「違う! 俺はあいつらとは関係ない! 関係ないんだ!」
有理は近づいてくる男たちに向かって叫んだ。真偽の判別がつかず、男たちは一瞬立ち止まったが、すぐに別の誰かが、
「そいつが着てるのは例の魔法学校の制服だ! さっさとそいつをふん縛れ!」
その声を聞いた男たちは、謀られたとでも思ったのか、一転して目を血走らせて有理に突進してきた。あっという間に地面に這いつくばらされ、背中をガンガンと執拗に殴られ、必死になって頭を守りながら、彼は男たちに命乞いを始めた。
「違う! 本当に違うんだ! 俺は魔法学校に無理やり通わされているだけの、ただの一般市民なんだよ! あんたたちが憎んでいる異世界人とは何の関係もない、ただの地球人なんだ! 魔法なんて使えない! 喧嘩なんてしたこともない! 身体能力だって、並以下なんだ! それなのに……それなのに! どうして俺ばっかりがこんな目に遭わなきゃなんないんだよ! 俺がたまたま適性検査の結果が良かったってだけで、俺の意志なんてこれっぽっちも考慮して貰えず、無理やり学校に入れられたんだ! 本当は……本当なら俺は今ごろ東大に通ってたはずなんだぞ!? この国の最高学府に通っていたはずなんだ! この国のために……立派な人間になりたくて……一生懸命勉強して、やっと合格した大学なんだ! この国のために尽くそうとして、いっぱい努力してきたんだよ! 異世界人なんかのためじゃない、俺達日本人のために頑張ってきたんだ。それはあんたたちと同じだろう!? そうだよ! 俺は寧ろ、あんたたちの仲間なんだ。俺はあんたたちの仲間なんだから、助けてくれよ、何でもするから、なあ、お願いだよ!」
暴力を振るわれることを恐れた有理が這いつくばって叫んでいると、最初は呆気にとられて聞いていた男たちは、やがて呆れるような顔で失笑し始めた。
「こいつが言ってることが本当かどうか分からないが、こんなやつを捕まえたところで意味がない。どうせ何も出来やしないんだから、逃がして欲しいなら逃がしてやれ」
男たちの中の誰かがそう言うと、他の者達もそれもそうだと頷いて、誰かがまだ地面に額を擦り付けている有理の首根っこをひっ掴み、ぶるぶると震えている彼を引きずるようにして広場の出口へと連れて行った。
そして怯えるその情けない男を、さっき彼が通ってきた道にドンッと突き飛ばすと、
「ダセえやつ」
そう吐き捨てて、彼らはもう完全に興味を失った感じで、有理に背を向け広場の方へ戻っていった。